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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第三章
53/69

52勤






 声が聞こえる。最初は何かの音かと思ったけれど、意識を集中してきちんと聞けば、それは意味を持った言葉だった。子ども、いや、女の人の声がする。




 私はゆっくりと目蓋を開けた。そこは真っ暗な空間だった。

 一瞬、自分が何をしているのか分からなかった。だけど、すぐに思い出す。


 レミアムに蔓延る謎の眠りの調査のために私も眠ったのだ。

 真っ暗な暗闇をぐるりと見渡す。前も後ろも上も下も右も左も、全てが黒い。

 不思議と恐ろしくはなかったけれど、困った。これはもしかして失敗なのだろうか。眠りに落ちてしまった人はランダムで選出されているようなので、今回は外れたのかもしれない。



 それにしては、ちゃんと夢だと認識できていて、現実との前後関係もしっかり把握できている。普通の夢にしては少しおかしい。だからといって、真っ暗闇では何も出来ない。

 どうしたものかと立ったまま考えていると、またあの声がした。


『――』


 何と言っているのか分からなくて、もう一度耳を澄ます。


『こっち』


 言葉を理解したと同時に、私の手首が掴まれた。暗闇で、突然腕を掴まれたのに、なぜだか私の身体は驚愕に飛び上がることも恐怖に強ばることもない。柔らかくふわりと、まるでティッシュで包まれたような強さで、手が引かれる。

 引かれるままに足を踏み出す。真っ暗で何も見えないけれど、地面はしっかりあるようだ。平らで歩きやすくも、少しふわふわしている。それでも絨毯や布のような柔らかさではなく、土とも違う、不思議な柔らかさだ。


「どこに行くの?」


 声は答えない。ただ進んでいく手に引っ張られ、歩き続ける。

 ふと視線を落とせば、うっすらとした青い光が左手で光っていることに気づく。ルスランがつけてくれた契約書……もとい絆だ。この光を明かりに出来ないかと思いつき、掴まれている右手に近づけた。

 白い手だった。白くほっそりとした女性の手が、私の手首を掴んでいる。見えているのはその部分だけで、それより先は真っ暗な闇に紛れてしまって何も見えない。





「あなたは誰ですか?」


 手がふっと離される。ついで、背中を押されてよろける。

 慌てて一歩踏み出して転倒は避けた。何なんだと顔を上げれば、暗闇の中にぽっかりと穴が開いていた。

 その向こうに何やら壁が見えている。どうやら建物の中のようだ。あれが出口なのだろうか。連れてきてくれたのかなと振り向こうとしたら、また背中を押された。今度はあまり勢いはなく、つんつん突っつかれているみたいだ。


「分かった分かった! 行くから!」


 痛くはないけれどくすぐったい。肩甲骨を寄せて胸を突き出し、少しでも突っつかれないよう逃げる。ぱたぱたと小走りで穴に辿り着く。

 やっぱり、建物の中だ。部屋とは少し違うようで、どうやら廊下の途中らしい。しかもこの廊下、何やら見覚えがある。



 穴の中をそぉっと覗き込んでいた私の背中がどんっと突き飛ばされた。あっ、という間もなく、穴の中に転がり落ちる。怪我をするような高さではなかったけれど、痛みを感じない低さでもない。強かに打ち付けた膝の痛みに悶える。


「何すっ………………えぇー……」


 文句を言おうと振り向いた先には長い廊下が続いていた。

 さっきまで穴の中に見ていた光景だ。そぉっと視線を上げても、そこには壁と天井が広がっているだけだ。私が突き飛ばされた穴は、私を突き飛ばした人と一緒に綺麗さっぱり消えていた。








 呆然としている間に、打ち付けた膝の痛みは治まっていた。ずっとここに座り込んでいるわけにもいかないので、当初の目的を果たすために立ち上がる。まずは状況確認と把握だ。

 ぐるりと周囲を見渡す。ここはいつも来ているレミアムお城の廊下のようだ。見覚えがあると思ったのは間違いではなかったらしい。そうはいっても、私が普段いる王族の居住区ではなく、結婚式の時に通ったメインの大通路だ。確かこの先に、玉座がある。



