48勤
『レミアムはあの日、きっと行き止まりに辿り着いてしまったの』
そう言った、新しい友人の酷く寂しい声を、覚えている。
窓が開かない部屋独特の、消臭されていてもどうしたって残ってしまう籠もった匂いを感じながら、冷たいコップを受け取って隣の人に渡す。
流れ作業が終わり、自分の分のコップを両手で持つ。私は烏龍茶だ。烏龍茶組は最初に配られたのである。コーラ、カルピス、ジンジャー、オレンジジュース。種類別に流されてくる飲み物を順に回していく。
店員さんから飲み物を受け取った、入り口から一番近い位置にいる男子が全員の手にコップがあるかを確認するためにぐるりと視線を回した。
「全員いったなー? じゃあ改めて、中間テスト終了おめでとう、かんぱーい!」
そう、今日は中間テスト最終日なのだ。せっかくなので、クラスの親睦を深める意味も込めて、一の六クラスは今日全員でカラオケに来たのである。さすがに全員一部屋には入れなかったので二部屋に分かれたけれど。
「おつかれー!」
全員、コップを掲げ、隣の人や隣の隣にいる人、前方にいる人達とグラスを合わせていく。
「乾杯の音頭に合わせろよー!」
音頭を取った男子、浜辺君が嘆くも誰も聞いていない。
「かんぱーい」
しくしく嘆いている浜辺君が可哀想なので、同中のよしみとして乾杯の音頭に付き合う。隣の席では、同中仲間である知歌子も面倒そうに「かんぱ」と適当に付き合ってくれた。
中学で私達三人は偶然にも三年間同じクラスだったので、結構仲がいいのである。
「野原子ペアー!」
大仰に嘆きながら私と知歌子の間に割り込んできた浜辺君を、二人で避ける。浜辺君はそのまま椅子に突っ伏した。知歌子はひょいっと浜辺君を乗り越えて最初の位置に戻る。
「浜辺のせいで高校でも野原子ペアって呼ばれるじゃん。同じクラスになれるのは月子だけでよかったのに残念過ぎるー」
「お前……相変わらず辛辣だよなー……」
ちなみに、野原子ペアというのは彼が言い出し、私と知歌子が中学で三年間呼ばれ続けたあだ名だ。私が春野月子、知歌子が薊野知歌子だからである。二人とも原は名前についていないけれど、野とつけば原をつけたくなると浜辺君は力説したのでほっといた。
一応高校になって初めての集まりで、親睦のはずだったのだけれど、結局普段仲のいい人で固まってしまうのは世の常である。
わいわいと話し始めた部屋の中心、机の上で、ほっとかれたマイクが寂しげに転がっていた。隣の部屋はカラオケを始めたようで、音楽とタンバリンの音が聞こえてきた。
「今日はせっかく久々に月子が遊び付き合ってくれるんだし、浜辺は男子のとこ行きなよー」
「あ、そういうの差別って言うんだぜー。つーか、春野最近まじで付き合い悪すぎだろ。バイトそんなに忙しいのかよ」
烏龍茶を飲んでいる私に変わり、オレンジジュースをずこーっと飲んだ知歌子が答える。
「月子は彼氏ができたからねー」
「そうそう……あれ? 知歌子も彼氏できたって言ってなかった?」
「別れたー」
「え、いつ?」
「さっきー」
「さっき!?」
「テスト中は別れる労力割くのも面倒だったからー」
確かテスト前に付き合い始めたと聞いたけれど、ついさっき終わりを迎えたとは知らなんだ。
知歌子は付き合うのも早ければ別れるのも早い。その歴代彼氏の名前をルスランは律儀に覚えていたわけだけど、私はもちろん知歌子自身も忘れている気がする。
「月子のバイト先と彼氏は、テスト中ほっといてくれるからいいよねー」
「……そもそもテスト中は、こっち来るな寄るな触るな近寄るなって言われてるし。寝る前に話すくらいかな」
話すといっても電話ではなく、直接会って話すけどそれは言えない。まあ顔だけの日もあるから、実質テレビ電話みたいなものだから嘘ではない。
