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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
60/69

59勤










 何回もお礼と謝罪を繰り返すご両親と一緒に、とりあえず通行の邪魔にならない辺りまで移動する。


「スイちゃん私のことお兄ちゃんって呼んだので、てっきりお兄さんと来られてるのかと思ってお兄さんを探しちゃってました」


 それとなく私と年格好が似ている男の子を狙って近寄っていたのに、どうやらただの不審者になっていたようだ。人捜しの大義名分が失われた途端、とんだ変質者である。

 私が自分の失敗を心の中で反省していると、ご両親はお互い顔を見合わせて困った顔になった。どこか悲しそうな顔のご両親を見たスイちゃんは、どこかどころか大変悲しそうだ。そういえば、ここにいるということは、彼らもこの事件の被害者なのだろうか。


「実は私、今回の眠ってしまった人々の調査をしているんですが」


 そう切り出すと、ご両親はびっくりした顔をした。


「あなたが?」

「ほ、他にも、たくさんの者が、ちょ、調査に、入っております。お、大きな、事件ですから……」


 そっとロベリアが補足に入ってくれる。私の身体に半分隠れたままびくびく話す様子から、話すのが苦手と判断したらしく、ご両親は主に私へと話しかける。


「そうか……だったら、うちの話も聞いていってもらえるのかな」

「はい、勿論」




 私は、ご両親の案内で一つのベッドへと向かった。この辺りのベッドはレーンは配置されているけれど、カーテンの設置がまだのようだ。

 そこには、十台半ばの少年が眠っていた。髪の色は黒で私と同じだ。少し細身なのか、体型も私と似ている。成程、これなら後ろ姿で間違っても驚かない。


「改めて、俺はエツだ。町で食堂をやってるんだ。こっちは妻のツェリと娘のスイだ」


 食堂経営にはそれだけの筋肉が必要なのだろうか。彼の経営する食堂の様子がちょっと気になった。

 エツさんは眠っている少年の額にかかっている髪を、大きな指でそっと寄せた。少年はむずがることもなく、眉一つ動かさずに眠っている。スイちゃんは泣き出しそうな顔で、必死に手を伸ばして少年の指を握った。


「それと……俺の息子の、カトだ」


 コレットと同じく、枕元では石が浮かんでいる。眠っている人の命を繋ぎ止める、生命維持の石。カト君は、眠っている。コレットと同じで、本当にただ眠っていた。それなのに、ご家族が心配そうに見守る中、目蓋を震わせもしない。深い深い眠りの中にいる。


「息子さんは……いつから眠っておられますか?」

「もう、四日になるの……最初は、色々あったから疲れてるんだろうと寝かせていたけど、次の日も起きなくて……うちの子は予知夢を見るほどの魔力もないし、おかしいと思ってお医師様に見せたけれど原因も分からず仕舞いで……そのうち、この事件を知ってまさかと思って……」


 ぐすっと鼻を鳴らすツェリさんの目元も、よく見れば隈が出来ていた。エツさんもだ。

 二人とも疲れ果てている。当たり前だ。息子さんが眠りから目覚めず、平気な親がどこにいる。更に、スイもいるのだ。

 彼女のために自分達が倒れてはならないと気を張っていることだろう。だけど解決策は未だ無く、有効な手段は眠らないことだけ。そんなこと、出来るはずもない。それに、スイは睡眠を取っているらしく寝不足には見えない。だとしたら、いつ彼女も眠りに落ちたまま目覚めなくなるか分からないのだ。毎日どんな思いで過ごしているのだろう。きりきりと締め上げられるような重いと、切羽詰まっていく不安に苛まされているはずだ。




「あの、色々あってって?」

「ああ……息子は、最近友達を事故で亡くしてしまったんだ。親友だったんだよ。それから酷く落ち込んじまって……」

「そうですか……」


 色んな不幸が一気に押し寄せてしまったのか。偶然重なってしまったのだろうが、つらい話だ。かける言葉を見つけられない私の裾が、小さな手に引かれた。


「ねえ、おねえちゃんはお医しさまだったの? お兄ちゃんをおこしにきてくれたの?」

「そうだね。私はお医者……お医師様じゃないけど、スイちゃんのお兄ちゃん達を起こせるよう頑張る。お姉ちゃんの友達もね、眠っちゃってるんだ。早く起きてほしいよねー」

「ねー」


 身体の横にひっつけた腕を、掌だけぴょこんと跳ねさせて笑うスイちゃんが猛烈に可愛い。凄い、天使がいる。びっくりした。





 天使のあまりの愛らしさに度肝を抜かれていると、背後から大きな音が響き渡った。驚いて振り向けば、背後のベッドの向こう側におじさんがいた。髭を剃っていないようで無精髭が伸びている。ベッドにはおじさんより年が下の男性が眠っていた。

