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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第二章
42/69

41勤






 結局、ルスランは夕食の時間になっても戻っては来なかった。

 部屋の中でだらだらロベリアと遊んでいても、お風呂に入っても、一向に戻ってこない。それは仕方がないだろう。今は落ち着いたとはいえ、少し前までは小さな揺れが続いていたから、まだ忙しいのだろう。

 窓から見える景色も、昨日とは違う。昨日は一斉に飛び出す光の船を見た。けれど今日は、夜を駆ける光の線を見ていない。どの舟も漁に出ていないのだ。

 ただし、町の光は多い。時計の針はそろそろ日が変わろうとしている時刻を指しているのに、煌々と輝く光が溢れ、昼間よりも明るいくらいだ。島をぐるりと覆う船着き場も同様で、ロベリアが言うには、何かあった際すぐに貴重品を持ち出して逃げられるように、船を持っている人達はあそこで待機しているのだそうだ。


 島は揺れ続け、そして現在も降下していない。

 誰も眠っていない町を眺め、一つ欠伸をする。ちょっと、今日は疲れた。何もしてないのに疲れていては、今も揺れの原因を調べている人達に怒られてしまいそうだ。





 窓枠に乗せた腕に頬をつけ、ぼへぇーっとしているこのままの体勢だと本当に寝てしまいそうである。


「王妃様ー、寝るんなら寝室行ってくんない? 俺ここにいるし、用があったら呼んで」

「んー、ルスラン待ってる……。ロベリアも遅くまでごめん」

「それが俺の仕事だからね。王様が戻ってくるまでいるよ。それに、この島で王妃様だけ島が落ちても飛べねぇし」

「盛大な仲間はずれ感があるけど、全然悔しくないし淋しくないや」


 私は私の常識の中ではごくごく普通である。




 ロベリアは、お泊まりグッズの中に入れていた私のゲームをしているのでまったく退屈していなさそうなのが救いだ。そして、初めてやったはずなのに私よりうまい気がする。

 魔術が電気代わりになっているこの世界でもゲームは作れそうなのに、ルスラン曰く無いらしい。なんでも、いろんなことが魔術で出来てしまうので、コンピューターの類いに需要がなかったのだそうだ。需要も必要もないので開発もされていないらしい。おそらく、されても誰も使わず、ただの箱になる可能性のほうが高いのそうだ。


「それ、ルスランも好きなゲームだよ。向こうだと一緒にやることも出来るんだけど、こっち電波通ってないからなぁ」

「……王様相手に罠仕掛けるのは、ちょっと、無理、精神的に、ほんと無理」


 ロベリアはあーっと声を上げながらゲームを私に返してきた。負けたのかと思いきや、画面を見たらクリアしている。ずっと同じ体勢だった凝りを解すかのように両手を上げ、左右に揺れるロベリアは、ぱんぱんとスカートを叩いて皺を取った。


「噂をすればなんとやら。王妃様、喧嘩頑張ってなー。おやすみー」

「え、おやすみー?」


 よく分からないまま、とりあえず手を振ってくれたから振り返す。すると、扉が開く音がした。そっちに視線を向けると同時に、影が視界の端を走った。今度は、扉から入ってきた見慣れた白銀を視界の端に収めながら、影を追う。

 いつの間にか真っ黒な服の、眼帯をつけた黒髪の少年になったロベリアが窓から落ちていく。落下しながらくるりとこっちを向き、二本揃えた指を額から私に向けて流した後、もう一度くるりと回ると、あっという間に夜の闇の中に消えていった。




「心臓に悪い……」


 ルスランが戻ってくるまでいると言っていたけれど、戻ってきた瞬間勤務終了するとは思わなかった。

 確かにもう夜も遅いけれど、窓から即座に退勤していくのはやめてほしい。せめて一言窓から退勤する旨を告げ、心の準備をさせてからにしてほしい。ダイナミック退勤を見送り跳ね上がった心臓は、普段より早めに動いている。

 まだどっどっと鳴っている胸を押さえたまま、改めて振り向く。振り向くといっても、椅子の向きから考えてこっちが正規の向きだ。



「おかえり」

「ああ……遅くなって悪かった」

「それは別に。お仕事だし。おつかれ」

「ああ」


 ルスランもお風呂に入ってきたのか、長い上着の下は寝間着だった。お風呂に入ったということは、今日はお仕事終わりなのだろう。とりあえず終わり、なのかもしれないけど。


「地震、何か分かった?」

「いや、何も。何故揺れているのか、何故島が降下しないかも謎のままだ。だが、小さな揺れが続くだけの現状で、全員が起きていても埒があかない。順次睡眠を取っていく流れにした。俺が下がらないと誰も下がらないからな、さっさと戻ってきた」


