死んだ街でふたり言
街は死んだように静まり返っている。
時刻は午前八時になった。
しかし、仕事に向かう車の列や学校に急ぐ学生の姿はない。
道路には車が放置され、歩道の植え込みでは雑草が茂っている。
全ては七月下旬のあの日に終わった。
『変異型狂犬病』。
感染した人間は必ず死に至り、更にその死体が再起するというその感染症によって日本は終末を迎えた。
再起した死体、通称『保有者』は見境なく人を襲う。
それに噛まれれば誰であろうと感染し、同じように歩く死体となる。
今や日本は、保有者が獲物を求めて彷徨う地獄と化していた。
そんな静かな街を歩く二人組がいた。
高校生くらいの少年と少女だ。
「あそこにするか」
少年はあるコンビニを指差した。
隣の少女がこくんと頷く。
ポニーテールとサイドの髪がわずかに揺れた。
少年は、肩にかけている小さなバックの外側のポケットから拳銃を取り出した。
SIGP228。県警機動隊員の死体から拾ったものだ。
スライドを少し引き、薬室に弾が装填されていることを確認する。
「いつも通り気を付けて行くよ」
そう言って少年が拳銃を構える。
少女は再び頷き、小振りの拳銃――ニューナンブの二インチモデル――を握った。
二人はコンビニに足を踏み入れた。
外から差す光が店内をおぼろげに照らす。
少年はフラッシュライトを点け、慎重に進んだ。
店内は荒れ果てていた。
商品が床に散乱し、赤黒い血がガラスにこびりついている。
「適当に集めといて」
少年は周囲の惨状に気をとめる様子もなく少女に言った。
少女がニューナンブを仕舞い、背負っていたリュックに商品を入れていく。
普段なら窃盗罪になりかねないその行為を咎める者などもういない。
少年の声につられたのだろうか。
不気味な呻き声と共に若い男が店の奥から姿を現した。
男の顔は青白く、見開かれた両目からは血が流れている。
のろのろと覚束ない足取りで二人に近付く。
歩く死体、『保有者』だ。
少女が商品回収を止め、少年の背後に隠れる。
少年は照準を合わせ、すぐに引き金を引いた。
狭い店内に銃声が響き、男が倒れる。
男は右目の下の銃創から血を流したまま動かなくなった。
少年は射撃姿勢のまま店の奥まで進んだ。
自分たち以外に何もいないことを確認し、「もう大丈夫だ」と呟いた。
少女が安心したように微笑み、再び商品を集め始めた。
拳銃をローレディーで構えた少年がその姿を見守る。
リュックいっぱいに商品を詰め込んだ少女は、手でOKサインを作った。
「よし、帰るか」
少年が言うと、少女は声を出さずに、笑いながら自分の腹を撫でた。
「腹減ったのか?」と少年。
少女が頷く。
「俺も」
少年は笑みを返してコンビニを出た。
外に保有者はいなかった。
カラスの群れが電線の上で鳴いている。
二人は元来た道を戻り始めた。
拠点にしている家はここから歩いて十分程度の場所にある。
何気なく大きな息を吸い込んだ少年が「もう秋も終わるな」と言葉を漏らす。
少女はそれに応えようと口を動かした。
しかし、掠れた声が出るだけで言葉にならない。
少女が歩を止めて悲しげに俯く。
「無理しなくていい」
少年が柔和な口調で投げかけた。
「それより早く帰って朝飯食おう」
少女が顔をあげて頷く。
二人は再び足を進めた。
十分後、二人は拠点の家に到着した。
その家は頑丈なフェンスと塀に囲まれ、広い庭にはソーラーパネルが設置されている。
付近の家よりも明らかに豪勢で、家主が経済的に恵まれていたことが一目で分かる。
その家主が誰であるのか、今はどうしているのか、少年は知らない。
少女にしてもそれは同じだった。
どこかへ逃げたか、あるいは死んだか――。
世界がこうなった以上はどうでもよいことだ。
家に入った二人はリビングルームのソファに座った。
それなりに値が張るのだろう、その座り心地は抜群だ。
少女がリュックから集めた商品を取り出す。
水に缶詰、それに乾パン。
残りは簡単な衣類や生理用品の類だった。
「いただきます」
少年は乾パンを食べ始めた。
世界が終わる前、変異型狂犬病の発見が報道されてから防災関連のグッズがちょっとしたブームになっていた。
この乾パンもコンビニの特設コーナーにあったものだ。
少女が乾パンに缶詰のカレーをつけて食べる。
「それ、おいしいの?」
怪訝な表情を浮かべた少年が尋ねた。
少女は小さく頷いてカレー乾パンを少年に差し出す。
「ありがと」
少年はそれを口に入れた。
どれどれ、と咀嚼する。
乾パンの焦げた味とカレーの辛みがひどく不釣り合いに感じられた。
「これはこれでおいしいね」
少年のその言葉に少女は満足気な表情を浮かべた。
味覚ってのは人それぞれなんだな、と他愛のないことを思いつつ、少年は水を飲んだ。
「ごちそうさまでした」
乾パンを食べ終えた少年が手を合わせる。
少女もぱくぱく口を動かしながら手を合わせた。
その後、二人は屋上に出た。
秋の終わりを告げる乾燥した冷たい風が少女の髪を揺らす。
少年は壁に身を預けて街を見渡した。
特に必要がある訳ではないが、これが毎朝の習慣になっている。
決して大きくはないこの街。
それでもここには人々の生活が"あった"。
今では、少年と少女の二人以外の人間は見当たらない。
少女が少年の横に並ぶ。
少年は横目で彼女を眺めた。
同じ高校の後輩。
もっとも、世界がこうなるまで会ったことすらなかったが。
――彼女は話せない。
初めて会った時からそうだった。
少年が本で調べたところによると、失声症というものがあるらしい。
ストレスや心的外傷が原因で、発声器官に異常がないにも関わらず、言葉を発することができない状態を指す。
彼女はその症状に陥っているのだろう、と少年は見当をつけている。
少女がパンデミックによってどんな体験をしたのかを少年は知らない。
彼に分かるのは、言葉を喪う程残酷な体験がそこにあったということだけ。
「――さて、今日も頑張って生きますか」
少年が呟く。
少女が頷いた。
街は死んだように静まり返っている。
読んで下さり、ありがとうございます。
人が死にまくる血生臭いゾンビモノも好きですが、こういうのんびりしたのも読んでみたいと思って自給自足してみました。
いずれこの短編の設定を使って長編を書きたいと思っています。
いつになるかは分かりませんが、その時は是非読んでみて下さい。