47勤
島の高度は通常時のものへと戻り、揺れることもなくなった。
海上にあった、島の浮上を左右する地上の魔力に干渉していた装置は、二つだけ残し、後はルスランによって全て破壊されていた。何十倍もの力を叩きつけなければ通用しないのならば、何十倍もの力を叩きつければいいという酷く単純で簡単じゃないことを、あっさりやってしまったルスランはちょっとおかしいし、マクシムさんもそれなりにおかしい。この主従、わりとゴリラだ。
私はますますゴリラ王妃を目指す必要が出てきた。
新しい『石』の存在は、これから研究されるそうだ。これだけの規模の災害を、一人の魔術士が行えてしまったことに、みんな真っ青になっていた。本人が砕け散ってしまったのは、石の力が強すぎたのか、術者の限界を超えてでも使えてしまう代物だったのかは分からない。だけど、お手軽に使っていいものではないことは確かだった。
『月光石』を扱える人間は限られていると、エインゼは言った。だけど、あのお姉さんは『月光石』と呼ばれた私にだけ見える魔力を『石』によって使った。あのお姉さんが『月光石』を扱える人間だったのか、それとも、誰もが使える形にするために『石』という形が使用されたのかはまだ分からないとルスランは言った。
ルスランは、あの石を研究している協会の施設を探して強襲することも視野に入れていると教えてくれた。いくつか目処はついているのだそうだ。だけど、どれも国外に存在するから、手を出すのは難しかったという。今は貿易も回復してきたことで、交渉しやすいとのことなので、これからまたちょっと忙しくなるそうだ。
島が危険高度を超える心配も、落下の心配もなくなったとはいえ、それなりに島中がばたばたしている。調査のためにあえて二つ残された魔力干渉装置の回収、島の全面のチェック、揺れによる被害はなかったかの調査、船に積み込んだ荷の撤収作業、片付けてしまったお祭りの再開、一日漁がされなかったことによる魚不足への対処に追われるお店もある。あれだけのことがあったのに、急速に『日常』へ戻っていく。
逞しい町である。
私も、事後処理に追われるルスランにくっついていたからそれなりに忙しかった。
島の底面の石はもう光っていないか確認したり、よく分からない専門用語を高速で交わし合うブランさんを中心とした専門家の皆さんの話し合いを延々と聞き続けて頭から煙噴いたり、私の目を研究したいと詰め寄るブランさんから逃亡したり、遅い朝ご飯に許可をもらっていそいそ持ち出した醤油を料理長に強奪されたり、ブランさんから逃亡したり、ルスランの開きを作りたがるブランさんを説得したり、コレットのルスラン武勇伝に船を漕いで大目玉食らったり、ブランさんに目玉くりぬかれそうになったり、ネルギーさんに冷ややかな視線をもらったり、ブランさんに正式に月子の開きを作りたい旨を申し込まれてぶち切れたルスランを全身全霊で押さえてブランさんを逃がしたり、とても忙しく王妃の務めを果たした。
王妃って大変だ。庶民には考えもつかない大変さに溢れた職務である。
私は、ありとあらゆる忙しさに目を回していた。大きな画面を中心として、たくさんの画面の部屋に戻ってきた私達は、また階段上の椅子にいる。さっき私が座っていた重そうな椅子の前に重そうな机、隣に少し細い椅子が置かれていた。
今も、慌ただしく走り回っている人々を眼下に、私はルスランが仕事をさばいていく様子を見ていた。見ていただけで疲れた。
「……凄い、何言ってるか半分以上分からなかった」
「魔術に関する事と、地名と名前がほとんどだったからな」
何が地名で何が魔術に関する単語で何が名前だったのか。何を言っているのか分からないのに、私達を開きにしたいという要望だけははっきり丁寧に分かりやすく宣言したブランさんは、他所から介入を受けたことで元からの魔力が変質していないか毎時確認しに行くので、ついさっき下がっていった。
「ところで月子さん」
「何でしょう、ルスランさん」
「覚えたはずの我々の名字はどうしたんですか」
「…………………………短期記憶だったみたいで、こう、いろいろ曖昧、に……」
「はいここテストに出ます」
「記号で選ぶやつだよね!?」
「記述式です」
「うそぉ!?」
問1 次の人物の名前を答えよ
ルスラン・( )・( )・( )・( )・( )・( )・( )・( )
鬼だ。鬼がいる。せめて順番を入れ替えるだけにしてほしい。しかもこの問い、必須事項のため配点0だ絶対。
まだお昼過ぎなのに、一日を元気に過ごすパワーを使い切った私は、とどめを刺されてぐったりと机に突っ伏した。横でルスランが何かを書類に書き込んでいるのを同じ高さで見つめる。
「こんなにSFチックなのに、書類あるんだね」
「改竄されないように、だな。重要な物ほど紙になる」
「そうなの?」
「保存の魔術を掛ければ何百年も保存が可能だからな。それか、用事が終わった瞬間この世から消せる。だから紙は重宝する」
「……………………両極端の理由で重宝されてることは分かった」
