44勤
こんこんこんと、静かで素早いノックの音が、ほかほかと温かな意識の中に割り込んでくる。まだ完全に覚醒する前に、身体は勝手にもぞりと動く。
「入れ」
まどろんでいる私とは違い、はっきりとしたルスランの声の後、扉が開く音がした。そこでようやくちゃんと目を覚ました私は、布団の中で思いっきり両手と両足を伸ばした。今まで身体が置かれていなかったシーツの上はひんやりしていて、寝起きでほかほかしていた身体と意識がゆっくりとさめていく。
「お休み中申し訳ありません、失礼致しま、す……………………………………ルスラン様、島が上昇を始めました」
「上昇? 数値に変動は?」
「観測は出来ませんでした」
「分かった、すぐに行く。月子、起きたか?」
端的に会話を済ませたルスランは、次に私を起こしにかかった。
遅刻かな、今日学校休みのはず、ねむい、いま何時かな、起きなきゃ駄目かな起きなきゃ駄目だよね。だって、昨日一緒にお仕事連れて行ってくれるって言ったもん。やったーねむい。
そんなことをぐるぐる考えながら、もう一度思いっきり伸びをする。伸ばした手が、すかっと宙を切った。ベッドの端から手が出たのだ。
「おはよー……ございます……」
がばりと起き上がって挨拶したはいいものの、ルスランとマクシムさんとロベリアが勢揃いしていたので丁寧さを付け足してみた。
部屋の中は、マクシムさんによってつけられた明かりによって光源を得ているようだ。ロベリアがカーテンを開けている窓を見ると、外はまだ薄暗かった。星も薄くなり始めているので、夜明けは近いのだろうけれど、まだ普段なら熟睡中の時間だ。
「おはよう、月子」
「おはよー」
目元を擦りながら起き上がり、へらっと笑った私に、ルスランはふわりと笑った。今日は四角くないなと思った自分が不思議で、寝ぼけた頭を傾け、私は動きを止める。そうだった、一緒に寝たんだった。
朝の挨拶をすることも、寝起きで顔をつきあわせることにも慣れているけれど、同じ場所で起床したのは初めてだ。照れるし、なんだか気恥ずかしい。
けれど、ルスランだけならともかく、特に何の感想もなさそうないつも通りのマクシムさんと、チベットスナギツネみたいな顔をしたロベリアを前に、盛大に照れて恥ずかしがるのも躊躇われた。
そうか……王族って自分でどうにかしないと原則プライバシーは守られないぞってルスランが言っていたのはこういうことか。寝室に入ってくるのも当たり前のことなのだろう。ルスランも慌てていないし。
これは迂闊に荷物を出しっぱなしにしたりしないほうがよさそうだ。ぐりぐり落書きしたノートとか見られると、ちょっと恥ずかしい。でも、宿題を出しっぱなしにしておいたら誰かしておいてくれるなんてないかな。異世界なのだから、妖精さんの一匹や二羽や三人くらいいてもいいと思うのだ……妖精の単位って何で数えるのだろう。
それはともかくとして、ロベリアはどうして変な顔をしているのだろう。
「ロベリア、どうしたの? 眠いの?」
とりあえず、行儀悪く足で探り当てた靴を履いてベッドから下りた私に、すすすっとロベリアが並んだ。顔を近づけてくるから、すわ内緒話かと耳を向ける。
「いやー……夫婦喧嘩するって意気込んでたからどうなることかと心配してたけど、同衾してるし収まるところに収まったんだなぁって安心してたのに…………喧嘩長引きそう?」
「え? 喧嘩してないよ?」
「だったら何でベッドの端と端で寝てんの?」
そう言われて、私はベッドを振り向いた。ベッドに入ったときと同じ面からそれぞれ下りた私とルスランは、ベッドを挟んで顔を見合わせた。どうやらロベリアの声が聞こえていたらしい。
それぞれ、目覚めた場所はベッドの左右。落ちてしまうぎりぎりまで寄っていたわけではないけれど、ベッドのど真ん中は丸々開いている。そのままロベリアとマクシムさんが寝てしまえるほどだ。
私とルスランは、無言でベッドを見て、同じタイミングで頷いた。
「暑かった」
「です」
次は薄手での掛け布団を用意して頂けると嬉しいです。
まだ朝日も浮かばない、けれど草木も眠る丑三つ時はとっくに過ぎた時間。
私は足早なルスラン達に置いていかれないよう小走りで、ルスランの仕事場に辿り着いた。
服は昨日と似たような服だ。貴族のご令嬢達からはくすくす笑いの評価を頂いた服のタイプだけれど、一人で着られるから私は大好きである。
