007 必要が必要であるがゆえに
「南極のペンギン達は――遊興を始めるほど格段に発達した知性と文化を持っていることが推察される!」
人数に比してだだ広い講義室に響き渡る日下教授の低い声。
「ちょ、え、知性?ど、どういうこと?」
「いやいやいや、あたしも聞いたことないわよ?そりゃドキュメンタリー番組とかも見ない性質だけど、そんなの完全に初耳だわ」
「……二人とも落ち着いてと言いたいところだけど、正直僕もびっくりだよ。王教授も、言ってくれれば良かったのに」
「ほっほ。私はこう見えてサプライズが大好きなんですよ」
「そういうレベルの問題……?」
完全に初耳な上とてつもなく重要な情報に三人が慌てふためくのを尻目に、王教授は相変わらずの涼しい顔で軽く笑ってみせる。
一般人のみずほはともかくとして、生粋のペンギンマニアであるあすかや、あすかの為にペンギン研究に明け暮れる富士まで知らないというのは尋常でない。
みずほは想像以上に大変なプロジェクトを目前にしていると改めて実感し、こめかみからぬるい汗が一筋流れるのを感じた。
もし本当にそうなのだとしたら――例えば、水族館にいるペンギンに対する世間の目も変わってきてしまうのではないだろうか。
「よーしお前ら、いったん落ち着け。その反応が見れただけで、俺ぁ満足だ。言っただろ?『推察』だ、まだ確定事項じゃねぇ」
にやにや笑いの日下教授が手を叩きながら諭し、ひとまず一同が再び腰を下ろす。
「この映像の分析は現在進行形で続けられているし、研究者の間ではかなりの確度を持ってきている情報なわけだが、どうしても確信には至れない。これはもう、生物学全般に言える命題だな」
「……なるほど、そういうことですか」
「なになに?フジくん、どういうこと?」
未だ思考が追い付いていない二人を他所に、富士が納得の頷きとため息を落とす。そして「ちょっと待ってね」とあすかの肩に手を置いて一声かけてから、無精ひげを撫でるにやにや顔――ではなく、茶を啜る好々爺へと真っすぐ目を向けた。
「……教授、いくつか確認させてください」
「ほっほ。もちろん、いいですよ?」
「この現象は、南極のペンギンにだけ起きているんですね?」
「その通り。人間の飼育下にいる個体や、他地域――つまり皇博士の影響がないペンギンには起きていない変化でしょう」
「コウテイペンギンだけの変化ですか?」
「ふーむ、これは微妙ですね。既往の種類はコウテイペンギン以外でも大型化がみられますが、程度はまだわかっていません」
「変化自体はずっと前から知られていた、のに世間には隠されていたんですね」
「まぁ、そうとも言えますね。少々面倒な輩を刺激してしまう可能性が高いですから。軽はずみなことはできなかったんでしょう」
「皇博士の……ペンギンへの干渉は非公開だったのですね?」
「答えられない――で、『答え』になりますかね?」
「でも、隠せなくなってきた、と。そんな時、都合が良いタイミングで僕が先生に相談に行ったわけですね。だから、『面倒な輩』が騒ぎ出す前に研究できることをしてしまいたいっていう、そういう大人たちの――」
「……おい、黄頭。一つ大人からアドバイスをしてやろう」
静かな声音ながら怒涛の勢いの早口で質問を浴びせる富士の頭を、日下教授の太い指が不意に掴んだ。
端から見た絵面こそ、若者の情熱を大人が腕力で押さえつけたようにも取れるが、はっとした富士が頭部に感じる感触は『掴まれた』というよりむしろ『包まれた』と言った方が良いような温かさだった。
「お前はな、ちょっと小難しく考えすぎだ。まぁ、あいつを守る意識が強い表れだろうが、な」
「いやだってそんな――」
「いいか、若造」
なおも言い募る富士の頭を強めに撫でまわし、日下教授は彼の言葉をハッキリとした口調で遮る。
「世の中の科学者が――いや、人間が『走り出す動機』なんて、もーっと単純で明快だ。大人だって若者だって何も変わらん。……ほら、見てみろ」
日下教授が富士の頭をつかんだまま、大股で窓へと歩いていく。そしてバサリ、バサリと二重に閉じられていた分厚いカーテンを開いた。
「それはな、未知への興味!あくなき好奇心!追い求める探究心!」
先に広がる景色は、もちろん律響大学の広大なキャンパス。まぶしい太陽が降り注ぐ石畳の上を、学生たちが走り回っている。
ある者は時折ビクンビクンと動く大きな荷物を重そうに抱え歩き。ある者は片手で六法全書を開いてエナジードリンクのパックを口に咥えたまま自転車で爆走し。ある者は長巻物と毛筆を振り回しながら傍らの仲間と烏帽子を突合せて激しく言い合い。ある者は煙を上げる紫色の発光した液体が入ったフラスコを手にする教授から逃げ。
