36勤
「まあ、なんて見応えのない方なのかしら」
やけにはっきり聞こえた声は、私のすぐ後ろから聞こえてきた。
振り向けば、昨日ロベリアが凶器にしようとしていたような、長く綺麗でたっぷりとした金髪の女の子が立っている。睫毛がばしばしで凄いけれど、金色だからか下品に見えず、それどころか上品にすら見える。目鼻立ちのはっきりとした美人だけれど可愛さもしっかりあって、ただの美人という褒め言葉では足りない。
「確かに服も靴もみすぼらしいけれど、何よりみすぼらしいのは中身ね。わたくしが同じ服を着ていたら、そんなみすぼらしさは感じさせないわ」
「確かに」
思わずしっかり頷いてしまった。この人なら、たとえ500円で買ったTシャツでも、セレブに着こなしてみせるだろう。
「初めてお目にかかります。わたくし、コレット・オレンと申します」
「あ、はじめまして。月子……春野です。ネルギーさんの関係者さんですか?」
「あら、わたくしの顔を知らないとんだ田舎者でも、兄の名はご存じでしたの」
つい昨日知りました、とは言わないほうがよさそうだ。
コレットさんは、あかさらまに私を上から下まで視線を通していく。そして、鼻で笑った。
「姿勢が悪いわね、みっともない」
「そう、ですかね」
猫背にはなっていないはずだけどと見下ろしても、自分ではよく分からない。鏡があればいいのに。周囲を見回そうとした私の前に、美しいご尊顔がずいっと近づいた。
「美しい姿勢というものは、ただ胸を張れば出来上がるような簡単なものではないわ。女の身体しなりがあるから、胸だけ突き出せば不格好だもの。そんな初歩的なこともご存じないのかしら。まあ、お里が知れましてよ」
是非知ってほしい。日本って言うんです、私のお里。
「コレットさん……様?」
「そう、わたくしは由緒正しきオレンの娘。馴れ馴れしく呼ぶ無礼を躊躇うだけの分別はあったようですけれど……そうね、その分別と、仮にも王妃という立場であることを考慮して、好きなように呼ぶといいわ」
「コレット!」
「馴れ馴れしすぎるのではなくって?」
「えぇー!?」
好きなように呼んでいいって言ったのに!
「じゃあ、コレットさん……」
「好きなように呼べばいいと言ったでしょう?」
「えぇー!?」
若干理不尽な思いを抱えつつ、私はさっきまで飲んでいたお茶のカップを持ち上げ、目線の高さに掲げた。
「このお茶すっごいおいしかったんですけど、なんて名前か分かりますか?」
「当然ね。その程度のことも分からないようでは、王妃は勿論、貴族の女だって務まりませんことよ。イオで取れるヤオ茶ですわ」
「凄い、コレット物知りですね! 教えてくれてありがとう」
「ふん、当然ですわ。貴女とは格が違いましてよ」
「コレットはどんなお茶が好きなんですか?」
「貴女如きでは知り得もしないでしょうけれど、わたくしの愛用の茶葉はビウケで取れるソン茶。ごく少量しか取れない、甘くコクのある茶葉で、扱いがとても難しく専門家でないと淹れることができない幻のお茶と呼ばれているものよ」
「へぇー! 飲んでみたいなぁ!」
誰かのお気に入りと聞くだけで興味をそそられるし、その上具体的なプレゼンをしてもらうともっと興味が沸く。でも、お高いんでしょう?
