前編
学校から帰ってくると、リビングが騒がしい。
客がいるのだろうとドアを開けて挨拶をすると、それは父の弟。叔父の次朗おじさんだ。
結婚もせずに仕事でお金を貯めると外国に旅行に行ってしまう。
変な叔父だが、ウチの家族は彼の話を聞くのが大好きなんだ。
俺も挨拶をすると父と母に呼ばれて叔父の近くへ。
今回は南米の未開な部族と共同生活をしてきたらしい。
カエルから毒を絞り出して毒矢を作って獲物をとったり、デンキナマズと格闘。甘くない果実の話など楽しい話ばかり。
父と母が料理を作ると言ってキッチンに引っ込むと、叔父は小さな革で作った巾着袋を出してきた。
「なにこれ」
「広和も高校生だろ? 彼女いるのか?」
「いやぁ。興味ないもん」
「そうか。草食系ってやつだな。でもな、男なら少なからず異性に興味がでてくるもんだ」
「ふーん」
「それでな、これは部族のシャーマンからもらった惚れ薬なんだ。飲むと恋される成分が噴き出してくる。相手から惚れられるんだ」
「へ、へー……」
「だが家族には効かない。あくまで家族じゃないもの。向こうから惚れてくれる。面白いぞ?」
「ふーん。でもなんでおじさんは使わないの?」
「オレは使わなくてもモテるからな」
「あっそ」
あくまで興味なさそうに受け取った。しかし草食系。そんなわけはない。身もだえするほど異性と仲良くなりたい!
相手から恋される! なんてスゴい薬なんだ!
その後、叔父を挟んで家族で食事。でも気持ちは薬の方に行ってて全く頭に入ってこない。
食事が終えると勉強があると言って二階にある自室に入り、皮袋を開ける。
中には黒っぽい小さな丸薬が5つぶ。
「ふーん。これが惚れ薬ね。まぁ南米だから怪しい草とか使ってトランス状態になるとかそんな感じかな?」
一粒つまんで匂いを嗅いでみるが無臭。舐めてみても味も素っ気もない。でもフワフワする気持ちも無いので試しに一粒飲んでみた。三時間経っても体に変調はない。
どうやら変な毒性もなさそうだ。俺は残りの四粒を口に入れて飲み込んだ。
「だいたい飛行機に持ち込めたんだから大丈夫だろ。さて寝るか」
一夜明けて洗面所へいくと叔父が先に入っていて顔を洗っていた。昨晩は泊まっていったんだな。俺に気付くとにこやかに微笑む。
「広和。あの薬飲んでみたか?」
ドキリとしたが、慌てて飲んだと思われるとバツが悪い。
「まだだけど」
「ああ。じゃあ良かった。あれは一粒だけにしておけよ。一粒で充分らしいんだ。何粒も飲むとスゴいらしいぞ? まぁ若いから体力もあるだろうし平気か?」
なんて笑いながら洗面所を出て行ったけども、説明遅すぎね?
すでに全部飲んじゃったんだけど?
スゴいってドンだけスゴいんだろう。
制服に着替え、カバンを持って外に出ると、同じ学校で一つ年下の幼なじみの柑奈が待っていた。
「おっそいよ。広和兄ちゃん。待つ方の身になってよね」
「誰も待ってくれなんて頼んでねぇけど?」
「もうサイテー」
学校に向かって歩き出す。いつもの憎まれ口だが、柑奈はカワイイ。昔はそんな感情無かったけど最近はそんな気持ちが膨らんでいる。
ハッキリ言って柑奈が好きだ。大好きだ。
「なぁ柑奈」
「なに?」
「何か……感じないか?」
「何かってなに?」
「俺から。俺の方から」
「何……? まさかオナラしたとか?」
「してねーわ。もういいよ」
「なーに。ホントはなぁに? 教えて?」
「何でも無い。クソ。やっぱそんな訳ねーか」
そう。薬は何でも無い偽物。
あると思うからなるべくしてなったことも薬のせいだと思い込むアレで惚れ薬なんてことになった、ただの草でも丸めた薬なんだろ。
やっぱり今の現代社会でそんなシャーマンが作った惚れ薬なんて馬鹿らしいもの信じた自分が馬鹿だっただけ。
しばらく二人で歩いて行くと、大竹さんの門の前にたどり着いた。
ここの犬がうるさい。毎日不必要に吠えられる。
柑奈とともに犬を見ないようにして門の前を通り過ぎる。
「ワウッ! ……ヒューンヒューンヒューン」
「え?」
最初の一声はけたたましかったが、次の声は甘えるような声。
まるで……。
「ぷ。どうしたんだろうね。あの犬。広和兄ちゃんに恋でもしてるみたい」
そう。恋したみたいな声……。まさか?
道行く人が振り返る。指を差して黄色い声を上げるOLさんも。
ちょっとまて。やっぱりあの薬?
でもなんで柑奈には効かないの?
