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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
65/69

64勤








 痛くて思考がうまくまとまらないけど、よく考えたら思考がうまくまとまらないのなんていつもだ。だったら問題ない。いつも通りいける。


「貴女は私がいるとはちっとも思ってはいらっしゃらなかったようですね。いくら協会が月光石の力を関知する術に長けているとはいえ、直接繋がっていない限り君を目指して術を伸ばせるものでもない。俺が貴様を知っていたから、俺がお前を見つけていたから、条件さえ揃えばまっすぐに術を伸ばせたのだ」


 少しだけ落ち着けば、頭と首以外にも妙な感覚があった。腕が、熱い。熱くて冷たい。それも二カ所も。

 何だろうと視線を上げようとしたが、どうやらエインゼは私が意識を逸らすことが気にくわないようで、周囲を探ろうと視線を動かすだけで掴み上げる力を強めてくる。だから、痛みの場所を感覚で掴み、記憶を探す。そこには何があったか考え、答えはすぐに出た。


「お前を奪えば、レミアム王が協会も世界も滅ぼしてくれる。僕の願いは全て叶うのですよ。こんなに素晴らしいことはない……」


 感極まった声音で紡がれる言葉と共に、吐息が落ちる。視界の端で、まだ白い腕は私を手招いていた。

 頭が痛い。首が痛い。腕が、熱い。二カ所から発せられる熱に、やっぱり同じ人だなと苦笑するしかない。


 私は、更に距離を詰めようとするエインゼの顔に、白銀色の腕飾りを思いっきりぶつけた。





 肉の焼ける、嫌な音がした。

 私を突き飛ばしたエインゼは、顔面を押さえてよろめく。悲鳴は飲みこんだようだが、くぐもった呻き声が漏れ出ている。

 私は自分の腕に嵌まった腕飾りを反対の手で握りしめ、一目散に駆けだした。エインゼの顔を焼いた腕飾りは、私には少し熱いだけの温度しか伝えてはこない。熱いどころか温かい、ホッカイロみたいな温度だ。

 もう一個、ここのルスランにつけられた場所も熱を持っている。もしかしてこれも、エインゼに触れさせれば熱を発したのだろうか。



「――っ、待て、月光石! 貴様は俺の物だ!」



 後ろから響く怨嗟の声に振り向かず、私は手招きをやめてこっちに手を伸ばす白い腕に触れた。腕は凄まじい力で私を掴み、瞬く間に暗闇へと引きずり込んだ。






 気がつけば、白い腕は消え、私は薄暗い場所にいた。さっきまで明るく赤い場所にいたから、急な変化に目がついていかない。ぼんやり何かが見えているけれど、輪郭まではっきり見えない。

 目が慣れるまで立ち尽くし、じっと耳を澄ませる。今回は誰かが裸足で歩く音は聞こえない。エインゼも、追ってきてはいないようだ。だけど、油断は出来ない。前回、この場所にいた私の肩を叩いたのは彼だったのだから。




 目元を掌で擦って、洟を啜る。泣かない。痛みじゃ泣かない。反射的に出るものは仕方がないけど、泣かないったら泣かない。


 ぐっと堪えた私の前方で凄まじい音が鳴り、びくぅと身体が飛び跳ねる。。扉の一枚が凄まじい音を立てていた。何かが中から体当たりでもしているのか、扉が軋み、たわんで見える。中に恐竜でもいるのかと疑う音の重さだ。



「な、何!?」


 逃げるべきか。いやでもどこに逃げればいいのだ。この扉の中には夢に囚われた人々がいるとは思っていたけれど、まさか猛獣も入っているなんて聞いてない!


 うっかり抜けかけた腰を叱咤し、いつでも走り出せるように用意する。さっきは三歩分しか空けられなかったから捕まってしまったけれど、今は何メートルも空いているからさっきよりはマシのはずだ。……相手が猛獣だったらあっという間に詰められる距離だけど。





 まだ足りないかなと不安になり、どんどん下がってしまう。このままだと際限なく下がり続け、ついには扉も見えなくなるんじゃないかと逆に不安になってしまった私は、背後から聞こえてくる声にぎくりと身体を強ばらせた。


「ああ、そこにいましたか、月光石」


 弾かれたように振り向けば、暗闇の中に白っぽい部分だけがぼぅっと浮かんだエインゼがいた。

 金の髪と白い肌、つまり頭の部分だけが浮かび上がって見える。顔が欠けて見え、悲鳴を堪えた。ぞっと竦み上がりかけた身体を、抓ることで無理矢理動かして距離をとる。一回腰が抜けると、もう立ち上がれなくなる。


