62勤
「という訳なんだけど、まずいと思う?」
「いやぁ……うーん……」
こっちで夢の続きを見たことも、地図に引き続き夢の中のことがこっちに引き継がれたこともまずいかなと思って、真っ先にロベリアに話をした。
ロベリアは私の部屋前の廊下で眠っていたのでびっくりしたが、どうやら護衛してくれていたらしい。ちなみに、以前マクシムさんが寝ていた部屋でネルギーさんが寝ているらしい。
正座した私から話を聞いたロベリアは、胡座をかいたまま頭をがりがりと掻き回した。
「だ、大丈夫かな?」
その曖昧な態度に「まあ大丈夫じゃね」という答えを期待する。じっと見つめていると、大きな溜息が吐かれた。
「どう考えてもまずくない要素皆無なのに、この期に及んでまずくない可能性に期待をかけられる王妃様がすげぇ」
「駄目かぁー」
「駄目に決まってんだろ、王妃様の大馬鹿者。ルスラン様と連絡は?」
「無理。ルスランから連絡ないと繋がらない。私魔力ないし」
「あー……参ったね、こりゃ」
ぼやきながら立ち上がったロベリアは、石ほど硬くはないけれど決して柔らかくない廊下で、寝起き一番に正座したダメージで静かに立てなくなっていた私の手を引いて立ち上がらせた。かぶって寝ていたらしい薄毛布は、私が子どもの頃お昼寝に使っていた物だと言うべきか言わざるべきか。まだ残っていたのかと懐かしい気持ちで拾い上げ、私の部屋に放り込んでおいた。放り込んでから気づく。私達はどうして廊下で話し込んでいるのか。
ひとまず私の部屋に移動してから話し合いを再開する。
「一応俺もルスラン様との連絡手段持ってるは持ってるんだけど、この世界からやって通じるかどうか分かんねぇんだよな。用意するのに手間暇かかるわ、ルスラン様に影響出るもんだからそう気安くも試せしねぇし」
「じゃあやっぱりルスラン来るまで待ってようよ。ようは寝なきゃいいんだよね」
「まーそうだけどな」
「私が寝そうになってたら横っ面ひっぱたいてね」
「もうちょっと平和的な起床方法提示してくれよ」
結論が出た。
さて、どうしたものか。部屋の中をぐるりと見回す。勉強は却下。寝る。ここはやっぱりゲームでもしていようか。ロベリア何のゲームやるかな。幸いこの部屋には二人で出来るゲームが揃っている。オンラインアウトな幼馴染みのために、オフラインで二人プレイ出来るゲームがいっぱいあるのだ。鏡台がコントローラーを通せる大きさで本当によかった。
どれにしようかなと悩んでいる間、ロベリアは立ったまま面白そうに部屋の中を見回している。
「ロベリア、あの、さ」
「んあ?」
躊躇いがちに呼べば、ロベリアはなんとも気の抜ける返事と共に隣にすとんと腰を下ろした。裏を合わせた両足を掴み、私からの言葉を待っている様子は子どものようだ。
「私、夢の中のロベリア、偽物だと、思うんだけど……」
「へぇー」
「へぇーって……」
「俺見てねぇから判断出来ないし、へぇー以外どう言えばいいんだよ」
確かに。それ以外言い様がない。片方だけ立てた膝に肘を乗せ、その手に顎を乗せたロベリアは、一応話を聞いてくれるようだ。そういえば、彼は最初からそうだった。どんなことでもちゃんと聞いてくれたものだ。そういうところルスランに似ていて好きだった。
「まあ、一応聞いとくけど、何でそう思ったんだ?」
「……………………………………なんと、なく?」
「理由ないのかよ!」
「だってぇー!」
違和感があるかと問われれば無いとも言えるし、かといってロベリアと思うかと問われればどうだろう……と言うだろう。私はじーっとロベリアを見つめながら、情けなく眉を下げた。
「姿形はそのままロベリアなんだもん! これといって特徴的な違和感もないし」
「特徴ねぇ……変わり身を特技としてる俺としても面白くねぇんだよなぁ、それ」