ぱらぱらお昼を食べに行っている人が出始めて、慌ただしいながらも少し空気が緩み始めた部屋を見下ろしながら、ぐてーっとする。私達はばたばたした後に遅い朝ご飯を食べたから、お昼はまだだ。半ば休憩みたいな時間だから、ルスランも手元の仕事を片付けているだけで、わりとのんびり私と話している。
「あ、コレット帰ってきた」
部屋の入り口に人だかりが出来たと思ったら、軽い昼食に出ていたネルギーさんとコレットが戻ってきたのだ。
コレットは魔力の量が多いらしく、いろんな所の補助に駆り出されていた。ネルギーさんは、聖徳太子の逸話を思い出す状況をあっさり捌き、コレットと一緒に階段を上ってきた。
私も、ぐてーっとしていた身体を起こす。いくら休憩時間みたいなものといえど、ネルギーさん達が上がってきたのにぐてーっとしたまま迎えるの度胸は、まだない。
オレン家の兄妹が机の前に並ぶ。ネルギーさんはいつも通り何考えてるか分からない冷たい無表情だ。けれど、コレットの様子が変だ。なんというか、変な顔を、している。あと、顔色も酷く悪い。
「……コレット、どうしたの? 大丈夫? お腹痛い?」
「違うわ……違うのだけれど…………」
机から身を乗り出して、ひそひそ話す。コレットも身を屈め、ひそひそ返してくる。
「月子、貴女、わたくしと友人になりたいと言ったわね?」
「え、うん」
「そう…………なら、何があってもその言、覆すのは許さなくってよ」
「…………何があるの?」
「わたくしは反対したわ! その為に貴女をお茶に招待したのではないと覚えておきなさい!」
「うおっ」
ひそひそなのに耳がきーんとなる勢いで叫ばれた。近いから悲痛な声がダイレクトに頭の中を通り抜けていったのだ。
耳を押さえ、よろめきながら椅子に戻った私を確認したのか偶然なのか、ネルギーさんが口を開く。
「現王妃様がレミアムで囲わなければならぬ特異な瞳をお持ちであるということは、遅ればせながら理解致しました。ですが、その御方が王妃に相応しくないという意見を覆すつもりはありません。よって、王よ、提案がございます」
「……何だ」
ルスランの眉がぴくりと動く。やけに警戒しているように見えて、私もつられて警戒する。なんだ、何を言われるのだ。
私達の警戒に怯みもせず、ネルギーさんは普通に言った。
「王妃様をわたくしにカシして頂き、我が妹コレットを王妃にして頂きます」
かつん、がちゃん、がたん、ごとん、ばりん、からららら……。
部屋中で一斉に音が鳴り響き、何かが転がっていった音を最後に静まりかえった。誰も動かない。皆、息すらしていないのではないかと心配になるくらい酷い顔色だ。青ざめるを通り越してどす黒くなっているから、明らかに酸素が足りていない。深呼吸してほしい。
誰もが、息を呑んでルスランの一挙一動を見ているのが分かった。だから、というわけでもないだろうが、誰よりも早く口を開いたのはルスランだった。
「側室のカシならばともかく、王妃のカシは前例がないだろう」
「離縁ならばたまにございますし、何より我が王は、前例のない事態の先駆けとなることには誰より長けていると、わたくしは心より誇らしく思っております」
ネルギーさんが恭しく礼をしても、部屋中の空気は緩むどころか緊迫していく一方だ。出入り口の傍に立っている人が、そろり、そろり、と後ずさりをし、部屋から出て行こうとしながら、後から入ってこようとしていた人を押しとどめているのが見えた。
「カシ一年間は寝所を共にすることがなければお世継ぎの問題が発生する事態も防ぐことも出来ましょう」
「離縁する予定もなければ、コレット・オレン嬢を王妃に迎える予定もない」
「こちらは、大臣達による連名の承諾書にございます。どうぞ、ご一考ください」
「くどい」
「王よ、貴方様もレミアムの王であらせられる。レミアムの望みをい蔑ろにして頂いては困ります」
「王妃の挿げ替えと、レミアムの玉座が空になる事象は同義と心得ろ、ネルギー・オレン」
怒りを露わにしていたほうがまだ怖くない。そんな声音で話し続ける二人に、悪いとは思いつつ、そぉっと口を挟む。そろぉりと手を上げた私に、ルスランとネルギーさんの視線が向く。
「何だ、月子」
「どうされましたか、月子様」
王妃様、じゃなくなったネルギーさんからの呼ばれ方に違和感が凄い。だけど、それより何より、部屋の空気が凄い。私は、誰かがごくりとつばを飲み込んだ音を聞きながら、そぉっと口を開いた。
「カシって何?」
自分に関係のあることらしいので、後回しにせず急遽恥を忍んでこんな大勢の前で聞いたというのに、あっちこっちから「うわぁ……」みたいな目で見られたし、コレットからは虫でも見るような目をされたし、ネルギーさんからは死んだ魚のような目をされたし、マクシムさんはいつも通りだし、ロベリアからはチベットスナギツネみたいな目をされた。ある意味いつも通りである。
そして、私の幼馴染み兼遠縁兼友達兼上司兼夫は、無言で私の頭を撫でた。異世界って、よく分からないことに満ち溢れている。
後に、「カシ」が『下賜』だったと教えてもらったのだけれど、下賜という言葉の衝撃より、その言葉の意味を問うたときに皆々様から頂いた視線への微妙な思い出のほうが勝り、複雑な気持ちになったのである。




