その1
いつもどおりの夕暮れ。ゆっくりと起きだした僕の頭をぽつりぽつりと冷たい雫が打つ。
薄い雨雲をほんのりの赤く染める太陽が、地平の向こうに沈みゆきながら森を優しく照らしている。こんな日でもお腹は空くのだから仕方がない。これまたいつもの通り、近くの川に魚を取りに向かうことにする。
もっと雨が本降りだったら、流れが速くなったりして危険だけれど、今日くらいなら対して影響は無い。浅瀬を選んで水の流れの中へ入る。
「よっ、とぉっ」
正直に言うと、魚をとるのはあまり得意じゃない。毎日やっているおかげで少しは慣れて来たけど、川の中を泳ぐ魚の動きを捉えるのはやっぱり簡単なことではない。
もはや日課になった悪戦苦闘の最中、岸から声が飛んでくる。
「こんな所にいあがったのか、キツネ!」
どうやら僕のことを呼んでいるらしい。
……嫌な予感しかしない。聞こえないふりをしよう。
「やぁっ!……駄目かぁ」
横合いからの声を無視して水の中でバシャバシャと魚捕りを続ける。
「おい、無視してんじゃねぇ!」
バシャバシャ。
「ってゴルァ!!」
「うわぁ!」
気がつくと声の主は目の前まで来ていた。
「な、なんだぁ。アライグマくんじゃないか、驚かせないでよ」
「とっくに分かってたくせに白々しい野郎だな」
「嫌だな、無視だなんて。そんな訳無いだろう?」
これ以上詮索されないように、川から上がりながら「それより、何か用事?」と質問を投げかける。
「用もなくこんなとこに来るかよ」
それはそうだろうな。
もちろん、ここは東の森。西の森に住んでいる彼がたまたま通り掛かるような場所じゃない。
「えっと……僕、なんかしたかな?」
僕が振り払った水滴を躱すように数歩下がりながら、こちらを睨みつける。
「そぉ言うのは心当たりのあるやつのセリフだぜ?」
「ぐ……」
まぁ、心当たり、と言うのであれば多分にある。
「クマん時と言い、この前のヘビの時と言い、何か最近俺に絡んできてるよな」
やっぱり目を付けられていた。
「絡んでる、だなんて。……言いがかりだよ」
「どぉだか」
「それに、君は自分より弱い相手には喧嘩は売らないんだろう?」
「ああ、確かに。そんなこと言ったな」
アライグマくんは一度頷いて、それから僕の言葉を否定する。
「だがそれは、俺のことを強ぇと認めてる奴に関しての話だ」
「君が強いってことくらい、僕にも分かってるよ」
「そぉか?」
こちらの主張に関して、鋭い眼光で反論してきた。
「てめぇは表向きはそう言ってはいるが、腹ん中では俺のことを認めちゃいなんじゃないのか?」
しとしとと雨が降り注ぐ中、川面で魚がピチャンと跳ねた。
「何でそんな風に思うのさ」
言い返した僕に、アライグマくんは大きく息を吐き出し、続ける。
「そこだ。そぉゆうとこなんだよ」
「へ?」
「てめぇは俺が言ったことに一々突っかかってき上がる」
僕としてはただ単に対話をしていただけのつもりなんだけれど。
「普通、俺が近くに……いや、真下にいる状況で鳥なんか取るか?この俺に、真正面から話し合いになんか来るか?」
息継ぎしてから、なおも言葉を続ける。
「口では何だかんだ言っちゃあいるが、てめぇは心の中では自分と対等か、それ以下だと思ってんだろ?調子の良いこと並べて機嫌取ってりゃ、いい気になって大人しくしてる間抜けだと、そう思ってんだろ?」
「いや、別にそこまでは」
「だったらどこまでなら思ってんだ?自分は相手と対等だと思っているからそうやって言い返してくんじゃねーのかよ!?」
アライグマくんの主張は間違っていない。僕は、彼とは対等でいるつもりだ。喧嘩や力の強さでは敵わないかもしれないけど、それだけが僕らの価値を決めるものでは無いはずだ。僕にだってきっと、アライグマくんに勝っている部分がある。……はずだ。
少なくとも、そう思って生きる権利くらいは持っている。
と。
言葉を羅列するのは簡単だ。簡単ではあるが、それをすると僕はこの場でタコ殴りにされる。それはもう、確実に。それは避けたい。
「どこまでも思っちゃいないさ。僕は君にはどうあっても勝てない。逆らおうとなんて気も毛頭ないよ」
スッと頭を彼の視線よりも下げて、降伏の構えを示す。
アライグマくんは舌打ちをして、「それなら」と声を発した。
「今から俺に殴られろ」
一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。今の話の流れでどうして僕が殴られるんだろう?
その疑問に答えるように彼は言葉を次ぐ。
「さっき言ったよな?逆らう気はないって」
「まぁ。それは……言ったけど」
「なら黙って殴られろ。『どうあっても勝てない』相手からの命令だ。従う他ないよなぁ?」
しまった。完全に失言だった。というか、結局僕が何を言おうと殴られていたのかもしれないけれど。
まぁ、何にせよ。
殴られるのは嫌だなぁ。