今は黄水晶が無いから男の子の姿をしているけれど、夢の中のロベリアはいつもの女の子姿だ。それなりに仲良くなったと思っているし、人混みでもぱっと目につくくらいは見慣れたのに、偽物か本物の区別をつけられないのは悔しい。私の友情が足りないのだろうか。未熟な自分が情けない。
「まあでも、俺も偽物なんじゃないかなって気がしてるんだよなー」
「どうして?」
「だって、マクシム様が死んで、王妃様もいないんなら、俺が生きてるはずがないだろ。王妃様はルスラン様の要だ。そしてルスラン様は協会を殺すための要。俺は命を懸けて王妃様を守ったはずだ。王妃様が死んでるなら、よっぽどのことがない限り俺も死んでるよ」
「それは素直に頷きがたいよ、ロベリア」
夢の中のロベリアの正体について意見が合ったのは嬉しいけれど、その理由は全然嬉しくない。複雑な感情そのままの顔になってしまった私を見て、ロベリアはけらけら笑う。笑う場所では全くない。
「何かロベリアしか知らないことって無い?」
「秘密ってことだろ? それ俺も考えてたんだけど、特にねぇんだよな。俺がもと協会の手先ってことはそれこそ協会の連中が一番知ってることだし。後はなぁ……」
ロベリアは言葉通り面白くなさそうな顔をしている。それなのに、突然からりと言った。
「…………まあ、いいか。友達になっちゃたしなぁ」
「何が?」
一人で納得してすっきりした顔になったロベリアは、首を傾げている私と改めて向き合った。胡座になりずいっと近寄ってくるので、私も体育座りでお尻を引き摺ってずいっと近寄る。
「なになに? 内緒話?」
「そそそ。内緒話」
いたずらっ子みたいな顔で笑うから、私もつい同じ顔になってしまう。小学生の頃、秘密基地の場所を教えてくれた男の子が同じ顔してたなと思い出す。誰にも内緒だぞと言われたからルスランにも内緒にしてたらとんでもなく機嫌を損ね、何故か喧嘩になり、最終的にお母さんに泣きついて収拾をつけたものである。
「あのさ、それルスランにも言っちゃ駄目なやつ?」
「むしろルスラン様だけ知ってるやつ」
それを聞いてほっとした。ルスラン相手だと秘密を秘密のままにすることはとても難しいのだ。気安すぎるのでついうっかりぽろっと言っちゃうかもしれないし、秘密を暴こうとさらりと混ぜられる罠にひょいひょい引っかかってしまうこともある。ルスランに秘密にしなくていいなら気が楽だ。
「ここまで来たらもう夢に入らないほうがいいけどさ、王妃様の実家にまで夢が追いかけてきたんならそうも行かないだろうから、次にもし夢で俺に会ったら、変身解いてその眼帯の下見せろって言ってやればいい。見せられるんなら本物だ」
頭の後ろに回された手が何やら動き、かちりと音がした。留め具が外れた音だ。するりと、思っていたよりずっとしなやかな眼帯が、ロベリア自身の手によって外された。
火傷があった。酷い火傷だ。色が変わっているだけじゃない。皮膚は爛れ、溶けた後にそのまま固まったように波打っている。そんな傷が、身体の中で、よりにもよって目の部分にあることに息を呑む。眼帯で覆い切れていない場所もあったから、傷があるのは知っていた。それが火傷であることもなんとなく予想がついていた。だけど、こんなに酷いとは、思っていなかった。
「きったねぇだろ。気持ち悪くても我慢しろよー」
ひくりと震えた喉に気づいたのか、ロベリアはけらけら笑いながらそう言う。
「…………痛くは、ないの?」
「もう何年も前のだからなー」
それなら、よかった。痛くないなら、何よりだ。
いつの間にか強ばっていた身体の力が少し抜ける。ロベリアは怪我のない右目を少し細めた。
他が整っているから余計に目立って見える傷跡は、完全に左目を潰していた。瞳が合ったと思われる場所は完全に閉ざされ、目蓋の境目も分からない。
肉が溶け、爛れ、うねっている。痛々しさしか浮かばないその皮膚を言葉もなく見つめていると、中心部が何かの形に見えてきた。最初は気のせいかと思ったけれど、顔を近づけてよくよく見ると気のせいではなかった。
「花?」