 部屋と勘違いしてしまいそうな広い廊下には等間隔の大きな柱と、それぞれの間に大きな窓がある。だけど、その窓の様子がおかしい。外がよく見えないのだ。磨りガラスでもなければ、もちろん汚れているわけでもないのに、外が見えない。

 大雨の日のワイパーを使っていない車のフロントガラスみたいだ。ガラスに叩きつける多量の雨がそのまま凍ってしまったみたいな模様が出来ている。だくだくと流れ落ちる水がそのうねりのまま止まっていた。恐らく水だろうと予想を立ててみるが、まさかガラスが溶けているわけではない、はずだ。

 手を伸ばして爪先でガラスに触れてみる。つるつるの表面だ。外側がこんなに隆起するほど溶けているなら、内側にも何か変化があるはずなので、溶けている説は外れのようだ。



 このガラスでは外の様子がほとんど分からない。かろうじて空の色が確認できるくらいだ。

 外はどうやら夕方のようで、赤い色がぼんやり見えている。




「……誰も、いないのかな」


 廊下はしんっと静まりかえり、人の気配が全くしない。玉座が近いからか、普段から人がわいわいしている場所ではないけれど、それにしたって誰もいないのはおかしい。

 貴族や政治家の人は勿論、衛兵や使用人など、ここで働いている人は大勢いる。誰もいないということはあり得ない。だから、夢ではない現実のお城にいるのではと過った考えは捨てる。




 私は自分の格好を見下ろす。用意してもらった動きやすいけど可愛い服。手をやった髪は解いている。腕には青い石のついた腕飾り。

 寝る前とまったく同じ格好だ。

 魔法って何でもありだなぁと思いながら、ひたひたと廊下を歩く。その音と足裏から伝わってくる冷たさで、自分が裸足だったことを思い出した。次からは靴を履いて寝ようと決意する。

 綺麗に磨き抜かれた床の上を、裸足でを歩くのは気が引けて、なんとなくつま先立ちになって歩いてみる。しかし、途中で足が疲れてすぐにぺたぺた歩き始めることになった。



 誰もいない廊下をぺたぺた歩く。人っ子一人いないし、音もしない。普段から騒がしいわけではないけれど、雪夜のようにしんっと静まりかえっていると厳かな雰囲気を通り越して少し怖い。

 しかも、何だか視界が妙だ。

 私は、袖で目を擦ってからもう一度前を見た。視界がかすんで見える。乳白色のもやがかかったみたいだ。私の目がおかしいのかと何度か擦ってみたり、瞬きをしてみたけれど、一向に視界は晴れない。

 まさか建物の中で霧でも出ているのだろうか。そんな馬鹿なと笑い飛ばしたいが、ここは夢の中だし、何より現実でだってこの魔法の国では何があったって不思議ではない。





「それにしても、どうしよう……」


 ルスランからは、とにかく状況を詳細に記憶してこいと言われている。そして、余裕があれば違和感のある場所を探せとのことだ。現実世界との差異が見つかればそこが怪しいとも言っていた。

 私は広い廊下の中央で腕組みをして立ち止まった。ルスランが言っていたことを頭の中で思い出しながら、しみじみ頷き、かっと目を見開く。


「範囲広すぎない!?」


 この馬鹿でかいお城を、一人で全部見て回るのだろうか。しかも、現実世界との差異と言われても、まず比べられるほど現実世界のお城を知らない。私がロベリアと一緒にうろついていた範囲なんてたかがしれているし、その中でさえ毎日びっくりの連続だった。

 何が普通で何がおかしいのか、常識範囲内の擦り合わせすら出来る気がしない。電気が通っていないのに明かりがつくことも、ドアが勝手に開くことも、椅子が浮くことも、枠のない水路が宙を走っているのも怪しく見えるが、これはこの世界の常識なのである。

 叫んでも一人。淋しい! 心許ない! 不安でいっぱーい!



「これ厳し――い!」



 私は一人で大絶叫しながら、廊下を全力疾走した。

 走っても一人ー! 

