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2020/04/22

 きらきらとした星の欠片が桜の梢を揺らすとき、その誰一人として聞く者のない葉擦れが無限の空間に響んだとき、あなたはこの世界に生を受けた。私がその出来事を受肉と呼んで神聖視するのを、あなたの父親は笑った。からりとした、嘲るような色合いのない笑い方。あなたもまた、長ずるにつれてその愛おしい笑い方をするようになるのだと想像すると、私はえも言われぬ幸福を未来から先取りして味わった。

 桜が咲き、散り、やがて再び、三度桜が咲き誇る頃、あなたは美しい旋律をその口蓋を用いて発するようになった。私や父親を呼び表す未成形の言葉、乗り物を表す受け売りの言葉、それからあなたを囲む動物たちを表す愛らしい言葉。きっといずれは汚れてしまうに違いないその意識には、しかし自然の風景や情景を感じ取るだけの受け皿はない。美しい自然の有り様を美しいと感じるには、きっと己の身の内に汚れがなければならないのだろう。汚れがあって初めて、人は美しさを意識し得るのだから。

 やがて自分の手で選び取ったものを自分の口に運ぶようになると、あなたは時折癇癪を起こすようになった。癇癪というにはあまりにも穏やかで、怒りと呼ぶにはあまりにも理不尽な、その感情の発露。私はその矛先を向けられるようにあえて仕向けて、あなたの感情の奔流を浴びた。その口蓋から発せられるひどく汚い言葉。私はその渦の中に身を沈めて、やがて訪れる至福を待ちに待った。

 感情の嵐が収まると、仲直りのときがやってくる。あなたはやはり愛おしい笑い方で、私は幾分疲れた表情で、それぞれ歩み寄る。周囲に散らばった家具のあれこれを今は捨て置いて、私たちは庭先に出る。私があなたを産んだときに輝いていたあの桜が、ここからは一望できる。そのために建てたこの家で、私はあなたと、それから動物たちと一緒になってあの桜を見つめるのだ。遠く離れた桜の葉擦れがこの庭先でも聞こえてくるかのようで、私はこの上ない至福を味わう。桜はいつもいつまでも、きっとあなたがこの世を去ってしまった後でも輝き続けることだろう。

 それが何やら、あなたが生きた証ともなるようで、私はつい感涙に咽んでしまうのを抑えきれなかった。

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