その3
傷ついたクマくんに付き添って川の近くまで行くことになった。まずは傷口を洗って、薬を塗るのだ。
僕も、当然コマドリちゃんも彼に肩を貸すことは出来ないけれど、少しくらいなら何か手伝えることもあるかもしれない。
ゆっくり歩きながら、疑問に思ったことをクマくんに尋ねてみる。
「クマくん、アライグマくんと何かあったの?」
「え?」
「いや、いくら何でもしつこかったような気がしてさ。彼ならわざわざクマくんと戦わなくても、隙を見てコマドリちゃんをさらうことも出来ただろうし。積極的にクマくんに絡んでいたように見えたから」
僕の質問に、逡巡するような表情でうつむいて曖昧な返事を返す。
「まあ、ちょっとね」
本人があまり言いたくないことを無理に聞こうとは思わない。話題を変えることにする。
「そう言えば、コマドリちゃんは西の森にも歌いに行ってたんだね」
「ええ、まぁね」
「歌うのが本当に好きなんだ」
「そうよ。できるだけ多くの歌声をこの森に残したいの」
そう語るコマドリちゃんの顔は、とても好きなものについて語る人の顔には見えなかった。
何か今日はみんな色々抱えてるみたいだ。また別の話題を探そう。
「ええっと……クマくんは薬草とかに詳しいよね。どこでそんなことを知ったの?」
「色んな人から教えてもらったんだよ」
そう言って、思い出すように空に視線を投げた。
「お母さんに教えてもらったのもあるし、森には物知りな動物も多いしね」
物知りな動物……フクロウさんとかかな。完全にイメージだけど。
「フクロウさんか。確かにあの人は色々知ってるね。神出鬼没でなかなか会えないけど」
「へぇ、そうなんだ」
噂には結構話を聞くけど、僕も実際に会って話したのは数えるほどしか記憶がない。
「この森も思ったより広いからね。動物たちもたくさん住んでるし」
「確かにね」
「キツネくんやコマドリちゃんに出会えたのも、運が良かったってことなのかな」
そう言ったクマくんに、彼の肩に乗ったコマドリちゃんが告げる。
「ほんとにね。有名人の私ならともかく、キツネさんなんかは奇跡レベルよ」
しれっと失礼なことを言われているような気がしないでもない。
「しかも、今回はたまたまあんな場面に出くわすなんてね」
僕としては不運と言わざるを得ないと思うけど。
「今日キツネくんが来てくれたのは偶然じゃないと思うよ」
「「え?」」
クマくんの発言に、二人揃って疑問符を返した。
「コマドリちゃんの声はよく通るから。耳の良い動物たちには聞こえてたんじゃないかな、あの悲鳴」
「じゃあ、なんでキツネさんだったの?」
「誰だって、厄介事には巻き込まれたくないからね。悲鳴を聞いて真っ先に駆けつけてくれる人なんてそうそういないよ」
「別に僕だって厄介事が好きなわけじゃないんだけど」
複雑な心境の僕に、クマくんが笑う。
「わかってるよ。けど、悲鳴を聞いて放っておける性格でも無いでしょ?」
「本当にお人好しなのね」
自分で言うならまだしも、他人に言われるとあんまり気分が良くないな。思わずため息が出た。
「……よく言われるよ」
そんな様子を見て失笑した二人だが、クマくんは真面目な表情に戻ると、
「キツネくんが来てくれてよかったよ。僕じゃ、コマドリちゃんを守れなかった」
どこか暗い影の差す表情のクマくん。
「そんなことないだろ?君は立派に彼女を守ったじゃないか」
「あのままじゃ、そのうちやられてたよ」
俯いて、立ち止まってしまう。
「アライグマくんの言う通り。僕はとんだ意気地なしだ。強くなんか無い」
「あんな人の言うこと、気にすることないわよ」
「違うんだ……。違うんだよ。僕は、立派なんかじゃ……ない」
今ある傷ではなく、とっくに塞がったはずの古傷の痛みに耐えるように奥歯を噛みしめる。
「僕は、殴らなかったんじゃない。……殴れなかったんだよ、彼を」
「暴力に頼らないのは素敵なことよ」
「ただ、怖かっただけだ。傷つけてしまうのが」
クマくんが、胸の奥にしまいこんでおきたい記憶。過去にアライグマくんと何があったのかは分からないけれど、今になっても彼の生き方に重く伸し掛かっているものであることは間違い無さそうだ。
「君が、自分のことをどう思うかは自由だと思うよ」
それは、僕には関係の無いことだ。
「クマくんは強くなんか無い。立派でもない。ただの意気地なし」
「キツネさん……ッ」
僕を咎めるようにコマドリちゃんが声を発する。
それを無視して、彼の正面に回り込むと言葉を重ねる。
「それでも良いよ……けどね。君に助けられた、そう思っている人がいるのも事実なんだ」
クマくんが、ハッと顔をあげた。
「君にどんな理由があって、何を思って行動したのか、僕にはわからないよ。それでも、君がやったことは何も変わらない」
滑空するようにして僕の頭に飛び乗ってきたコマドリちゃんも、彼の目を覗き込んで告げる。
「そうよ。私なんか、あなたがいなかったら今頃この世にいないんだから」
「キツネくん、コマドリちゃん……」
眼の前の二人の顔を、クマくんの瞳が見つめる。
「君が自分のことを否定するのは勝手だ。だったら僕たちが君を肯定するのも勝手だよね?」
「他人に手を差し伸べておいて、そう簡単に嫌われようとは思わないことね」
こんなことで彼の背負っている物をどうこう出来るとは思っていないけれど。
「……ありがとう。ふたりとも」
クマくんが、小さく微笑んだ。
僕は彼について多くを知らない。出会って間もないのだからそれも仕方のないことだ。無理に聞こうとは思わない。話したいと思った時に話してくれれば良い。頼りたいと思った時に頼ってくれればそれで良い。
「ごめんね。さ、行こうか」
そう言って、彼は再び前に進み出した。