5勤
そうして始まった異世界王妃バイトは、今日もつつがなく行われている。
「おお……浮いてる……」
空中庭園は知ってるけど、本当に空中にある庭園は生まれて初めて見た。
私の眼前には、どこにも柱が無い巨大な半円に一本だけ繋がっている階段があった。ビー玉を半分に割ったみたいな巨大な半円を目指して階段を上る。足元は絶対見ない。ただひたすら前だけを見て突き進む。これ、上りはいいけど下りは絶対下見なきゃいけないんだけど、どうしよう。
一回意識したら一歩も動けなくなる予感しかしないけど、それを今考えたら上ることすらままならなくなりそうで、全部後回しにする。
過去の自分に後始末を全部押し付けて上り切った先には、高級なホテルみたいな庭があった。
凄い、これ、庭だけで入場料取れるやつだ。
宙に浮く半円の上とは思えない。木に、花に、野原に、小川に噴水に東屋に……滝まである。ちょっと、ありすぎだ。更に、木も花も野原で靡く草も、全部知らない品種だ。こんな氷の結晶みたいな花見たことがないし、青い木も初めて見る。知らない色、知らない形をした存在で形作られた庭園は、夢のように美しかった。
本当に宙に浮かんでいる庭園は、夢のように美しくて、呆然と視線を回す。空中庭園は、こんなところまで高そうだ……という感嘆の溜息が漏れて、触るのを躊躇う豪華な柵でぐるりと覆われている。
万が一壊して弁償と言われたら怖いし、こんな状況で柵が壊れても怖いしで、柵に触らないよう隙間から恐る恐る下を覗き込む。遥か遠い場所にある地面にくらりとなって、慌てて視線の位置を変える。高所恐怖症ではなかったはずなんだけど、地面自体が浮いている状況に不慣れな所為か、どうにも恐怖が先に立つ。
真下を見たら怖いけど、遠くを見たらあんまり怖くないだろうと思い、遠くに見える町並みを眺める。三角、四角、五角形、八角形、平、シャボン玉みたいな屋根が見た。しかも色取り取りだ。目に楽しい、心に楽しい、異世界の町並み。
ルスランが生まれて、生きて、治めて、守っている町だ。
絵本のように幻想的な町並みに、異世界だなぁと、美しさも詩的な成分もない素直なだけの感想が浮かぶ。
「空中庭園つったじゃん」
私の隣からひょいっと下を覗き込んだ金髪の少年は、呆れた声で言った。
「本当に浮いてるなんて思わないじゃん……」
「浮いてないのに空中ってつかないだろ」
「それがつくんだよ、私の世界じゃ」
「詐欺じゃん」
そりゃそうだ。
大変納得のいく会話を交わした相手は、青髪の美女になっている。ぱちりと瞬きすれば、そばかすを散らした赤毛の少女になった。
「ロベリア、落ち着かないから姿統一してください」
「おー、悪い悪い。なんか最近調子いいし、変化速度と精度上げる練習したくてさ」
歌うようにくるりと声音を回したロベリアは、茶髪の大人しめの顔をした女の子になった。私と同じくらいの年の頃のこの女の子が、一番見慣れた姿だ。
だが彼は男である。
ようやく姿を統一してくれた相手を見ながら柵から離れ、東屋に場所を移動した。ドレスを着せてもらえて嬉しいけど、ドレスってしゃらしゃらなイメージを裏切って結構わさわさで動きにくい。もっさもっさとスカートを抱き寄せ、出来るだけ皺にならないよう自分なりに気をつけて座った私の横に、豪快にスカートを潰したロベリアが豪快にどしんと座った。
ルスランが私の護衛としてつけてくれたロベリアは、姿を変える魔術が得意らしく、瞬きの間に男になったり女になったりマッチョになったりムッチョになることができる。一応王妃のお世話係&護衛としてどっちでも通用できるように、普段はこの茶髪の女の子の姿をしているけど、本当は男の子らしい。