テスト中はバイトがお休みなのは勿論、レミアムに行くこと自体が禁止されている。良くも悪くも、日帰り王妃の私には仕事がないのである。
ルスランは相変わらずそれなりに忙しくしているようだ。いつも夜にちょっと戻ってくるけど、そこから再び出かけてしまうし、昨日は帰ってこなかった。そういう時は私が学校に行っている間に仮眠を取っているらしいので、すれ違いが続いてしまう。
明日の出勤は何時になるのか聞きたいので、今日は会えるといいな。
「いいねー、大人って感じー。そういうちゃんとした人なら、社会人でも付き合っていいと思うよー」
「ほんと、お母さん達に報告してくれた時とか、私は楽観的に考えすぎかなって度々反省してる……」
恥ずかしさで居たたまれなかった上に、両親揃って爆弾発言して私とルスランの手巻き噴出事件が巻き起こったりといろいろ大変だったのは忘れないけれど。
ずこーっと烏龍茶を減らしながら、ふと気づく。そういえば浜辺君が静かだ。知歌子の肩越しにひょいっと浜辺君を見ると、目を見開いてこっちを見ていた。てっきり反対隣の人と話していると思っていたので、ぎょっとする。
「浜辺君、どうしたの?」
「は、はるの、お、おま、お前」
「うん?」
ラップ調で呼ばれたことを突っ込める雰囲気ではなさそうだ。
「彼氏できたのか!?」
「うん」
「うっそだろお前!」
「なんでぇー!?」
私に彼氏ができたことがそんなに驚くようなことだというのか。つまり私は彼氏ができないと思い込まれてしまうほど酷い有様と……そっちのほうが酷くない!?
「実家に帰らせていただきます……」
「待て、待て待て待て! 誰!?」
「私、中一から付き合いのある春野月子って言います、よろしくね!」
「知ってるよ! 誰が今更お前に名乗れって言ったよ! 彼氏! 誰!?」
聞いても知らないんだけどなぁと思う。そして名前をつらつら全部言える自信はない。
ルスランとだけ教えれば、名前だけで外国人であると察してくれるだろうが、実は異世界人である。いっそ写真でも見せてしまえば、あの特異な見た目で興味をかっさらって、名字に関しては言わずにごまかしても突っ込まれないで済むだろう。
そう考えたところで、はたと気づく。しまった。人様に見せられる写真を一枚も持っていなかった。
私が持っているルスランの写真は、鏡台越しに撮った異世界仕様のルスランだけだ。どう好意的に見ても額縁入りの肖像画である。
スマホの中にはないけれど、ルスランの誕生日ごとに撮っているので一応成長記録のごとく春野家アルバムに収まっている写真もあるにはあった。だが、それも肖像画に見えることに変わりはない。成長する肖像画と並んでピースして成長していく私の写真。シュールにも程がある。
黙ってしまった私をどう思ったのか、浜辺君は顔を引き攣らせた。ちなみに知歌子は、浜辺君をちらりと見て肩を竦め、私の反対隣に移動していく。挟んだまま話しててごめんね。
「さ、さっき社会人って薊野が言ってたけど………………不倫は、やめたほうがいいと、俺は、思う。誰の、ためにも、よくない、だろ」
「ルスランは独身だし、私以外の彼女はいません」
お妃様候補はたくさんいるけど、その事実は私の心の中にしまっておこう。
思わず真顔になってしまった。どうして口籠もっただけでそんなあんまりな疑惑を持たれなくてはならないのか。私の真顔が徐々に崩れ、ふくれっ面になっていく中、浜辺君は恐れおののく顔になっていく。何故。
「が、外人…………お前、騙されてね?」
「失敬な。曾お婆ちゃんの親戚だから私の遠縁だし、幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いだから幼馴染みですー。付き合ってること私のお母さん達に報告もしてくれまーしーたー」
