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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
58/69

57勤









「王妃様?」


 聞き慣れた声が私を呼ぶ。それなのに、私は動けなかった。私に向けて手を伸ばした女性の手を取ろうと、私も伸ばした手すらそのままに、光の差す廊下を見ている。



 急に電気がついたみたいに日が差した。けれど、光は赤い。また夕焼けなのかと、呆然とした頭で思う。



 廊下に柔らかな敷布が敷かれ、廊下の広さはさっきまでいた場所の半分ほどしかない。扉はあるにあるが、適度な間隔を保った位置に存在している。決して扉同士が触れ合いそうなほど連続して設置されてはいない。

 まるで夢から覚めたように、さっきまで見ていたもの全てが消え去っていた。






「王妃様、どうしたの?」


 動かない私を不思議に思ったのか、ロベリアが前に回ってきた。ひょいっと覗き込んでくる茶髪の女の子を見て、身体中の力が抜けた。すとんっと尻餅をつきかけた私の腕を、ロベリアが慌てて掴む。その腕につけている時計の針がぐるぐる回っている。さっきは止まっていたのに。どっちにしても、時計は意味を為さないらしい。



「うわっ、どうしたの王妃様」

「お、んなの人、が、二人、いた」

「女の人ぉ? ここには俺らしかいねぇけど?」


 きょろきょろと周囲を見回すこの人も、夢の人だ。外がよく見えないガラスから入ってくる夕焼けも夢で。夢の中で夢を見て、夢から覚めても夢で。この繰り返しで目覚めなくなっていくんだったらどうしよう。


「夢……?」

「ほんとどうしたんだよ、王妃様。ちょっと休めば? お茶の用意するからさ」


 心配げに覗き込んでくるロベリアは、本物? 偽物? その言葉は本物? 偽物? 本物でも本物じゃなくて……ああ、おかしくなりそうだ。

 思わず零れかけた弱気を慌てて振り払う。これが終わったら一旦休憩だ。休憩で時間が空いてしまう前に、出来ることをしなければ。



「何でもない。それよりここ、どこら辺なの?」

「どこら辺って……王妃様、何で地図なんて持ってんの」

「諸事情で……」

「まあいいけどさ。地図見せて。この辺」


 どこからか取り出したペンでぐるりと囲われた地図をじっと見つめる。だだっ広い空間が玉座の間だとして、そこからかなり離れている。途中で中庭を挟んでいるので、まず棟自体が違う。

 ルスランの所にも行きたかったけれど、移動時間を考えれば今回は諦めたほうがよさそうだ。




「王妃様、ほんとどうしたんだよ。大丈夫か?」

「大丈夫。ねえ、ロベリア。お城に、扉がいっぱい並んでる場所ってある?」

「そりゃ、あるにはあるけどさ。もっと具体的な情報くれよ」

「ぎゅうぎゅう詰めってくらい扉がある場所」

「…………それ欠陥じゃねぇの? ねぇよ、そんな場所」


 呆れた顔をされた。確かに掌の隙間分しか空かずに扉が並んでいるなんて尋常じゃない。

 じゃあ、やっぱりさっきのは夢だったのだろうか。だけど、本当に夢だったのだろうか。夢の中で感じた不安を今も覚えている。底冷えするひんやりとした空気も、息が苦しくなるほどの静けさも、争う二人の女性も、こっちに駆けだしてきた女性が私に伸ばした手の必死さも、全部はっきり覚えているのに?



 両手で顔を覆って蹲る。深い深い息を吐き、胸の中に溜まった感情を一旦全部吐き出す。不安とか恐怖とか焦りとか、色んな感情がごちゃ混ぜになって胸の中に詰まりすぎだ。一旦吐き出してしまわないと、他のことを考えられない。



「お、王妃様?」


 恐る恐る声をかけてくるロベリアの手が肩を叩くと同時に、がばりと起き上がる。勢いよく立ち上がり、地図を握りしめた。


「とりあえず、ルスランの所に戻る」


 恐らくは時間が足りないだろうが、戻りがてら色んな場所を覗いていけばいいだろう。ロベリアと合流できたから、扉の中だって見られるのだ。捜索範囲が広がったと考えれば、遠くに出てしまったのも悪いことばかりではない。


