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001 夢のはじまり

 彼は、彼女の『決意表明』の場面を、少なくとも三度記憶している。


 最初は彼女が5歳の時。彼女の父親に連れられて行った水族館で眼前にした()()の姿かたちや動き、そのすべてが幼い彼女の脳髄を震わせ、雷が落ちたかのような感覚を与えたのだった。

『好き』の感情が怒涛のように一瞬で湧いて溢れ切った後、彼女はそばにいた父親や周りの大人にありとあらゆる疑問をぶつけて回った。

 アレは、いったいどういう存在なのか。何故、あんなにも心を捉えるのか。

 ひとしきり満足するまで聞いて回ったあと、めちゃくちゃに笑い、そしてずっと隣についてきていた幼馴染の彼に向かって叫んだのだった。


「あたし、おおきくなったら、あのこたちみたいに――ペンギンになりたい!」


 その次は、小学生時代の卒業作文。

 同級生たちが様々な『なりたい大人』について文字を連ねる中、彼女だけは違った。

 どうしてそうなったかまでは覚えていないが、あの日たくさんの児童と父母が見守る中、小さい体からどうやってと思うほどの大声で自信満々にその作文を読み上げていた。


「私は将来、南極でペンギンになりたいです!」


 そんな書き出しから始まる作文は、(みずか)らがいかにペンギンになりたいか、どうやってペンギンになるか、どんなペンギンになってどうしたいか、をとてつもない熱量で書き上げた怪作だった。

 父母たちはザワついていたが、ある意味いつも通りな彼女にクラスメイトの反応はフラット。しかし、それを聞いて感動の嗚咽(おえつ)と涙を流していた担任教師と彼女の父は、流石にちょっとズレていた気がする。

 ただ確実に言えることは、彼女はその日誰よりも晴れ晴れとして眩ゆいほど希望に満ちた笑顔だった、ということだ。


 そして、忘れもしない中学3年生の5月。

 彼はとある放課後、当時クラス担任の小方(こがた)先生に呼び出された。品行方正・成績優秀で通っていた彼が呼び出される理由など、心当たりが無かった。

 でも、「失礼します」と扉を開けた瞬間目に入った深刻な表情で腹部をさする先生と、憮然とした顔で腕を組む彼女、そして何より――机上の進路調査票にデカデカと太字で書かれた『希望進路 ペンギンになる』の文字を見て、悟った。

 だから、彼はすべて把握しましたと言わんばかりに教師と視線を合わせ、深く頷いた。今こそ自分の出番だと完全に理解したのだ。


「すまん、黄頭(きがしら)……頼む、俺には……もうっ……」

「大丈夫です、先生。大丈夫です」

「そうか……そうか、わかってくれるか……!」


 あの時の涙をうっすら浮かべた小方先生の顔は、今でも鮮明に脳裏に刻まれている。将来、本にして出版したいぐらいだ。


「あすかは、必ず良いペンギンになりますよ。僕が、彼女をペンギンにしますから!」


 ――あれはきっと、一縷(いちる)の望みを絶たれた人間の顔として、教科書に載せられるはずだ。



 ■■■■



 西暦2123年6月。

 あすか達一行(いっこう)が南極にたどり着く、2年前。

 新都心に広大なキャンパスを構える「律響大学」の研究棟廊下を、ばたばたと(せわ)しなく走り抜ける一人の少女の姿があった。

 背丈は非常に小柄で、行き交う他の生徒の顎先ぐらいを旋毛(つむじ)が通り過ぎる。肩まで伸びた黒髪と黄色・橙色の2房のメッシュが、駆けるリズムに合わせて元気よく跳ねて踊った。