「やだぁ。なんか町の雰囲気がおかしくない?」
「そ、そうかな……?」
ゴクリ……。
モテ期到来。みんなの視線に優越感。
付いてくる人までいる。
やがて学校が見えてくると、そこにいる学生たちが一斉に振り返る。
「お、おはよ」
小さな声で挨拶してみると、アイドルから挨拶を受けたかのように黄色い声に叫び声が響き渡り。みんな口々に挨拶を返してくれる。
そればかりか人の波がどんどん押し寄せてくる。
「おはよ! 矢口くん!」
「おはよー! 広和くん」
「やぁ。広和」
「オッス! ヒイロ」
なんかみんな親密さをアピールしてくるんですけど。
呼び捨てとか愛称とかそんなん呼ばれたことないのに。
そして、それは女子ばかりじゃない。
男子もだ。やたらとボディタッチ。肩を組まれてボディガードのように人波をかき分けてくれる。
「おいおい。お前ら散れよ」
「そうそう。広和はオレたちと教室行くんだから」
「か、柑奈……ッ」
「広和兄ちゃん」
柑奈とも引き離されてしまった。
柑奈は押し寄せる人の波間に消える。
「ちょっとアンタ。矢口さんとどういう関係?」
「モブはひっこんでてよね」
「ひ、広和兄ちゃん!」
「か、柑奈! 柑奈ァー!」
オレたちは互いに手を伸ばしたが人の波がオレを校内に連れて行く。柑奈の姿は見えなくなってしまった。
「ちょ、ちょっと離せよ!」
「いーから広和はオレたちと一緒」
「親友だろ?」
「待てよクラスメイトだろ?」
「分かった。正直に言う。広和好きだ!」
え?
えーーーっ!?
いや、そんな趣味ない。どうしたみんな。
「いや、オレも好きなんだ」
「オレもオレも」
「広和。誰を選ぶんだよ」
おい薬!
犬とか男子とか、いらぬものまで惚れさせるな!
クラスメイトにもみくちゃにされているとけたたましいホイッスルの音にみんなそちらに目をやる。
「おいおいおい。友達同士で争うな。矢口。大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫……」
救ってくれたのは体育の北斗先生。怖い先生なのでみんな固まってしまった。
「いくら仲がいいとはいえ、やり過ぎだ。矢口の袖のボタンが取れかかってるじゃないか」
見るとボタンがわずかな糸でぶら下がっている。
こいつらに腕を引っ張られたときだな。
「たしか生徒指導室にソーイングセットがあったな。矢口。自分で繕えるか?」
「ええ。まぁ」
「それじゃオレに付いてこい」
普段は行きたくもない生徒指導室。
しかしアイツらから逃れる手段にはなる。
先生はなんかまともだしホッとした。
柑奈にも効かなかったから、効かない人もいるのかもな。
生徒指導室につき、中に入ると扉のカギを先生が閉める。
「あれ? 先生なんでカギを閉めるんです?」
えげつないほど口を大きく曲げて笑う北斗先生。
まさか……。
「矢口。これが一目惚れと言うヤツか……。妻も子どももいるのに、男にこんな気持ちになってしまうなんて……」
「わっ。わー……」
「頼む! 思いを遂げさせてくれ!」
両手を広げて先生は襲いかかってくる。
オレはすかさず机の下に入り込んだ。だが足を掴まれてしまった。続いて腰のベルトを掴まれる。これでは簡単に引っ張り出されてしまう。
「乱暴はしたくない」
「いや、もう結構乱暴ですって! やめて下さい。先生!」
「すまん。教師であるのに自分の気持ちが抑えられん。許してくれ!」
「ちょーっと! 誰か助けてー!」
叫んだ途端、蹴破られるドア。
先生が叫ぶ。
「誰だ!」
そう。マジ誰だし。
ガチムチの筋肉ダルマだけど黒いスーツ姿の男。
でも見覚えがあるような。
黒スーツの男と北斗先生ががっぷりと組み付いている。
だが入り口のためにこっちは逃げられもしない。
じりじりと壁にすがっていると、黒スーツに軍配が上がる。先生は投げられ机に背中を打ち付けて気絶したようになってしまった。
「さぁ矢口さま。観月鮎実さまがお待ちです!」
思い出した。この黒スーツは美少女生徒会長にてこの学校の理事長の孫、観月鮎実のボディガード兼運転手!
黒スーツに連れられ、昇降口に来るとすでに高級外車に乗り飛んでいる観月鮎実が窓から手を振っていた。
しかし後ろから足音と怒号が聞こえる。振り返ると大勢の先生から生徒まで男女問わず追いかけて来ていた。あれにつかまったら北斗先生の例もある。薬によって増幅された欲望で何をされるか分からない。
「やっべ!」
「矢口くん。早く!」
観月鮎実に呼ばれるままに高級外車に。
黒スーツはすぐに運転席に乗り込んで車を走らせた。
「た、助かりましたよ。ありがとうございます。観月さん」
「いいんですよ。当然のことをしたまでです」
まとも……。でもあの狂ったように恋してしまうような連中もいるんだから、観月さんもそうなっているかも知れない。
観月さんは冷静に運転手に指示をする。
「田口」
「はい」
「車を屋敷へ」
「かしこまりました。鮎実お嬢さま」
おおー。観月さんのお屋敷か。
高い塀に囲まれた大きなお屋敷。
そこに行くのか~。なんかどうにでもなれだ。
おそらく観月さんも薬の効果で俺に惚れてんだろうな。
こんなにカワイイ人が……。
いやいやオレには柑奈がいるんだぞ。
でも惚れられるってのも悪くないなぁ。
観月家へと車が入る。
観月さんに連れられて屋敷の中へ。ある一室へと案内された。
そこにはベッド。……と天井に大きなライトと手術機器のようなものが。
「観月さん、これは……」
そう尋ねた瞬間、首に注射され液体を注入させられる。
「あっ!」
「矢口くんここはね、先立ってしまった大好きなペットを剥製にする部屋なの。そうすれば永遠にその姿を保てるのよ。矢口くんもそうなるの……」
観月さんの最後の言葉すら聞き取れずにその場に崩れ落ちてしまった。液体は睡眠薬だったのだ。