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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
62/69

61勤







 ルスランの寝室に戻れば、そこにはマクシムさんが立っていた。気配が全くないから、扉を閉めるまで気づかなくて度肝を抜かれた。びゃっと飛び上がった私を見てロベリアはめちゃくちゃ笑っていた。どうやらこうなることが分かっていたけど放置したらしい。私の護衛は、些細なことでは自分の笑いをとって私を見捨てるから微妙に油断できない。


「月子」

「うぉわ!」


 ルスランも突然現れるから全く油断できない。突如目の前に現れたルスランにびゃっと飛び上がった。ロベリアも微妙にびくっとなっていたから今回は不問に処す。微動だにしなかったマクシムさんは素直に尊敬する。





「ネルギーさん……どう?」


 一人で戻ってきたルスランは、溜息をついて首を振った。


「色々やってみたが、全く起きる気配がない」

「そんな!」


 青ざめた私とは違い、ルスランはどこか呑気な声を出す。かりかりと顎をかきつつ、眉を寄せていた。


「だがなぁ……あいつこの五日間一睡もせずろくに食わず、朝から晩まで休憩なしで働き続けていたんだ。だから正直、夢に囚われたのか、ただ疲労困憊で目が覚めないのかの区別がさっぱりつかない」

「そ、そんなぁ……」


 それは、どう判断すればいいのだろう。とにかくよく今まで動いていたなという感想しか抱けない。そして、道理で感情的だったわけだと納得する。遅かれ早かれ倒れていたと言ったロベリアの言葉に、今ならしみじみ頷けた。

 力が中途半端に抜けてベッドに座った私の横にロベリアが移動して、マクシムさんは何故か部屋を出て行った。寝室の扉が閉まる直前、廊下と繋がる扉からノック音が聞こえた。


「誰か、来たの?」

「ネルギーが倒れたと聞いて真っ青な連中が詰めかけてきたんだろう。どいつもこいつも睡眠不足で判断力が鈍ってるな。思ったより遅い。下手すると、奴らも一斉に倒れるな」


 ルスランに手を取られて立ち上がる。体重をかけた左足に力が入らずかくんっと膝が抜けた。びっくりしたのは私だけで、ルスランは最初から分かっていたみたいに私を支えた。


「月子、俺はこの後ネルギーの分もやらなきゃならんことが大量にあるから、お前はとにかく休んでこい。次に夢に潜るかどうかはその時考えよう」

「寝れば、直る?」

「そうだな……身体と精神を休めてこい。突っつき回されればどんなものでもささくれ立つだろう。ロベリア」


 視線も向けられていないのに、ロベリアは姿勢を正して頭を下げた。


「はい」

「お前も月子と共に休め。俺が休むときはお前に動いてもらう。そのつもりでいろ」

「畏まりました」


 ロベリアは頭を上げないまま、そっと私の服の裾に触れた。気がつけば、三人で私の部屋にいた。ロベリアだけ置き去りにならなくてよかった。あの説明と呼べない説明で、よくルスランが鏡台を通るタイミングが分かったなと感心する。




 部屋に着いた途端、ロベリアはお母さんに挨拶してくると言って部屋を出て行った。その足に靴はない。よく見たら私とルスランの靴も脱げていた。馴染み深い私の部屋なのに、みんな私より順応が早い。私は今ようやく戻ってきたと身体の力が抜けた所だ。


 重力が一気に押し寄せたかのごとくの重さが私の身体にかかる。耐えきれなくて、ベッドに倒れ込む。身体が重い。目の奥はずきずきするし、頭の中は脳みそがおにぎりされているみたいにぎゅうぎゅう痛む。

 寝ていただけなのにダメージが大きい。これは大人しく寝ていたほうがよさそうだ。せっかくあの扉が連なる場所を探すという目標が出来たのに、身体がついていかない。よれよれのまままでは、ルスランは決して夢に入る許可をくれないだろう。それではコレットとの約束もスイちゃん達との約束も果たせない。中途半端に向かってすごすご帰ってくるくらいなら万全に回復してから挑むほうがいい。



 ルスランは倒れ込んだ私の下から掛け布団を引っ張り出し、掛けてくれた。ベッドの横に座り、髪で隠れた私の顔を掘り出す。わざわざ発掘してもらうほど価値あるとは思えないけれど、これで私もルスランの顔が見えて嬉しい。


「そろそろマクシムが蹴散らしきれなかった奴らが煩くなる頃だから、俺は仕事してくる。お前はゆっくり休め」

「うん……」

「月子」


 苦笑が降る。何事かと思えば、私の手はルスランの服の裾を握っていた。子ども染みたまねをしている私の手をまじまじと見る。君は何をやっているんだい?