 さっさと戻ってきてもこの時間だ。現場はさぞかしばたばたしていたのだろう。

 現場ってどういうところなのだろうと、ちょっと考える。あちこちで見かけたみたいに、石の明かりがくるくる回りながら浮いているのだろう。書類が飛びながら手元に来たりするのだろうか。今までの傾向から見ると、もしかしたら書類も光るのだろうか。椅子も浮いていたりするかもしれない。その椅子に座るためには、息をするように魔術を使って空を飛ぶのかもしれない。もしくは、椅子を呼び寄せて座るのだろうか。

 どの形であっても、ありとあらゆる意味で、私には関わることの出来ない領域だ。



「……もう、寝る?」


 帰ってきたら喧嘩だよと言ってはいたものの、物事とは臨機応変にいくべきだ。今後の私達にとってはとても大切な用事でも、この非常事態の深夜にしなければならないほど切迫しているわけでもない。

 待ってはいたけれど、その理由は約束が半分、ただ出迎えたかったからが半分。出迎えを果たした以上、起きている理由の半分が消え失せた。

 なんとなく手持ち無沙汰で、足をぶらぶらさせてルスランを眺める。足先にゆるめの靴を引っかけて、行儀悪く揺らす。お母さんが見てたら怒られるなと思うけれど、ここにお母さんはいないし、ルスランは見逃してくれると分かっているからの不良行為である。



「そうだな……遅くなって悪かったな」

「それさっきも聞きました」

「……そうだな、ごめん」

「でも、話はお流れじゃないからね! 明日……いや明日も余裕なかったら無理しなくていいんだけど、時間出来たらしっかりするからね!」

「ああ……今からでもいいぞ」

「……遅くなってもいいんなら今からしてもいいんだけど、明日も忙しくなりそうなら早く寝た方がいいんじゃないの?」

「……そうだなごめん」


 だいぶ、参っている。

 純粋に疲れているのかそれ以外で弱っているのかの判別はつけられないけれど、参っているのは分かってしまう。


 足に引っかけていた靴を履く。手を使わなくても履ける部屋履き用の楽な靴は、ゆるい感じが大変可愛い。靴を履いて、椅子から跳ねるように立ち上がった。

 反らせた腰に右手を当て、胸を張り、残った左手を彷徨わせる。ノープランだった左手の位置に悩み、張った胸に当てた。



「それなら、折衷案として私がルスランと一緒に寝てあげよう! 休まなきゃいけないルスランと、話したい私の願いが両方一気に叶ってお得でしょ!」


 そんなわけにいくか。何言ってるんだ。さっさと寝ろ。さてはお前眠いんだな?

 呆れたように、少し怒ったように、はたまた苦笑か。そのどれかの表情で言われるであろうどれかの台詞を待っていると、ルスランは真顔で頷いた。


「そうだな。こっちのベッドでいいか?」

「……あれ?」


 しまった重傷だったか。だいぶ参っているなとは思っていたけれど、冗談を真に受けるレベルで重傷だったとは気づかなかった。最近手を繋ぐことすらしなくなっていたことを考えると、既に重体レベルにまで足を踏み込んでいるのかも知れない。

 早く寝てほしいけれど、これそのまま寝かせると危篤状態に陥るんじゃないかと心配になる。


「えーと……じゃあ、お邪魔します?」

「ああ」


 いや待てやっぱりなしだと続くかなと、そろぉりと返事をしてみたけれど、端的に「ああ」だ。私は悟った。駄目だ、この人既に危篤だ、と。






 ルスランの寝室は、私の部屋より広かった。ベッドも大きい。ベッドも大きいから部屋が広いのか、部屋が広いから大きなベッドを入れられるのか。卵が先か鶏が先か。

 大人が四人寝転んでもぎゅうぎゅうにならないんじゃないかと思われるほど広いベッドだ。私に宛がわれた部屋のベッドも大きいけど、ここまでじゃない。ちなみに私は、自分の部屋のベッドも隅っこしか使っていない。せめて真ん中で寝ようかと思ったけれど、正直広すぎてそこまで潜っていくのが面倒だった。


