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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
64/69

63勤










 頭がくらくらする。ふわふわもする。ぐるぐるもする。それは視界も意識も同じだ。とてもではないが立っていられなくてその場に膝をつく。すんでのところで倒れ込むことは防げた。打ち付けた膝の痛みに集中して、意識を保つ。

 乳白色に霞む世界。凍り付いた窓の外の赤い世界。現実と夢の境が壊れたことを悟る。今までは、夢からも手を伸ばされていたとはいえ、私が夢を追いかけ潜っていたはずなのに、夢に追いつかれた。


 今の私は、部屋着で靴も履いていなくて、地図も何もない。あるのはルスランがくれた腕飾りだけだ。無意識にそれを掴み、強く握りしめる。

 何だ、これ。何だこれ何だこれ何だこれ。うるさく鳴り響く心臓の音も、視界がちかちかする極度の緊張と動揺も、現実そのもので。訪れる眠りを待つでもなく引きずり落とされた。まるで、夢から覚めるように。


 現実と夢がひっくり返りそうだ。夢がぶつ切りになるのならまだ納得がいく。夢とはそういうものだ。だけど、現実がぶつ切りになって夢が始まるなんて。

 腕についた赤い痕がちりちり焼けるように痛む。これは、つまり。


「…………ルスラン?」


 前回ルスランは、またおいでと言わなかった。それは自分で呼ぶつもりだったからか。



「あーっ……やられた」


 両手で頭を抱える。これはチョップの刑だ。デコピンもしてやる。むしろ頭突きだ。これを、もう甘えただなぁと笑って許せるほど、私の心は広くない。長い付き合いでもやっていいことと悪いことがある。前回別れたとき、何を謝ってるんだろうと思ったものだが、まさか現実を強制終了させるネタを仕込んだことだとは。

 しかも、夢に入る直前、今のルスランの声も聞こえた。酷く、心配した声だった。ロベリアが何かを叩き割っていたので、あれがルスランを呼ぶ何かだったのだろう。世界を越えて呼び出せるのは凄い。世界を行き来できるルスランだから出来たことだとは思うけど。



 とりあえず、呼ばれてしまったものは仕方がない。ルスランに会いにいって早く帰してもらおう。ルスランのせいでルスランに心配をかけてしまった。ルスランは誠心誠意ルスランに謝ってほしい。



 打ち付けた膝をさすりながら立ち上がる。ふらつきがようやく落ち着いてきたので、改めて周囲を見渡す。どこかの廊下だ。まったくルスランは仕方がない人だ。私に用事があって呼んだのならいつもいる玉座に呼んでくれたらいいのに、どうしてこう中途半端な場所に呼んだのだここどこだ。






 地図もなければ案内板もないだだっ広いお城にぽつんと立っている私の肩を、誰かが叩いた。びっくりして飛び上がってしまう。


「王ー妃、様」

「今度は何!?」


 ご機嫌な声に呼ばれて凄い勢いで振り返ると、そこにはにこにこした女の子姿のロベリアがいた。手は後ろで組んで、飛びのいた私の顔を覗き込んでくる。上目遣いが大変愛らしい。

 だけど今は、見えていない眼帯の更にその下が気になる。眼帯で隠している場所を暴くなんて、本来なら絶対にしてはいけないことだ。ただし、本人からの許可が出ていなければの話である。


「どうしたの、王妃様。なんかぴりぴりしてる?」

「びっ、くりしたからだよ。現れるなら前から来て、前から!」


 彼は本当のロベリアなのか違うのか。確認する術は手に入れた。彼がロベリアならとりあえずそれでよし。問題は、彼がロベリアではなかった場合だ。


「ここも来たことないなー」

「王妃様、行ったことない場所がほとんどじゃん」

「そうなんだよね。今度はあちこち行きたいなー」


 何気なく場所を確認する振りをして、誰かいないか探す。ルスランがいればと思ったけれど、見当たらない。とりあえず、いつものようにルスランの所を目指すと伝えて歩き出す。いつもとりあえずルスランを目指していて本当によかった。ロベリアはそんな私を特に止めもしない。ルスランと合流するのを止めない所を見ると本物にも見えるので困るのだ。