 靴を鳴らしてこっちに近寄ってくるエインゼと、扉をぶち破らんとする凄まじい音。前門のエインゼ、後門の扉。どっちもどっちだ。






「おかしいですねぇ。ここは勝手には入れないはずなのですが……そういえばお前、女を見たと度々言っていたか…………いや、まさかな、あれにはもう、自発的に動ける思考など残ってはいまい」


 顔を半分押さえたままぶつぶつ呟くエインゼは、それでも歩みは止めない。後ずさって距離を保とうとした私は、無意識のうちに生き物の気配がある場所を選んでしまったらしい。どんと背中が当たり、慌てて振り向く。

 エインゼから視線を外すのも恐ろしかったので一瞬だけだったけれど、問題ない。何故なら、私が背を突いた場所は、凄まじい音を発する扉だったのだ。

 背をつけた扉は、どんどんと凄まじい音を発し、反対側にいる私を弾き飛ばさんばかりだ。音と一緒に身体が前に弾かれてしまう。本当に、この中には何がいるのだ。

 そう思ったのは私だけではなかったようだ。



「内側から扉を見つけることは出来ないはずなのに……全く、貴女に関わると全てが想定外となるから困ったものです」


 私だって関わりたくないし、エインゼと関わることが既に想定外である。

 ずるりと力を失ったように、エインゼの顔を覆っていた手が外された。その下は真っ赤になっている。思わず自分の腕飾りを見た。これ、そんなに熱くなっていたのか。

 動揺は顔に出ていたらしい。エインゼは、赤くなった場所に再び触れ、うっそりと笑う。


「ああ、酷いものでございますねぇ。痛いと申したのに、僕の手をとってくださるどころか新たな傷を焼き付けるとは……ああ、ああ、なんとも惨い話ではありませんか!」


 大仰に両手を広げた動作に、無駄に反応してしまう自分が嫌いだ。

 脅えているなんて思われたくないのに、身体は勝手に竦む。動物が威嚇のために自分を大きく見せるのは、有効的なんだとこういうとき思う。自分より身体が大きい人や、力が強いと分かっている人が大きな動きをしたら、どうしても怖い。


 怖くないのは親しい人だけだ。絶対にその力を私に向けてこないと心の底から信じている人なら、その力強さは安堵となる。




 腕飾りのついている腕を突き出せば、エインゼは腕を折畳み、嫌そうな顔をした。力に力で対抗すればどちらかがどうしようもなく傷つくまで止まらなくなるだろう。だけど、既に力を行使してぶつかってきた相手に話し合いが通用するとは思えない。口だけで大事なものを守れるのなら、誰も泣かなくていいのだから。


「貴女にはわたくしを救える手立てがあるというのに、それを見せびらかすだけで与えもしない! こんな惨い話が許されていいはずがない!」


 まるでピエロのように奇っ怪な動きで身体を折り曲げたエインゼは、突如弾かれたように私に飛びかかった。人間を相手にしているとは思えない。人形のような動きに引き攣った喉が悲鳴の代わりに勝手に叫んだ。


「惨くない話なんて、どこにもなかったよ!」

「――それもそうだ」


 予想外の声が会話に割り込んできた途端、私の身体は前に吹っ飛んだ。廊下に突っ伏しても勢いが止まらず、床の上を滑り向かいの扉に激突してようやく止まる。振り向く間もなく、首根っこが乱暴に掴まれる。


「邪魔です」


 淡々とした声には聞き覚えがあった。慌てて視線を向ければ、さっきまで凄まじい音を立てていた扉は根元から外れ、既に扉としての役割を終えていた。これが倒れた拍子に吹っ飛ばされたらしい。


「ネルギーさ、ん――!?」


 扉をぶち破って出てきた猛獣改めネルギーさんは、私を片手で掴み上げ、今し方自分が出てきた部屋の中にぶん投げた。



 まさかぶん投げられるとは思いもよらず、恐怖より何より驚愕が勝った。受け身なんて知らなかったけれど、投げられた体制のまま無様に植木へ突っ込んだので事なきを得た。ただし、植木は事あったようで、細かい枝達がべっきべきにへし折れている。他は綺麗に整えられているだけに、私が押しつぶした場所が目立ってもの悲しい。

