2020/07/05
「交換しましょう」
「何を?」
「あなたの心臓と私の心臓を」
驚くべき外科手術を経て、僕は隣のベッドに眠っている君の横顔を盗み見た。眠っているのだから堂々とすれば良いものを、僕はやはり盗み見た。
君の寝息によって上下するブランケットは、僕の心臓の鼓動によって上下しているのも同じことだった。そして、僕の呼吸に伴って上下するブランケットもまた、君の心臓の鼓動によって上下している。どうしてこんなことをしなければならないのか、僕は分からないままに誓約書を交わした。赤の他人が見れば君のことを何やら難しい横文字を使って批難するかもしれない。けれど、僕はそれには与しない。健康な人間どうしが心臓を交換することで何の不利益があるのだろう。そう思うとき、僕は君に恋をしている。そう思う僕の脳を巡る血液は、君の心臓の働きによるものだ。
日が傾く頃になっても君は目覚めない。寝息を立てているくらいだから問題はないのかもしれないけれど、僕は医療の専門家ではないからどうしても不安を抱えてしまう。僕には未だやらなければならないことがあるんだ。それには君が必要なんだ。そうした思いが強まれば強まるだけ、どこか愛憎めいた怨念めいた想いに高まる分だけ、君の目覚めは延期されていくのだろう。
手が届くところにある窓辺のカーテンを少し引き、外の様子を確かめる。古びた病院のくすんだ白い外壁だけが見えるばかりだ。外には何もないのだと僕は悟った。
この病室内には僕と君しかいない。医師もいなければ看護師もいない。きっと君が目覚めるまでは、二人きりでいたいと思う。
ふと、廊下の床を叩くヒールの音が聞こえてきた。静かだとはいってもこれだけ大きな響きを生んでいるのだ、きっと病院外の人間のものに違いない。僕は緊張する。どこに用事があるのだろう、まさかここにお見舞いに来たわけでもないだろう。
ヒールの音はどんどん近づいてくる。近づき、近づき、やがて離れていった。まるでドップラー効果のように変化していく音を聞きながら、僕はそれが君の足音だったのだと気付いた。君の唇が次第に青ざめていく。僕は僕を、僕の心臓を恨んだ。そして君の心臓は、未だに動き続けている。




