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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
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67勤







 俯いた未来のルスランの顔は見えない。白銀の髪をかき分け、その頭を抱きしめたい衝動に駆られる。だって、どうしてって彼はルスランで、そして彼がルスランである以上、私は彼が愛おしいのだ。

 だけど、私が手を伸ばす前に、俯いたルスランが言った。


「……月子」

「うん」

「お前は、どうしたい?」


 泣きそうになった唇を、渾身の力で笑みに変えた。


「ルスランと幸せになりたい」


 私は、この期に及んで、ここまで強行しておいて、最終的に私に判断を委ねてくれるこの人に報いたい以外の答えなど持ち得ない。

 長く深い息がルスランから吐かれていく。


「…………絶対に月子を殺させるな。その条件で、帰してやる」

「分かってる」

「……俺だって、分かっていた。分かっていても、必ず奪われる。それは絶対だ。どうしようもない。それでも、奪われても必ず取り返せ。生きた月子を、必ずお父さん達の元に帰せ」

「……ああ、分かった」


 未来のルスランは深い息を吐き、顔を上げた。そして私を見て、愛おしそうに目を細める。





「月子、手を出せ」

「うん」

「またお前はそうあっさりと……」


 今のルスランにぼやかれたけれど、ルスランが相手なのだから許してほしい。未来のルスランは私の手を取り、何か細い物を握らせた。あまりに細すぎて掴み損ね、慌てて指に巻き付けて絡め取る。それは、光の糸だった。細い感触は確かにあったけれど、光をそのまま糸にしたかのような、不思議な糸だ。


「初代月光石の力を使った夢の残滓だ。これにお前の力を逆流させてやれば、今回の騒動の首謀者を倒せる。恐らくは、協会の幹部十三人の内の一人だ」

「幹部!? それに私、そんなの出来ないよ!?」

「だから俺がやるんだ。月子の力で、俺がやれ。俺に啖呵を切ったんだ。それくらいのことは出来るようになってもらわないと困る。出来るようになった俺でも、守り切れなかったんだからな。つまり、俺は出来る」


 顎で示された今のルスランは、むっとした顔をした。それに得意げに笑った未来のルスランは、私の手をそっと握る。指が長すぎて、袖の中に入ってきている分がくすぐった。


「俺はもう、お前の力を使えるようになっているよ。褒めてくれ、月子」

「……いい子いい子?」

「……お前、今も昔も褒め方ど下手だな、この一人っ子め」


 今のルスランよりも判定甘そうな未来のルスランにど下手と言われた私のセンスは壊滅的なようだ。それに、一人っ子は自分も一緒じゃん!

 今一釈然としない思いを抱いている私と同じ顔をしたルスランが、未来のルスランを見る。


「…………どうやるんだ」

「そのくらい自分で考えろ」

「待って、ヒント! ヒントちょうだい!? 私、全身氷漬けはやだよ!? 前の時、すっごい冷たかったし!」


 必死に割り込めば、未来のルスランは呆れた顔をした。


「何だ、まだその段階なのか」


 鼻で笑っているそれは、過去の貴方ですよと言いたい。


「俺はお前だ。笑うなら己の不備を笑え」


 言った上に言い返した。喧嘩しないでほしい。

 未来のルスランは鬱陶しそうに眉を寄せ、ルスランに向けて掌をパタパタ動かした。どう見ても虫を追い払っている手つきだ。


「キスでもしろ」

「お前、ふざけるなよ」

「ふざけてると思うならお前がふざけるな」


 喧嘩すんな。心の中で突っ込んだ私の前で、未来のルスランは面白くなさそうにそっぽを向く。


「そんなもの見せられて嬉しいと思うのか、馬鹿か、ふざけるな。交わったほうが掴みやすいだろうが、情交よりマシだと判断してやったんだ」

「ジョウコウって何?」

「お前は知らなくていいんだよ、月子」


 こっち見るときだけ柔らかい顔をしないでほしい。照れるから。

 未来のルスランは軽く手を振った。その途端、城が崩れ始めた。崩壊を始めたにしては、あまりにもろい崩れ方だ。ほろほろと、焼きたてのお菓子が崩れていくような壊れ方でお城が欠けていく。


