53勤
ルスランに連れられて寝室じゃないほうの私室に移動すれば、そこには私が知っている面子が揃っていた。ロベリアとマクシムさんと、疲れているブランさんに、人相が百倍くらい悪くなっているネルギーさんだ。
寝てないのだから当然だが、怖い。溌剌とした笑顔を浮かべていたらそれはそれで怖いけれど、百人は殺ってきました、殺りたてほやほやですみたいな顔で座っていると、問答無用で怖い。
私とルスランが並んで座り、その前にネルギーさんとブランさんが座っている。そしてルスラン側にマクシムさん、私側にロベリアが立ち、円形になって話し合いが始まった。
夢の中のことを一通り話し終えて一息ついたところで、私はほっと力を抜いた。行って帰って、情報を共有するまでがお仕事である。
結論として、私はちゃんと役目を果たせたようだ。あれはただの夢ではないと全員が判断した。
私も、そう思う。リアルな夢を見たことはあるけれど、それとは何か根本的に違っていると感じた。それが何かはうまく説明できないが、酷い疲労感が証明してくれているように思えた。
「白く霞がかった乳白色の世界観は予知夢の特徴なのですが……」
ブランさんは歯切れ悪く前置きし、私を見た。
「夢の中のロベリアと話したと?」
「はい」
「誰か別の人間に話しかけていたわけではなく、あなた自身に?」
「はい。そもそも、他に誰もいませんでした」
あの状況で、誰か別の人に話しかけているのを私が勘違いすることは難しい。ロベリアの独り言に返事をしたわけでもないはずだ。だってロベリアは、王妃様と私を呼んだのだ。
そう言えば、ブランさんは難しい顔になった。
「予知夢はあくまで予知夢。これから訪れるかもしれない世界の一端を覗き見ているに過ぎません。ですからそこに当人は存在せず、いたとしてもそれは未来の自分を第三者の目線で見ます。まだ確定していない未来の中に、夢を見ている当人が関わることはあり得ません。そもそも、その世界はまだ存在していないのですから」
「月子様がご覧になったものは、予知夢ではないと?」
ネルギーさんの問いに、ブランさんは唸る。
「特徴は予知夢のそれですので違うとも言い切れませんが……他に何か引っかかる点はございますか」
「月子を夢に誘った存在に心当たりはあるか」
それまで黙っていたルスランが私を向いた。やっぱりまだ目の下の隈が酷い。三時間の仮眠では全然足りなかったんだろうなと思いながら答える。
「分かんない。女の人だなとは思ったけど。白くて綺麗な手だった」
それしか分からない。
私の前で、話し合いは続いていく。私は聞かれたことに答えることが仕事だが、既に説明している以上の情報は何も持っていないので、私に回される質問は確認ばかりだ。
このときは、私が夢の中に入る前段階の、真っ暗な空間の話をしていた。決まった人以外は問答無用で弾いてしまう私の手を掴んだ謎の人が作り出した空間か、それとも別の何かか。
そんなことを話し合っていた会話を、淡々とした、低く静かな声が遮った。
「月子様がご覧になった夢が予知夢である可能性を捨てきれないとなると、レミアムはこの先、城を捨てるような事態になるということか」
ぴたりと止まった会話の中で、平然とそれに答えたのは意外にもマクシムさんだった。
「そして俺は死んでいるということだ」
ルスランがマクシムさんをぎろりと睨む。睨まれたマクシムさんはしれっとしている。
「ロベリア、お前はいるようだからお二人をしっかりお守りしろ」
「そりゃ生きてるなら最期までお供しますけどね。マクシム様、死んでるって本人からさらっと言われると流石の俺も微妙な気持ちになりますよ」
「俺が生きているのにルスラン様のお側にいないわけがないだろう」
「そりゃそうなんすけどね?」
がりがりと頭を掻いたロベリアは、はっと気づいてルスランを見た。見ないほうがいいよと視線で合図していたけれど遅かったようだ。
そもそも私とルスランは隣り合っているので、私を見たらルスランを見てしまう。幸いと言うべきか何と言うべきか、鬼のようなルスランの形相は全てマクシムさんに向いているので、直接ロベリアを睨んでいないことだけが救いだ。
