A Singer Must Die
石畳の街というと異国情緒があってその表面の冷たさにも何か意味深さを感じもする、なんてことを語る女がいた。しかし実際に石畳を歩けば分かるが、そこにある冷たさはただの冷たさに過ぎず、新聞紙を敷いてその上に座り込んでも夜露に尻を濡らしてさもしい思いに苛まれるだけである。我が邦では新聞紙の活字を有り難がる貧しさがあるが、私が訪れたその地区もまた貧しさの奴隷であった。とはいえ、我が邦のそれが湿り気のあるものであるとするなら、その地区ではどこまでも乾いた貧しさであった。どちらがましということはないものの、その地区の乾いた貧しさは皮膚に張り付いても不快を感じない、つまり日常に親しい貧しさであり、貧しさがごく当たり前のことであった。
私は実際に新聞紙を敷いて旅先で掏られた財布のことを想いながら、そのまま異国の夜道に留まることの不利益に思い至りながら、座り込んでいた。
微かに灯る街灯の光を遮ったのは、ある小柄な男だった。背が低ければ贅肉もない、貧しい男だと思った。私はその体格ならば負けはしないだろうという無根拠な安堵を得たが、男が凶器を持っていたとすればまさに無意味な自信であった。幸い、男は手ぶらだった。
お前にやる金はない、そうした意味のことを私は言った。語彙が拙かったのか、発音が拙かったのか、あるいはその両方かで男は不思議な沈黙を貫いた。やがて私は男が正気の者ではないのだろうかと疑った。貧困が蝕むものは肉体ばかりではないのだから。やがて、男は同じく拙い発音で詩を聴いて欲しいと言った。
詩だと? 私はそう問い返した。男は頷き、金は要らないからと言葉を継いだ。異国の夜道で、異邦人と異邦人とが詩を楽しむ。その体験の奇妙な具合に私は思わず笑みを漏らしてしまった。男はそれを了解の意味であると捉えたらしい、すぐに詩を吟じ始めた。
何を言っているものか、分からない箇所がいくつもあった。その発声にも見るべきところはない。私はしかし、その韻律にやがて惹き込まれていった。頭がそうするのではない、身体が勝手に判断したのだ。尻の冷たさを忘れ、不幸な経緯も忘れ、目を瞑って異邦人の詩を聴く。その果てに待っていた眠りは、やがて厳かなる朝を招来した。
いつしか新聞紙に包まって眠っていた私は、あの異邦人の詩人のことを一時忘れていた。帰りの船で潮風を浴びながら、私は意味も知らぬ詩を吟じるのだった。