慌ただしく走り去る人もいれば、血相変えて駆け込んでくる人もいた。怒鳴る声も、悲鳴のような声も淡々とした声も、ごちゃごちゃに混ざり合って大忙しだ。そんな大きな部屋の中に足を踏み入れた私は、思わず足を止めてしまった。
「うわぁ……凄い、ゲームみたいっ」
宙に浮かんだたくさんの画面を見上げて興奮する。宙に直接映し出された映像も、流れていく文字も、それらを手元に寄せて読んでいる人達も、それどころではないと分かっているけれどわくわくしてしまった。思わず興奮した私の頭に、ルスランの手が乗った。
「お前ならそう言うと思った」
小さく笑いながら、頭から背中へと手を移動させたルスランに誘導され、何段か高くなっている場所に設置されている椅子に座る。背中とお尻はふかふか、かと思いきや、意外としっかり硬いぱんっと張った感触だ。左右に設置されている肘置きは、ごつく太く、模様が凄い。彫り込まれているらしく、指でなぞったらつるつるでこぼこしていた。椅子の脚も太い椅子は、凄く、重そうだ。これを持って運べと言われたら、ちょっと無理そうである。いろんな箇所の太さを見るに、この椅子へたすると私より重いかもしれない。
こんなに模様が全体に彫り込まれているのに、汚れどころかほこり一つ見つけられない椅子。部屋の高い位置にあって、一番お値段も高そうな椅子。……これは、ルスランの椅子じゃないんだろうか。
「ルスラン。この椅子、ルスランの椅子じゃないの?」
「俺専用って訳でもなし。お前が座ってろ。それに、どうせ普段は俺以外の誰かが座っている椅子だしな。今日お前が座ったところで問題ない」
そう言いながら手摺りに座ったルスランの裾を引っ張る。意図に気づいて耳を寄せてくれたルスランにひそひそ話す。
「でも、王様としては駄目なんじゃないの?」
「さあな。どうせレミアムは王族を捨てた過去がある。そのレミアムが、今更王の威厳がどうのこうのと言う資格があると思うか?」
「えぇー……」
それはそれでどうなのだろうと思わないでもないけれど、今はそれどころではないので深くは突っ込まないほうがよさそうだ。
後ろに控えるロベリアとマクシムさんに視線を向けるも、二人は微動だにしない。マクシムさんはこっちを見ているけれど、ロベリアに至ってはおどおどびくびくマクシムさんの後ろに隠れつつ、欠伸をしているのを私は見逃さなかった。私の護衛、結構私を見捨てる。
微妙に居心地の悪い思いをしながら居住まいを正し、視線を前に戻す。たくさんの人と目が合った。皆こっちを見てぽかんと口を開けている。おはようございます、昨日も日帰らなかった王妃です。
唖然としている人の横を、意味がさっぱり分からない文字やら数字やらが雪崩のように流れ落ちていく。
「何をしている。動け」
機嫌が悪そうに早足で部屋に入ってきたのは、ネルギーさんとコレットだった。わーい、コレットだ! 私の気分が上がり、一気に部屋の中が華やかになった気がする。
早足で部屋に入ってきたコレットは、立ち止まったネルギーさんの横で一息つくようにふっと肩の力を抜いた。背が高い人が早足になったら本当に早足なんてレベルではなく早い。さっきの私は小走りでも息切れ寸前だったので、小走りではなく早足でここに来たコレットを尊敬する。
コレットがこっちを見て目を丸くした。大声を出すのはさすがに憚られたので、お腹の前辺りまで持ち上げた掌で小さく手を振る。横に立つネルギーさんをちらっと見たコレットは、身体の前で楚々と重ねていた手をそっとほどき、小さく手を振ってくれた。
可愛いし、なんだかくすぐったいし、照れる。私は、嬉しさで火照った頬を両手で隠す。癒やされる。嬉しい。
動きを止めていた人々を一喝したネルギーさんが、疲れた溜息を吐きながらこっちを見て、動きを止めた。
「……ここは女子供の遊び場ではございませんが。莫大な魔力を持っており、必要とあらば魔力の補給が可能なコレットならばともかく、王妃様は、何の為にこの場に?」
見学、ですかね。
どう返したものかと悩んでいる私より、ルスランが早かった。
「報告」
そりゃ、単語一言だけだったら早いだろう。短く端的に、本当に要件しか言っていないのに、いつもより低い声音だとはっきり分かった。私と話しているときより気を張っているからこんな声になっているんじゃないかと、勝手に予測を立ている。