 私の意識より素直だった手は、しっかとルスランを握ったまま離さない。その手をぽんぽんと叩かれて、子ども扱いされてるなと自分の行いを棚に上げてむっとなる。

 でも、もう眠い。頭が痛い。


「ルスラン……」

「うん?」

「ルスランは……世界を滅ぼせる?」

「――ああ」


 静かな返答に、私も静かに目蓋を閉じた。

 目蓋の裏は暗くなく、真っ赤に染まっている。目蓋の裏には宇宙がある。ちかちかと瞬く星がぐるぐる周り、どこまでも深く潜っていけそうなのに、この星雲を追いかけてはいけないと本能が制止をかける。


「再建を考えずただ破壊するだけでいいのなら、復興させるより余程簡単だ。全部壊せばいいだけだからな…………泣くな、月子。あり得るかもしれない未来の俺を、どうか哀れには思わないでくれ。それはきっと、一つの救いの形なんだ」


 静かな吐息が額にかかる。柔らかな熱が振ってきて、私の肌に触れた。


「おやすみ、月子。今度こそいい夢を見ておやすみ」


 直前の会話がこれでいい夢を見ろとは無茶を言う。苦笑するしかない私と同じ顔をしたルスランからの柔らかな熱は、額、目蓋、鼻の上へと移動し、最後に唇に触れたとき、私の意識は静かな熱に落ちていった。









「お前はいつも、遠くに現れるな」


 その声は、誰もいない空間によく馴染んだ。通り抜けるほど大きくはなく、散ってしまうほど弱くもない。

 遠く高い場所にある玉座を眺める。一歩踏み出せば、裸の足が冷たい床に張り付いてぺたりと間抜けな音を立てた。ぺたぺたと歩いて階段まで近づく。


「私が遠いってことは、ルスランも遠いんだよ」

「それもそうだな。おいで」


 呼ばれたら、瞬きの間に階段を上りきっていた。目の前にルスランがいる。知っているルスランより、少し年上の、ルスラン。

 人のいない場所は、静かで寒い。何となく後ろを振り向こうとした私の頬に、ルスランの手が添えられた。私は立っていて、ルスランは椅子に座ったままだ。それでも体格差は如実に表れる。この人は座ったままでも私のどこにでも触れられる。






「怖いか?」


 その質問が何にかけられているのか。主語があえて省かれた質問には答えず、自分の質問を重ねる。


「……どうしているの? 私、レミアムで眠ってないよ」

「さて、どうしてだと思う?」

「これは、夢?」

「さあ、どうだろうな」


 楽しげに笑っているのにちっとも質問に答えない人に溜息をつくしかない。私も質問には答えてないけど、あれは質問が悪いと思うので答えなくてもセーフだ。

 頬にはまだ手が添えられていて左右には振れない。仕方がないので視線は下に落とす。眠る前と同じ格好だ。だから裸足なのかと納得する。


「私、起きれなくなるの?」

「いや? 俺はレミアムを覆っている夢とは違う。むしろあっちがここに間借りしている形だな。まあ、貸した覚えはないんだが」


 あっさり言ってのける様子に拍子抜けする。ルスランといると、自分の驚きポイントがおかしいんじゃないか疑惑が湧き出てくるので困った。

 私はどうやらレミアムで見続けた夢の中にいるらしい。だけどここは違う夢らしい。訳が分からない。目の前にいるのがルスランだからだろうか。恐ろしいとは欠片も思わない。それは、思わないのだけど。


「ルスラン」

「ん?」


 怖いのは、恐ろしいのは、失うことだ。この人が怖いんじゃない。この人との未来が恐ろしいのではない。

 身体の横で拳を握りしめた腕ごと、ルスランは覆ってしまった。腰に抱きつかれた私のお腹にはルスランの頭がある。腕を引き抜きその頭を抱え、背を折り額をつける。


「どうしたら、幸せになれる?」


 怖いのは、恐ろしいのは、この人の幸福が失われることだけだ。幸福だけではなく、幸福になる道も、理由も、何もかもが失われていく。こんなに恐ろしいものはない。


 これが幻ならよかった。夢なのに、いずれ訪れる可能性を秘めた未来だなんて、あんまりだ。目覚めと共に記憶からも消えてしまう、あやふやで不完全などこにもない形なら、こんなに苦しくはならなかったのに。

