55勤
私にとったらついさっき終えたばかりな気がする話し合いが再び開かれる。一通り話し終えた後、全員しんっと静まりかえってしまった。誰も喋らない。
それでも、人の気配がある場所は騒がしいんだなと思う。みんな特別大仰な動作をする人ではなく、どちらかといえば静かに動く人ばかりなのに、生きている人がいる部屋はこんなにも賑やかだ。
それなのに、夢の中の静けさは恐ろしいほどだった。本当に誰もいないのだと、生き物のいない世界はこれほどまでに静かなのだと、知った。
「六年か。早いようにも遅いようにも思えるな」
最初に口を開いたのはルスランだった。それをネルギーさんが睨む。顔色はどす黒く、凄みが増している。どうやらこの三時間も休む時間に当てていないようだ。
「王の治世が六年後に終わるなど、馬鹿げたことをおっしゃるな」
「馬鹿げていようがいまいが、月子が会った俺が本当に俺ならば、そういうことなんだろう」
マクシムさんがしたように、今度はルスランがネルギーさんの地雷の上でシャルウィーダンス。もしかしてこれ、一周してくるのだろうか。次はネルギーさんが私かロベリアの地雷の上で踊ったらどうしよう。
「お話中失礼します。月子様、その六年後のルスラン様は此度の事件に覚えがないと仰ったわけですね?」
「はい」
「それならば、まだ六年後が決まったわけではないと推測致します。あくまで、そのルスラン様が他者が作り出した幻影でないことが前提にはなりますが……」
ブランさんは目を擦っていた指で、今度は眉間の間を揉んだ。まともに睡眠を取れていない人があちこちにいる。ルスラン達だってたった三時間の仮眠でどこまでいけるかなんて考えるだけ無駄だ。眠れていないのならどこまでだっていっちゃいけないのである。
「本物の予知夢にしても、あり得るかもしれない未来を垣間見るものです。確定した事象ではありません。確定するのは、現在の時間が未来に追いついたときのみです。未来が現在となったとき初めて未来は確定する。ですから、そのルスラン様の状態が我々がいるレミアムの六年後であるとは限りません。現に、そのルスラン様は今回の事件をご存じではない。ならばそのルスラン様は違う道を辿ったルスラン様でしょう。そのルスラン様が辿り着いた『現在』を我々の『未来』と定めるのは早計です」
六年。
それは途方もないほど長い時間に思えるけれど、親戚の大人達はよく「もう高校生!? まだ小学生くらいだと思ってた。時間の流れは速いなぁ」と言っているので、私が思っているよりずっとあっという間なのかもしれない。
しんっと静まりかえったお城。広く豪奢な、人のいないお城。誰もいない玉座に一人で座るルスランの姿が目に焼き付いている。あんなものがルスランの未来だなんて認めるわけにはいかない。どうして一人なのだ。どうしてあんな場所に一人で。
ロベリアはお城の見回りをしているのだろうか。だったら私は、何をしてるんだ。私は、ルスランを一人にして一体何を。
「月子様、貴方も王妃であるのなら、次は王にその状況に至るまで経緯を伺ってください」
「月子を王妃の座から追い立てようとしている男の台詞とは思えんな」
「いずれ降りる座であろうとも、現在その地位にいるのなら当然為すべきことです」
「月子、無視していいぞ。お前はとにかく夢の情報を集めてくれ」
だんっと大きな音がした。ネルギーさんが机に拳を叩きつけたのだ。人が怒ると、怖い。それが年上なら、男の人なら尚のこと。その拳の行き先がテーブルであっても、力を目の当たりにするのは怖い。
びくっと身体が跳ね、反射的に両腕を少し浮かせていた。
「夢は眠り続けている人間がいる限り探ることが出来ます。ですが、対話が可能な予知夢など前例がありません。それも滅びの夢ならば、回避のために動かぬなど怠惰以外の何物でもない!」
激昂は、それに相対する感情がなければ恐ろしさに身が竦む感情だ。
少なくとも、私にとってはそうだ。気がつけば、身を守るように上げていた手でルスランの服を掴んでいた。何故か、左隣にいるルスランからは遠いはずの右手で。
咄嗟のこととはいえ、甘えているようで気恥ずかしさを覚える。そして、自分がとてもびっくりしていたことも分かってしまう。脅えていたと思うのは何となく悔しくて、びっくりしていたんだと自分の中で言い訳する。