岩飛(いわとび)! 『廊下走るな』なんて小学生みたいなこと言わすな!」

「すんませーん、今日もいそぐのでー!」


 教授の苦笑交じりの言葉を聞き流して、少女は転びそうになりながらも(かど)を曲がる。フレアスカートが慣性でヒラリと揺れ、ワークブーツがきゅきゅっと廊下を鳴らす。


「あっ、あすかー。次のコマ、休講だってよ?」

「知ってるー! でもありがとーっ!」


 すれ違う友人に満面の笑顔で応え、いっつも元気だねぇとの声には手をひらひらと振って走り抜ける。

 多種多様な分野の研究支援に力を入れているこの大学の研究棟は、やたらめったらにデカくて広い。その中でも工学系の研究科が揃う十四階の一番端に位置する、一際大きな研究室が彼女の目的地だ。


「ほーっと……っとと。とーちゃーく! もしもーし、入るよー!」


 三段跳びよろしく跳ねるような歩調のまま勢い余ってたたらを踏み、ようやく静止した彼女は『黄頭富士 研究室』『関係者以外立入禁止』と札が掛けられた鉄扉をノックする。そしていつもながら返事を聞かないうちに、重い扉を勢いよく開けて中に飛び込む。


「やっほー! フジ君きたよー、今日も元気にやっとるかね! 見せたいものって何さ?」

「あぁー、あすか。ちょっと奥にいるから、こっち来てくれない?」

「ほいほーい」


 かけられた言葉に従って、あすかは研究室の奥の方へと足を向けた。床から天井まで膨大な書物や大小様々な機材で溢れる室内だが、(あるじ)の性格通りすべてが綺麗にキッチリと整頓されており、もはやちょっとした博物館の様相である。

 途中並んだペンギンの骨格標本と人体模型をつんつんとつつきながら、鼻歌混じりにパーティションで区切られた先を覗くと、そこにはソファーに座ってくつろぐ白衣を着た線の細い男子生徒と、優しそうな笑みを浮かべた白髪の熟年教授。そして、何やら黒い布が掛けられた大きな物体がこんもりと鎮座していた。


「おーい、フジ君! ――って、ワンちゃん先生もいたのね。こんちゃっす!」

「ほっほっほ。あすか君は今日も元気で結構。どれどれ、お茶でも淹れてこようかね」

「あ、いつもすみません教授」

「やった! ワンちゃん先生のお茶は最っ高に美味しいもんねー」

「ほっほ、そりゃどうも」


 キシシ、と屈託なく笑うあすかが「ありがとう、先生!」と声を投げて男子生徒――黄頭(きがしら) 富士(とみお)の隣へと身を投げると、ソファーの程よい弾力がぎしりと彼女の身体を受け止めた。それ自体は普段と比べても特に珍しい行動ではなかったはずだが、なんだかソワソワして落ち着かない富士の様子が妙で、あすかは怪訝そうに首を傾げる。

 よく見れば、彼の栗色の癖毛がいつもより更に暴れていて、目の下には薄ら隈が浮かんで見える。まるで、ここ何日か泊まり込みで作業をしていたかのように。

 そんな二人の様子を見てから、教授もゆっくりと腰を上げ、和やかな笑みと共に備え付けのミニキッチンへと歩いてく。


「……それで。どうしたの? 急に『研究室に来てくれ』だなんて。わざわざメッセくれなくても、だいたいいつも行くじゃん」

「ああ、うん。今日はそのわざわざメッセをした通り、あすかにどうしても見せたいものがあってさ。でもまぁ、せっかくだから教授が戻ってきてからにしよう」

「ふーーん」


 恐らく目の前の「黒い布に隠されたモノ」のことだろうとは思いつつ本人が歯切れ悪く濁すので、あすかもあえて詮索はしなかった。

 外観からは全く想像つかないが、大きさはあすかの背と同じぐらいだろうか。少なくとも(かく)ばってはいなさそうだ。

 そのまま5分ほど過ぎた頃。教授がガラス製の急須とマグカップを手に戻ってきた。赤褐色の水面が揺れるたび、花にも似た甘い香りがふわりと漂ってくる。


「よっとっと。お待たせしたねぇ」

「わーい、いただきます! ……あっちち」

「ほっほ、気を付けなさいね。富士(とみお)くんも如何(いかが)かね」

「ありがとうございます、いただきます。うわぁ……今日も良い香りですね、流石です」

「そりゃ良かった。どれ、私も熱いうちに頂くとしよう」


 三者三様に熱々の烏龍茶をすすり、ほっと息をつく。この好々爺(こうこうや)がそのまま人格を持って歩きだしたような(オウ) 崑崙(コンロン)教授が淹れるお茶は、いつ飲んでも心落ち着く絶品であり二人のお気に入りであった。

