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2020/05/07

 満ち足りた日々よ、永久(とこしえ)に。

 そう言い残して去っていった彼の人にとって、満ち足りた日々とは何なのだろうか。たしかに彼の人は病を得て意想外に早く息を引き取ったので大きな痛みを感じる暇はなかっただろう。しかし、そうであるとしても、死を間近に控えたときにそのような言葉を残せるだろうか。人々は彼の人がさしたる苦痛を味わわずに亡くなったことを悲しみの中の一匙の砂糖のように感じ、またどこかで羨みもした。だが、私はそのように感じることはできなかった。

 真っ暗な世界。そこに太陽はなく、そこに見下されるべき水の惑星はなく、従ってその周りを固める衛生も存在しない。彼方に星々の大海もなく、冷たさも温かさも存在しない無の世界。私は死をそのように捉えていたから、どうしても彼の人がそこへ連れ去られていったことに納得できなかったのだ。

 しかし、と私はふと立ち止まって考える。満ち足りた日々というものが彼の人の虚言でないとするなら、その日々こそが栄光となって、死後の世界を照らすのではないか。そこまで考えたところで、それがある種の極端な考えであることに気付いた。私は疲れている。だから、人々と同じように彼の人を天国へ導くことで全てを片付けようとしてしまっているのだ。

 近頃、妙に考え方が硬直してきている。それが疲労や加齢のせいであればまだ良い。人はどうしても疲れ果ててしまうし、時間の中に身を置いている以上は歳を重ねるものだから。けれども、考えることに飽きてしまってはだめだ。分かった気になって物事を分類してはだめだ。考える葦であることをやめてはならない。

 そこで再び疑問に立ち返る。私たちにとって彼の人は何だったのだろうか。

 ただ年輩であるだけでなく、生き方を教えてくれた人。煙たがられてもあるべき道を示し続けた人。そして、もう戻ってはこない人。

 私は涙が溢れ出てくるのを止められない。こんなことは初めてだった。全てが逆回転を始めてくれるなら、未来を捨てても良いとさえ思えた。そんな人に出会えたのもまた初めてだった。

 しかし、全ては時計回りに進んでいく。そのあるがままを受け止めることは、今はまだできずにいる。私は彼の人に倣って、何事かを呟いた。

 満ち足りぬ日々よ、どうか永久に。

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