 おじさんはベッドの横に置かれている棚の上から物をなぎ倒し、看護師さんと思わしき人に掴みかかっている。


「ふざけんな! 手立てがないってなんだ! 俺の息子はもう三日も寝覚めないんだぞ!」

「落ち着いてください! ここにいる皆がそうですよ! あちこちの機関が、総力を上げて原因究明に取りかかっています。ですから、待ってください。眠ったままでも身体に支障がないようにすることが我々の仕事ですから、安心してください」


 怒声に驚いて固まっているスイちゃんをツェリさんが抱き上げ、その前にエツさんが立った。私の前にはさりげなくロベリアが陣取っている。スイちゃんと同じ扱いだなぁと心の中で苦笑する。泣き叫んだ挙げ句、見た内容を話す勇気が出せず保留にした身として、そんなことしなくていいよと言えないのが悲しい所だ。

 皆きりきりしている。突破口が見つけられない現状に、悪化していく未来だけが想像に浮かぶことに、追い詰められている。私も、部屋に戻ろう。それで、ルスラン達に夢で見たことを報告しよう。そう決めた私の耳に、なおも続くおじさんの怒鳴り声が飛び込んできた。





「政府は、王は何をやっているんだ!」

「頑張っています」


 無意識のうちに口を開いていた。口に出してから自分が言ったのだと気づいたけれどもう遅い。ちょうどおじさんの怒鳴り声が途切れた瞬間だったので、私の声はそれはもう見事に響いた。

 おじさんが、怒声と同じくらいの勢いで私を見た。


「……何だって」


 黙っているほうが得策だと分かっているつもりだったけれど、言ってしまったものは仕方がない。


「……独り言です」


 言ってしまったものは仕方がないが、一応あがいてみよう。半分言い訳、半分事実の言葉を言ってみる。流してくれないかなと期待してみた。


「何が、何が頑張ってるだ!」


 駄目だった。


「頑張ってても結果が出せなきゃ意味ねぇだろうが!」


 ごもっとも。何やってるんだって言ったから、現状を呟いてしまっただけである。


「大体っ」


 怒鳴りながらベッドを回ってきたおじさんは、完全にターゲットを私に変更したようだ。これは、おじさんを引きつれつつ一目散に逃げ出したほうがいい気がする。スイちゃん達にまで危害が及んだら悔やんでも悔やみきれない。


「奥様の、お、ば、か」


 ロベリアからひそっと囁かれた。ご、も、っ、と、も。

 おじさんからは見えない服の陰で、走り出す方向を指さしたロベリアにこっそり頷く。だけど、視界の端に入ったベッドの上の人を見て下がろうとした足が止まってしまった。ベッドで眠る男性は、髭が生えていて少し分かりづらいけれど、扉の中で襲いかかってきた男の人だった。


「ロベリア、ごめん」

「あ?」

「私、あのベッドの人、夢の中で見た」

「あぁ? ……きゃあ!」


 ベッドを回りきったおじさんが、私の胸ぐらを掴もうと怒鳴りながら手を伸ばす。か細く弱々しい悲鳴を上げたロベリアがその腕を捻り上げた。服の裾に隠すように捻り上げているので、端から見るとロベリアの胸ぐらが掴まれているように見えないこともない。


「おい! あんた何やってんだ! 八つ当たりもほどほどにしろ!」


 エツさんがおじさんの制止に入る。

 ごめんなさいと心の中で謝って、その隙に男性のベッドに駆け寄る。顔を覗き込んでみても、やっぱりあの人だ。


「どうして夢の中に……」


 もしかしたら、笑顔で無邪気に私を閉め出したあの子もいるのだろうか。ぐるりと周囲を見回すけれど、上から見ているわけではないのでこの近辺のベッドに眠る人の姿しか分からない。でも、もしもあの子もこの中にいるのなら、あの夢の中にスイちゃんのお兄さんもいるかもしれない。




