2020/04/15
ひたひたと迫ってくるものがある。波か、それともその予兆としての音か。しかし海風の運んでくる潮の香りも、水の流れる音色もしないから、迫ってくるものは波ではないのだろう。
そう判断した瞬間に押し寄せてきたのは、受け皿から大きく溢れ出すほどの歓喜だった。夢と現の間に微睡んでいたところへ押し寄せてきた歓喜は、まさしく現の世界で起こった肉体の交流によってもたらされたものだ。薄い膜に生じた切れ目から現の世界に首をつっこむと彼の人は背中をこちらへ向けていて、一糸纏わぬ姿で、二人眠るには充分な大きさのベッドに眠っている。その背中を撫ぜてみたいという欲求は、昨晩に二人が合致させたものとは質が違って、単純な知的好奇心とでも言うべきものだった。今こうして眠っている彼の人の背中に触れたいと思ったのは、己の身を以て体現している生命の神秘というものに真摯な態度で臨んでいるに過ぎない。彼の人はどうしてここにいるのだろう、どうしてこんな背中の形をしているのだろう、どうして人は眠るのだろう、どうして人はあんなにも原始的な行為を未だに続けているのだろう。全てが答えの出ない難問であった。
腋下の臭いがつんと漂ってくる。彼の人のものか、それとも。それは本来であればどちらでも構わないことなのだが、このときに限っては大きな意味合いを持っていた。昨夜、二人は協力して夕食を作り、他愛のない話を副菜にして食事を楽しんだ。意想外に沢山の量を作ってしまったので平らげるのに苦労し、食後のデザートも他愛のない話で代用した。そして浴室でお互いの身体を同じ匂いのするボディソープで清めた。
その後、狂乱の沙汰を経て、夜とも昼とも知れぬ今、このベッドの上で彼の人の背中を見つめている。二人は同じ匂いを纏い、同じ悦びを味わったはずだ。それが腋下の臭い一つで、全く違う道を歩んできた二人が偶然知り合い何かの間違いでこんなことになったのだと、この道がいずれは離れ離れになるのだと、そうした現を突きつけてくるのだ。
ひたひたと迫ってくるものはない。歓喜の後にやってくるはずの哀切もない。何もかもが過ぎ去った後で、彼の人は身じろぎもせずにベッドの上に横たわっているのだった。