「まーた何か変なことしてんの?」

「私、そんな変なことばっかりしてたっけ!?」


 聞き捨てならない。





 ロベリアがいるなら地図をしまおうかと思ったけれど、一人になることを考えるとしまわないほうがいいかもしれないと畳んだ地図を開き直す。

 四隅の一角が三角に折れたままになっている。そこを直そうと指を伸ばすより先に、ロベリアがひょいと直してくれた。


「まあ、どこにだって付き合うよ。なんたって、俺はあんたの護衛だからなー」

「ありがとう、ロベリア!」


 ロベリアは夢でも現実でもいい人だ。感激していた私の前に、ロベリアの細く白い手が差し出される。


「ただし、あんたどこに行くか分かんないから手は繋いどいてくれ」

「えぇー!?」


 文句を言う間もなくさっさと手を取られる。迷子紐代わりに手を繋がれるようなことを、未来の私はしでかしたのだろうか。これからの私にご期待ください。



 手を引かれて渋々歩き出す。ここで押し問答する時間が惜しいし、まあいいかと諦める。ロベリアは、何故かほっとしたように見えた。

 お城に通い始めたのは昨日今日ではないけれど、この辺りに来たことはない。大体のものが見慣れないし、何かと飽きることもないので新規開拓の精神を忘れていた。この件が全部片付いたら、行ったことのない場所も色々行ってみよう。まあどうせ、どこに行こうと魔力0には厳しい世界なのだろうが!






 人目がないのをいいことにきょろきょろと辺りを見回す。片手が塞がっているから地図を見るのが少々厄介だけれど、人目がないなら多少の不格好は問題ないだろう。人目がないだけで大体の問題が解決してしまいそうだ。

 人目を憚らず、落ち着いて周囲を見回して初めて気づいたことがある。外が見えない窓の正体だ。

 この棟も、吹き抜けの回廊も、普段は風の通りがいい渡り廊下も、全てが凍り付いていた。寒さを感じないから気づかなかったが、渡り廊下を覆う透明に触れて初めてその冷たさに気づいたのだ。


「……これ、ルスランの氷?」


 全景を見ることが叶わないので断定は出来ない。けれど、どうやらお城全体を氷の膜が包んでいるようだ。

 そして、気づかなかった理由はもう一つある。赤いのだ。ずっと夕焼けが続いているから、お城を覆う氷は赤に染まっている。赤いは温かい、もしくは暑いものだと、何となく先入観があるせいか、氷だとすぐに思いつかなかった。

 少し考えればすぐに分かったのに。水が重なったようなうねりのまま止まった表面、そしてルスランが得意としている魔術を考えれば、これが氷だとすぐに思い至っただろう。


 寒さがないのと赤いだけですぐに思い至らないなんて、一生の不覚! と思ったけれど、その二点結構重要な要素だなと思うと一生の不覚ほどではなく、ただの不覚くらいかなと思い直す。




 そうして立ち直った私を、ロベリアの呆れきった瞳が刺してくる。そこまで呆れられると、地味にダメージを受けた。しかしロベリアには、今まで散々呆れられたりチベットスナギツネみたいな目で見られたりしてきたので、今更だなとすぐに立ち直る。


「……王妃様、今までこれ何だと思ってたんだよ」

「何かなーって思ってた……」


 立ち直ったけど、そこまで阿呆だなこいつみたいに見られたらちょっとは傷つく。ちょっとだけだけど。それにこれは、チャンスだ。





「……ねえ、ロベリア」

「何」


 持ち上げていた地図を下ろす。下ろした手の先で、紙よりもしなやかで弾力性があり、破れにくそうな地図がくにゃりとへしゃげた。


「何で、こんなことになってるの?」


 ロベリアは足を止めた。そして、私をじっと見た。


「どうして誰もいないの。どうしてルスランはお城を覆っちゃったの。どうして、ずっと夕方なの」

「王様から聞いてないのか?」

「うん」


 言わないほうがよかったことを言ってしまった気づいたのは、表情を消していたその顔に色が戻ってからだった。言葉を探していたような唇が閉じられたまま弧を描き、繋いでいる手に力がこもる。


「じゃあ、俺の口からは言えねぇなぁ」

「ロベリア!」


 ふざけているわけではないのだろう。だって彼は私の護衛だけど、主はルスランだ。ルスランの目的に賛同し、命を懸けている同志でもある。そのルスランが言わないと意思表示している以上、私に口を割ってくれるとは思えない。たとえそれが夢の中でも。でも。