「あの中にありますか?」
お茶の用意がされているテーブルを見ながら聞く。お菓子もいろんな種類が並べられているけれど、お茶も凄い。私はお茶には詳しくないし、ましてこの世界のお茶の種類はさっぱりだけれど、遠目にもいろんなお茶が用意されているのが分かる。
扇子のようなものをぱんっと開き、口元を多いながらそっちを見たコレットさんは、表情をほとんど動かさず視線だけを流した。
「わたくしが愛用している茶葉が、そう易々と並べられていると思わないで頂きたいものね」
「そっかぁ」
残念だ。いま飲んでいるお茶も凄くおいしいけれど、コレットおすすめのお茶も是非飲んでみたかった。
扇子を閉じたコレットは、つんっとそっぽを向きながらたっぷりとした金髪を払った。光が髪の表面を波のように通り過ぎていく。綺麗な髪だなと思わず見惚れる。
「当然わたくしの部屋にはございますけれど」
「そっかぁ」
「当然ですわ」
「そっかぁ」
「……どうしても飲みたいのならば、招待くらいならばしてもよろしくってよ」
ふんっと鼻を鳴らしたコレットさんは、さっき閉じた扇子をぱんっと開いた。扇子使いが上手だ。是非私にも教えてほしい。
「え!? いいんですか!?」
「…………本当は、ええ、本心ではとても嫌ですけれど」
「え、それならいいです……気を遣って頂いてありがとうございます……」
「一応曲がりなりにも王妃である貴女に、レミアムに対して知見を持って頂くことに協力するのは、我が王の臣下として当然の務めですわっ」
目を吊り上げてそう言ったコレットに、えーとと考える。ちらりとロベリアに視線を向けると、特に反応を示していない。ということは、行ってもいいということだろう。
視線を戻せば、コレットはどこかいらいらした様子で腕を組んでいた。再び閉じられた扇子が組まれた腕の中でいらだたしげに揺れている。
「で、どうなさるの?」
「ご迷惑じゃなければ是非伺いたいです!」
「あらそう、じゃあ行くわよ」
くるりと背を向けて歩き始めたコレットに驚く。慌ててカップを置いて追いかけると、ロベリアが静かに侍女として並んでいた列から外れたのが分かった。
「今から?」
「あら、貴女、まさかこのわたくしを待たせるつもり? まさかご自分が、このコレット・オレンを待たせるだけの価値を提供できるとお思いなの?」
それは確かに難しい。だけど、この場を去っていいのだろうか。
この会場に私を連れてきた人の様子を窺おうにも、ネルギーさんの姿はない。ぐるーっと会場内を見回して周囲の反応を見てみる。すると、全員固唾を飲んで私とコレットを見ていた。その異様さに、思わず固まってしまう。自分達で話をすることも、何かを口にすることもなく、全員が私とコレットを見ているのだ。
そんな周囲の状態にコレットも気づいていないはずがないのに、つまらなさそうに一瞥するだけだ。
「えっと、じゃあ……よろしくお願いします」
「ふん……まあいいわ。どうしても言うのなら、招待してあげるわ」
閉じた扇子でぱしんと掌を打ち付けたコレットは、まっすぐに背を伸ばして歩き始めた。その姿を見て、なるほどと納得する。堂々としているけれど、胸を張りすぎているわけではない。背は反らずまっすぐに、顎は少し引かれているのに俯いているわけではなく視線もまっすぐだ。
歩いているのに、上下左右に身体は揺れていない。まっすぐ、とにかくすべてがまっすぐだ。
こんな風に綺麗に歩けたら、どんな衣装でも映えるだろう。ルスランも似た歩き方をするけれど、体格の似ているコレットのほうがもっと自分でもできないかと想像しやすい。
よどみなくまっすぐに、まるで滑るように歩いていたコレットの後をついて行きながら、足しはずっとその歩き方に見惚れていた。おかげで帰り道がさっぱり分からないので、後でロベリアに聞こうと思う。
連れてきてもらったのは、この屋敷でコレットが使っている部屋なのか、それともどこか別の空き部屋を借りたのかは分からない。どの部屋もホテルみたいだからあまり見分けがつかないのだ。
進められるがまま椅子に座る。コレットも私の前のソファーに座った。ロベリアは入り口側の壁を背にして、揃えた手を身体の前に置いて静かに立っている。
何人かの侍女さんがお茶とお菓子の用意をしてくれている間、話す人は誰もいない。しんっと静まりかえった部屋の中は、お茶を淹れている音だけが響いている。
前に座っているとはいえ、コレットをじっと見つめ続けるのは失礼かもしれないと、白いレースのカーテンが窓から入る風で控えめに揺れている光景に視線を固定した。