「――すげぇ、よく分かったな、王妃様」
本当に驚いたのだろう。ロベリアは右目を丸くした。左目の上に、花の形をした痣がある。その辺りは一際酷く爛れているので分かりづらいけれど、よく見ると確かに花が刻まれていた。
ロベリアは、その花部分を指さした。
「ここな、本当は協会からの首輪が埋まっててさ。外したら死ぬし、外さなくても命令聞かなきゃ死ぬし、命令聞いてても失敗したら死ぬような命令ばっかだったらそのうち死ぬしで、どうしたもんかと思ってたんだよ。そしたら、ルスラン様が外してくださったんだよ。左目は勿論潰れるし、恐らく余波で右目も潰れて失明するがどうするって聞かれてさ、協会から出られるんなら何でもいいって言った途端、予告なしで速効外してくださった。すげぇ痛かった」
何やっているんだあの人は。
しかも詳しく聞けば、どうする、やって、ずぶし! って感じだったらしい。覚悟を決める暇もありはしない。本当に何をやってるんだ、あの人は。
「最初はこの人やべぇと思ったけど、結局失明は何とか片目で抑えてくださったし、その分の反動をご自身が肩代わりしてしばらくずっと具合悪そうだったしで……申し訳なかったな、あれ」
それを聞いて、思い至る節はあった。五、六年前に、ずっと体調が悪そうだった時期があったのだ。本人は風邪をこじらせたと言っていたけれど、あまりに治らないので春野家一同はずいぶん心配したものである。
あの人ほんと、心配かけそうなことを報告するの下手くそだなと改めて思う。
「まあ、それでさ、協会の呪い抉り出して、広がるのを焼いて止めてくださったのはいいんだけど、ここにさ、協会の焼き印が残ったままでさ。上から焼いた後も残ってるからどうしたもんかと」
「……焼き印?」
聞き慣れない単語に頭の中で文字を当てはめるまで一拍を要した。
「そう。協会は自分の手駒に呪いをこめて焼き印を入れる。逃げ出したり命令違反を働けば、即殺せるように。俺は目だったけど、あいつ、エインゼは恐らく心臓の上だな。どこぞの王族って言ってたんだろ? だったら心臓だ。もし裏切れば、一族にも何かしらの余波が飛ぶからな。まあそれはどうでもいいとして、俺さあ、協会の紋が残ってるの嫌でさぁ。呪いは切れてるって分かったけどそれでもどうしても嫌で、とりあえず皮膚剥がそうとしてたら、ルスラン様その辺に生えてた花無造作に千切ってさ、俺の目に押しつけたんだよ」
その時の様子を再現したロベリアの手の動きは、確かに無造作だった。落ちた消しゴム拾って筆箱入れたみたいな手軽さで、ぶちっ、ぺたって感じだ。
「何してんのか分かんなくて呆然としてたらさ、目の前に水鏡出して俺の顔見せるわけよ。そしたらさ、協会の紋が花の痣になってんの。同じ痣だけど、なーんか間抜けでさ。訳分かんなくて「は?」つったら、紋消したきゃこれでいいだろ、だってさ。なんかさ、首輪引きちぎるのに相当力使ったらしくて、これ以上疲れたくないから余計な怪我増やすなって。俺さぁ、なんかさぁ、めちゃくちゃ笑ったんだよ、あのとき。あ、この人、この後俺の怪我治療するつもりなんだって思ったら、笑い止まんなくて。だってさぁ、普通自分を暗殺に来たやつ解放した挙げ句、治療するか? ルスラン様、相当変な方だよな」
平然と聞くにはあまりに凄惨で、けらけら笑って語られるにはあまりに壮絶な過去の話に、突如現れるほうれんそうを全無視したルスランの行動。あの人は、本当に何をやってるんだ。
私はきっと、とてもヘンテコな顔をしているのだろう。どんな顔をすればいいのか、そしてどんな顔をしているのかさっぱり分からないのだ。だけど、大笑いしながら両手でサンドイッチされなければならない顔ではないと思うのである。
「王妃様、ひっでー顔。不細工」
「いくら自分が綺麗で可愛いからって、言うに事欠いて不細工だと!?」
「あっはっはっ! お花ついちゃってるロベリアちゃんですからねー。似合う?」
