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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第二章
47/69

46勤






「これ、協会、ですか?」

「そうだよ。あんたを連れて行けば、協会からの補償が手厚いんだ。その為に名乗り出た魔術士には、こうやって新しい力を持った石の支援まである」


 石。この人はいま、石と言った。

 私が光を見ることが出来るくらいだから、この人が使った魔術は私に近い何かを介しているのだと思う。

 だけどエインゼは、私を月光石と呼んだあの人は、月光石は人だと言った。この人が月光石、というわけではないのだろう。だったらこの人は、一体何を持っているのだろう。協会から渡されたという何を、石と呼んだのだ。




 静まりかえった町のどこか遠くで悲鳴が上がった。一拍遅れて、地面が揺れていることに気づく。お腹に巻き付かれたまま引っ張られている苦しさで地面の揺れに気づくのが遅れた。

 下から突き上げるような大きな揺れに舌を噛みそうになる。邪魔だと分かっているのに、とっさに目の前の足にしがみついてしまう。突き上げるような揺れの後には、がくんっと後ろに引っ張られるような揺れに変わる。もう横に揺れているのか縦に揺れているのかも分からない。


「一人で、やってたん、ですか?」

「凄いだろ。特上の黄水晶だって、この規模の魔術を一人で行うなんて不可能だけど、この石は違う。通常の何十倍もの魔力をたたき込まないと触れもしない特殊性の魔力を使い放題だ」


 お姉さんはご満悦に笑う。だけど、その頬に皺が寄っている。口角を吊り上げて笑いすぎたにしては、妙な皺だ。


「……このお祭りに出てる人、みんな生き生きしてるって、言ったじゃないですか」

「そうさね。だけど、あたしはもう二十年以上も前に協会についちまったんだ。あの頃は、魔術士が好き放題に研究出来る場所なんて、協会のお膝元にしかなかったんだから。ずるいじゃないか。こんな未来があったんなら、あたしはレミアムに残っていたよ」


 お姉さんから噴き出した光が、空にいるルスランへ向かう。ルスランは片手でそれを防いだけれど、特大の雷が落ちたみたいな轟音が鳴り響き、光が空を覆う。目の奥が鈍痛に苛まされるほどの光に、思わず片手で目を塞ぐ。だけど、鎖の力がぐんっと増したことで、慌てて両手でマクシムさんの足を掴み直した。

 危なかった。もう少し掴み直す我の遅ければ、足の支えから引きずり出されていただろう。

 それにしても、そろそろ血の気が失せてきたほどの力で引っ張られているのに、マクシムさんの足はびくともしないままだ。地面に深く突き刺さった杭といわれても納得してしまうほどの強固さだ。



「ずるいじゃないか。今更……今更、こっちを選んどけばよかったなんて選択肢が現れるなんて。選ばなかった未来が、生き生きと楽しそうにしてるんだ。羨ましい通り越して恨めしいよ、まったく」

「そんなの、誰のせいでもないじゃないですか!」

「分かってるよ、お嬢ちゃん。だけど、その正論で、あたしはもう救われないんだよ。あの頃、制限を受け続ける在り方に我慢しきれなかったあたしの浅慮を、若さ故の傲慢さを分かっているよ。それでも、それならどうしてあたしのいた頃に今の若者が享受出来る自由を与えてくれなかったんだ。どうして、今になって、あたしの選択を後悔させるんだい」


 目の前の人から噴き出す魔術はまるで嵐のようだったのに、声にも表情にも、激情はない。歪な笑みは消え、疲れ切った、乾ききった声で言葉を紡ぐ人の頬が、割れた。

 そこでようやく気づいた。あれは皺じゃない。罅だ。お姉さんの頬が、肌が、まるで陶器が割れるようにひび割れていく。

 この人は、何歳なのだろう。さっき、レミアムを去ったのが二十年以上前だと言った。それなのに、目の前の人は二十代前半にしか見えない。でも、いくつであっても、肌が割れていくなんて、正常ではないはずだ。


 お姉さんの腕に大きな亀裂が走る。自分の腕をゆっくりと見たお姉さんは、道ばたの石ころでも見るような顔をした。

 無だ。何の感情もない、何の感情も沸かない、そんなものを見た目を外し、私と繋がった鎖を掴み、遊ぶように引っ張った。それだけでお腹がすっぽ抜けそうな力が加えられる。お腹だけだるま落としの一部分みたいにすっ飛んでいったかと思ったくらいの衝撃だ。