 そうでもして勢いをつけなければ、立ち止まったまま進めなくなりそうだったからだ。ゾンビパニックみたいな場所に放り出されても困るけれど、ここまで誰もいないとそれはそれで困る。


「どうすりゃいいの――!?」


 静まりかえった場内で唯一音を発している私は、さっきまでぺたぺたと鳴らしていた足音を、ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺと変化させ、力の限り疾走しながら絶叫した。






 しまった逆だった。

 そう気づいたのは、巨大な階段に辿り着いたときだった。目的地もないので、一応玉座の間を目指すつもりだったのに、気がつけば真逆の階段に辿り着いている。やってしまった。来慣れたお城とはいえ、この辺りはほとんど分からないので、かろうじて知っている場所を確認してから次を考えようと思っていたのに。

 走って戻るのも面倒で、お行儀悪く階段の手摺りに座る。誰かに見られたら日帰り王妃の座すら叩き落とされそうだ。だが今は、その誰かに会いたい。ここまでの間、本当に誰にも会わなかった。これ、どうすればいいのだ。



 何となく目に入った廊下突き当たりの扉まで歩く。自動ドアみたいに取っ手のない扉をそっと押す。……びくともしない。体当たりする。跳ね飛ばされる。怒られるのを覚悟で蹴り飛ばす。足がしびれた。扉の間に指先をねじ込み、こじ開けようと試みるも当然びくともしない。


「魔力0に厳しいままなの!? 嘘でしょ!?」


 これ、探索もままならないのではないだろうか。確かにルスランは何かあれば引っ張り戻すから呼べと言ったけれど、鍵が開きませんを理由に引っ張り戻されるのは悲しすぎる。




 扉を背にずるずる座り込む。疲れた。気合いが無駄に空回りしてるだけで、何の収穫もないのに詰んだ。扉が開かないのは困る。どうすりゃいいのだ。

 どこかにマスターキーはないものか。斧とか。斧とか。百トンハンマーとか。

 うーんと悩んでいると、階段の下に何かが見えた気がした。ふっと視界の端に引っかかった違和感に引っ張り寄せられ、腰を浮かせる。四つん這いで移動し、階段の上部に設置されているさっき座っていた手摺りの間から下を覗き込む。何かが、ふっと通り過ぎ、一階の廊下に消えていった。


「……黒髪?」


 黒髪と桜色の大きなリボンが見えた気がする。この世界のファッションに詳しくないけれど、あまり見かけたことがないタイプだったように思う。何はともあれ、人がいるなら是非追いかけたい。

 慌てて立ち上がった私は、背後からひょいっとかけられた声に飛び上がった。





「あれ? 王妃様?」

「うわぁあああああ!?」


 思わず仰け反ってしまい、階段から転げ落ちそうになる。慌てて手摺りにしがみついて事なきを得た私の前で、いつもの女の子姿をしたロベリアが呆れた顔をしていた。


「何やってんの? 茶でも飲む?」

「え、いや……え?」

「何? どうしたの? 菓子でも食う?」


 いつも通りなロベリアの前で、手摺りにしがみつき続けているのも何なので、さっさと体勢を直し咳払いで誤魔化す。


「何でもない。ロベリアこそ何でいるの?」

「なんで俺が城にいちゃいけないんだよ。俺、ここが職場なんだけど」

「ですよね」


 質問が悪かった。


「なんで他に誰もいないの?」


 聞かなきゃいけないのはこっちだ。




 今度は正しい質問を出来たと思ったのに、ロベリアは変な顔で私を見た。私何か変なこと言っただろうかと思ったら、さっきロベリアと会う前のことを思い出した。驚いた衝撃ですっぽり抜けてしまうところだった。


「そういえば、さっき誰かがいたんだよ! 階段の下、あっちに行ったから追いかけよう!」


 私が指さした方向を見て、ロベリアは首を傾げた。


「俺、さっきあっちから来たけど誰もいなかったぜ?」

「えー!? っていうか、ロベリアどっから来たの?」

「え? ここ」


 先頭に立って歩き出したロベリアは、階段左手、三つ目にある扉をあっさり開けた。魔力による自動ドアは便利だ。私以外には。魔力0に厳しい世界は、魔力ある人には優しい世界なのである。