各々が、何かを追い求めるために汗を飛ばして必死の様子で走っている。しかし皆一様に――天上の日輪に負けないほどの眩しい笑顔だった。
「これは一体どうなってる?これをやったら何が起きる?どうしたら考えを実現できる?なぜ、なぜなぜなぜ!……そんなDNAの二重螺旋に刻まれている、ごくごく原始的で強い強い『知りたい』の欲求。人は結局コイツには抗えないんだよ」
「知りたい……欲求」
「俺ぁ知りたいんだよ。人と人は当たり前にコミュニケーションが取れるはずなのに、何か小さいきっかけで簡単にそれができなくなる。じゃあ、共通言語を持たない人と動物が、人と宇宙人が、人と物体が対話するには何が必要だ?動物と動物はどんなコミュニケーションをしているんだ?どうやったら全てのモノ同士で対話が成り立つ?どうやったら、どうやったら分かり合える?……俺は、知りたくて仕方ないんだよ」
顔を半ば強制的に窓へと向けさせられている富士からは、日下教授の表情を窺うことは出来ない。だが背中から響く声は、楽しそうであり寂しそうでもあり、また大人らしく頼もしくあり子供のように無邪気でもあり。
学部が違う富士は彼の授業を履修しておらず人となりをそこまで知らなかった。しかし胡散臭い見た目とは裏腹にあすかやみずほが気安く声を掛けていたのは、こういうところが理由なのかもしれない――そう納得して大きく息を吐き、富士はゆっくりと自席へ戻った。
そして富士が席に戻るのを確認してからカーテンを閉めた日下教授も、肩を回しながら自席に大股で戻っていく。
「……すみません、取り乱しました」
「ま、確かに一歩外に出たら胸糞悪い陰謀詭計 蔓延るのが世の常だ。だが『それだけじゃない』ってことを忘れたら、身動きが取れなくなるぞ?特に若いうちはな」
「そういうもの、なんですか」
「そういうもんだ。とにかく俺たちは、知性を獲得したペンギンがどんなコミュニケーションをしているのか知りたくて仕方ねぇ。この純粋な欲求を百パーセント通す為にも、余計な茶々を入れられないで済む少人数こそ一番都合が良いのさ。ですよね?王先生」
日下教授が黙って見守っていた王教授へと首を向けると、素知らぬ顔でいつも通りのトーンの返答が返ってくる。
「ほっほっほ。いやぁ、さすがですねぇ」
「まったく勘弁してくださいよ、こういうのこそ先生の領分でしょうに」
「私のような老いぼれが言うより、よっぽど説得力がありましたよ」
「だと良いですけどね。――よし、岩飛!」
「うえぇあはいっ?!」
突然呼ばれたあすかが、思わず素っ頓狂な声を上げて腰を浮かした。
「ここまでの話は理解できたか?」
「うん、たぶん。……つまり、プロジェクトを実現させるための『大人の事情』がたくさんあって秘密にしなきゃいけないけど、それはあたしたちが前だけを向けるようにするために必要、って感じだよね」
にへら、と笑いながら答えるあすかに日下教授もまた満足げに笑い頷く。
ただの無邪気に見えてちゃんと汲み取れている辺りは『教授』という立場からしても評価に値するところ。そう改めて認識し他の二人の方へ向き直るが、こちらはそこまですっきり納得した感じでもなさそうだった。
「そういうことだ、黄頭、羽白。何かほかにあるか?」
「いえ。僕はとりあえず大丈夫です」
「……私もなんていうか、うん。とりあえず、は?」
「まぁ二年もの準備期間があるんだ、学生らしくその都度疑問はぶつけてこい。んで、改めて聞くが岩飛。お前は、ペンギンになりたいんだよな?」
「うん、そうだよ」
あすかとしては当然のことなのではっきりと即答し、そしてこの場においてそのことに殊更反応をするものはいない。
「わかってると思うが、お前が一番やらなきゃいけないことが山積みだぞ。何が必要だと思う?」
「んー……まずは南極とペンギンのことについて、もっともっと専門的に勉強しないとだよね」
「そりゃ当たり前だな。しかも今回は全員が研究者として行くぐらいのつもりじゃないと、頭も手も足りん。かなり詰め込むから、覚悟しろよ」
「大丈夫、ペンギンになるためなら、なんでもできるよ」
「よし、言ったな?お前らのペンギンスーツの様子の録画、見せてもらった。――率直に言って、どうですか?」
「ほっほ……」
間髪入れず再び迷いのない答えを重ねる彼女を見て、日下教授は意味ありげにニヤリと笑い、その『意味』を王教授へと投げかける。