「どうして今更、選ばなかった未来が輝くんだい。そんなの、ずるいじゃないか」

「女」


 ルスランの声が、しんしんと降る雪みたいに静かに降った。決して大声を出しているわけじゃないのに、ルスランの声はよく響く。だから、二人で遅くまで話すときは布団をかぶってひそひそ話さなければ、ただでさえ優秀なお母さんセンサーに引っかかって、大目玉をくらうのである。


「通常の何十倍、と言ったな。その言が本当ならば、対処の仕様がある」


 マクシムさんが腰を落としたのと、ルスランが再び魔術を使ったのは同時だった。さっき島をずらりと取り囲んだ氷のつららが、幾重にも重なっていく。

 一重、二重、三重、四重、まで数えたが、この位置からでは重なり合って次々連なるつららの輪を数えることは難しくなった。つららがまるで雨粒のように空を埋め尽くす。

 そして、深く腰を落としたマクシムさんの剣から、妙な煙が立ち上っていた。その剣がうっすら光っている。周囲にも、走るように光が戻ってきた。一部分残った暗闇の中で、ロベリアが最後の黄喰いを叩き割る。


「あいにく、俺達は力尽くが得意なんだ」

「――は?」


 お姉さんのぽかんとした声は、大量のつららが海上に叩きつけられた音にかき消された。






 雨が、降っているようだった。

 大嵐で大粒の雨が一気に降り注ぐような、たくさん溜めたビー玉の入れ物をひっくり返してしまったような、お米を保存容器に移し替えるときのような、そんな音。


 同時にマクシムさんが剣を振り下ろした気がした。あまりの早さに凄まじい風が湧き上がる。目では到底追えなくて、剣を握っていた手が地面を向いているという事実でそう判断しただけだ。


 気がつけば、マクシムさんの剣は刃の部分がなくなっていた。そして、私のお腹の圧迫感も消えている。必死に踏ん張っていたため、どろどろになった服に隠れるように、鎖が落ちていた。繋がる先をなくした鎖は、くたりとくたびれて見える。


「すげぇー……斬った」


 感動なのか呆れなのか分からない声を出したロベリアに腕を掴まれて、一番後ろに回される。足に力が入らなくて座ったままの私は、身体を傾けて前方を確認する。

 マクシムさんは、さっきよりは短い別の剣を引き抜いた。どこに持っていたのだろう。


「マクシム様、それ、今度俺にも教えてくれませんかね」

「魔力を一点集中して叩き込むだけだ。だが、大抵武器が保たない。予備の武器は必須だ」

「その前に身体がぶっ壊れそうですね」

「鍛えろ」

「いやー……マクシム様が特別強靱じゃないかと」


 短剣の柄でごりごり頭を掻いているロベリアは、男の子の姿のままだ。余計な魔力を使うつもりはないらしい。普段の変装は完璧だけれど、そういう所の割り切りはすっぱりする人だ。

 がくんっと島が揺れる。臓器全部がひゅっと浮く感覚に、島が降下しているのだと分かった。


「え、落ちっ……!?」

「上昇しすぎていた高度が、通常の高度に戻っているだけだ」


 上空にいるはずの白銀色がふわりと戻ってきた。差し出してくれた手を反射的に握ろうとして、自分の手が泥でどろどろになっているのに気づく。そぉっと引っ込めようとした私の手を躊躇いなく掴んだルスランは、私を引っ張った。

 足にはまだ力が入らなかったけれど、全力でルスランに凭れたら立てない訳でもなかったようで、重力に負けそうになりながらルスランに凭れる。地面は冷たかったのでこっちのほうがありがたい。あれだけ氷を生み出し、氷に囲まれていた白銀の王は、やっぱりとても温かかった。




「…………これは、次世代の力だと思ったんだけどねぇ」


 苦しげな声に、はっと視線を戻す。

 そこには、もう年齢も分からなくなった人が立っていた。ひっ、と、喉が引き攣る。まるで、老木のようだと、思った。痩せ細った身体の全ては陶器のようにひび割れ、ばらばらと破片が崩れ落ちていく。塊で崩れる身体を見下ろす動きだけで、ぼろりと頬が砕けた。


「あーあ……やっぱり試作品だったんだね。協会らしいね」


 ルスランは、私をマクシムさんに預けた。崩れていくお姉さんに向けて足早に近づき、その顔面を鷲掴みにする。ばちんっと大きな電気が弾けたような音がし、お姉さんの身体がびくりと跳ねた。