 でも今は植木の安否よりネルギーさんだ。


「ネルギーさん! 大丈夫ですか!?」


 植木に溺れながら振り向けば、綺麗な青空が見えた。青空の中に、ぽっかり空いた長方形の穴が空いている。薄暗いその中で、ネルギーさんとエインゼが向かい合っていた。


「たとえ夢であろうと、レミアムの王城に無断で立ち入るとは。流石協会の犬だ。躾がなっていない」

「我らは所詮物なれば。貴様とて、使い捨ての道具に手間をかけはしないであろう」

「ならば道具として、内々で廃棄してくれる」


 言うが早いか、ネルギーさんの身体が大きく沈み込み、エインゼの身体が仰け反る。次の瞬間、エインゼの首元を、ネルギーさんが握っている短剣が掠めていく。どこに隠し持っていたのか分からないそれなりの太さと大きさのある刃物が首を掠めていったのに、エインゼはにたっと嫌な笑みを浮かべた。一応距離はとったものの、身体を揺らしながらへらへら笑う。


「これは……なかなかどうして、意外と武闘に長けているようだ…………ああ、そうか。レミアムは暗殺が多発する危険な国でございますからなぁ。それはそれは、魔術以外も鍛えねば安心して眠ることも出来なかったことございましょう。そんな哀れなレミアムの宰相に、一時の平穏は与えてやったまでのこと。感謝して頂きたいものですなぁ。どうでした? かつてレミアムが幸福だった時代の夢は」

「――くだらない時間を過ごした」


 ネルギーさんは短剣を構え直した。なお、私の言葉は最初から完全無視である。


「おやおや。親切心だったのですが……だが、そう思わない人もたくさんいたみたいだよ? ほらぁ、見てごらん」


 くるくる変わる口調は、何人もの人と話している錯覚を覚える。こんな人、そうそういては堪らない。

 植木から起き上がった私の耳に、たくさんの足音が聞こえた。何だと視線を向ければ、さっきまで扉があった場所から、廊下を向いたままのネルギーさんがじりっと後ずさりしてくる。

 その向こうに、たくさんの人がいた。

 その中に、以前刃物を持って襲いかかってきた男性を見つけて息を呑む。向かいの扉が開いている。何が起こったか、それで分かった。エインゼが、他の扉を開けたのだ。それも恐らくは、夢が覚めてほしくなかった人の扉を。






「余計なことを……」


 その人々は、みんな同じ目をしていた。ぬらりと粘着質な光を灯した、虚ろともいえる瞳を私達に向けている。

 完全にこっちに入ってきているネルギーさんと、それをのんびり追うエインゼ以外は、扉があった四角い場所に立ち止まっている。もしかしたら、他の人の夢には入れないのかもしれない。

 狭い四角の範囲でしか確認できなかったけれど、見える範囲にコレットも、スイちゃんのお兄さんも、お婆さんのお孫さんもいない。


「もう二度と会えないんだ! 夢に縋って何が悪い!」


 身を切るような悲痛な声だった。怒鳴り声とは違う、悲鳴に近い叫びだ。


「俺達庶民の気持ちなぞ、貴族の、恵まれたお前達に分かるものか!」

「ああ、分からない」


 淡々とネルギーさんは言った。エインゼは何がおかしいのがお腹を抱えて笑っている。


 悔しさで頭が茹で上がりそうだ。

 そうだ。分かるものか。貴族の、恵まれた、彼らの気持ちが、あなた達に分かるものか。


 ぎりっと噛みしめた奥歯が嫌な音で軋んだ。叫びだしてしまいたい。

 ルスランの傷を叩きつけて、誰のせいでこんな傷がついたのだと、わめき回りたい。だけど、傷と傷で戦ったって、傷が深くなるだけだ。癒やすために使う時間で傷をえぐり続けるだけだと、分かっている。だけど悔しい。悔しくて、私の傷じゃないのに、痛くて堪らない。


 噛みしめた唇から血が流れたけれど、こんなもの、痛くない。私をちらりと見たネルギーさんと視線が合った。ネルギーさんは片眉を少し上げ、すぐに戻した。




「偽物に縋る間、本物の墓は誰が守るんだ」


 悔しい、悔しい、悔しい。分かるのか。自分達の傷が分からないだろうと責める彼らには分かるのか。ルスラン達が流した涙が、流せなかった涙が、傷を傷と認識する時間すら与えられず進まなければならなかった彼らの気持ちが、あなた達に分かるのか。

 そしてそれは私も同じだった。私も、分かっていなかった。大人とは、全てを解決する万能の存在ではないのだと。










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