 そういえば、このロベリアは私をどう判断しているのだろう。ここが六年後の一つの未来だというのなら、私も六歳年をとってなければならない。そもそも、どうやら私は死んでいるようだ。となると、こうしてひょいひょい現れてルスランを目指す私をどうして不思議に思わないのだろう。ルスランから事情を聞いているのだろうか。亡霊だと思われてたらどうしよう。





 ルスランの元まで案内してくれているロベリアと当たり障りのない話をしながら、人気のない廊下を歩く。相変わらず外の光は赤い。これがただの夕焼けだったらどれだけよかっただろう。でも、そんなことここで言っても意味のないことだ。

 窓の外に向けていた視線を苦い思いで前へと戻す。左側はほぼガラス窓だ。温室を思い出すほどである。右側は時々扉がある。扉の間隔から見るにかなり広い部屋なのだろう。廊下はそこそこだ。玉座の間に続く廊下の半分くらいの大きさである。その先の曲がり角を何気なく見て、私は足を止めた。


「王妃様?」


 突然立ち止まった私に、ロベリアは不思議そうだ。私が見ている方向と私を何度も往復して見ている。だけど、私の目は前方に釘付けだ。



 手が、伸びている。

 白い手が、らゆらと揺れていた。最初はただ揺れているだけだと思ったが、よく見ると手招いている。こっちにおいでと私達を呼ぶのに、手しか見えない。ふわりふわりと風に浮かぶ綿毛のような不安定さで手招く白い手は、細くしなやかで、女性の手のようだった。

 ふと、最初にこの夢を訪れた際、暗闇で私を引っ張った手を思い出した。あの手が何故か怖くなかったことも。


「王妃様、どうしたの?」


 無意識のうちに一歩踏み出していた私の手をロベリアが握って止める。


「手が」

「手?」


 私越しに曲がり角を見たロベリアは、眉間に皺を寄せる。


「何も見えないけど?」

「でも、手がある……ロベリア、私、あっち行きたい」

「は? ……ここ今、俺らしかいねぇんだ。女なんかいるはずがない。ちょっと待ってろ王妃様、確認してくる」


 そう言って、私を後ろに追いやろうとしたロベリアの手を振り払う。驚いた顔に罪悪感が湧かなかった訳ではない。けれど、試すなら今だと思った。

 心の中で謝りながら、白い手が招く曲がり角を背にしてロベリアと向かい合う。


「ロベリア、私、あっち行きたい」


 もう一度はっきり繰り返す。するとロベリアは、私が初めて見る顔になった。その表情を見て、確信した。

 ごめん、ロベリア。私に秘密を教えてくれた友達に、今度こそ躊躇いなく心の中で謝る。せっかく教えてくれたのに、眼帯の下を見なくても分かってしまった。

 これは、ロベリアじゃない。




「王妃様は王様の大事な方なんだから、安全な所で待っていてくれないと。王妃様はそれなりに賢いから、分かるだろ?」


 そう言って、苦笑する。ぐずる子どもを仕方がないぁと諭すように、わがまま言う物わかりの悪い子どもに呆れたみたいに笑う。

 違うと、これはロベリアじゃないとはっきりしてしまえば、そっくりな顔もただ不気味でしかない。ロベリアが色んな姿形になっても不気味だとは一切思わなかったのに、いま、ロベリアの顔で笑うこの存在が身震いするほど気持ち悪い。


 その動揺は、身体に出てしまった。表情はなんとか取り繕ったのに、私の身体は反射的に半歩下がってしまった。それが早く先に行きたくて急いてしまった心の表れだと取り繕えたらよかったのに、距離をとってしまった動揺は今度こそ顔に出た。ロベリアの眉がぴくりと動いた。駄目だ、ごまかせない。