本当の姿は見たことないから知らないけど、ルスランからは年の頃も似たようなもので堅苦しい騎士よりこっちのほうが絶対お前に合うとのお墨付きだ。
実力もお墨付きらしく、年は若いが体術も魔術もトップクラスだとルスランが言っていた。その言葉通り、トップクラスの魔術でさっきからくるくる変わる姿形に目が回りそうだ。顔も体型も声質まで変わるから、さっきから何十人もの人と初めましてをした気分だ。
「私、魔術自体慣れてないんだから、加減してよ」
「ぶっはっ!」
「なんですっごい笑ったの!?」
その護衛のロベリア君は、せっかく大人しい女の子の外見なのに、大股開きで膝を叩いて大笑いしている。ただのおっさんである。同じ年の頃とか絶対嘘だ。
「だってさぁっ……も、申し訳ございません王妃様……わたくし、王妃様になんてご無礼をっ、ああどうしましょう」
突然顔をハンカチで隠してよよっと崩れ落ちたロベリアを冷めた目で見つめる。
「流石にもう騙されない」
「やっぱ一週間近くやれば慣れるか」
あっさり表情を入れ替えたロベリアは、また大股開いてからからと笑う。そして、さっき小芝居に使ったハンカチを意外と丁寧に折り畳んで懐に仕舞い直した。雑で豪快に見えて、実はこのスカートも立ちあがったとき変な皺がついていない座り方をしているのだから凄い。
「結婚式のときの、魔術量お披露目の儀!」
笑い方を、からから、から、げらげらへ移行したロベリアは、腹を抱えて笑っている。
「王妃様と会ったのは結婚式の次の日だけどさ、俺、結婚式見てたんだよ。王様から直々に王妃様の護衛命じられたし、先に見とこうかなって。そしたらさ! 王様が測定器壊さないよう最大値でぴたりと止めたのに対し、王妃様のは初っ端の位置でぴたりと制止したまま! 多過ぎて測定不能の王様と、全くなくて測定不能の王妃様。あれは笑った笑った。魔力0の人間とか初めて見たぜ。だって、動物はもちろん植物でさえ大なり小なり魔力持ってるもんなのに、0! 俺あのとき、王妃様実はあの瞬間に暗殺されて死んでんじゃねぇかと思ったもん」
「生きてるよ! 怖いこと言わないで!?」
「生きてるのに0はもっと怖いわー」
すっぱりきっぱり言い切られて、今度は私が崩れ落ちる。生きとし生けるものが必ず持っているはずの魔力が0と言われた悲しみはそう簡単には癒えない。ルスラン測定だけじゃなくて正式な魔力測定器で測定された上で0であり、しかもその瞬間をレミアム国の国民及び賓客の皆々様の前で披露されたのだから、私の傷は深い。
私はわっと顔を覆った。
「ただでさえ日帰り王妃って呼ばれてんのに!」
「そうそれ! それもめちゃくちゃ笑った!」
指さしてげらげら笑う私の護衛、めちゃくちゃ無礼! 確かに初日に同じくらいの年らしいし、敬語とかいらないよとは言ったけど、誰が指さして笑っていいと言った!? 指さすのは別にいいけど! その代わり私も指すからね!?
「パーティーもそろそろお開きで、王妃様はお支度がございますのでこちらにって呼びに来た侍女達に『あ、帰りはルスランに送ってもらうんで大丈夫です。ありがとうございます。ドレスとかネックレスとかもルスランに渡しておきます。それじゃ私明日学校あるのでそろそろこれで。明日は居残りなかったら夕方に来ます。それでは皆様、本日はお集まり頂きありがとうございました。お疲れ様です、お先に失礼します!』って言い切った王妃様に、俺は伝説の誕生に立ち会った気分だった」
「それ私の声真似!? 凄いうまいね!? でもさ、月曜日に結婚式やるルスランもどうかと思わない!? 週の始めだよ!? 終わりでもせめて半ばですらなく、始め! 月曜日! まだ火水木金と残ってる初っ端の日に、全体力と気力を使い果たした私を褒めてよ!」
魔力は使い果たす前から0だけども!
