その3
森がすっかり夕刻に染まった頃、僕は東の森に戻ってきていた。
次に声をかけたいのは、コマドリちゃんと一番仲の良いクマくんだ。この時間ならそろそろ起き出してきていても良いはず。
オンボロ橋を渡った先の近くにある小川のあたりを歩いてみる。初めて彼に会ったのもこのあたりだ。クマくんが行動を初めていれば会えるかもしれない。周りを見渡しながら足を進めていると、会話の声が聞こえてきた。一つは目的の相手の声。もう一つの声、こちらにも聞き覚えがあった。
声のしたほうの茂みをかき分けて、声の主の元へ向かう。
「こんばんは。今、良いかな?」
草の間から出てきた僕を見て、二人――クマくんとアライグマくんは少し驚いた様子で、
「あ、キツネくん。久しぶり…ってほど経ってもないか」
「おう、こんなとこで会うたぁな」
言われてみれば、クマくんとは数日会っていなかったか。アライグマくんの方は、こっちのセリフだ。クマくんと一緒にいるなんて。道理で西の森を探しても見つけられなかったわけだ。
「あれ、二人は仲直りしたの?この間は喧嘩してたみたいだけど」
素知らぬ顔でそう尋ねる。
「うん、そうなんだ。色々とあってね」
クマくんがそう答えて、アライグマくんは鼻を鳴らして顔をそむけた。
「それで、何の用だよ?」
焦れたように、僕が口を開くのを促す。
「用がなきゃ話しかけちゃ駄目なの?」
「てめぇは用もねぇのに『今、良いかな』なんて話しかけ方すんのか」
あんまりからかうと話を聞いてもらえなくなりそうだ。そろそろ真面目な話を始めることにしよう。
「実は二人に頼みがあるんだよ」
「僕たちに?」
僕が頷くと、
「クマに用があって来たんだろ?俺はついでか?」
今日はやけに突っかかってくるな。
「違うよ。君のことも探してたんだ。さっきまでは西の森に居たんだよ」
アライグマくんの発言を訂正して、改めて本題に戻る。
「この話は、二人に聞いてほしいんだけど……」
詳しい事情は置いておいて要点だけを伝えた。コマドリちゃんの歌を森の皆に直接届けたい。そのために力を貸してほしい、と。
「なるほど。コマドリちゃんのためなら、僕は協力を惜しまないよ」
「ったく、てめぇは本当に節介を焼くのが好きらしいな」
二人とも、多分快諾してくれた。
「ありがとう、助かるよ」
クマくんは少し不思議そうに言葉を発する。
「けど、少し意外かな」
「え、何が?」
「君はいつも誰かのことばかり気にしているみたいだったから。自分の望みのために周りを巻き込むなんてちょっと驚いたよ」
その発言に隣のアライグマくんが顔をしかめる。
「あ?こいつの行動のどこが『自分のため』なんだよ?」
「だって、キツネくん。今回のことは誰かに頼まれてやってるわけじゃないんでしょ?」
確かにそのとおりだ。いつもなら、誰かに頼まれたことを断れずに引き受けている。けど、今回は僕がコマドリちゃんのためにやりたいと思ったことを勝手にやるだけだ。
「そうだね。でも、僕はいつだって自分のために動いてるんだよ」
「へぇ、そうなの?」
「そうさ。僕は君が思うよりもずっと身勝手なやつなんだ」
僕の言葉を聞いて、彼は小さく微笑む。
「まぁ、君が自分をどう思うかは君の自由さ」
どこかで聞いた覚えのあるセリフだ。
「けど、それなら僕が君のことを優しい人だって思うのも自由だよね?」
「それを君に言われるとはね」
思わず、僕まで笑ってしまう。
「君の言葉に、僕は救われたんだよ。今の僕があるのは君のおかげなんだ。そう思ってるのは、きっと僕だけじゃないよ。…ね?」
「……あぁ、そうだな」
そんな風に言ってもらえるなんて思っても見なかった。初めて、自分で自分のことを少しは認めてやっても良いかもしれないと、そう思えた。
それからすぐに、僕たちは行動に移った。来ていたのは、東の森のとある場所。大きな木のあまり生えていない開けた場所。
「ここなんかどうかな?」
この場所に案内してくれたクマくんが言う。
「うん、ここなら広さも充分だと思う。この場所で準備をお願いしていいかな?」
「わかった、任せて」
「アライグマくんも、頼んだよ」
「これはでっけぇ借りだからな、覚えとけよ?」
「大丈夫、必ず返させてもらうよ」
その場を二人に預けて、僕は夜の森へ。昼間に起きている動物たちはヘビくんやリスくんに任せたけど、夜の方は僕がやらなきゃ仕方ない。
「…よし、頑張ろう」
*
思い立ってから3日ほどが過ぎた。彼らの協力のおかげで準備は順調だった。後は主役のキャスティングだけだ。
「おはよう、コマドリちゃん」
その日の朝。歌声を頼りに見つけた彼女の元を僕は訪れた。
「キツネさん、おはよう」
彼女は訝しげに僕の顔を覗き込む。
「最近、何かしてるみたいね。クマさんも昼間に会えることが少なくて」
「うん、まぁね」
「何をしてるかは、教えてもらえないのよね?」
クマくんにも同じように聞いたのか、答えを期待していないような質問の仕方だ。
「もうすぐ分かるよ」
「…もうすぐ?」
「明日、僕と一緒に来てもらいたい場所があるんだ」
コマドリちゃんは呆れたように嘆息する。
「わかったわ。明日、ちゃんと聞かせてもらうから」