「四時を過ぎた辺りより、島が上昇を始めております。本来島が上昇を開始する時間ではありますが、この時間帯に海上から発せられる魔力ではこの高度まで届かないはずですので、自然現象ではないとの見方が濃厚です。まだ過去最高高度まで上昇しておりませんが、この調子で上昇を続ければ、やがて危険高度にまで達します。危険高度に達してしまえば、この島の装備でも落下時被害を免れません」
「数値の変動は未だ観測出来ないか」
「はい。ブランが直接島の底面を調査しておりますが、ブランの目にも反応していないとのことです」
部屋の中で一番大きな画面に、島全体の映像が映った。カメラ、と呼ばれているかは分からないけれど、映像を映しているものは移動が可能らしく、島の上空をぐるりと一周して映し終わった後、側面を通り、島の底を映し始めた。岩と苔と水晶みたいな透明の石が絡み合った不思議な島の底の下に、空飛ぶ籠に乗ったブランさんがいた。他にも同じような籠に乗った人が何人かいて、みんな島の底を見上げて難しい顔をしている。
こんな事態でなければ、不思議な光景におおはしゃぎしていた。
島の底は、所々に土も見えているけれど、ほとんどが石と宝石みたいな石と光る石と、苔と根っこみたいなもので出来ていた。これが海に浸かったり空を飛んだりと、毎日大忙しな不思議島の底なのかと、まじまじ見つめる。光る石が凄く綺麗だ。点滅したり常時光り続けている石が異世界っぽくて、大変素敵である。
空飛ぶ島は、このぴかぴか綺麗な底面も夜間の名所になっているのだろうか。その場合、島の外から見なきゃいけないけれど、いまブランさん達が乗っているような空飛ぶ籠に乗って見学するのかもしれない。この事態が落ち着いたら、その観光にも連れて行ってもらえたらいいな。私は絶対一人では乗れないシステムだろうから、その籠が二人乗り出来ることを祈るしかない。
でもこの映像、どこかで見たことある。考えた末に、昨日ルスランが見せてくれた映像だと気づく。どこかの野原だと思っていたけれど、まさかの島の底面だった。異世界クイズ難しい。
カメラに気づいたブランさんは、両手で大きくバッテンを作ってみせる。駄目らしい。
「遠見術を下げろ。範囲を広く取り、底面全体を映せ」
「何か策がございますか」
指示を飛ばしながら、ネルギーさんが振り向く。
「これから試す。月子」
「――え、何?」
ここでまさか私が呼ばれるとは思わなかった。皆が集中して見ている大きな画面から、この場で一番用事がないと思われる私を呼んだルスランへ視線を向ける。
ルスランは、手摺りに腰掛けたまま、まるで覆い被さるように私に引っ付いた。右手は私の背中を通り、私の右手を握り、左手はそのまま私の左手を握る。顎を私の右肩に置き、耳元で話す。
「魔力の流れを追えるか?」
「へ!?」
何を錯乱しているんだこの人は。
「他と違う場所があるか見るだけでいい」
「無理ですよ!?」
椅子から飛び降りようとしたのに、後ろから押さえ込まれていて無理だった。脱出を阻まれた私は、背後に立つロベリアとマクシムさんに救援の視線を向けることも出来ず、前しか見れない。前にはネルギーさんとコレット。凄く、極端な選択肢しか、ない。つらい。
どう考えてもネルギーさんが助けてくれるとは思えず、コレットを見る。楚々として重ねた掌を、そっと振ってくれた。左右ではなく、前後に。切ない。
「王よ、恐れながら戯れは寝室内で済ませて頂かねば困ります」
本当である。ゲームは自分の部屋でやって、仕事中はやっちゃ駄目だ。休憩時間は別にいいと思うけど、今は職務真っ只中である。
「戯れならばな。月子、何が見える?」
「何って……普通に岩と石と光る石と苔と土と根っこ?」
ルスランはまったく引く気がなさそうだ。こうなったら早々に私の役に立たなさを思い知ってもらうしかない。この場に置いて、誰より役に立たないと誰より分かっているはずの誰より親しい人は、私の答えを聞いて僅かに口角を上げた。
顔の前に、前方に移っていた映像が現れる。左手を握っていたルスランの手が、パソコンくらいの大きさになった画面を指さした。
「どこが光ってる?」
「こことこことこ……これ、なんか意味ある? 視力検査?」
「いいから全部」
どうしたの? 血迷ったの? 朝ご飯食べる?
