その3
体が硬直して声も出せない僕の代わりに、木の枝をかき分けて現れたクマが言葉を発する。
「ご、ごめん……驚かせちゃったよね」
大きな体とは対称的にか細く発された声に、思わず拍子抜けしてしまった。
「あ、いや……。それは大丈夫だけど」
「何か、困ってる……みたいだったから」
見る限り敵意は無さそうだ。困っているのは確かだし、迷ってる暇もない。
「コマドリちゃんが怪我をしてる。血も出てて……助けて欲しいんだ!」
その言葉に間髪をいれずに頷くと、
「わかった。まずは傷口を洗おう。川まで運ぶよ」
踵を返した彼に、僕もコマドリちゃんを拾い上げて急いでついていく。
普段はこのあたりまでやってくることはあまりないから、彼を見失う訳にはいかない。少し走ると、水音が聞こえてきた。そしてすぐに流れる水が見える。綺麗な水の川だ。
「ここで彼女の傷口を洗い流して。僕は薬草を取ってくるから」
「わ、わかった」
その場に残された僕は、背中からコマドリちゃんの体を下ろすと川の水に傷ついた翼をさらして汚れを落とす。
「痛っ」
「ごめん、でも我慢して」
間もなくして、草を手に持ったクマくんが戻ってきた。
「おまたせ」
そう言って持ってきた薬草を川の水で洗うと、葉を千切ってその汁をコマドリちゃんの傷口に垂らした。
「それは?」
「チドメグサだよ。葉っぱの汁が傷口を塞いでくれるんだ」
答えて、次に質問を口にした。
「この傷、誰にやられたの?」
「西の森のヘビだよ」
「なんで、そんな所に……?」
聞きかけて、首を横にふる。
「ううん。そんなことより、彼なら毒を持っていたりはしないはず。このまま安静にしていれば大丈夫だと思う」
「ありがとう」
僕がお礼を言って、コマドリちゃんもそれに続く。
「ありが……とう。助かった、わ」
「僕は大したことしてないよ。頑張ったのは、君をここまで連れてきたキツネくんさ」
「そうね。キツネさんも……ありがとう」
彼女の言葉を遮って僕は言った。
「あんまり喋らないほうが良いよ。今はとにかく休もう」
「ええ……」
それだけ言い残してコマドリちゃんはゆっくりと眠りに落ちた。
*
木々の隙間から顔を覗かせていた太陽も、夜の向こうに沈んで月が昇り始める。
いつもならこの時間くらいからが僕の活動時間なんだけど、今日は昼間に起きていたせいで眠たい。けど、怪我をしているコマドリちゃんを放って寝てしまうわけにも行かない。
「クマくんは、起きてきたところだったの?」
僕は眠気覚ましついでに、隣に座る恩人に話しかける。
「うん。ちょうど目を覚まして動き出した所に君たちを見つけたんだよ」
「どうして、助けてくれたの?」
彼がわざわざ僕たちを助けてくれる義理はないはずだ。
けれど、返ってきたのは驚くほどシンプルな答えだった。
「だって、コマドリちゃんすごく痛そうだったから」
「……そっか。ありがとう」
言葉とともに失笑が漏れた。
「君がいてくれてよかった。僕だけじゃ、何も出来ないところだった」
「そんなことないよ」
それに、と。
「コマドリちゃんの歌が聞けなくなったら、僕も困るしね」
そう言って笑った。
「君も、コマドリちゃんのファンなんだね」
「当然さ。あの子の歌を嫌いな人なんていないでしょ?」
「それもそうだね」
苦笑の代わりにあくびが口から飛び出した。
「キツネくんも疲れてるんだろう?コマドリちゃんは僕が見てるから、君も寝ていいよ」
今日は本当に色々と大変だった。ここは、お言葉に甘えさせてもらうことにする。
「ありがとう、お願いするよ」
「ああ、任せて。おやすみ」
「おやすみ」
*
翌朝、目を覚ますとコマドリちゃんが先に起きていた。
「おはよう。もう大丈夫なの?」
「大分マシにはなったわ。それより……」
彼女の視線の先には、大きめの葉の上に載せられた赤い木の実。朝食、ということだろうか。
「これ、キツネさんが持ってきてくれたの?」
残念ながら僕に心当たりは無い。もちろん、彼女自身で用意したということも無いだろう。
だったら、可能性は一つだ。
「クマくんじゃないかな」
周りを見渡しても彼の姿は見当たらない。クマくんも自分の食事を取っているのかもしれない。
「ねえ、コマドリちゃん。君は自分のファンは君に好かれたいから、言うことを聞いてくれるって言ってたけど、純粋に君ことを想って自分の意志で行動する奴だっているんじゃないかな。好かれたいから、じゃなくて、好きだから」
「……そうね。そうかもしれない」
俯いて何かを考えている様子だったけど、少しして顔を上げた。
「もう少し、周りのみんなを信じて見ても良いのかもね」
彼女の笑顔に、思わず僕の頬も緩んだ。
その時、背後でボトリと何かが落ちる音がして、聞き覚えのある声が続いた。
「あ、ごめん。起きてたんだね。ちゃんと見張ってるつもりではいたんだけど」
クマくんの足元には大きな魚が転がっていた。彼の朝ごはんだろう。
「大丈夫。それより、木の実ありがとう」
「あ、コマドリちゃん。具合はどうかな」
「おかげさまで、ずいぶん良いわ」
「それは良かった」
心底ほっとしたように笑みを零す。
「流石にまだ飛ぶのは無理みたいだけど」
「無理はしないで。困ったことがあったら僕も力になるからさ」
「そう?じゃあ早速だけど、私をあの木の枝に乗せてくれない?」
相変わらず、彼女は遠慮というものを知らない。
「木の上に?良いけど、落ちないでね」
頼まれたクマくんは嫌な顔ひとつせずにそれに応じる。
枝の上に立ったコマドリちゃんは、
「色々とありがとう。もらってばかりじゃ悪いから、私からもお礼をしなきゃ」
息を吸い込むと、朝の光のように澄んだ声を森中に響かせる。歌でお礼とは、彼女らしいな。
コマドリちゃんの歌声に、僕とクマくんはいつまでも聞き入っていた。