その形相を向けられているマクシムさんはしれっとしている。ルスランの地雷の上でシャルウィーダンス。
私は慌てて両手の人差し指をマクシムさんの方向に倒した。ぎしりと固まっていたロベリアは、錆びたロボットみたいな動きで小さく頷き、こっちから視線を外した。
「月子様」
「はい?」
今度はネルギーさんに呼ばれて視線を向ける。円になって話し合うと、なかなか視線の方向だけでも忙しい。
ネルギーさんは、何日寝ていないのだろう。それに、痩せたようにも見える。やつれたといったほうが正しいのかもしれない。それなのに瞳だけがギラギラと光っていた。光っているのに陰鬱としたじっとりとした淀みもある。疲れているんだろなと、思う。
「その夢は、何年後か、お分かりになりますか」
やけにゆっくりと、はっきり告げられた言葉の意味を考え、理解した瞬間、ぞっとした。
「……いえ。ロベリアとしか会っていませんし、ロベリアは今と変わらない姿でした」
あれが本当に予知夢だとするのなら、あれは何年後の未来なのだ。だって、ロベリアが今と変わらないのなら、あれは、そう遠くない未来に現れるかもしれない未来なのか。
ざっと青ざめた私に、ロベリアはうーんと唸った。
「王妃様、俺はこの姿だったんだろ? だったら何年後かの判断はちょっとつかないぜ。だって俺、これ変わり身だし、年齢は好きに弄れるからな」
それを聞いて少しほっとする。今すぐどうにかなるとは限らないということだ。でも、そう思えたのはほんの僅かな時間だった。誰も、私が見た夢が現実に起こるはずがないと言わないのだ。そんなことあり得ないと、馬鹿馬鹿しいと、言わないのだ。
しんっと静まりかえった、人の気配がない雄大なお城。外が一切見えない閉ざされた城になる日が、来るのだろうか。お城にいた人達はどこに行ったのだろう。マクシムさんは、本当に、死んでしまったのだろうか。だとしたらどうして。何があったのだ。
いつの間にか自分の手をきつく握りしめていた。痛いほどに握りしめた部分は白く、指先は血が滞って真っ赤になっている。それなのに、冷え切っていた。真っ赤なのに冷たいなんて不思議だとぼんやり思う。その手を、白く温かな手が覆った。
「月子。月子は、次どうしたい? 何か要り様なものはあるか?」
ベッドに潜り込んだ後、眠気を堪えながら鏡台越しに過ごす夜に似た、優しく穏やかな声でルスランが問う。
月子と、呼吸のように呼ばれる名前に、身体の力が徐々に抜けていく。いつのまにか酷く強ばっていた身体から力が抜けて、深く息を吐き出す。
「靴を履いて寝ようかなって思ってる」
「確かにな。他には?」
「お城の地図っているかな。ロベリア、次もいると思う? いなかったら私、扉開けられないんだけど」
「地図は用意が出来る。お前、地図の見方分かるか?」
「自分のいる場所を起点にして、地図をぐるぐる回す!」
「……迷わなかったら問題ないけどな?」
それはちょっと約束出来ない。せめて東西南北くらいは叩き込みたいけれど、この広いお城はちょっと歩けば迷子になりそうだし、何よりあの夢の中では外が見えないから、生半可な東西南北知識では役に立ちそうにないのだ。
「ねえ、私はどこにいると思う?」
「次に出る場所ということか?」
私は首を振る。
「違う。未来の、あの夢の中の私」
ロベリアは言った。
この城の中にはもう、ロベリアとルスランと私しかいないと。それなら私がいるはずだ。ルスランだっているはずなのだ。
「私、次は私とルスランを探してみる。それで、お城に変なこと無いか聞いてみる。あれがコレット達を夢の中に止めているものと同じ現象なら、何か分かるかもしれないし」
「……ブラン、どう見る」
「はい。王妃様のお考え、実行する価値があると思われます。ですが、予知夢の一環であればまだしも、夢の中に存在する物はその夢の理に縛られます。故に、性質の変化が考えられます。失礼ながら、王様でありながら王様でなく、王妃様でありながら王妃様ではない。そういう存在である可能性も否定できません」
ルスランなのにルスランじゃなく、私なのに私じゃない。それは、どういうことなのだろう。
「偽物ってことですか?」