「お前、何、おい離せっ!」

「きゃあああああああ!」


 おじさんの怒声を、ロベリアの甲高い悲鳴がかき消す。怒鳴っていることは分かるけれど言葉はうまくかき消されている。プロだ。プロの悲鳴だ。

 それにしても、何かが引っかかる。何だろう。


「離せって言ってるだろ!」


 一際大きな怒声と共に、ロベリアが振り払われた。その勢いでもつれ込むように私にぶつかったロベリアは、私を抱えこんでおじさんから距離を取った。踊るようにロベリアの背後に配置される。そのロベリアの肩越しに、必死におじさんを呼ぶ。


「おじさん、私この件を調査してる一人なんですが、もしかして息子さん、誰か親しい方を亡くされていませんか? 例えば、奥さんとお子さんとか……」


 おじさんは面食らった顔をした。すぐに憤怒に染まった赤黒い顔になったが、一応怒鳴りながらも答えてくれた。


「息子は、息子はっ……事故で妻子を亡くしたんだぞ! 物心つく前に母親も亡くしてる! それなのに、それなのに何で、俺の息子ばかりこんな目に遭わなきゃならねぇんだ!」

「あんたの息子だけじゃねぇだろうが!」

「あなた、やめて!」


 エツさんがおじさんの胸ぐらを掴み上げた。エツさんのほうが身長が高く大柄なので、おじさんの足が浮く。制止するツェリさんの腕に抱かれたスイちゃんが、泣き出しそうな顔になっている。


「俺の息子も、お隣の奥さんも、そっちの娘さんも、あっちの親父さんも、ここで眠ってる人皆がそうだろうが! そんでもって、その人達を見守ってる人皆が、あんたと同じ思いでいるんだよ!」

「政府や王が何もしないからだ! 怠惰だ! 怠慢だ! 無能だ! 害悪だ!」


 思わず反論しかけた。黙っているほうが利口だと分かっている。火に油を注ぐだけだと分かっている。こういうことは身内が言ったらこじれるだけだと分かっている、けれど。


 じゃあ、じゃあ、あなたは何をしたの。この事件のために何をしたの。レミアムのために何をしたの。ルスランのために、何を、してくれたの。ああ、でも、しなくていい。何も、しなくていいのだ。そうでなければ、困る。





 口を開きかけた私より早く、エツさんが怒鳴った。


「やってくださってるだろうが!」


 思ってもいなかった言葉が聞こえて、こんな事態なのにぽかんとエツさんを見てしまった。


「怒鳴ってりゃ全部解決するんなら、そりゃ楽だろうさ! でも、そうじゃないから皆頑張ってんだろうが! そこの嬢ちゃんも見ろよ! 年頃なのにあんな隈こしらえて、酷い顔色して、やつれ果てた老婆みたいになってんのに、それでも原因探そうと頑張ってんだろうが!」


 え? 私そんな酷い顔してる? 

 ロベリアを見たら、躊躇なく頷かれた。ちょっと傷ついた。



「でも、何も解決してないだろうが!」


 エツさんの手から逃れたおじさんは、息子さんのベッドに手をついて息を整える間もなく怒鳴る。


「協会から離脱したはいいものの、潰しきれないからこんなことが起こる! 被害に遭うのは城で大事に守られてる連中じゃない、野放しになってる俺達一般人だろうが! 贅沢な暮らしをしていい思いをしている連中は、いつだって俺達が受けたような被害を最後に受ける立場だから、最初に被害を受ける俺達の気持ちなんて分かんねぇんだ!」

「あんた……あの方が何の被害も受けてないって、本気でそう言ってんのか?」


 低く震えるエツさんの声に、おじさんは一歩足を引いた。しかし、そんな自分に気づいたのか、舌打ちして踏み込む。ああ、また怒鳴る。そうと分かるほど大きな口を開き、大きく息を吸ったおじさんの頭に、オレンジ色の物体が当たった。ぽこんっと頭に当たり、ぼてんと落ちたそれは、蜜柑だった。