服を掴んでいる私の手を、服の陰に隠れた位置からルスランが触れた。ぽんぽんと叩かれて、気恥ずかしさが倍増した。すすっと手を引っ込めたら、微かにルスランが笑ったような気がした。
「何を優先すべきかは王である俺が決める。それに、それが俺であるという前提ではあるが、もし現状を覆したいのならとっくに月子に情報を持ち帰らせているはずだ。それをしていない以上喋る気がない。こっちがどれだけ情報を欲しがろうが、聞くだけ無駄だ」
そうだ。あのルスランは何も喋らなかった。いくら時間がないと言っても、こちらの現状を話す時間くらいはあった。だけどルスランはそれを一切遮らなかった。何か話したいことがあるのならいくらでも話す機会はあったにもかかわらずだ。
ぐっと押し黙ったネルギーさんも、本当は分かっているのだろう。その証拠に、それ以上何も言わなかった。
「ネルギー、少し寝ろ。この程度で感情的になるくらいには弱っている自覚があるだろう」
「……結構です。仕事がありますので、失礼致します」
「倒れる前に勅令を出すぞ」
「それには及びません」
もうこのときには感情全てをしまい込んだ表情になったネルギーさんは、さっと一礼して部屋を出て行った。
小さな溜息が複数聞こえた。私以外にもそっと息を吐いた人がいたようだ。誰だろうと思ってこっそり伺ってみたら、どうやら全員だったようだ。
ルスランは背もたれに体重を預けた。
「あのぉ」
ブランさんがおずおずと手を上げた。ルスランは視線だけで先を促す。
「わたくし共研究員もお招き頂けるのでしょうか。連続徹夜に慣れている我々でも、そろそろ脱落者が出始めそうでして……」
そぉっと聞かれて、ルスランは苦虫を噛み潰したような顔になった。どうでもいいけど、苦虫を噛み潰した経験がないのでどれだけ苦いかも分からないし、そもそも虫を噛み潰したら苦い顔をするどころじゃ済まないし、結局苦虫ってどの虫のことなんだろう。カメムシ? ……あれを噛み潰して苦い顔で済む人偉大すぎるんじゃないだろうか。
「………………いいだろう」
「本当でございますか!? ああ、よかった! 皆喜びます! ではまず王妃様のご家族の生態系の把握から始めまして皆々様が王妃様と同じ体質かどうかの研究とそれらはご家族様だけなのか一般人全てが同じなのか魔力の質も調べなければなりませんね土と大気勿論動植物の違いも確認して何が我々とここまでの違いを作り出したのかを解剖して調べ」
「ブラン」
静かなルスランの声が、ブランさんのバズーカートークを遮った。
「勿論全員、目隠し耳栓着用の上、到着次第気絶させる」
「お、鬼ぃ!」
鬼気迫る顔で鬼呼ばわれされたルスランは、眉一つ動かさない。
「順次用意しろ。下がれ」
「は、はいっ……」
何か言いたげにしつつも、にべもなく言い切ったルスランの指示通り、ブランさんは泣く泣く部屋を出ていった。閉まった扉の向こうから、鬼ぃ鬼ぃにぃにぃにぃ……と涙声のエコーが聞こえてきた気がするけれど、きっと気のせいだろう。
この事件を解決するためには協力を惜しまないし、少々の危険は覚悟の上だが、家族を開きにする覚悟は一生決まる予定はないのでブランさん達には是非とも諦めてほしい。
会議なのか喧嘩なのか今一よく分からない話し合いは終わったようだ。ルスランは完全に背もたれに沈み込んでいるし、ロベリアは大きな欠伸をした。マクシムさんは変わらないように見えるが、心なしか肩が落ちている。皆疲れているところ申し訳ないけれど、まだ私は終わっていない。
「ルスラン、三時間じゃ短い。次は起きるまで待って」
「駄目だ」
即答された。されることは分かっていたけれど、譲れない。
「短すぎる。ちょっと移動して話したら終わりだから、ぶつ切り過ぎて逆にしんどい」
それに、ちっとも話が進まない。今度はルスランに会えたけどロベリアには会えなかった。ほとんど探索も出来ていない。細切れに眠り、細切れに話を進め、細切れに会議する。物にもよるだろうけど、この場合にそれはあまりいい手段とは思えない。
「次はどこに出るか分かんないけど、扉を開けるには誰かを見つけなきゃいけないんだよ。今までは運良く誰かがいる場所に出られてるけど、誰もいない場所に出たら探す間にタイムアウトしちゃう。それに、私が寝てる間、他の人も休める人は順番に寝てほしい。皆ゾンビみたいになってきて、正直ちょっと怖い……」