「有り体にいえばそういうことになります。あくまで、予知夢ではないという前提にはなりますが、何者かからの術であり、その術者が作り出した空間であれば、そこに登場する人物は皆、その術者が作り出した物である可能性を最後までお忘れなきよう」
「……ロベリアも、違う人ってことですか?」
「王妃様がご覧になっている夢が、どの類いの物であるか判明するまで、ロベリアであるという証明が出来ません。そもそも、日常生活で見る通常夢でさえ、登場する人間は本当のその人物ではありません」
それは、そうだ。夢で出てきた人は、たとえ実際に存在している人でも私が勝手に見ている夢に出てきているだけで本当の彼らではない。だけど、あんなにリアルな夢の中、誰もいないお城で唯一見つけた人が知っている人であることが嬉しかったし、ほっとした。それなのに、信じてはいけないのか。頼っても、いけないのかもしれない。
「あの……夢の判別ってどうやったらつけられますか?」
「……申し訳ありません。夢は、ただでさえ他者から見られない上に実態なき物。予知夢は乳白色の靄かかって見えるという数少ない判別方法が知られておりますが、それでさえ確実ではありません。夢が人の中で作り出される物である以上、確実なものは何も申し上げることは出来ません」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるブランさんに、私も慌てて頭を下げる。当たり前だ。馬鹿なことを聞いてしまった。どんなにはっきりとした夢を見たところで、起きてから今の夢どうだったなんて聞いても誰にも分からない。当たり前のことなのに、不安に脅えて何も考えずにつるりと聞いてしまった。何か情報が欲しくて、確かな物が欲しくて、甘えた。
何も手がかりがないのを覚悟の上で、眠ると決めたのだ。そこがどんな状況であれ、それが私にしか出来なくて、私にはそれをする理由があった。何もかも手探りで、向こうの状況も分からなくて、何をすればいいかも分からなくて、何が正解か誰も知らない。だけど私は、すると決めたのだ。
「すみません。馬鹿なことを聞きました。とりあえず、次もあの世界に行けることを祈りつつ、数をこなします!」
まだ一回目だ。一回目で何が分かるはずもない。とりあえず、変な世界に行けただけで万々歳だ。何回行けばいいのか分からない。上限もないのかもしれない。
一回目で事態が好転するだなんて甘い考えを持っていたつもりはなかったのに、焦りが出てしまった。
「とりあえず、ルスランと私を探しつつ、お城内をぐるぐるはしゃぎ回ります!」
「はしゃぐな」
ルスランからすっぱり言われ、確かにはしゃぐのはないなと自分で思い直した。人気のないお城で一人ではしゃぎ回る私。怖い。
「月子が行けそうなら、もう一回やろう。マクシム、城の地図を。ブランは今の話を研究室へ持ち帰れ」
指示を受けた人からさっと移動し、一礼して部屋を出て行く。
「次まで少し時間があるが、月子はどうする? 部屋で休んでいてもいいが、寝るなよ?」
「コレットのとこ行ってくる」
「分かった。ロベリアを連れていけ」
「はーい」
私の返事を聞いて、ルスランはよしと頷いて手を離した。おかげで、冷え切っていた手が温かくなった。ずっと繋いでいられたら不安なんてなくなるかもしれないけれど、それじゃ意味がないのだ。
「……ネルギー、お前は休め。この世界で眠ることに躊躇いがあるのなら、月子の世界へ連れていく。ただし黄水晶と武器の類いは全て置いていけ」
「ありがたいお申し出ではございますが、無礼を承知でお断り致します。休む暇などありませんし、必要もありません」
淡々と言い切ったネルギーさんは、とてもではないが大丈夫なようには見えない。けれどルスランが言って聞かないのなら、他に誰も彼を止める術を持たない。
ルスランも命令するかどうか悩んでいるように見えた。あの家にネルギーさんを連れていくことを躊躇う気持ちがないわけではないのだろう。それでもそうしなければならない状況であると理解している。だからネルギーさんにそう提案しているけれど、彼は受け入れる気がないようだ。