 それを投げたのは、騒ぎに集まってきた人達の中にいた小柄なお婆さんだった。




「何、馬鹿を言っとるんじゃ」


 お婆さんは、しわくちゃの顔をもっともっとしわくちゃにして言った。ついていた杖の震えが見て分かるほど、身体全部が震えている。


「やってくださっておるだろうが! 本来ならばもうやらんでもえいことを、うんと小さな頃から、ずっと、やってくださっておるじゃろうが! レミアムはあの方に滅ぼされたって文句など言えん立場じゃ! それなのにあの方は、今の今まで、一度も国民を見捨てるような政策は取らんかった! お前はこれ以上、あの御方が何を失えば満足するんじゃ! 馬鹿たれが!」


 とても小さな身体から発せられているとは思えない力強い声が、びりびりと響く。


「全員が時代の被害者じゃ! 被害者が被害を受けながら被害者のために身を削っておるんじゃ! それを、お前はなんじゃ! 分かっておるんか! おらんじゃろうが! あの御方も、宰相様じゃってっ……まだほんの、お子だったんじゃ……誰も彼もが、ちいさい頃からお国のために、親兄弟を亡くした喪も開けん頃から、働いてくださっておったんじゃ。わしらが嘆いている間、一番悲しかった方々が、一番悲しかった子どもが、生活の苦労を除外されただけの『得』で、その他全部切り取られながら、働いてくださっておるんじゃ。なんでそれが分からんのじゃ。そんな得なんぞ、人生と天秤にかけられるんか。なんで、わしらの大事な王族様が、そんな悲しい目に合わないかんのじゃ……いつからレミアムは、子どもを踏み台に平然と楽をするような国になったんじゃ……」



 全てがしんっと静まりかえっている。こんなに人がいるのに、誰も何も喋らない。誰もかもが、何を言っていいのか分からないのだ。

 でも、人の気配がする。誰もいない夢の中とは全く違う。生きている人の音は、黙っていてもさざめきのように響いている。だってここには人がいる。人が、生きているのだ。



「お嬢ちゃん、どうした」


 お婆さんは、私を見てびっくりした顔をした。さっきまで大声を出していたとは思えない優しい声でそう言い、忙しなく杖をついて私の前に来る。立ち尽くすおじさんにはちらりとも視線を向けない。


「お嬢ちゃん、どっか痛いんか? それとも怖かったんか? ごめんよ。びっくりさせてしもうた。お嬢ちゃん、ほれ、そんなに泣いたら目が溶けてしまうぞ」


 しわくちゃで温かな指が私の頬を撫でて初めて、自分が泣いていることに気がついた。気がつけばもう、駄目だった。必死に口元を押さえ、俯いて顔を隠すのに、熱い涙は全く止まらない。嗚咽が漏れるたび、熱い塊が胸の内からせり上がり、痛みさえもたらす。苦しくて、痛くて、熱い。



 それをルスランに言ってあげて。そう思う。

 だけど、それをルスランに言わないで。そうも、思う。



 あの人が、国に、世界の全てに見切りをつけたとき、後ろ髪を引かれてしまわないよう、あの人には言わないで。そう思ってしまう自分の醜さに吐き気がする。

 分からない。分からない。どうしたらあの人を幸せに出来るの。どうしたらあの人は幸せになれるの。酷い人ばかりじゃないから憎みきれない。だけどいい人が傷つけないとは限らない。あの人が全てを見限れるような、醜いものばかりだったらよかったのに。






 そう思ってしまう酷い私を、汚い私を、誰より醜い私を、お婆さんもエツさんもツェリさんもスイちゃんも、皆心配そうに囲んでいる。

 やめて、酷い人のままでいて。酷い国のままでいて。そうしたら、そんなものを捨てたあの人が悲しまなくて済むから。誰もあの人のことを愛さない国でいて。そうしたら、あの人はもっと簡単に、この国を捨てられるのだ。そうしたら、そうしたら、そうしたら。



「月子」



 私の大切な人は、こんな困った顔で笑わなくてよかったのに。






 あれだけひしめき合っていた人混みがあっけなく割れる。この人のために道を空ける。

 王だから? この人が怖いから? この人が大切だから? この人が好きだから?