やつれてげっそりした目の下に隈べったりの人々。目覚めるたびに命を構成する何かがごっそり減っていっているように見えて心配だ。年齢も何歳か上に見える。絶対に生命力が削られていると心配している私を、ロベリアが驚愕の表情で見た。
「王妃様にそんな殊勝な恐怖心があったなんて……」
「殊勝な恐怖心って何!?」
他には何があるの? ふんぞり返った恐怖心? 想像してみる。……偉そうだ。ぶん殴りたい、その恐怖心。
偉そうな恐怖心へのイラッと感はとりあえず措いておき、ルスランを見る。ルスランもじっと私を見ていた。その手はぎゅっと握られている。こういうのって、往々にして待っているほうがつらいものだ。分かってる。分かっていて言ってるのだから、私も大概酷い人間だ。
「ルスラン、お願い。夢の中だと三時間ってほんとすぐなの。時間がないと焦っちゃって、慎重に考えられなくなるほうが怖い。私、わりと慌てん坊だってルスラン知ってるでしょ。何をしたら正解か分かんないけど、それでも考えないと駄目なのは私だって分かってるよ」
失敗できないのだ。何が正解なのか、何をしたらよくて、何をしたら駄目なのか全然分からなくても、失敗だけは絶対にしちゃいけないのだ。
その失敗で失われるものは、自分の時間とか評価とか、そんなものじゃない。そんなもので済むのなら、こんなに恐ろしくはない。
私が失敗したら、眠り続ける人達はどうなるのだ。この夜にまた目覚めない人が増えるのに、増え続けるその人達はどうやって目覚めるのだ。
私の失敗で失われるものがある。それは私が責任を負えるものでも取り戻せるものでもないのに代わりもなく、取り返しのつかないものだ。
私が感じるこの恐怖を、ルスランは知っているはずだ。そしてきっと、ネルギーさんも。前例がない事態の先頭に立つというのはこういうことなのだと、私はいま初めて、ちゃんと理解したのかもしれない。理屈でじゃなくて、身体の芯から凍り付くような恐怖で理解した。
本当は、前例があろうがなかろうが関係ないのかもしれない。自分以外の何かを背負って決断する場所にいる皆が感じることなのかもしれない。
「ルスラン、私、コレットと友達なの……お願い……」
私に無理をさせて。それを受け入れて。ただ待っていて。酷いことを言っている。分かっている。分かっているけど、支えて。
長い沈黙を得て、ルスランは口を開いた。
「六時間。これ以上は譲らない」
「あ、りがとう、ありがとうルスラン! ルスラン大好きー!」
感極まってルスランの首根っこに抱きつく。予想していなかったらしく椅子の上で盛大にバランスを崩したルスランの肩を、マクシムさんの手がそっと支えたのを見た。
そんな私の耳元で、海よりも深い溜息が聞こえた。
「お前、ずるいぞ……」
「いやぁ、それほどでも」
「無理を頼んでるのはこっちのはずなのに、どうしてお前に頼まれなきゃならないんだ……」
ぐったりと椅子に沈んだルスランは、両腕で顔を覆いながら呻いた。
「王妃様、ほんと無茶はすんなよ。夢の中の俺もどきも、信用も信頼もすんな」
「えぇー!?」
確かに本物のロベリアである確証はないけれど、友達を最初から疑ってかかるのは心苦しい。そりゃ本物のロベリアがそう言うのなら疑ったほうがいいのだろうが……本物のロベリアはロベリアで、本物の予知夢のロベリアも本物で、誰かが作ったかもしれないロベリアだけが偽物で。三分の二が本物なら、もう本物ってことでよくないだろうか。
「よくねぇよ」
「えぇー!? なんで考えてること分かったの!?」
「顔に出てる、王妃様」
「えぇーすぱー……」
「絵素羽じゃねぇっつの。護衛が姿乗っ取られて護衛対象襲われたなんざ、笑い話にもならねぇんだよ。ただでさえ変身は俺の得意分野だ。それを使われた挙げ句王妃様傷つけられたなんてことになったら、屈辱じゃすまねぇよ」
そう言われると、頷くしかない。
「え、ちょっと待って……じゃあ私、ルスランしか頼れないってこと? 扉どうやって開けよう……」
「俺も信用も信頼もするな」
「ちょっとー!?」
「当たり前だろうが。ロベリアがそうなら俺も同条件だ」
何を当たり前なと呆れた顔をされた。私は、夢の中のルスランを思い浮かべた。今のルスランを色々鋭くした感じだったなと、目の前のルスランと頭の中で比べる。外見はそんな風に少し変わっていた。けれど、話し方、動作、温度、匂い、触れ方。
「……おんなじだと、思うけどなぁ」
ロベリア(仮)はまだよく分からないけれど、ルスランはルスランだと思う。