 そして茶の芳香に浸る事また数分、飲み干した富士が「よし」と腰を上げる。


「――そろそろやりますか、教授」

「ほっほっほ。と言っても、私はもうやる事無いからね。一歩引いて傍観させてもらうよ」

「おー、なになに? 何が始まるの?」


 ワクワクを全身で表して身を乗り出すあすかの様子に、富士は目を細めつつ黒い布に手を掛ける。


「さて。あすか、実はオ……僕がこの大学に入ったのは最初から『コレ』を作るためだったんだ。王教授にもずっと協力してもらって、ね。そして、丸一年以上かかっちゃったけど、やっと昨日完成したんだ」

「あー、そういえばあたし、いっつも『フジ君なんかつくってるなー』『難しいことやってんなー』ぐらいに思ってたけど、実際に何をしてるか知らなかったな」

「結構隠してたつもりだしね。あすかはいっつも唐突に来るから、これでも結構苦労してたんだよ?」

「へー、そうなんだー」

「……うん、興味なさそうだね。まぁそれは僕の(くだ)らないこだわりだから良いんだけど。とにかく、説明するより実際に見てもらうほうが早いや」


 富士が手を大仰な動作で振りぬくと、バサっと彼の白衣と黒布が宙に(ひるがえ)り、隠されていた『ソレ』が露わとなる。

 蛍光灯に照らされたソレは、この日本――ましてや、大都会のビルの中にあるにはあまりにも場違いな()()に見えた。


「え、これって……これって……!」


 あすかが、ハっと息をのむ。口角が全開に上がり、目が一等星のように煌めき、興奮のあまり今にも飛びつきそうなほど身を乗り出している。

 白と黒のツートーンに黄色と橙色のラインのアクセント。全身は流線形のフォルムで小さな頭部にふっくらとした腹部、さらに下から覗く水掻き付きの平べったい足。黒くつぶらな瞳と鋭く長い嘴に、チャーミングなひれ型の(フリッパー)。細部までが『本物』のようにリアルで、今にもトコトコと動き出しそうである。


 それは彼女が、幼少からずっとずっとずっと憧れ続けてきた。南極大陸を闊歩する、あの生物。コウテイペンギン、そのものであった。


「ああっなんて可愛いっ……! ペンギンっペンギンちゃんっ……!」


 もう辛抱たまらんとばかりに、あすかがソファを蹴り跳躍する。綺麗な放物線を描いて、その『ペンギンに飛びつき力一杯抱きしめた。だがしかし――


「……んん? あ、あれあれ?」


 返ってきた想像とは違う感触に、思わず動きを止める。その『ペンギン』は触れた腕の形のままあっさりと(へこ)んでしまい、さらには力なくくったりと倒れてしまっていた。それは、まるで中身が『空っぽ』のようであった。

 歓喜の興奮なら一転して戸惑い顔となったあすかに、富士は自信満々で言い放つ。


「僕の持つ技術と知識の全てをつぎ込み、人鳥(ペンギン)生態学の世界的権威であられる王先生の全面協力で作りあげた! コウテイペンギン型作業補助服(アシストクローク)『ペンギンスーツくん一号』だ!」

「……あしすと、すーつ?」

「そう。これは、あすかが着ることによって――」


 ビシっと指をつきつけ若干ふん反り返りながら、彼は声高らかに宣言する。


「コウテイペンギンになることが出来るんだっ!!」

ここから、あすか達の夢への道程が始まっていくようです。

小方先生ぇ……(涙)



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