この先、彼とルスランが会う未来はないだろうが、ルスランと私の名誉のためにも、不倫&詐欺疑惑は潰しておきたい。
ずこーっと烏龍茶を飲みきった私の前で、浜辺君はまだおののいている。私に彼氏ができたことが、そんな天変地異の前触れであるみたいな反応をしないで頂きたい。
私は、まだ始まったばかりなのに既に飲みきってしまった烏龍茶を悲しく見つめ、残った氷をストローで突っついた。
「え? 春野さんって彼氏外国人なの?」
あまり話したことのない女の子がひょっこり会話に混ざってくる。
「そうそう。といっても、親戚だよ。遠縁だけど」
「えー!? それでもいいなー! かっこいい! あ、ねえねえ、外国人の恋人ってお互いのこと何て呼ぶの? ダーリンハニーってほんとに呼ぶの? それ以外でも他の呼び方って何がある?」
「んー……人それぞれじゃないのかなぁ。私達はそのまま名前で呼んでるよ。幼馴染みだし」
「そっかー。前に本で読んで、名前以外の呼び方って可愛くっていいなーって思ったんだよね。他にもいろいろな呼び方があるみたいだし。ダーリンハニーの別の呼び方なんて言うのか、知ってる子いるかな」
その子が隣の子に聞き、隣の子がこれまた隣に聞く。聞かれた人から首を傾げていくのでどこまで質問が回ったかよく分かる。最終的に、知歌子から棒読みで「ダーウィンハリーの別の飛び方って金斗雲」と告げられ、無事に伝言ゲームが終了したことを悟った。
伝言ゲームの正解が告げられ、カラオケは一旦中断した。皆が知恵を絞りつつ、ダーリンハニー以外でどんな呼び方があるのかスマホで調べ始める。
私も調べようと鞄から取り出した瞬間、スマホが震えた。
「あ、お母さんだ。ごめん、ちょっと出てくる」
堂々のお母さん表示に、皆は水戸黄門様の印籠を見たかのように道を空けてくれた。
お母さん、それは私達学生にとっては絶対の権力を持った王にも等しい存在だ。醤油が切れたと仰せであれば買って帰り、お一人様二パックまでの卵をご所望であれば確保し、あれ買ってきてと言われればあれを見事推理して献上せねばならぬのである。
皆が無言で通してくれたおかげで、スムーズに廊下に出られた。他の部屋から漏れ出てくる音楽から少しでも離れようと、階段に近づきながら電話に出る。
「お母さん? どうしたの?」
試験お疲れカラオケに行く旨は伝えてあるので、遅くなったことを心配しての電話ではないはずだ。だが、他に電話の内容も思いつかず、とりあえず聞いてみる。
『あ、月子。皆で遊んでるのにごめんね』
「んーん。何かあったの? 塩? 砂糖? 醤油? 牛乳? お米はやだよー、重いもん」
『それがねぇ、珈琲みたいな名前の男の人と眼帯の男の子をつれて、ルスランが来てるのよ』
「……………………………………へ?」
「三時間寝かせてくれだって。いま布団出したり準備終わって寝かせたところ。ルスランは月子の部屋で寝かせてるから。で、三時間後また戻るらしいんだけど、夕飯食べさせたほうがいいと思うの。だから買い出し付き合ってほしいんだけど、帰ってこられる?」
「……………………………………は?」
『あ、大丈夫? じゃあよろしくね。スーパーで待ち合わせでいいわよね。じゃあねー』
ぶつっと切られ、つーつーと無情な遮断音が聞こえているスマホを耳に当てたまま、私はもう一度今までの会話を頭の中で反芻する。
じっくりみっちり反芻し、きちんと理解した私は、もう一度「は?」と呟いた。私の渾身の「は?」は、誰に聞かれることなく階段に落ちていった。
そして、お母さんに言いたい。私の返事は「は?」であって「はい」ではないので、いつの間にか了承したことにしないで頂きたい。スーパーは行くけどもね!
「どういうことなの!?」
どこかの部屋から聞こえてくるノリノリタンバリンの音を聞きながら、私は一人、階段で絶叫した。