「では、わたくしもこれで失礼致します。月子様に置かれましては次も無事にお役目を果たされますようお祈り申し上げます。再び目覚められた際には、また参ります」
「ネルギーさん、コレットのお見舞い、一緒に行きませんか」
「何故?」
それは、目覚めない妹の話をしているとは思えない、恐ろしいほど平坦な声だった。
「何故そんな無意味なことを? ……ああ、わたくしに下賜されるのであれば、義理の妹の様子を一緒に見に行こうと言うことですか。それならば甚だ時間の無駄であることは理解しておりますが、致し方ありません。あなた様のご意志に従いましょう」
「全然全く果てしなく違いますね」
自分からもびっくりするくらい平坦な声が出た。取り付く島もないとはこういうことを言うのかなと、ネルギーさんからならともかく自分からも学んでしまった。私はまた一つ大人になってしまった。
「では、無意味な事に時間を取られる意味もないようですし、わたくしはこれで失礼致します」
私とルスランに礼をして、ネルギーさんは部屋から出て行った。確かにふらついているようには見えないけれど、人間は寝なければ生きていけない生き物である。大丈夫なはずがない。
どうしたものかと考えていると、妙に視線を感じた。顔を上げれば、ルスランとロベリアが私をじっと見ている。
「月子。俺が言うのも何だが、あいつも相当凝り固まった奴だから相手取るには手強いぞ」
「うん、ルスラン面倒だもんね」
「面倒……まあ、否定はしないが、もっと言い方あるんじゃないか」
「手間暇かかる」
「……………………」
視界の端で、ロベリアが震えていた。そっぽ向いたまま震え、ルスランに見えない位置から私の二の腕をつねっている。笑いたきゃ笑えばいいと思うのだ。私の二の腕をつねるより先に!
地味に痛い攻撃を避け、微妙に捩った身体を傾ける。痛い。くすぐったいよりだけど地味に痛い。
「月子、俺はともかく、あいつが負担ならあえて相手にしなくてもいいんだぞ。俺はともかく」
「私も手間暇かかるから別にそんな気にしてないけど……関係続けていくってそういうもんじゃないの?」
何の厄介事もなく、何のしがらみもなく、全てお互いに心地よく、何一つのずれもない関係なんてこの世に存在しない。
一度縁が繋がれば、未来永劫繋がり続けるものでもない。一度繋がった縁でも、手入れせずに放置していれば、いずれ擦り切れ、些細な衝撃でも切れてしまうだろう。切れたことにも気づかぬ程度の縁もあるかもしれない。どんなものでも形でも、保っていくには手間暇がかかる。それを面倒だと思う存在との縁は自然と切れていくだろう。
「私、コレットと話してから、いろいろ、私なりに考えたりとかしてて……」
「……何をだ?」
「いろいろ……自分でも何がこうだってうまく嵌まらないからちゃんと言えないけど…………レミアムの事とか、ネルギーさんの事とか……なんか、いろいろ」
たぶん、大仰なことじゃない。何をどうすれば協会に勝てるかとか、ルスランの治世を盤石の物に出来るかとか、そんな重要で大切なお役立ち情報について考えているわけでは決してない。たぶん私は、これらのことを自分の中でどう収めるべきかを考えているのだ。
「それは……答えが出たら俺に教えてくれるのか?」
「え、どうだろ」
その答えは、別に改まった状態でルスランに語るほどのことでもないかもしれない。だからそう言ったのに、ルスランは変な顔になった。じっとりじめじめした、乾かさずに袋に詰め込んだレインコートみたいな雰囲気だ。
「……どういう答えを出そうがお前の自由だが」
「だが?」
「お前がネルギーと結婚したいなんて言い出そうものなら、俺は自分がどうなるか想像もつかない」
「今までで私がネルギーさん好きになる要素どこかにあった!?」
びっくりして失礼なことを叫んでしまった。ネルギーさんが退室した後でよかった。本人を前にして、好きになる要素皆無だと叫んだら失礼すぎる。たとえ事実だとしても!
心なしかほっとしているルスランを、今度は私がじっとり睨む。
「ルスラン、私のことに関してぽんこつ過ぎない?」
ルスランは真面目な顔でしみじみ頷いた。
「自覚はある」
「あってそれなの!?」
なお悪い。