「……ロベリア、変身解いて眼帯の下、見せて」

「え、やだよ。この下、みっともないから隠してんのに」


 女の子の姿なのでそこには眼帯などない。だけどロベリアは、本来の姿ならば眼帯があるはずの場所を片手で覆った。


「……今更だよ。だって前に、見せてくれたじゃない」


 前は前でも、今さっきだけどと心の中で付け足す。

 ロベリアはにこりと笑って、一歩距離を詰めた。私は笑えなかった。詰められた一歩分を空けようとして、力が入らない足が勝手にふらつき三歩下がる。咄嗟にその勢いを利用して、後ろ向きで出来る精一杯の大股でとった三歩分が、私の命綱だ。

 私が下がるに合わせて視線を下げたロベリアの顔が、ゆっくりと上げられていくにつれていびつに歪む。


「あれぇ……? 僕のこと、どうして分かったの? わたくし、それなりにうまくやれていたと自負しておりますのに」


 短い台詞の間にくるりと変わる奇妙な一人称には、覚えがあった。口の中が、やけに乾く。息を吸っても吸ってもうまく身体に馴染ませられないくらい、身体が強ばる。


「…………もう、会いたくなかった」

「そのような寂しいこと仰らないでくださいませ。私、悲しくて泣いてしまいます」


 こんな奇妙な人、一人しか知らない。


「……エインゼ」

「はい、わたくし協会の犬でございますとも! 再び御前にまみえること叶い、心より幸福に思っております」


 私は全然幸福じゃないし、出来れば一生会いたくなかった。






 目の前でロベリアの姿が溶け落ちる。ロベリアはこの段階を踏まず瞬きの間に姿を変えてしまうので、改めてその凄さが分かった。ぞっとする光景はすぐに終われば、もうそこにロベリアはいなかった。金色の髪に橙色の瞳。昔、お日様みたいだと思ったことが悔しいくらい明るく温かな色は、外の光に染まって赤々と燃えている。

 エインゼは、大仰な動作で腕を広げて身体を折り畳む。舞台上で行われる礼に似ている。深く折り畳まれた体勢で、顔だけががくんと私を向いていて、その歪さに息を呑む。


「わたくし、それなりに変わり身を得意としておりますが……眼帯の下は流石に見たことなくて分からないなぁ。それに、どうして分かったんだ? 俺はそれ以外はうまくやれてたと思うんだけど。ねえ、王妃様。僕の何が変だったの?」


 歌うように楽しげにさえ取れる声音で胸元に片手を当て、軽く身体を捻ってみせるエインゼに答えるつもりはない。



 そんなの決まってる。聞いてくれなかったのだ。この人は私の言葉を聞いてはくれなかった。


 ロベリアはいつも私の言葉を聞いてくれた。私が変なこと言っても、この世界のこと何も知らないから言えるような方向音痴な質問をしても、適当に流そうとはしなかった。どうしてそう思ったんだと理由を聞いてくれる。どうしても駄目なことなら、どうして駄目かをちゃんと説明した上で私が希望したことを閉ざす。会話に足る相手だと、認めてくれていた。

 話せば分かると、言葉の意味が通じると認め、そして私の言葉と思考にもその価値を認めてくれた。

 それはルスランからの命令だったのかもしれない。指示があったから、最初から土台があったから、そうしてくれただけなのかもしれない。


「あなたには、分からないよ。だって、私とあなたは、友達じゃないから」


 でも、その積み重ねの中で友達になってくれた。眼帯の下とそれに付随する思い出を教えてくれた。私達はお互いを認め合える。その部分を無視して形だけ整えても、同じ関係になれるはずがない。