踏んだり蹴ったりとはこのことである。
おかしい、好きな人との結婚式って、たとえ仮初でも、もうちょっと夢や希望やときめきがあるものではないのだろうか。
最初こそ全身ばっちり正装礼装のルスランにときめいて心臓が痛いくらいだったけど、花嫁衣装は重いわ、わさわさだわ、我ながら馬子にも衣装だったわ、総額幾らか分かんないわ、ヒール痛いわ、偉い人の話は長いわ、魔力は0だわ、ご馳走が目の前にあるのにルスランと私はろくに食べられないわ、ルスランは基本的に終始無表情だわ偶に喋っても知っている声音より何段階も低くてお前誰だ状態だわ。それを押して頑張って最後まで乗り切ったのに、最後の最後で日帰り王妃のあだ名をつけられるわ。
散々である。
ロベリアから私にあだ名がつけられてるって聞いたときは『え!? 結婚式の次の日にあだ名つけてくれるなんて、異世界の皆様フレンドリー!』ってめちゃくちゃ喜んだのに、蓋を開けて見れば日帰り王妃。事実なだけに悲しすぎる。
「でもさー、王妃様紹介した五日後に結婚式捻じ込んでごり押しした王様すげぇと思うけど」
そうなのである。ルスランは、あの事故召喚から五日後に本当に結婚式を用意してしまったのである。そんなことが可能なのかとびっくりしたけど、可能だったから結婚式を挙げたのだ。
「ほんとびっくりだよ。国と結婚したって半ば本気で信じられてたあの方が、まさか存在を秘匿してた幼馴染連れてきて恋愛結婚します、五日後にって言われた俺らの気持ち分かるか? あんたが降ってきたってあのくそまじめな一の騎士マクシムが証言しなきゃ、王様の錯乱を疑ったぞ、本気で」
「私もルスラン血迷ったかと思った」
「えぇー……」
まあルスランからすれば、即答して王妃を引き受けた私はさぞかし血迷ったように見えたことだろう。更に『へぇー、ルスランのところでバイトするのか。じゃあ安心だねー』とご機嫌で承諾してくれたお父さんも、かなり血迷ったように見えていたらしい。でもルスラン、お父さんのあれは血迷ったんじゃなくて、飲み会帰りで酒に酔ってただけです。
こっちに来ればまず着替える、いつの間にか用意されていたサイズぴったりのドレスの裾を引っ張って、ぱっと放す。この行動に、特に意味はない。
王妃バイトを始めてから毎日のように着ているのに、未だに全然慣れないドレスに肩が凝る。最初こそわくわくしていたけど、ドレスって動くたびにわしゃわしゃ鳴るし、思っていたより自分の範囲を広く取って動かなければならないのでなかなか億劫だ。自分の身体のサイズ分だけ気をつけて避けても、裾が引っかかって物や人に当たってしまうのだ。だから、動き一つ一つが大仰になる。
凄くいいお品であろうことは想像に難くないのだけど、それでも何も着ていないようにや羽のようだなどと形容する域に達するのは難しい。やっぱり普段着ている洋服が一番楽だ。ちょっとよれた服とか最高だ。
ロベリアは足を組み、その膝の上に肘を置き、手の上に顎を乗せる。何でもない動作だけど、スカートも手首の裾も一切引っかけず、最小限の動きに抑えているのか衣擦れの音もほとんどしない。元は男の子だというロベリアは、私のものより装飾が控えめではあるけれど同じようにドレスを着ているのに全く苦にしているようには見えないので、何かコツがあるのだろうか。
「でもさ、横槍入れられる前に無理を押してでも最短で既成事実作ったのを見ると、王妃様相当愛されてると思うぜ?」
「でっしょー? 知ってるー」
「うっわ、腹立つ! あの方、自分のことでは絶対ごり押し政策しなかったのに!」
満面の笑顔で両手の指を銃みたいに構えてロベリアに向けたら、べしべしべしと高速で指先をはたかれた。それでも私の指はロベリアを向き続けていたから、相当力加減がされているのだろう。しかし、高速ビンタが続いている所を見ると、相当腹が立っているようだけど。
「うへへー。長い付き合いだもーん」
「俺だってもう五年以上の付き合いだよ!」
「私はルスランが子どもの頃からの付き合いだから、十年以上だもーん」
付き合いが長すぎて、恋愛対象として全く見てもらえないのだけど!
だけど、ずっと鏡台越しにしか会えなかった頃とは違い、今はちょっと場所を移動すればルスランに会えるのだ。同じ空の下にいるんだなって事あるごとに思い、その度幸せになれるって、本当に恵まれている。