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2024/07/15

 ドーナツ、買ってきたよ。

 なかなか捨てられずにいる衣類や読み古しの雑誌、その他諸々に占拠されて声の反響しない部屋に向かって言葉をかけた。返ってくる言葉はなく、従って誰もいないのだけれど、私は一人では食べ切れない量のドーナツを抱えている。

 彼の人がどんな食べ物を好んでいたか、実はあまりよく覚えていない。それでも一緒に過ごした思い出をかき集めて、好みの傾向は何となく分かっているから、今日はドーナツを買ってきたのだ。

 換気をするために窓を開ければ、すぐ近くを往来している電車の音が喧しい。隣の住人も夜中に理由もなく騒いだりする。決して住み良い環境ではない。でも、ここを出ていく気にはどうしてもなれないのだった。

 彼の人が去ってから一年が経つ。どうしているのか、まるで分からない。流れ着くようにして転がり込んできたこの安アパートは私の名義で、彼の人がその前はどこに住んでいたのかは分からない。彼の人は私が働いていたスナックの常連で、あだ名で呼ばれていた。だから、姓名も知らない。スナックのオーナーと喧嘩別れするようにして辞めて、しばらくして再会した彼の人との交流が始まったものだから、彼の人の失踪を届け出ようにも情報がまるでない。

 そもそも、彼の人は失踪したのだろうか。私の家に居着いていたときこそ、本当はどこかから失踪していたのではないか。私は何も分からないまま、彼の人が残していった犬の写真を入れた写真立てを食卓に飾っている。

 その写真は彼の人が撮ったものだと言っていて、背後にいる彼の人を見上げる形で小型犬が写っている。どこの誰に飼われている犬なのか、それはやはり分からない。私は写真を眺めながらドーナツをもそもそと食べる。冷蔵庫からジュースを取り出してその場で飲み、また戻してドーナツを食べる。そうして食べ終わると手を洗い、再び冷蔵庫からジュースを取り出して飲む。何も考えずに生活を送っていることを昔の恋人はよく詰ったけれど、恋人ですらない彼の人は詰ることをしなかった。恋人ですらないから、詰る必要もなかったのかもしれないけれど。

 ふと、鍵を閉めたままの玄関のチャイムが鳴った。相手も確認せずに無我夢中で鍵を開けると、そこには一人の警察官が立っていた。

「……」

「……」

「あっ、隣か。失礼しました」

 きっと別の住人が通報したのだろう、今夜も隣の住人は騒いでいる。

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