「……お願い、ロベリア。言える範囲で、構わないから。言ったらルスランに怒られることは何も言わなくていい。小さなことでいいから、お願い……大事なことなの」


 地図を握りしめて頼み込む私に、ロベリアは困った顔になった。


「それは命令?」

「私はロベリアに命令出来る立場じゃないし、出来る立場でもしないし、しても聞いてくれないでしょ。だってロベリアの主はルスランだもん。私は……友達として、お願いするしか出来ない。駄目なら、断って」

「いいの?」

「いいよ……友達ってそういうものだから」

「ふーん」


 ロベリアは再び歩き出した。手を引かれるまま私も歩き出す。それ以上、この話題をロベリアが話すことはない。どうやら、断られたようだ。

 ならば仕方がない。ネルギーさんなら締め上げてでも口を割らせただろうが、私にはロベリアを相手取れるような話術がないし、力もない。友達という関係に甘えたお願いという形でしか頼めない。でも、無理を押し通すために友達になりたかったわけじゃない。






 時々扉を開けてもらい、部屋の中を軽く確認していく。付け焼き刃な探索だけど、しないよりはマシだろう。部屋の中は特にこれといって変わった所があるようには見えなかった。そんなことをしながらルスランのいる玉座を目指す。

 今までのことを考えると、倍の時間があったところで走っても会ってすぐさようならになるだろう。だから今回は距離を縮めつつ探索に当てる。前回夢から覚めた場所と、次に現れる場所に規則性があるのかは分からない。今回はルスランから最も遠くに出てしまったから、もしかしたら近づいちゃ駄目だったのかと今更気づく。



 どうしよう。足を止めるべきだろうかと悩んでいる内に、温室に辿り着いてしまった。

 三階建てのガラス張りの建物だ。三階といっても、天井まで吹き抜けで、三段階に廊下やこぶのように休憩場所があるからそう判断しただけで、平屋といわれれば成程そうかと納得してしまうだろう。


「初めて来た……」


 世話をする人間は誰もいないのに、どういう仕組みなのか木や草は元気いっぱいだ。温室に入れば、土と草の濃厚な匂いが鼻を刺激する。だけど、温室独特の湿っぽさも暑さもない。暑さもないのに温室とはこれ以下に。

 温かくないからか、人の手がないからかは分からないが、花は咲いていない。青々とした蔦が絡まったアーチの下にはテーブルと机がある。向こうの木陰にはベンチが見える。普段は人々が気持ちを和ませ休憩に来る憩いの場なのだろう。だけどここには誰もいない。誰もいないのに整った草木だけが静かに生きている。

 だけど、水がない。この世界は路がない場所に水が通っているから、水路そのものは元々あったかもしれない。でも、それもなくなっている。水が完全に止まっているのだとしたら、この草木はどうやって生きているのだろう。それとも、こんなことになったのはつい最近なのだろうか。


 元々が分からないから比べようがないことが悔しい。これでは調査も何もあったものではない。本来なら、この巨大な温室の向こうに空が見えるのだろう。だけど今は、真っ赤な色しか見えない。






「赤いなぁ」


 上を見上げていた私の手が引かれた。視線を落とせば、当たり前だけどロベリアがいる。


「一つだけ教えてやるよ、王妃様」


 ロベリアは、笑っていなかった。


「あの赤は夕焼けじゃない。炎だよ」


 何を言っているのか、分からなかった。ロベリアの肩越しに外を見る。真っ赤な色だけが広がる、凍り付いた温室のガラスが見えるだけだ。


「何で、炎なんて」

「燃やしてるんだ」


 出ない声をようよう絞り出したそれは、自分のものとは思えないほど酷いものだった。そんな私に、ロベリアは動揺することもなく淡々と言う。それが事実だから、何一つ躊躇うことなどないとでもいうように。


「この凍り付いた城にただ一人残った、破滅の王を殺そうと」

「破滅の……王……」


 この城に、王は一人しかいない。





 痛い。息を吸っても肺が広がらないのに出ていくときは塊のようで。痛い。熱い。肺が、胸が焼ける。身体の中で渦巻く感情が連鎖して、湧き上がる感情全てを焼き尽くす。不安も疑問も切なさも、全てが塗りつぶされた。これは、恐怖だ。

 赤が濃くなった気がした。目の前に立つロベリアの姿まで赤に染まって、表情が見えない。



「協会が滅び、レミアムが滅び、沢山の国が滅んだ。黄水晶の鉱山も壊し尽くされ、魔術はもう使えない。そうして世界を滅ぼそうとした王を生き残った世界中の人間が呪って、呪って、呪って、呪って、呪って、死んでくれと祈ってる」