「右側、左側?」

「どっちでもいい。好きなほうに入れ」

「はーい」


 いそいそ掛け布団の中に潜り込む。近いほうに潜り込んだので、私が右側だ。私が入ったのを確認して、ルスランが左側に腰掛ける。片手を軽くひねったら明かりが消えた。魔術って便利だなとしみじみ思う。電気を消した後に、そろりそろりと手探り足探りでベッドまで戻らなくていいのだ。

 それに、部屋の中は真っ暗にはならなかった。町が明るいからか、空が近いからか、目が暗闇になれる前から部屋の中がうっすら見えていたくらいだ。



 隣にルスランが潜り込み、落ち着く体勢に微調整している間、まんじりともせず待つ。好きな人と一つ同じ布団。凄い、大人。

 事の重大性にあらためて気づいた私は、ぎしっと固まった。そんな私の前には、同じ体勢に寝転がったルスランの顔がある。お互い無言で見つめ合う。しばし沈黙が続く。ルスランの顔が近い。温もりがすぐ傍にある。顔にかかった髪も、なんだか色っぽく見える。

 だからどきどきする。どきどきは、確かにするのだけど。


「どうしよう、ルスラン」

「何だ」

「既視感しかない」

「ほんとだな」


 お互い、同じタイミングで噴き出す。既視感がないはずがない。だってこの視界は、毎夜のものだった。毎日毎日、眠る前に見る光景に、既視感を覚えないはずがない。

 鏡台を枕元に置いて、お母さん達に起きていることを悟られないようひそひそ話す。そうして、眠たくなるまで過ごすのだ。ちゃんと鏡台を定位置に戻すこともあれば、どちらかがそのまま眠ってしまうこともある。家族旅行するときだって鏡台は持って行った。ルスランのほうも、遠征などで遠出したときも鏡台を持って行ったから、私達はいつも同じ夜を過ごした。

 その距離がそのままここにあるだけだ。下手すると、今のほうが距離が離れているくらいだ。ただ、いつもより温かくて、それがくすぐったい。






「……ごめん、月子」


 ぽつりと落ちたルスランの声が、あまりに心許なくて心配になる。


「ルスラン、ご飯食べた?」

「……うん?」


 質問の意図が飲み込めないのだろう。さっきは今にも消えてしまいそうだった声が復活した。


「食べた?」

「あ、ああ。だけど、それがどうしたんだ?」


 どうしたもこうしたもない。とても大事なことだ。答えを聞いて安心した。だって、ご飯を食べていなかったら食べてきてもらわないと。腹が減っては戦はできぬし、腹が減っては睡眠もとれぬし、話し合いだってできぬのである。


「ひとまずお仕事も終わって、ご飯食べて、お風呂も入って、後は寝るだけだよ。ねえ、ルスラン。ここにはなんにも怖い物ないのに、どうしてそんな、迷子みたいな声出すの」


 叱られた子どものような、寄る辺のない子どものような、怖い夢を見て再び眠ることを恐れる子どものような、世界中にひとりぼっちみたいな。そんな心許ない声で謝らなければならないことなんて、ここには何もないのに。

 だけど、ルスランは今にも泣き出しそうな顔をする。



「……怖いよ。俺は、お前が怖いよ」

「私、ルスランを脅すような鬼になった覚えはございません」

「鬼だったら倒せるだろ。倒せないから怖いんだよ」


 ルスランは小さな笑い声を上げた。それなのに、すぐ悲しい顔をする。泣いていないのに、泣いていたほうがきっと痛くないと思う、そんな顔を。


「俺は……お前のことは全部怖いよ。お前が死ぬのも怖い。お前が怖がるのも怖い。お前が傷つくのも怖い。お前が笑わなくなるのも怖い。お前が連れ去られるの怖い。お前が壊されるの怖い。お前が変わるのも怖い。お前が変わらされるのも怖い。お前がいなくなるのも怖い。お前が俺から去って行くのも怖い。お前が誰かを選ぶことも怖い。お前に愛想を尽かされることも怖い。お前が消えるかも知れない全ての可能性が、俺から離れていく全ての選択肢が、怖いよ」