「無駄だ、よ。これはたぶん、のろいじゃあないからね。通常の何十倍もの力を込めないと、触れられもしない、新しい魔力に、あたしの身体が耐え切れなかったんだろうさ」

「望みはあるか」


 静かなルスランの問いに、お姉さんは砕けながら笑った。


「何だい。レミアムの王様は、聞いてたより優しい男だったんだね。だったら尚更……この国で年を重ねておけばよかったよ……いや、そうでもない、か。心の臓じゃなく、迷わず頭を掴んだあんたは、お喋りできる場所だけ無事なら、後はどうでもよかった、みたいだしね。命を助けたきゃ、心の臓を狙うからね…………ああやっぱり怖い王だね、あんたは」


 咳き込んだお姉さんの口からは、ひゅうひゅうと妙な音がしている。どこかに開いた小さな穴から空気が漏れているような、そんな音だ。


「望みなんて、何も……何も、ないさ。どうせ、一度協会に属せば、楔は外せや、しない。それに、ここまで身体を冒されれば、魔力の質も、変化しちまう…………もう、いいさ。好きなように、生きて、好きなように、死ぬんだ。そうさ……これは、ただ、それだけのことさ。だから、もう、ほっといてくれ」


 これだけの大事を引き起こした犯人が言うには、随分自分勝手な言い分だ。だけど、この人は終わるのだと、私にも分かった。肉体的にも、精神的にも、この人は死を受け入れた。崩れていく。身体が、言葉が、心が、命が、目に見える形で崩れ落ちていく。


「どうせ死ぬのなら情報を喋ってからにしてもらいたいが、どうせ無理なのだろうな」

「ははっ……そうさね。語る自由が残されて、いる、のは、あたしらのような、下っ端とは、違い、協会に、重宝されるような、奴らさ」


 ああ、だけど。お姉さんは、風の音と聞き間違えるような掠れた声で、ぽつりと言う。


「協会に、与えられたこの石は、大量には生産出来ない、はずだよ」


 この石、と、懐から取り出されたものは、崩れるお姉さんの手の中でチョコレートのようにどろりと溶けた。お姉さんは何かを嘲った声で笑う。それは、私達に向けてか、協会に向けてか、それとも、自分に向けてだったのかは、分からなかった。


「雑魚石でも、あんたらには、渡したく、ないらしい………………お嬢ちゃん、ごめんよ。楽しそうにしているあんたに、この島を、あたしの故郷を、楽しんでもらいたいと思ったのは、本当だったんだ…………ああ、懐かしい……空が、近い……空、が………………」


 ぽつりと、零れた言葉と命を最後に、お姉さんの身体が砕け散った。砂になった身体は、風に流され、空と海へ散っていく。

 その向こうに、光が見えた。夜が明けた。朝が、来たのだ。





「……朝だ」

「朝だな」

「朝だ」

「そうだな」

「朝だね」

「ああ」


 私を抱き寄せた力に逆らわず、その胸に顔を埋める。地面でもがいていたから、私は泥だらけだ。べったり抱きついたから、ルスランももう手遅れだ。だけどルスランは私を抱きしめたまま動かなかった。


 ずっ、と、洟を啜る。

 怖かった。痛かった。恐ろしかった。島が落ちそうで怖かった。お腹を鎖で巻き付かれて痛かった。おいしいお店をにこにこ教えてくれた人が敵だったことが恐ろしかった。目の前で、人が死んだことが、恐ろしくて堪らなかった。だけど何より、悲しかった。

 人が、死んだんだよ。枯れた木のようになって、ぼろぼろと崩れ落ちながら、全てを諦めたような声を出しながら、人が、死んだ。いい人でも、悪い人でも、怖い人でも、楽しい人でも、敵でも、味方でも、人が、死んだのだ。

 何を理由に泣いているのか問われれば、理由なんて山ほどあった。でも。


「眩しいな」


 ごめんとか、怖かったなとか、そんなことを言わないでいてくれるルスランが、今はとてもありがたい。

 抱きついた身体がいつものように温かくて、いつも通り優しいルスラン。いつものようにルスランの後ろに控えるマクシムさん。いつものように欠伸をしているロベリア。

 全部全部いつも通りな人達に、何も思わなかったと言えば嘘になる。だけどきっと、分かっていたことだった。


「ほんと、眩しいね。さすが、観光名所」


 だから私は、朝日の眩しさを理由に、泣いた。









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