「この未来を一旦解く。どうせすぐにまた形成されるが、それまでの間、残った糸の先が協会だ。一本道だが、間違えるなよ」

「ルスラン……」


 未来のルスランの身体も同じように欠けていく。胸が痛む暇もない。この人は本当に、報告なくとんでもないことをするから、本当に、本当にルスランだなって、思う。

 私の頬を崩れかけの手で触れたルスランは、目を細めた。


「もしお前が死ぬのなら、俺がお前をもらっていいか」

「駄目だ」


 未来のルスランの問いに今のルスランが即答した。会話に私を挟んでほしい。


「……じゃあ、私が死ななかったら、未来のルスランは私がもらうね! 春野ルスランかぁ。名字覚えやすくて大変いいと思います!」

「…………俺に教えておいてやろう。月子は結局、覚えきれなかったぞ」

「なん、だと……?」


 愕然としたルスランの声を聞きながら、私は長い名字もすらすら言える完璧王妃の夢が閉ざされたことを知った。いやでも未来は変えられる。いま未来を変えると誓ったばかりなのだから、私が諦めなければ、いつかは名字すらすら言える完璧王妃になれる日が来るかもしれない。百歩の道も一歩から。まずはルスランの次に来る単語を覚えようと思う。

 ぶつぶつ名前を復唱している私に苦笑したルスランが、解けかけの手を私の首に回した。


「月子、愛してる」


 優しい言葉と一緒に、唇の横に熱が触れる。すぐに、今のルスランに凄まじい勢いで引き剥がされた。未来のルスランは、声を上げて笑って、消えた。







 赤い世界も、人気のないお城も、止めどなくほろほろと崩れ落ちていく。その中で、ルスランは思い詰めた顔をして、言った。


「月子……浮気か?」

「たとえ浮気であっても浮気じゃなくない!?」

「冗談だ」

「絶対冗談って顔じゃなかった……」


 私の唇横を執拗に擦っているルスランは、少し考え、自信なさげに眉を落とした。


「……痛かったら言ってくれ」

「お、お手柔らかに、お願い、します」


 私は、協会からの攻撃の残滓だと分かっている黄色の糸を縋るように握りしめた。どうしよう、大丈夫かな。ルスラン全く自信がなさそうだ。でも、協会にはそろそろ反撃を開始したい。島の時といい今回といい、十年前といい、よくもやってくれたと腸煮えくりかえっているのだ。


「……ねえ、ルスラン。私、魔術使ったことないからよく分かんないけど、さっきのルスラン、私の力を使ってルスランがやるって言ってたよね?」

「ああ」

「じゃあ、私にルスランの力を通すんじゃなくて、私の力をルスランが吸うんじゃないの? 使うって、そういうことじゃないの?」


 ルスランは目を丸くした。この世界の常識だと、自分の魔力を黄水晶に意思を通して使うそうだけど、私を使うってことは、逆じゃないだろうかと思うのだ。


「……成程。やってみる」


 言うや否や、唇が重なった。ルスランは昔、思い立ったらすぐやってみる、それはそれは活発な王子だったのだろうと思う。一言言ってほしい。

 でも、そんな文句は口が塞がっていては言えやしない。どんどん深くなる口づけにくらくらしてきた。貧血を起こしたような、酸欠のような、金欠のような、絶望的なくらくら感だ。



「出来た……」


 互いの唇の間に僅かな隙間が出来、吐息が重なる。ルスランの呟きに、いつの間にか閉じてしまっていた瞳を開いて、絶句した。




 景色は一変していた。

 黄色の細い一本道の前後左右に様々な景色が見える。それらは凄まじい早さで後ろへと置き去りになっていく。景色が動いているのか、私達は動いているのか分からない。


「掴んだ。これなら、月子がいれば俺も月光石の力を見つけられる」


 ルスランはまっすぐに前を見ている。ぎらぎらとした刃物のような、獲物を前にした獰猛な獣のような目だ。この先に、協会がいる。だから、ルスランの憎悪が猛っている。

 景色は凄まじい早さで通り過ぎていく。沢山の瓶がある部屋を通り過ぎた瞬間、部屋中の瓶が割れた。驚く人々の悲鳴も、すぐに遙か彼方に置き去りだ。


「協会の施設を経由していたのか……それら全てに影響を与えながら辿ってる。これは、いいな」


 凄絶な顔で笑うルスランは、少しでも多くの情報を入れようとしているのだろう。目が凄まじい早さで動いている。全ての情報を一切合切逃さず、全て利用しきるつもりだ。

 大きな町を通った。森の中を通った。川縁を通った。海を通った。空飛ぶ島を通った。駆け抜ける景色という名の情報に私は酔いそうになったけれど、ルスランは目を血走らせて余すことなく記憶していく。

