アメリカの夜
私が目を覚ましたのはちょうど朝の前触れとしての暗闇の退却が起こりつつある時間帯で、歳を重ねるごとに早起きになっていくことを喜べるような気分にもならず、それは何故かというと、熟睡したという気分がないままに朝が訪れるというためであり、また朝早くから起きていてもすることがないというためでもあり、そして究極には彼女の不在のためであった。彼女は遠く遠く海外に出張していて、今はどの国にいるのか分からないという具合にがむしゃらになって働いているのだけれど、それが何かの空白を埋めるための虚勢なのか、それとも実際に仕事を楽しんでいるのか、まるで私には分からない。そもそも人の感情というものを腑分けできると考えることが間違いなのだろうと気付く程度には私は愚かさを持ち合わせていないのだけれど、感情に溺れることができないという程度には愚かしい男だった。馬鹿ね、と彼女が呟くのが聞こえてくるような気がする。
「あなた、いつも遠くを見ているもの」
それは君だってそうだろう、と今の私だからこそ言い返すことができる。あのときはそうではなかった。いや、実はその言葉の意味をまだ完全には理解しきれていなくて、きっと彼女は距離の話をしていたのではなくて、現実を見ていないことをからかっていたのではないかと思えるのだが、しかし彼女はここにはいない。
私は彼女からの電話を待っている。今どき、連絡手段は電話に限らないとは分かりながらもコミュニケーションの要諦を文字ではなく言葉だとする私の考えは時代遅れだとは言い切れないと思っていて、その感情の発露としての言葉を……。いや、やめた。結局、私は、彼女の声が聞きたいだけなのだ。
そのときだった、枕元に置いてある電話が鳴ったのは。
鳴らないとばかり思っていた電話を、私は手に取る。そして相手が彼女であると知ると、そっと電話を枕の下に隠した。留守番電話にはなかなか切り替わらず、彼女もしぶとく電話を鳴らし続ける。ああ、どうすれば良いのだろう。
電話が鳴り止んで緊張が解れたとき、東の空の様子が明らかになり始めたところで、私は毛布を頭から被った。そこには暗闇が待ち受けていた。深く深く、何事をも飲み込んでいくアメリカの夜が。