死生観
二歳ほど年上の友人と死生観を語らうことになったのには、一体どのような経緯があったのだろうか。ともかく終始お互いの意見は平行線のままで、けれどもそのために却って意見の衝突することはなかった。もし近しい意見を持ち寄っていたなら、互いの僅かな相違をすり合わせなければならず、相当の労苦を要しただろう。だから僕は少しく肩の荷が下りたような気分になって、友人の家のある高台から坂を下っていくのだった。
夏の終わりの何か寂しくなるような夜の冷気を浴びながら、僕は酒のために調子外れな駆動をする頭脳を休ませる必要に駆られた。それで途中にある小さな公園のベンチに腰を下ろし、瞬く間にだらけた姿勢へと変じ、最後には仰向けになって夜空を見上げる形になった。特にどうということもない空だ。彼方に光の明滅が見えるのは旅客機だろうか。あの旅客機を飛ばすものが文明であるとするなら、僕がこの夏の酷暑の中で生きながらえているのも文明のおかげだ。見方によってはその酷暑を呼び寄せたものもまた文明であると言えるかもしれない。とするなら、とするなら……、
僕は無限に続いていく連想の中に沈み込んでいきそうになった。天から垂らされた蜘蛛の糸のような何かを見つけてそれを掴みそこねたなら、僕は眠りの中に落ち込んでしまっていたかもしれない。近くにあった水道で顔を洗い、眠気と酒気の入り混じったぼんやりとしたものをいくらか拭い去った。
僕は僕の不明を恥じる。いくら頭を働かせても、あの友人に敵うことはないことは分かっていたのだ。それを見越してわざと酒を持ち込んだのも、彼への劣等感に由来しているのだ。そして、そのことを彼もまた分かっている。それが憎くもあるし、やはりそうか、とても敵わないなといった諦めの混じった納得をしたりもする。他に友人を持たない僕は、腹蔵なく温かい心で出迎えてくれる彼のところへ、また足を運ぶことだろう。彼との付き合いが憂鬱なわけではないのだった。
気を取り直して、ここまでに下ってきた坂の長さに思いを馳せる。高台に住むのも楽なことではないだろう。けれどもそこからしか見えない景色があることもまた事実なのだった。