数値化なんて出来ないから証明は無理だけど、あれがルスランじゃないなら、私は自分の中のルスランを一から見直さなくてはならない。
「何はともあれ、確定するまで全部疑ってかかれ。うまく利用しろ。本物なら、どっちもお前が利用していいものだ」
「利用より協力がいい」
「今回は利用だ。協力は不可だ。自分の安全を最優先しろ。そうでなきゃ、三時間だ」
「……分かった」
確固たる証拠が提示できない以上、ルスラン達の言うことは正しい。それが分かっているから大人しく頷く。本物か否かの証明なんてどうすればいいのだろう。
一日に何回もベッドに入っているとまるで自分が病人になった気分になる。しかも、丁寧に寝かしつけられているので重病人だろうか。
「月子」
「ん?」
「もう一回聞くが、痛い場所はないんだな?」
「夢の中で足打ったけど痛くないし、痣にもなってなかったから平気」
「明日紫になってるパターンもあるからな、言っとくけど」
「うっ……それはそのとき考えます……」
青い石の腕飾りがついた反対の腕を持ち上げ、そこにある腕時計を見る。小ぶりな丸い時計の中で、細い秒針が健気に時を刻んでいく。これはルスランに頼んで用意してもらった物だ。向こうで活動できる大体の時間を把握出来たら、突然ぶつ切りにならず計画的に動けるのではないかと思ったのである。
青い石が甲側を向いているから、時計も甲側につけた。何だか強くなった気持ちだ。
大人しくベッドに沈み、息を吐きながら気合いを入れる。眠るのに気合いがいるなんて、何だか不思議な気持ちだ。
ルスランは私の額にかかった髪を寄せながら、じっと私を見ている。いろいろ言いたいことがあるんだろうなと、思う。それを飲みこんでいることも、分かっている。
「これで一旦終了するからな」
「まだ出来るよ」
「駄目だ。夢との繋がりを切らないために連続で決行したが、これ以上はやり過ぎだ。三回連続同じ夢を見られたなら、完全に繋がったはずだ。それなら無理を押して連続決行する必要はない」
「……無理は別に、してないけど」
「焦るな、月子。焦ったら慎重になれないって、お前が俺に言ったんだぞ」
笑おうとして失敗したのか、少し歪な顔になったルスランに大人しく従うしかなさそうだ。これ以上の無理を押す為に必要な理由を、今の私は持っていない。
早くコレットを目覚めさせたいと、どうしても焦る。けれど、必要以上に無理を通してしまえば、結果的に解決が遅れてしまうこともあるはずだと自分に言い聞かせた。
「分かった」
「よし。とにかく、何かあったら躊躇わず俺を呼べ。その際は時間を問わず引っ張り戻す。時間が勿体ないとか、これで一旦休憩だからと絶対躊躇うな……頼むから、お前を無防備な状態で向かわせる俺達の気持ちを汲んでくれ。させているのは俺だ。分かっている。だけどな、月子……お前を一人で送り出す恐ろしさを、お前が一番分かってくれるだろう」
「……うん」
次に起きたら夜が明けていればいいなと思う。六時間後だったらそろそろ朝だろうか。
「次起きたら、お前は一旦家に帰れ。ちゃんと休め。ロベリアも休ませる」
「ルスランは帰らないの」
「俺は無理だ。この晩に増えるだろう人数を確認してからになる。今晩は……凄まじく嫌だが、ブラン達を送ってくる」
「………………開きはやだからね?」
「奴らは向こうの景色を一瞬も見ることなく落ちるから大丈夫だ」
落とすからなとさらりと言った幼馴染みが頼もしい。これで、家族の安全は守られた。
「じゃあ、眠らせるぞ」
「うん…………あ、そうだルスラン」
「何だ?」
掌で視界が覆われたとき、ふと思い出した。私の視界を覆うルスランの指の合わせ目は、ぼんやりと赤い光を通している。どうして赤いんだろうと昔ルスランに聞いたら、血の色だよと教えてくれたものだ。
「浜辺君がさ、私に彼氏できるはずがないって言うんだけど、それってかなり失礼だと思うんですよね。そうは思いませんかルスランさん」
「思いますね、月子さん」
「見せられるルスランの写真が手元になかったから、彼氏の写真がないのはおかしいって。まあそれもそうかなって思うから、今度あっちの服着た写真撮らせて。証明写真。あと普通に、私もルスランの写真ほしい……」
「月子……」
すぅっと寝入りながら「お前何でよりにもよって今それ言うんだ、フラグだぞ」とぼやいたルスランの声が聞こえた気がした。ごめんって。