「――存じ上げておりますとも」


 緩やかに、恐ろしいほどゆっくりと、エインゼが笑う。笑みと呼ぶには躊躇われる凄絶な表情で、形だけが笑みに整えられていく。


「だって貴女は、僕の手を振り払ったのだから」


 痛いと、言っていた。全身が内側から切り裂かれるような痛みに襲われるのだと、言っていた。分かっていて、私はその手を振り払った。その顔色の悪さも、苦痛に歪む顔も、振り払われた瞬間の絶望に染まった瞳も、全部分かっていて、私はこの人を見捨てた。

 だからこの人は、私を恨む権利がある。


「ああ、王妃様。貴女は酷い御方だ。俺に希望を、救いの形を見せておきながら、与える気はない言う。その力を必要としてない王にだけ与え、誰よりも必要としている僕には見せびらかせるだけなんて、あんまりじゃあないか。そんなの、酷すぎる話だとは思わないのかなっ」


 ゆっくりとのんびり話されていた語尾が跳ね上がると同時に、エインゼの足が強く踏み出された。それと同時に私も背を向けて走り出す。

 私は、その恨みを受け取るつもりはない。そんな酷い人間でよかったと、思う。酷い人間だから、私は躊躇わずに何度でもこの人に背を向けて逃げられる。

 必死に走り出したけれど、数歩も行かず頭に激痛が走って歩みを止めざるを得なくなった。


「いっ……」


 髪を掴まれ、凄まじい力で振り回された。周囲の景色をぐるりと見せるようにエインゼの身体の周りを一周させられ、壁に押しつけられる。エインゼと向き合って壁に押しつけられているのにまだ髪は掴まれたままだ。上へと引っ張られ、あまりの痛みに必死につま先立ちになっているのにまだ足りない。髪を掴み上げるエインゼの指を、両手で必死にこじ開けようとしても、指はほんの僅かにも開こうとしない。私の髪を握り潰し、手綱のように掴み上げている。


「知っているか、月光石。協会は此度の件でレミアム王の重鎮を最低でも一人は沈めるつもりだ。だから、お前を捕える機会があれど手を出すなとのお達しだ……こんな紛い物では、麻酔ほどの力も発揮しないと言うにな」


 片手で私を吊り上げたエインゼは、懐から何かを取り出した。それは、ごつごつとした石だった。もう少し透明度が高ければ宝石に見えたかもしれないけれど、濁りきった色はただの土塊にしか見えない。若干光っていることだけが、ただの石ではない証明だった。


「いた、い」


 離してと言いたかったのに、口は勝手に痛みを訴えていた。頭の皮が引きちぎられそうだ。髪の一本一本が引っ張られるたび律儀に痛みを訴えてくる。どうしてこの人はいつも髪を掴むのだ。二度あることは三度あるという。ならば三度目があるというのか。もし次があるなら、少しでも楽になるようダイエットしておこう。どうでもいいことを考えて痛みを紛らわそうとしたが、意識を逸らしたことがばれたらしく更に吊り上げられる。髪を引っ張られる痛みに次いで首が限界を訴え始めた。首が抜けそうだ。


「痛いか? 痛いであろうな? でも、僕も痛いからお相子でございますね」


 何だその、全く嬉しくないお相子は。痛み分けといったほうが正しいのだろうが、あいにくと私とエインゼには痛み分けする理由などない。エインゼは勝手に私を恨み、私はその恨みから無情に逃げ出すだけの関係だ。

 エインゼの額が降りてきて、私の剥き出しになった額と合わさった。ルスランとすればいつもびっくりするくらい嬉しくて温かくて全く飽きない行為が、親しくない人だとこうまで怖気が走るとは知らなかった。


「幸い、一番の大物が釣れたので、もうわたくしは自由に狩りたい物を狩ってい

いとの許可が出ました。よって、お前をもらい受ける」


 あげない。絶対に、何があってもあげない。

 それに、一番の大物ってまさか、ネルギーさんのことなのだろうか。









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