三人が声と視線につられるようにして顔を動かすと、先にはピタリと動きを止めた好々爺。普段はほとんど柔和な表情を変えない彼の瞳が俄かにキラリと光った――ような気がした。
しかし、他の二人に比べると付き合いの長い富士だけはすぐに察した。
あぁこれはヤバいスイッチ入った時のだ、と。
「では、『率直』に言わせていただきますと……全然。全然全っ然だめですねぇ。あすか君、君には期待していましたが、これは認識を改めなくてはなりません。確かに、ペンギンスーツを初めて着て気持ちが昂ったのはあるのかもしれません。しかし、しかしです。それを差し引いても、ペンギンの鑑賞観察勉強研究没入憑依が足りません!なんですか、あの歩き方は。まるでその辺の何も知らない小学生が考えるペンギン『ぽさ』ではありませんか。もっともっともっと君はペンギンの世界を想像しなければなりません。立った時の姿勢、一歩の踏み出し方からして――」
「あの、ちょ、教じ」
「スーツのアシスト機能に任せてはいけませんよ。君自身の骨格がペンギンの骨格になったと、心から信じ込まなければなりません。君の手は翼に、君の足はヒレ付きに、君の口は嘴に。ペンギンスーツを着た瞬間から……いえ、普段からそう思うぐらいの努力が必要ですね。なにせ、あの、ペンギンになるのですから。ペンギンの美しさは造形だけではありませんよ。その仕草立ち振る舞い生き方何もかもが素晴らしく流麗なのです。氷の上を歩いていても滑っていても水の中を泳いでいても遍くペンギンは存在そのものが美しいのです。つまり――」
「わ、わかったから!ワンちゃん先生、おち、おちついて」
「はい、私は落ち着いていますよ。落ち着いて、冷静に、ペンギンになるという事の芯を、しっかりと君たちに教育しなければならないと思っている訳です。あなたがもし隣に、人間らしからぬ動きをしている見た目だけ人間のナニカが歩いていたらどうしますか?怖いでしょう?それは、あの美しく可憐なペンギン達だって同じです。いや、彼らの方が純粋で繊細に違いないのだからより――」
「はっはっは!いやぁ久々に見たな、このモードの王先生!やっぱ面白れぇなぁ」
「いや、ヒゲセンが止めてあげなよ。ほら、あすかが涙目でこっち見てるじゃん」
急に詰め寄られて涙目で後ずさるあすかと、一見した表情はいつもと変わらないにも関わらず凄まじい圧力の王教授。
大学内でこそ温厚で物静かなイメージが強い彼だが、皇研究室出身者はペンギンが関わるとだいたいこんな感じというのは、界隈では有名な話である。
ひとしきり笑って満足した日下教授は「さて、そろそろ良いか」と立ち上がり、なおもあすかに詰め寄っている王教授の肩を強めにパンと叩いた。
「いいですか?ペンギンのこの尻は神が与えた至高の丸みであって――」
「先生、先生。それぐらいにして、そろそろ戻ってきてください」
「…………おや?私としたことが」
「よし。岩飛、これこそが王崑崙だ。今のうちに慣れておけ」
「うん、なんか……うん。がんばる」
「で、だ。先生のヒートアップはさておいたとしても、最終目的がペンギンの輪の中に入る事を考えると『なりきり』の徹底は、確かに必須だ。知識だけではなく、体に動きや姿勢を染みつかせなければならん。つまり、お前がスパルタでやらなきゃいけない事は――」
ビシリと指を突き付ける日下教授を見て、あすかは幻聴した。
あれは父親がコレクションしていた、かつて流行っていた奇声と共にという野球なるスポーツに血道を上げる男達のアニメ。奇声と共に放たれるボールが明らかに物理法則を捻じ曲げた軌道で襲い掛かり、それを心許ない細い木の棒で奇声を上げて迎撃するという良く分からないルールだったが、BGMが無駄に壮大で暑苦しかったのを覚えている。『俺たちの根性が雲を突き抜ける』とかいう歌詞のセンスはどうかと思うが、悔しいほど耳に残ったのだ。
「ズバリ!徹底的な肉体改造っ!スポ根だ!」
いやスポーツではないだろう、とみずほは思ったが、突っ込む気力は無かった。
王教授が皇博士の後継者と言われる所以はこの辺りにあったりします。こう、ペンギンについて話し始めると誰も口を挟めない感じになるあたり。
研究室では二人が話し始めると、自然と周りに隔離用パーティションが立てられるようになったとか。
あとこの時代では、紙媒体の六法全書は廃れてるので、自転車の彼は完全に『ポーズ』です。中二病みたいなもんです。たぶん数分後あたり木にぶつかあるか、爆発に巻き込まれてるかしてるでしょう。南無三。
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