左目を指さして小首を傾げる動作に、いつもウインクしている姿が重なる。開かない左目はずっと閉じたままだけれど、これはウインクだと分かる。だから私は、ぶすっとしたまま答えた。
「すっごい似合う。見えない場所を飾ることにお洒落の神髄を見た気分だよ! もう! どうせ私はお花なんてもらったことないよー!」
「え? そうなの? あの方、誕生日とかすげぇ色々贈りそうなのに」
「高い物はお母さん審査で却下されてたけど、お花はもらってない……ぬいぐるみが多いかな。亀とか、豚とか、タマネギとか葉っぱとかなんかよく分からない水中生物っぽいぬいぐるみとか。そこ並んでるのがそうだよ」
部屋の隅を陣取っているぬいぐるみ群を見たロベリアは、情けない顔になった。
「……王妃様の趣味分かんねぇなって思ってたのに、ルスラン様からだったのかよ」
「…………いや、まあ、面白グッズもらったほうがテンション上がったのは確かだけどね」
「やっぱ悪いのは王妃様の趣味じゃん」
「面白さで盛り上がるのと、感動でじーんとするのって違うじゃん!」
「まあなー」
手慣れた動作で眼帯をつけ直すロベリアの前で、私はいじけながら顔を直す。両手でサンドイッチされてまだ潰れたままになっている気がする。
ほっぺたぐりぐりしながら解す。その流れでマッサージを耳まで移動させる。考えすぎて頭凝った。最近、受験より頭を使っている。私の貧相な頭脳では色々追いつかない。一番追いついていないのは、感情だけど。
いつも後から感情が追いかけてくる。追いついてきた感情にじわじわとなぶり殺されるのだ。もっとちゃんとしたこと言えたんじゃないかと、もっと、何か、出来たことが合ったんじゃないかと、自分の未熟さが惨めで仕方がない。でも、もっと何か出来たんじゃないかって思うことこそ傲慢じゃないかと思う自分もいるので、自分の中で折り合いをつけることさえままならない。
大切な人を失ったこともなく、誰かを殺したいほど憎むこともなく、穏やかに守られて生きてきた私には想像することも出来ない悲しみが、レミアムにはある。考える力も、身体能力も、経験も足りない私には、その悲しみの渦をどうにかすることなど出来はしない。出来るとも思えない。だけど、直接その渦にいない私に、コレットは期待すると言ってくれたのだ。
直接見るまではその痛みの大きさに気づけもしない。いざ触れてしまえば悲しみに泣き出してしまうような情けない私だけど、私は変わらないままその渦に突っ込んでいきたいと思っている。変わらなければ触れられないのなら、同じ悲しみに沈まなければ関われないというのなら、結局渦は大きくなるだけだ。
そしてきっと、私は一つ考え違いをしていた。
「あ、そうだ。もし夢の俺に眼帯外すように言うとしても、絶対に逃げられる場所を確保してからにしてくれよ。相手の化けの皮剥ぐんだから、正体現わしても大丈夫な状態で…………王妃様?」
窺うようなロベリアの声がする。どうしてそんな声をするのだろうと不思議だ。それに、ロベリアの声がどこか遠くて、違う声がする。その声のほうが近い。まるで耳元で呼ばれているみたいだ。腕が点滅するように痛む。痛みが現れては消え、浮かんでは沈むように繰り返される。ちりちりと、一点だけが熱を持ち、痛みを発する。
「あ、れ……?」
「王妃様!」
鋭い声で叫んだロベリアが私の肩を掴む。だけど、首が支えられない。首の据わらない赤ちゃんみたいにがくんっと落ちた頭がロベリアの肩を打つ。視界が歪んで回る。音もうまく拾えない。
「ルスラン様!」
ロベリアが片手を振り上げ、何かを床に叩きつけた。薄い硝子が砕け散ったような、柔らかく通る音が響く。それ何って聞きたかったのに、声が出ない。自分が息をできているかも分からない。ロベリアに抱きかかえられているのに、彼の体温すら分からないのだ。
視界と一緒に意識が歪み、回り、途切れる瞬間。
「月子!」
『月子』
聞き慣れた大好きな声が二つ重なった音を、聞いた。