 ロベリアが好き。コレットが好き。マクシムさんが好き。空中庭園が好き。水中庭園が好き。空中水園が好き。

 これ以上は、好きになりたくなかった。本当は、この国で大事なものなんてほしくはなかった。ルスランだけを好きでいられたらどれだけよかっただろう。ルスランだけが大事でいられたら、どれだけ。

 だけど来てしまえば、会ってしまえば、大事な人も場所も次から次へと出来てしまう。友達になれて嬉しかった。友達になってくれて嬉しかった。町を歩く人が笑っていたら心は穏やかになれた。子どもがはしゃいでいたら微笑ましくなれた。泣いていたら、悲しくなった。


 大事な人がいるのだ。私がルスランを大事に思うように、この世界の人達にも大事な人がいて。誰も大事じゃなくて自分だけが大事で、そんな人しかいない国ではない。だって、人が、いるのだ。ここは人が生きる国なのだから、そんな簡単な区別で終れるものではない。なかった。

 ルスランを傷つけた存在全てが不幸になれと、そう単純に思えたらどれだけ楽か、この世界に来て思い知った。ルスランに対してもこの国に生きる人々に対しても、私はなんて中途半端で不誠実で、薄情な人間なのだろう。




「私の妃は無理ばかりをする。夜通し夢を調べていたんだ。もう休めと言うのに、お前は私の言うことを聞かず無理ばかりだな」

「ルス、ラン、に、言われたく、ない。なんで、いるの」

「お前の顔色が酷かったからな。早く報告を聞いて、お前を休ませようと思ったんだ。急ぐものは一通り終わらせてきた。月子、一旦休め。そろそろ倒れるぞ」


 たくさんの視線の中で、平然と私を抱き上げた人の首根っこに縋りつく。この人、人前で何をやってるんだろう。私も何をやっているんだろう。恥ずかしいはずなのに、もう子どもじゃないのに、いま、この人の優しさより優先したいものがない。だけどきっと、それじゃ駄目なんだ。それじゃ、この人を守れない。


「ルスラン、私」

「ああ」

「…………夢に囚われる人の特徴、分かったかもしれない」

「――そうか。私の妃はやはり凄いな。疲れているところ悪いが、もう一仕事頼めるか?」

「その前に、もう一つ、確認したいこと、ある」


 小さな子どもみたいに抱っこされ、こんなみっともない顔を上げたくなかったけれど、今はここにいる人の意識が集中しているから聞きやすいから、せっかくのチャンスなのだ。周囲から集まる痛いほどの視線を感じながら、何度か息を吸い、不整脈のようになってしまった呼吸と、蛇口が壊れた涙をなんとかする。今日はまだ始まったばかりなのに酷く泣いてばかりだ。

 ずっと洟を啜り、息を整える。


「ここで眠っている人の中に、五歳以下の小さな子どもさん、いますか」


 ざわざわと人の声がざわめきとなっている中、返答は思ったより近い位置から、はっきりと聞こえた。


「わしの、孫じゃ」


 お婆さんが指さした先の人混みが割れていく。その先に、一際小さなシーツの山があった。静かに眠るその顔が、にぱっと笑ってくれたことを、覚えている。


「……お孫さんは、お母さんを亡くされましたか?」

「…………わしの、娘じゃ」

「……分かりました。教えてくださって、ありがとうございます」


 頭を下げる。お婆さんも、杖をついたまま頭を深々と下げた。そのまま歩き出そうとしたルスランを、よく通る愛らしい声が止めた。正確には、私を呼ぶ声が、止めた。


「おねえちゃん! お兄ちゃんをおこしてくれる!?」


 問いはスイちゃんからのものだった。だけど、この場にいる全員が私に同じことを問うているはずで、それはきっと事実だろう。重いなと、思う。そして、こんな重いものを、いやこれより重いものを、ずっと昔から選びながら進んできたルスラン達を、想う。

 うん、とか、勿論、とか、いま求められているのはそんな返事だ。そんなことは分かってる。だけど、私をじっと見上げるまん丸の綺麗な目。この目に嘘をつくことは、今は、したくない。出来ないと言い切れない自分の薄情さに吐き気がする。


「分かんないけど、頑張る。私もこのお兄ちゃんも、宰相のお兄ちゃんも、皆が倒れちゃう前に、なんとか出来たらいいなって思ってるから……頑張るよ」


 頑張るよ。あなた達の大事な人が早く目覚めたらいい。

 そう思う気持ちも、嘘ではないのだから。










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