後編
気付いたのは高級外車の後部座席。
運転席にはガチムチ黒スーツの田口さんだ。観月さんのボディガード兼運転手。
すでに観月家の屋敷内じゃない。どこかの道を走っている。
「う、うん……」
「お気づきになりましたか矢口さま」
「あ、えと……。田口さん。観月さんは……」
「剥製担当の先生を呼びに行きました。そのすきに矢口さまを車へ……」
「へぁ! そっすか~……助かったぁ~」
ガチムチ黒スーツ田口さんがオレを救い出してくれていたらしい。ホッとして座席シートに寄りかかる。
睡眠薬のせいで意識が朦朧。気持ちも悪い。
助かった──?
いや油断は出来ないぞ。
田口さんだって、薬効で惚れすぎてオレを救ったに違いないんだから。
「大好きな貴方を剥製なんかにしたくなくて……」
やっぱり。冷や汗が沸く。
ここは密室。ガチムチと二人きり。
人気の無い山奥に連れてかれでもしたら……。
「あ、お暇でしょう。テレビでもつけましょう」
後部座席側のモニタに現在放映中のワイドショーが流れ出した。
しかし田口さんの考えが分からないので頭に入らない。と思ったら、緊急ニュース。アイドルグループ、わんわん探検隊のメンバーである笛咲くぅんが突然引退報告し、失踪したというものに食らいついた。
オレはくぅんの大ファン。
「え? どうしちゃったのくぅんちゃん!」
モニタに食らいつくが不用意に動いたため先ほどの薬が残っているのでクラクラする。
「やっぱり男の子なんですね。アイドルが好きなんて」
「え。いゃあ。まぁ」
クラクラする頭を押さえながら応える。
しかし田口さんの急ハンドルに体が大きく揺さぶられさらに気持ちが悪くなる。
「ぐぇ!」
「矢口さま。追っ手です。私が囮になりますので、次の路地で降りて身を隠して下さい!」
振り返ると黒い高級外車が3台。猛スピードで迫っていた。
田口さんの運転するこの車は、高い塀の路地を曲がると急ブレーキ。オレをそこで降ろす。
「家までお送りできなくて申し訳ございません! どうかご無事で」
「た、田口さん」
「はい?」
「どうして逃がしてくれたんです?」
「それは……見守る愛もあるということですよ。では!」
田口さんの車が急発進していく。
オレは他人の家の塀の中に一時隠れると、追っ手の車が田口さんを追って走ってゆく。捕まったら剥製だ。
ふと気付くと塀の上に猫が数匹、悩ましい声で鳴いている。
頭上の電線の上にはカラス。これらもオレを見つめて鳴いていた。
やばい。フラフラになりながら家へと急ぐ。
田口さんは家の近くで降ろしてくれていた。
家が見える角を曲がると、家の前に人だかり。
それは記者だとすぐに分かった。テレビカメラも数台ある。
「あ、彼だ!」
と叫んで駈け寄る記者たち。
「笛咲くぅんさんが引退されたのはあなたが原因だと言うことですが?」
は?
「笛咲さんはすでにあなたの家にいるとの情報ですが、お気持ちをお聞かせ下さい」
やいのやいのと質面攻めに合う。
しかし薬と激しいカーチェイスの車酔いで朦朧としている。
気持ちが悪い。
そんな中の記者たちの口撃。
うっとうしくなって叫んだ。
「どいてくれ!」
「「「「「はい!」」」」」
まるで割れるように記者たちがどいてしまう。
これも恋の効果?
仕事で質問するものの、好きなオレの希望は聞いてくれる的な?
でもこの記者たち何か言っていたな。
笛咲くぅんが家にいる──?
はぁ?
くぅんちゃんがオレの家に?
ウソだろ?
慌てて玄関のドアを開けると母親が駈け寄ってくる。
「ちょっとアンタ! なんかおかしいよ? テレビに出ている人がアンタのこと好きで奥さんになりに来たとか言ってるけど?」
ウソだろ。くぅんちゃんが押しかけ女房?
リビングのドアを開けると、まさに笛咲くぅん。
腰を降ろしていたソファから立ち上がって大きくお辞儀をする。
「あの。あの。あの。今日、移動中に広和さんを見かけて、どうしても好きになってしまいました。広和さんのためなら全てを捨ててもいいと思って事務所も辞めてきました。どうか身の回りのお世話をさせて下さい。よろしくお願いします!」
「わ、わ、わー……」
余りのことに笑い顔。
まさかあこがれのくぅんちゃんがオレの嫁に!
いやまて柑奈はどうする。
でもくぅんちゃん。一生にこんなチャンスないぞ?
今さらながらあの薬はホンモノだっ!
「うっ」
「広和さん?」
気持ち悪ィ。吐き気が止まらない。
くぅんちゃんの前で無様なマネはしたくないのにトイレに駆け込んだ。
「おぇぇぇえええ!」
激しい吐き気を全て吐き出してやった。
その背中に優しく手が添えられる。
ナデナデ。ナデナデ。ナデナデ。
「く、くぅんちゃん……」
「大丈夫? 広和さん」
「こんなとこ見られるなんて……」
「えっへん。愛している人のなら汚くないのだ」
「あ、ありがとう……」
頭痛が和らぐ。気持ち悪さもだんだん治まり、トイレットペーパーで口の周りを拭ってようやく立ち上がった。
「くぅんちゃん。ありがとう」
「いえいえ。どういたしまして。さて。事務所に戻ろうかな?」
「え?」
「さっきの取り消し。ゴメンね。くぅんはみんなのアイドルなの」
そう言ってそそくさと出ていく彼女。
逆にオレの方が追いかけて玄関のドアを開けると、先ほどの記者たちも興味を失ったように道具を片付けている。
「あのぉ~」
「以上。現場からでした」
もはやマッハ。
車のドアが閉まる音があちらこちらから。
そして出て行ってしまう。オレをひとり残して。
「どうなってんの? アンタ学校は?」
「……さぁ」
薬は、吐いてしまったから薬効も一緒に消えてしまったのだろうか? ともかく全てを惚れさす効果は失われてしまった。
あの時はほんの一瞬で駆け抜けてしまったのだ。
次の日。学校。
いつもと変わらない平穏な日常だ。
大竹さんの犬にはいつも通り吠えられ、誰もオレを見向きもしない。
「広和兄ちゃん」
「何だよ。柑奈」
「モテるんだね」
「よせよ」
そう。そんなわけないけど、柑奈は勘違いしたまま。
あの駆け抜けた大騒動は現実のもの。
「みんなが広和兄ちゃんに集まって行ったとき、どうしても広和兄ちゃんをとられたくなかった」
「え?」
柑奈は赤い顔して、オレと目を合わせないままカバンから一通の手紙を出してきた。
「こ、こ、こ、これ、後で読んどいて。感想とか……明日の朝聞くから」
そう言って駆け出して行ってしまった。
その時、オレの肩の上にずっしりとした重い手のひら。その人を見上げると田口さんだった。どうやら逃がしたおとがめはなかったようだ。
「いやはや。青春ですね」
「──ですねェ」
あの薬は家族以外のものに効く薬。
どうやら後ほど家族になる柑奈にも薬の効果はなかったらしい。