お腹空いた。思い出した途端自己主張を始めたお腹を押さえつつ、とりあえずぴかぴか光る石からほんのり光る石まで全部を指さす。
「何故私は、見れば分かることを確認されているんでしょうか」
「見て分からないからだ」
「どういう意味……小さくて見えない。これ、スマホみたいに拡大出来る?」
聞きながら二本の指を映像に近づけたら、するりと突き抜けた。映像の島を貫いた指をすごすご戻す。
「どこだ?」
しかし、ルスランが指を添えたらその部分が拡大された。これが、格差。格差を思い知り、しおしお萎れながら残りの光っている部分を指さす。一通り指したら、画面を凝視していて意外と疲れてしまった。
「後は拡大してもちっさすぎて見えない。光ってるの石ころじゃないの? 何これ。ウォーリュをさがせ?」
「……直接行くか」
やっと私を解放し、自らも身体を起こしたルスランに手を引かれて立ち上がる。ついでに視線も上げれば、一番大きな画面に映った島に、さっき私が指した場所がすべてにチェックが入っていた。どうやら手元にあった画面と繋がっているらしい。
こんなにもSFチックでコンピューターが使用されていそうなのに、この世界にコンピューターはない。異世界とは不思議がいっぱいだ。
「お待ちください。……王妃様、見えるのですか?」
「え、何がですか?」
ネルギーさんの見開かれた目が私を見下ろしていて、ぎょっとした。ホラー感ある。夢に見そう。ひっと竦み上がって抱えたルスランの腕の後ろに隠れてから、大変失礼な反応だったと我に返った。慌てて元の位置に戻る。
「王妃様は、現在島に影響を及ぼしている魔力が見えるのですか?」
「魔術一切使えないのに見えるわけないじゃないですか……」
この部屋だけでもこんなに魔術が溢れているのに、私は拡大一つ出来ないのだ。何度魔術一切使えません宣言をしなければならないのか。悲しすぎる。
萎れながら悲しんでいる私の頭に、ルスランの手が乗った。
「見えてるぞ、よかったな」
「何が?」
「ブランにも見えない魔力、だ」
どうしたの? 血迷ったの? 朝ご飯食べよう。
驚いた瞬間、力が入ったせいで私のお腹が鳴ったけれど、みんな華麗に流してくれた。ネルギーさんへの好感度がうなぎ登りである。しかし、今はそんなことより謎魔力だ。
「どれ!?」
「この島の底面に、光るタイプの石は無いんだ」
「…………はい?」
もう一度画面に視線を向ける。ぴかぴか点滅しているものもあれば、常時光っているものもあるし、じわぁじわぁと明滅を繰り返しているものもある。
「すっごい光ってるよ!?」
「光ってないんだよ」
「イルミネーションでデートスポットになりそうなレベルだよ!?」
「じゃあ今から行くか」
「待って待って待って!? 何で!? 何で見えるの!?」
魔術に関して完全なる部外者で、ありとあらゆる設備から排除されてきたというのに、ここに来ていきなり関係者になるなんてどういうことなのだ。私も仲間に入れてもらえて嬉しいけれど、何が何だかさっぱり分からない。
混乱して大パニックに陥っているのは私だけじゃない。部屋中の人が目を見開いているし、コレットは両手で口元を押さえて戦慄いているし、ネルギーさんは瞬き一つしない。
ルスランは、私を立たせたときから掴んだままだった腕を離すと、私の身体をくるりと回してネルギーさんに向けた。
「月子の目は少々特殊性だ。どうやら此度の魔力も追えるようだ」
え、何それ。初耳。目が特殊なんて聞いたことがない。私は月光石だとかいう謎体質であることは知っているけれど、目は初耳だ。
「…………協会の大規模勅命は、王妃様の目を欲して、と、判断しても宜しいのでしょうか」
「さあてな。あの強突く張り共は、何が理由であろうとも世界の全てを欲するだろう」
急激に下がった温度に、喉がひゅっとなる。