 今日、ルスランに怒鳴ったことは後悔していない。だけど、こんな顔で、こんな声で、全てを恐れる人に同じ熱をぶつけられはしなかった。それに、私はもう怒っていない。いや、元から怒ってなどいないのだ。そして、ルスランを傷つけたいわけでも追い詰めたいわけでもない。


「私、王妃様としての仕事とか何にもしてないし、何よりぽっと出で皆の大事な王様とっちゃったから、嫌われるのは当然だと思うんだ。嫌いだったら意地悪していいってわけじゃないけど、嫌われるのは納得してるんだ」


 好いてもらうための何かを何もしていない自覚はある。仕事をきっちりこなすことは勿論、皆と仲良くなるための努力もしていない。私を知ってもらうためのことを何もしてないのだから、自分の都合で私を排除しようとする人は止まる理由もないのだろう。

 だからって嫌がらせしていいわけじゃない。嫌いな人がいるからって、自分に都合の悪い人がいるからって、その人の尊厳を傷つけるようなことや、嘘や、酷いことや、意地の悪いことを言っていいわけじゃないし、書いていいわけじゃない。人を傷つけていい理由なんて、ないのだ。まして、傷つける側がその理由を免罪符にしていいわけがない。


「ねえ、ルスラン、私あんなことでへこたれたりしないよ。他の人からひそひそされたらそりゃ気にはなるけど、何よりなんにも出来ない自分に傷つく。それくらいのプライドはあるんだよ。自分がなんにも出来ないって分かってるし、出来るようになるために必要なこと何もしてないって分かってる。それなのに、その結果で怒ったりしないよ。そんなことしたら、私、なんでもかんでも人のせいにする駄目人間になっちゃう」


 なんでもかんでも人のせいにする人になったら、いつでもどこでも文句ばかりになる。自分を彩ることも守ることも全部全部人任せになって、自衛の労力を手間だと感じるようになって、不満ばっかりになって、いつもぶうぶうぶうぶう文句ばかり。してくれなかったことにばかり目がいって、足りないことにばかり意識が向いて、それしか見えなくなって溢れた文句に沈んでいく。

 そうなったら、私は私を大嫌いになる。今日たくさん言われた「みっともない」「どうしてあんな子が」の評価がぴったりで、自分でもそう思うほど駄目な自分なんて、大嫌いだ。他者からの評価に自分を沿わせる必要はない。それが悪意ある評価なら尚のことだ。


「こうなるって子どもでも分かる。それを分かってて、自分で選んだの。私、自分で選んだんだよ。私、ちゃんと大人になりたいの。痛いことも怖いことも悲しいことも、知らなきゃなんにも変われない。傷つきたいわけじゃないけど、だからってそういうのにまったく触れないで生きたら、ぶつかったときのダメージ凄いよ」


 困難の越え方はいろいろあるだろう。真正面から体当たりで困難を砕ける人もいれば、のらーりくらーりと回避する人だっているだろう。どのやり方が自分に向いているかはやってみないと分からない。


「だからさ、どうせならいろんな事から隠すんじゃなくて、頑張ってたら褒めてほしい。落ち込んでたら慰めてほしいし、元気だったら笑ってほしいし、出来るようになったら凄いって言ってほしい」


 大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれたら、それなりに大丈夫だ。嫌われたいわけじゃないけれど、出勤拒否が全く頭を過らないくらいには大丈夫である。



「そう簡単には潰れないって信じてほしい。大丈夫だって、誰よりルスランに信じてほしい。……私、傷つくことはあまり怖くないんだよ。お母さん達からも、ル、ルスランからも、愛してもらってるって分かっていると、意外といろんなことが平気なんだって改めて分かった。何があっても、私を大事に想ってくれている人がいるって分かってるから、誰かから何かを言われても、されても、私は自分の価値を信じていられる。潰れたりしないでいられる。愛されている自信は、私の土台なんだよ。だからお願い。私のこともっと信じて。私の未来を怖がらないで。私は私のままで変わっていけるって、誰より、ルスランが信じてほしい」


 私を嫌う誰かの希望に添ったって、私には何も残らない。私を嫌う人の望みを叶えたって、私の大切な人の笑顔は残らない。それさえ分かっていれば、どんなことを言われたって自分にとって大事なものを惑わないでいられる。

 私には愛されている自覚がある。そう言い切れるくらい、大事にしてもらってきた。それは、自惚れて成長を止め、誰かに凭れかかるためじゃない。傷を負っても、苦しんでも、最後まで立っていられる力だ。







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