 分かっていた事実でも、目の当たりにすればやっぱり思うところはあるのだ。

 私は魔力0に厳しい世界を大いに嘆きながら、ロベリアが開けた扉の中を見た。そこには小さな部屋と階段があった。


「あっちは表舞台用。こっちは使用人用。あのでっかい階段を貴族がいる中掃除道具持って上がれねぇだろ?」

「成程」

「だから、俺さっき一階から来たんだけど、そんな女見なかったけどなぁ。王妃様が言った廊下も一本道だし前から誰か来たらすぐ分かるんだけど」

「そっか……見間違いだったのかな」


 ひとりぼっちが淋しすぎて幻影を見たのだろうか。それはそれで危ない。私が。




 そうとなると、振り出しに戻ってしまった。つまり、何をすればいいのか分からない。


「そもそも、この城に他の人間がいるわけねぇじゃん」

「え? どうして?」


 だってここはお城だ。いつも沢山の人が働いている場所である。何か大きな事件などがなくても、毎日大勢の人が溢れているはずだ。それなのに、誰もいないとはどういうことなのだ。

 私はきっと、さっきのロベリアと同じくらい変な顔をしている。ロベリアはそんな私に、何言ってるんだみたいな顔と声で言った。


「王妃様、大丈夫か? もうここには、俺と王妃様と王様しかいないだろ?」


 今日の天気みたいに、さっき食べたお昼ご飯みたいに、当たり前のことをただ音にしただけの顔で、そう言った。








「月子!」


 聞き慣れた声で名前を呼ばれ、びくっと身体が跳ねる。私の肩を掴んでいる手を握ったのは反射だった。きっかけは反射でも、それが誰か分かったら今度は自分の意思で握りしめる。

 心臓がうるさい。暑いのか寒いのか分からない。洗い呼吸音が自分のものだと気づくまでに、少し時間がかかった。


 私はいま、ルスランのベッドにいる。そうだ、ここはルスランのベッドだ。どうやら目が覚めたらしい。だったら、さっきのはやっぱり夢だったのだ。夢だったのに、酷く、疲れた。

 大丈夫。ちゃんと覚えている。夢は起きたら忘れてしまうことも多いけれど、眠った理由も、眠っていた間のことも、ここがどこでどういう状況なのか、ちゃんと分かる。そのことに、ほっとした。


 ルスランは、ぼんやりしている私を心配げに覗き込み、汗で張り付いた髪を払っている。


「三時間経ったから起こしたけど……大丈夫か? 気分は悪くないか?」

 もう三時間経っていたのか。まだ三十分ほどしか経っていないと思っていた。

「お水、飲みたい」

「ああ。この後、他の連中を呼ぶが、話せるか」

「うん」


 王様手ずから入れてくれた水を一気飲みする。思っていたより喉が渇いていたみたいだ。汗も薄らかいているから、仕方がない。

 飲み干してからお礼を言ってコップを返す。受け取ったときにお礼を言う余裕がなかった。

 ちゃんと起き上がり、私をじっと見ているルスランにへらりと笑う。


「おはよ、ルスラン」

「……ああ、おはよう月子。まだ真夜中にもなってない夜だけどな」

「なんてこったい」


 三時間だとそんなものか。今何時だろうと時計を見れば、まだ十時半だった。確かに真夜中ではない。まだまだ夜はこれからだな時間である。

 ふーっと息を吐き、ルスランが渡してくれた上着を羽織る。皆が来るなら隣の部屋に移動したほうがいいだろう。ベッドの上で体勢を整え、靴を履こうと身体の向きを変える。


「月子」

「ん?」


 呼ばれたから顔を上げた私の唇に、ルスランの唇が重なった。


「あいつらを呼んでくる」


 そう言って平然と部屋を出て行ったルスランを無言で見送る。扉が閉まると同時に、ぱたんっとベッドに倒れ込む。顔を両手で覆い、身体はくの字に織り込む。疲れてるのに、何の予兆もなく大ダメージ与えてくるのやめてほしい。


 ベッドの上でしばらくうごうご悶えて暑くなり、せっかく着た上着は脱いだ。しかし、戻ってきたルスランに速攻着せされた。誰のせいで暑くなったんだとぼそぼそ文句を言えば、俺のせいなら光栄だとしれっと返してきた。後で仕返しを考えておこうと心に決めながら、とりあえず後ろに回って膝かっくんしておいた。









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