 息が、出来ない。壁がないこの場所では、外の色が全てを囲む。赤い。全てが赤い。


「その祈りから生まれた炎が、ずっと燃えてるんだよ」


 ロベリアの声も、赤い。


「王が死ぬまで、ずっと」


 ぶつりと、意識が途切れた。









 赤い。全てが赤い。赤くて赤くて、恐ろしい。






「月子!」


 叫んでいた。私は何かを叫んでいた。きっとそれは悲鳴だったのに、自分でも何を言っているか分からない。

 ただ叫び出したかった。恐ろしかった。何が恐ろしいかなんて説明できない。だけど恐ろしい。叫び、胸の中から吐き出さなくては生きていけないほどの恐怖が身体の中で渦を巻いている。


「月子っ!」


 顔が急に動かせなくなった。私の頬を両手で押さえる温かな腕に爪を立てる。


「ルスラン様!」

「王妃様!」

「入ってくるな!」


 誰かの怒鳴り声が続く。怖い。怖くて怖くて堪らない。恐ろしい。何が。赤いことが? 違う。分からない。夢が未来が赤が城が。違う。合っている。違う。合っているけど、違う。


「月子、俺を見ろ、月子っ!」


 嫌だ。怖い。助けて。


 頬を押さえていた大きな手が私の頭を押さえて抱き込んだ。抱き込まれたと、分かった。温かい。強い力なのに痛くない。私を全部抱き込んでしまえるほど大きいのに怖くない。

 助けて、助けて、助けて。誰か、誰でもいいから。お願いだから。

 ルスランを、助けて。







「月子、落ち着け。月子、月子」


 私とは全然違う低い声なのに怖くない。温かい。温かくて、優しくて、柔らかな力を知っている。


「月子」


 世界中で誰よりも大事にしようと決めている、私の大切な人だ。

 叫んでいたのに詰まっていた息を大きく吐き出す。身体の反射で吐き出した分を大きく吸い込んだ呼吸に、よく知っている香りが混ざる。私を全身でかき抱く人の背に腕を回し、必死に抱きしめる。私とは全く違う、広くて柔らかくない、だけど温かな背中を握りしめた。現実だ。夢じゃない。赤くない。むしろ白い。

 私を覆う白銀の髪に絡まりながら、呆然と白銀の光景を見上げる。温かい雪景色だ。よく知っている、私の大好きな色だ。


 背中には柔らかな感触。上半身以外は大きくてふかふかな布に覆われていて温かい。ここはベッドだ。そうだ。だって私は、夢を見ていたのだから。。


「ルス、ラン」

「そうだな」

「……ルスラン」

「ああ」


 おはよう、月子。

 そう、普通の朝のように告げられて、あまりに場違いな柔らかい言葉に思わず笑った。笑おうとした。だけどうまくいかなくて、唇が震える。おはようって言おうとしたのに、口から出てきたのは情けない嗚咽だけだった。せっかく息が出来るようになったのに、しゃくり上げてしまって小刻みにしか続かない。次から次へと溢れる涙が熱い。冷え切った肌が焼けてしまいそうな涙が溢れるたび、ルスランは丁寧にそれを拭う。


「よく頑張ってくれたな。頑張ってくれてありがとう。ありがとう、月子」


 自分でやるって言ったのに、駄目だって言うルスランに無理を言ってまでやったのに、ぐしゃぐしゃにべそをかいて戻ってきた情けない私に、ルスランはどこまでも優しかった。その身体にしがみつき、しゃくり上げる。手を離しては駄目だと思った。いま慰めてもらっているのは私なのに、どうしようもなく泣きじゃくっているのも私なのに、私は絶対にこの人を離しては駄目だと必死に抱きしめる。


 どうしてこの人なのだ。どうして、この人が何をしたって言うのだ。どうして、どうしてこの人ばかりが。大好きな両親を失った。子ども時代を失った。祈りを失った。心の平穏を失った。これ以上何を失えというのだ。子ども時代はぶつりと途切れ、少年時代はぐしゃぐしゃに踏みにじられ、その上未来までをも失えというのか。これ以上の何をこの人は失わなければならないんだ。


 酷いことしないで。大事な人なの。酷いことさせないで。私の、世界で一番大事にしたい人なの。お願いだからもう誰も、この人から奪わないで。この人に何も失わせないで。お願いだから、お願いだからもう二度と、誰も、何も、この人を傷つけないで。

 しがみついて泣きじゃくる私を、ルスランはずっと抱きしめていた。












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