 腕の中でルスランの頭が身じろぎする。抱きしめている力を緩めると、ルスランは私を見上げて嬉しそうに笑う。


「幸せだよ」


 そんな顔で笑って、そんな言葉を言える場所ではないはずなのに、ルスランは心からそう思っているのか、幸せそうに笑っている。テストが終わって解放された学生のように、ずっと胸を悩ませていた問題事が解決した朝のように、清々しささえ感じられる幸福な笑みだった。


「……どうして」

「俺の終わりにお前がいる。こんなに幸せなことはない」


 私はどうしたの。未来の私は、どうしてルスランの傍にいないの。その答えは、もう分かった。ここにルスランが一人でいる時点で、最初から分かっていたのかもしれない。マクシムさんと同じ理屈だ。一緒にいようねと約束した後、ルスランがいるのに私がいないなら、それはもう私がどこにもいないからだ。


「私、どうして死んだの?」


 ルスランは微笑んだまま、その件については何も答えなかった。けれど否定もなく、私は自分の未来を知った。



 ルスランは、分かっていたのかもしれない。だからあまり深く聞き出そうとはしていなかったのだろう。確かに、このルスランが私の死を回避しようとしていたのなら最初から私に話をしていたはずだ。それをしていないのなら、最初から話す気がないのだ。私が探った所でどうにかなるとは到底思えない。


「ルスランは狸だからなぁ」

「……お前は本当に、変わっているというか呑気というか」


 呆れた声で笑うルスランに、へらりと笑って返す。恐ろしくないのは、あまり実感が湧かないからだろうか。身近な人の死でさえもろくに経験してない私には、自らの死もうまく想像できない。曾お婆ちゃん達は老衰だったから余計にだ。

 これはあり得るかもしれない未来の一端だと聞いている。つまり、あり得ないかもしれない未来でもある。それでも、ルスランが悲しいのは嫌だとそればかりが頭を過る。私が死ぬかもしれないことより、それだけがずっと恐ろしい。


「お前はレミアムに蔓延る夢を覚まさせたいんだな?」

「うん」


 また伸ばされてきた手が、頬や首に触れる。くすぐったくて身を捩るけれど、腰に回った腕は外れない。


「じゃあ手伝ってやる」

「そんなこと出来るの?」

「ここは俺の城だからな。もうどうでもいいから放置していたが、お前が望むなら俺は何でもするよ」


 月子。

 柔らかく続いた言葉は、まるで祈りのようだった。私を抱いた手が緩み、身体が離される。ああ、夢が覚めるのだと分かった。しかし、私の腕は未だ握られたままだ。その腕がルスランの顔の高さまで上げられる。二の腕に口づけられた瞬間、ちりっと痛みが走った。


「な、に」

「ごめんな、月子」


 疑問の声を最後まで聞かず遮ったルスランは、やっぱり幸せそうに微笑んでいた。





 気がつけば、見慣れた天井をぼんやり見上げていた。いつ目覚めたかも覚えていない。それとも目を開けて眠っていたのだろうか。そんなの……端から見たら物凄く怖い。天井を睨みながら熟睡する女子高生。怪談かな?


 本当は怖いお昼寝話を自分の心の中にしまい、起き上がりながら伸びをする。

 カーテンが閉まっているから部屋の中は薄暗いけれど、カーテンの向こうはまだ明るいようだ。思いっきり欠伸をしたら、喉の渇きを思い出した。今何時だろう。スマホに手を伸ばせば、この騒動で充電をし忘れていたため切れていた。立ち上がる動作を怠け、ベッドの上に乗ったまま手を伸ばして充電器を掴む。伸ばしきった腕から袖がずり落ちた。落ちていく袖が肌を撫でて少しくすぐったくて、充電器をスマホに挿してから腕を掻く。そのとき、腕に赤い部分があるように見えた。袖を捲り、腕を見る。赤い楕円形の痣があった。蚊にでも食われたかなと思ったけれど特に痒くはない。


「何だこれ」


 何の気なしに擦っていた指をぴたりと止める。思い出した。


「あ」


 夢の中のルスランが唇をつけた場所には、くっきりとした痣が残っていた。








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