その1
太陽が一番高い所に陣取ったお昼時。今日の僕は西の森の川にいた。
「ほら、もっとちゃんと獲物を見て」
言葉を投げた相手は、お腹を空かせたヘビくん。彼は水の中を悠々と泳ぐ魚を狙って水面に顔を突っ込むが、敢え無く取り逃がしてしまったところだ。
「難しいよ、キツネくん」
「まぁ、そうだよね」
水面が光って川の中は見づらいし、水の中では魚の動きは素早すぎる。昼間ならまだしも、夕方ともなると僕も未だに苦労する。
「どうしてキツネくんは普通に動物を食べようとしないんだい?」
彼の言うことも尤もである。陸上でなら鼻も効くし、水の中の獲物を取るよりは難易度がいくらか低いだろう。けど、僕はネズミやウサギは獲らない。
理由は、とても単純だ。
「魚の言葉は、僕にはわからないからね」
答えた僕に、ヘビくんは不思議そうな顔をしてみせる。
「それが、何か関係あるの?」
「悲鳴や命乞いを聞きながら食事を出来るほど、僕のメンタルは強くないんだ」
多分、変わっているのは僕の方なんだろう。森という自然の中で生きている以上、弱肉強食は自明のルールだ。だけど、僕には生きるか死ぬかの問題であっても、他者の負の感情が怖かった。
独りで生きていけるほどに、僕は強くないから。誰にも好かれない僕は、誰にも嫌われるわけには行かないんだ。
「優しいんだね、キツネくんは」
「そんなんじゃないよ」
声が暗くならないように精一杯気を付けたつもりではあったけど、それも充分じゃなかったのかもしれない。気を遣うように、ヘビくんは話題を変えた。
「そう言えば。不思議だよね、この森は」
「?」
「ぼくとキツネくんじゃ全然違うのに、お互いに言葉が通じてる。他の動物たちともそうだ」
あまりにも当たり前のことだったから、生まれてこの方そんなこと考えたことも無かった。
しかし、まぁ。つまらない答え方をすれば一言で済む疑問である。
「『逆さ虹の森』だから、じゃないかな?」
僕の答えに、ヘビくんは吹き出して笑った。
「そりゃそうだ」
この森はどこか不思議だ。謎に包まれている。不可思議が溢れすぎていて、もはや日常と区別がつかないほどに。
一時の沈黙が二人の間に降りた時、その静けさを破る声がどこかから飛び込んできた。
「待てコラぁあああああ!」
思わず身を竦めた僕たちが後ろを振り返ると、茶色い小動物を追いかけ回すアライグマくんの姿が目に入った。追いかけられているのはリスくんだ。どうせまた余計なことをしたんだろう。
「許してよー!」
巻き込まれたら面倒だ。気付かれないようにしよう。
川の方に意識を戻そうとした所、
「あ…………………」
タイミング悪く目が合ってしまった。
「助けてええええええ!!」
「え、ちょ、こっち来るよ?」
「よし、逃げよう」
僕とヘビくんは顔を見合わせると、お互い逆方向に逃げ出した。
「見捨てるなんてひどいよー、キツネくん!」
「げ、僕かよ……っ」
二手に分かれたにも関わらず、リスくんは僕の方に向かってきた。アライグマくんに追いかけられるやつはこの前やったからしばらくは遠慮したいんだけど。
……あれ。
さっきは思わず逃げ出してしまったけれど、よく考えたら僕は別に逃げる必要はない。
「って、キツネくん……!?」
唐突に立ち止まった僕に、リスくんは驚きの声をあげる。
「観念しろ!」
怒鳴るアライグマくんから身を隠すように僕の後ろに回り込むリスくん。迷惑なことに、どうあっても僕を巻き込むつもりらしい。
「た、助けてよぉ」
「……はぁ。今度は何したの?」
仕方なくそう尋ねる。
「僕は、川で果物を洗ってたアライグマくんの背中を、ちょっと、押しただけだよ」
どう考えても君が悪いじゃないか。
「で、どうなったの?」
「アライグマくんは川の水でびしょ濡れになって、果物は流されちゃった」
「……それもう、数発殴られても文句言えないんじゃ?」
僕の意見に、アライグマくんも満足そうに口元を緩めた。
「分かってるじゃねぇか、キツネ」
伸ばされた彼の手から逃れるように、リスくんは僕の頭の上まで上ってくる。
「えええ、キツネくんっ。それは無いよー!」
「少しは反省したほうが良いと思うよ」
「そこを何とか!」
それを僕に言われても困る。というか反省はしようよ。
「アライグマくん、今回だけ許してよぉ……」
「お前、毎回言ってんじゃねーか。今日という今日は許さねぇぞ」
どうやら全く反省する気は無いみたいだな。
「おい、キツネ。その小動物を寄越せ」
僕としても、さっさと渡してこの場を離れたいところだけど、リスくんが断固として離してくれない。
「キツネくぅん……」
それに、こうも懇願されては断るに断りづらい。アライグマくんの怒りようだと必要以上に痛めつけられそうだし。みすみす渡してしまうのも気が引けなくもない。
「リスくん、許しを請うよりもきちんと謝るのが先じゃない?」
見た所、彼はまだ謝罪もしていないようだし、反省の意を見せればアライグマくんの気持ちも少しは収まるかもしれない。
リスくんも素直に従って頭を下げる。
「……ごめんなさい、もうしません」
すかさず援護をする。
「リスくんもこう言ってることだし、今回は見逃してあげたら?」
だが、それで納得する相手でもなかった。
「もうしない、だぁ?誰が信じるんだよ、んな言葉。大体、今のはキツネに言わされただけで、本心じゃねぇだろうが!」
反論の余地もない。どう考えてもリスくんの今までの行いが災いしているし、今後もいたずらを続けるであろうことは僕にでもわかる。
「って言われてるけど?」
「そんなぁ~」
泣きそうな声を上げられても、どうすることも出来ない。あの世でしっかり反省してもらうしかない。
「勝手に殺さないでよ!!」
「リスくんもこう言ってることだし、程々にしてあげてね」
「わぁってるよ」
「諦めなでよぉおおお!!」
僕の体を盾にしながらアライグマくんから身を護る。
「往生際が悪ぃぞ!」
人の体の周りで追いかけっこしないでもらいたい。
バターになるんじゃないかと言うほどグルグル回った二匹は、息を切らして立ち止まる。
肩で息をしながらアライグマくんは、
「キツネ、そのリス捕まえろ……ッ」
「き、キツネくん……」
さて。この場合、一番僕の心が傷まずに、かつ平和的な解決が出来る方法はなんだろうか?