 町には必ず同じ建物がある。同じ紋様が入った、白と金の建物だ。これはもしかして、協会の建物なのだろうか。


「そうだ。十年前までは、レミアムにも大量に存在していた。人々は朝晩協会に出向き、祈る。今日も世界に安寧を齎してくださってありがとうございます、とな」


 それはまるで宗教のようで……いや、まさしく宗教だったのだろう。だからこそ、排除は難しく、反発も大きかった。協会に反旗を翻すだなんて、誰もが現実味を持って考えられなかった理由は、神がいたからだ。協会は、まさしく支配者だったのだ。







 やがて駆け抜けた景色は、白と金の巨大な建物に辿り着いた。レミアムの城と同じ程大きい。古びた柱と新しい柱が点在する建物の奥に、光は駆け抜けていく。

 沢山の薄い画面が宙に浮かんでいる。文字や映像がその中を途切れることなく流れていく。それを見る、同じ格好をした人々の間を擦り抜け、大きく古い扉の中に入った。

 そこは、白い世界だった。壁も天造も、部屋の中央にある大きな円卓も全てが白い。円卓の周りを等間隔でぐるりと囲む、同じ格好をした十三人も、全てが白に染まっている。顔を覆う布までも白い。それだけでも異様なのに、それを上回る違和感に気づいた。影が、ないのだ。円卓にも椅子にも人に、彼らの顔を覆う白い布にも、全ての影がない。

 そのうちの一人に、まっすぐ糸が伸びていた。ルスランが吠えた。ありたっけの憎悪を吐き出した雄叫びと同時に、糸が伸びている白い人間の身体が大きく跳ねた。背筋はまっすぐに伸びたまま、手足を硬直させて激しく痙攣している。それなのに、周囲にいる人々はその人を見ることもなく、ただ座っていた。


「え……?」


 痙攣していた人は椅子から転げ落ち、床にぶつかったと同時に、乾いた音を立てて砕け散った。影も他の色もない真っ白な部屋に、真っ白な破片が広がる。布と床と人の破片の区別が、つかない。


「これは、何だ?」


 ルスランが呆然とした声で呟く。ルスランにとっても予想外のことだったようだ。当たり前だ。だってこんなの、人じゃない。人であるはずがない。

 椅子に座っている十二人は、何かを喋っている。声は聞こえないが、口元の布が僅かに動いているからそれが分かる。それなのに、一人が欠けても何の反応も示さない。一人が、白い破片になって砕け散ったのに、驚くどころか視線を向けもしない。

 呆然としていると、急に視線が変わった。慌てて視線を戻せば、砕けた白に繋がっていた黄色い線が引っ張られている。白い手が黄色い糸を引っ張っていた。それは部屋にあった階段を凄まじい勢いで駆け上がっていく。影がないから分からなかったが、こんな所に階段があったなんて気がつかなかった。階段の頂点には椅子があった。その椅子の後ろに続く扉を擦り抜け、白い手は進み続ける。

 もう周りの景色も見えない。全てが線になるほどの速度で走り抜ける白い手を、止めるべきなのか判断がつかなかった。それはルスランも同じで、私を抱いたままじっと白い手を見つめている。

 駆け抜けた先は、天井が見えないほど広い吹き抜けの部屋だった。その真ん中に、大きな鳥かごがあった。だが、その中にいるのは鳥ではなく、一人の女性と、白い子どもだった。黒髪の女性は、足首ほどもありそうな髪を無造作に広げたまましゃがみ込んでいる。その細い手首を少年が握っている。少年はゆっくりとこっちを見て、うっそりと笑う。


「さあ、――、君のゴハンが来たよ」


 少年がそう言った瞬間、俯いていた女性が弾かれたように顔を上げ、凄まじい速度で私の手首を掴んだ。その瞬間、獣染みた声を上げて女性が叫ぶ。私の手首を掴んだ指先から凍り付いていく。咄嗟にルスランを見れば、瞬き一つせず女性と子どもを睨み付けていた。ほんの少しの刺激があれば、この人は自らの身も顧みず相手を殺すために全力を尽くすだろう。その瞳を見て、破壊された感情の行き着く先はこんな色をしているのだと、思った。

 何かが切れる小さな音がした。はっと視線を向ければ、光の糸が小さく切れ始めている。


「今回はここまでですか。レミアム、もういい加減決着をつけましょう。世界は安寧と管理を求めているのです」


 少年はゆっくりと微笑む。


「王よ、恨むなら、協会を作り出したレミアムを恨みなさい。レミアムの業を継ぐ王よ。貴方は貴方の月光石を連れ、この場においで。永すぎるこの戦いを、この代で終わらせましょうね」


 ぷつりと、酷く呆気ない音を立てて糸は切れ、全ての景色は暗転した。











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