さっきまでいつものルスランだったのに、突如抜き身の刃みたいな鋭さを出す変化に、まだ少し、動揺してしまう。
自分に向けられているわけでも、ネルギーさんに向けられているわけでもないルスランの感情に飲まれないよう、気持ちを切り替えるために大きな画面へと視線を戻す。カメラはさっきより引かれ、海が見えるほどだ。
その海面に何かが見えた気がして、目をすぼめる。だけど私の目には拡大機能も望遠機能もついていないので、確認は出来ない。
「ルスラン、あれなんだろう」
「あれ?」
私に触れる前に、刃をくるりと引っ込めてくれるルスランに苦笑する。こういう所は器用な人だ。きっと、無意識なのだろうけれど。無意識のほうが器用で、意識した感情には不器用なルスランを守る方法を、私はずっと探し続けるのだろう。
「海から島まで、光の線が何本も伸びてる。蜘蛛の糸みたいなのがいっぱい」
「…………その糸は光る石と繋がっているか?」
「よく、見えないけど……そう、かな?」
「成程……大本はそっちだな」
「そうなの?」
「多分、な。お前が光っていると言った石自体は、元々この島の石だ。ならば、光らせる原因があるはずなんだ。それを取り除くか破壊すれば、異常事態は抑えられると見る」
ルスランも私が言った糸を見ようとしたのか、映像を見上げたけれど、眉を僅かに寄せた。光が反射したときだけ見えるので、角度によっては見えないくらい細い糸だから見えづらいのかと思ったけれど、これも私にだけ見えているのかもしれない。
そんなことが、あるのだろうか。私に、この世界らしさともいえる不思議な力があるのだろうか。つまり私も、この世界の自動ドアに参加出来る可能性がある!
不謹慎だと分かってはいても、少し、嬉しい。
わくわくしている私の手を引き、ルスランが出口へ向かう。いつの間にか移動していたマクシムさんとロベリアが既に扉の前に待機していて驚愕する。さっきまでいたはずの階段の上を見たけれど、当然いるはずがない。先に椅子から離れ始めたのは私達のはずなのに、追い抜かれたことにまったく気づかなかった。いつだ。一体いつ移動したのだ。この二人は瞬間移動出来るというのだろうか。
「ブラン等は撤収させましょう」
さっきまで瞬きもしないほど固まっていたのに、いつの間にか立ち直っているネルギーさんまで後ろにいた。異世界の人の必須条件が、音もなく凄まじい速度で移動するだったらどうしよう。怖い。
「位置さえ示して頂ければ、こちらで除去へ向かいます」
「もうすぐ夜明けだ。夜明けになれば普段の上昇魔力が強く発生する。危険高度に到達する前にけりをつけるなら一気に潰した方がましだ。海上に仕掛けられていては船も出せん。この高度になれば、そろそろ地上と繋がった道も千切れる。そうなれば、混乱が起きる。住民達の落ち着きは、脱出経路が確保されているからに過ぎん。退路のない閉ざされた島で暴動が起きれば目も当てられん惨状になるぞ」
なるほど。パニックは事故や事件より怖いものなのかもしれない。
「頼むぞ、月子。お前の目が頼りだ」
「目だけでいいの? 今なら私の全部がついてきます!」
さっきの王様仕様の長台詞の名残で、少し抑揚が控えめなルスランに、ロベリア仕立てのウインクをしかけてみた。まあ、目だけしか役に立たない上に、もともと全部ついてるのだけど。一回言ってみたかったのである。
ポーズを決めながらウインクしたら、ルスランはちょっと目を見開いた後、ふっと笑った。その顔が見たかったので、私は大満足である。
ルスランは、私の手をすくい上げるように取ると、自分の顔の高さまで持ち上げた。されるがまま視線を上げていく私の前で、その手に唇を寄せる。
「お前の目は俺の頼りだが、お前の全ては俺の救いだよ」
誰が私の顔を真っ赤にしろと言ったのか。私は大不満だ。だけど、そう言ったルスランの顔が可愛かったので結果的に大満足だったのは内緒である。