約束を取り付け、やって来た翌日。
昨日と同じ場所で待ち合わせをした僕たちは、例の広場に向かっていた。
「一体、何があるの?」
頭の上でコマドリちゃんがさえずる。
「みんなが、待ってるんだよ」
「みんな……?」
疑問を返した彼女だが、それに答えるように視界が開ける。
「こ、これは……?」
木が少なく開けた空間、数日前まで何もなかったその場所にはベンチ代わりに並べられたいくつかの丸太。そして『逆さ虹の森』中から集まった動物たちがそこには居た。
「君のために用意したんだよ」
会場準備のための力仕事はクマくんとアライグマくんにお願いした。二人に声をかけられた力のある動物たちも手伝ってくれたらしい。人集めはリスくんとヘビくんに。リスくんは何だかんだ言って知名度はあるし、いたずらはしてもどこか憎めないところがある。彼の声かけなら応じる者たちも多かっただろう。リスくんが暴走しないようにヘビくんがブレーキ役としてついて行ってくれたことも大きいと思う。夜の動物たちには僕が声をかけて回った。昼間は寝ているはずの彼らを説得するのは思った以上に大変だったけど、口コミもあってか想像以上に集まってくれているようだ。
「コマドリちゃん、『残された時間を森のみんなと精一杯生きたい』って言ってたよね?」
「え、ええ」
「だから、皆に集まってもらったんだ。森の動物達に君の歌を直接届けたくて。みんながどんな表情で聞いてるのか、何を思ってるのか、知ってほしくて。君のことをもっと皆に知ってもらえるように」
「……キツネさん」
彼女を頭に乗せた僕が、特設ステージの真ん中に歩み出ると、期待に満ちた観客の暖かな拍手に包まれた。
「さあ」
僕は、彼女を促す。
「ありがとう」
そう呟くと、一番良く見えるところの木の枝に飛んでいって止まる。僕もオーディエンスに混じって彼女の歌に耳を傾ける事にする。
「みんな、私のために集まってくれてありがとう。頑張って歌うから、最後まで聞いていってね!」
広場の動物たちに呼びかけて、息を吸う。穏やかに流れる森の空気と調和するようなメロディが奏で出される。聴衆がどよめき、彼らの顔に笑顔が浮かんでいく。彼女の歌声もさることながら、その堂々たる様は、この森を代表するアイドルにふさわしいものに思えた。
彼女の歌が終わると、誰からともなくパラパラと拍手が鳴り始め、それは次第に広場を覆い尽くすまでになった。
その拍手にも埋もれない声で、
「ありがとう!」
とびきりの笑顔でそう叫んだ。
*
コマドリちゃんのリサイタルが終了し、閑散とした広場。僕とコマドリちゃん、クマくん、リスくんにヘビくん、アライグマくんが残って話していた。
「大成功だったね、キツネくん」
「うん、皆のおかげだよ」
クマくんの言葉に、お礼を述べる。
「でも、どうして急にこんなことをしようと思った?」
続けてアライグマくんくんが放った疑問ももっともだ。何も詳しいことを説明しないままで協力してくれたのが不思議なくらいなんだから。僕が答えあぐねていると、コマドリちゃんが口を開いた。
「まったく、キツネさんったら。何も言わないままで手伝わせてたの?」
呆れたように言って、
「私ね、そんなに長く生きられないのよ。だから、その私のためにキツネさんはこんなことをしてくれたの」
シンと静まり返った一同。その沈黙を破ったのはクマくんだ。
「何だ、そういうことか」
「何だ、って…」
不満そうに口を開いたヘビくんの言葉を遮ってクマくんは続ける。
「大丈夫だよ、コマドリちゃん」
「え、どういうこと?」
「コマドリちゃんがどこで聞いたか知らないけど、確かに小さな動物は寿命が短い」
僕もそう聞いている。
「けど、それは普通の自然界の話さ」
その場の誰もがぱちくりと目をしばたかせる。
「生きられる時間が僕たちそれぞれに違うのはそのとおりだけど、小動物の寿命が短いのは他にも理由があるんだ。それは、他の動物に食べられてしまったりするから」
「そ、そうなの?」
クマくんはうなずいた。
「でも、この森でならその心配は大分少なくなる」
彼の言う通り、『逆さ虹の森』では純粋な弱肉強食が成り立っているわけじゃない。ヘビくんとリスくんが協力していたのがいい例だ。
「コマドリちゃんのことは僕が守るしね」
「なぁんだ、そうなのか」
安心したようにリスくんも笑う。
「僕とコマドリちゃんを比べた時にコマドリちゃんの方が先に死んじゃうのは変えられないかもしれないけど、それも今すぐって話じゃない。しばらくは、みんな一緒にいられるんだよ」
その言葉を聞いてコマドリちゃんの中の不安もいくらか和らいだらしい。
「なら、焦らなくてもゆっくりみんなと関係を築いていけばいいのよね」
「そうさ。時間は、まだたっぷりあるんだから」
少し、早とちりしちゃったけど、まだみんなと過ごせる時間があるとわかってよかった。
「ったく、人騒がせだな」
「でも、今日のリサイタルはほんとに楽しかったよ」
「そうだね。またいつかやろうよ」
それぞれに違う仲間たちが集まって楽しい未来の話をする。こんな平和な日常がいつまでも続いたら、なんて夢みたいなことを願って、空を見上げた。