けれど、ふわりと、甘いのに香ばしい不思議な匂いがして視線を戻す。
「いい匂い」
「当たり前よ。誰が好んでいる茶葉だと思っているの」
淹れてもらったお茶が、丁寧に私の前に置かれる。テーブルに置くとき、ほとんど音がしなかった。置く音も、置いてくれた人の足音もだ。さては忍者と見た。
「いただきまーす」
両手でカップを持って、口をつける。本当は匂いを堪能してとかいろいろルールがあるんだろうけれど、お茶が楽しみすぎてちょっと匂いを楽しんだだけで口をつけてしまった。異世界ルールはよく知らない。故郷のルールでさえろくに知らないけど。
そんなことを考えながら口をつけた私を、コレットはじっと見ている。自分のカップを持ち上げてはいるけれど、口をつけようとはしていない。大きく綺麗な瞳にじぃっと見つめられると、嬉しいような照れくさいような居心地が悪いような気持ちになってくる。
「あ、おいしい」
お茶は、まったく渋みも苦みもなくて、すっきりと甘い。ご飯に合うかと聞かれるとメニューによるとしか言えないけれど、おやつと一緒に飲んだら最高においしいと思う。
「うわー、おいしい! 飲みやすい! 一気飲みしたら勿体ないって思う味がします」
「……ふん、庶民の感想ね」
そう言うと、コレットも自分のカップに口をつけた。一口飲んだ後、ちらりとお茶を入れてくれた人達に視線を流す。その視線を受けた人達は、一度深く頭を下げた後、ぞろぞろと部屋から出て行った。控えているのはロベリアだけになった部屋の中は、一気に広くなった気がする。
コレットはロベリアを見たけれど、ロベリアはおどおどびくびく脅える小動物のような動きで縮こまったまま、壁から動こうとはしない。コレットは小さく息を吐き、カップを置いた。
「それで、貴女まさか、わたくしが何の算段もなくここに連れてきたと思っていないでしょうね」
ゆっくりと告げられた言葉と同じくらいゆっくりと、私はコレットを見た。
「なあに、その間抜け面は。ただただ善意だけであの場から連れ出してあげたと思っていたの? オレン家であるこのわたくしが? 貴女、おめでたいにも程があるのではなくって?」
「え? 連れ出してくれたの? それはどうもありがとうございました!」
「……気づいて、なかった、の?」
「私が気になったお茶を飲ませてくれるコレットはいい人だな、友達になりたいな、と……」
お茶会を抜け出してまでお茶に誘ってくれるなんてと感動していた。お茶もおいしいし、お菓子もおいしい。幸せである。
信じられないものを見る目で戦慄いていたコレットは、こほんと小さく咳払いをした。
「ま、まあ、貴女がどうしても言うのなら、考えなくもないけれど、まずはわたくしの条件を終えてからの話よ」
「条件?」
「そう、条件」
顔面からすっと感情を消したコレットに、私は自然と居住まいを正した。元々崩していたつもりはないけれど、改めて姿勢を正さなければならない気がしたのだ。だって、コレットの目が真剣だ。部屋の中にぴりっとした緊張感が走る。
「…………を……」
「え? ごめん、聞こえませんでし」
「王の普段のご様子を教えてちょうだい!」
「た…………なんて?」
最後まで言い切れなかった言葉の合間に聞こえた台詞は、きちんと聞こえていた。聞こえてはいたのだけれど、聞き間違いかと思ったので一応聞き直す。
「だ、から、ルスラン様のお好きな色とかお好きな食べ物とか、普段、どんなことをお話しされているのか、と、か……一回で聞きなさいよ!」
「そんな無茶な……」
顔を真っ赤にして怒るコレットを前にして、もう一回頭の中を整理する。コレットは私をあの居心地が微妙なお茶か会場から連れ出してくれた。おいしいお茶を飲ませてくれた。その条件が普段のルスランを教えること。
「え? それだけでいいの?」
交換条件は先に提示してもらえたらありがたいけれど、それにしても安すぎる。私がお得すぎる取引に心配になって聞いたら、コレットの目が吊り上がった。
真っ赤だった顔からは、すぅっと赤みが消えていく。かわりに、冷え冷えとした冷気をまとった視線が私を向いている。部屋の温度まで下がったように感じ、背筋を冷たいものが滑り落ちていく。そこでようやく、自分が何か失言を吐いたと気づいた。
「……貴女、ご自分の立場を分かっていて?」
「ルスランの、王妃、です」
「そう……その通りよ」
「はい」
そぉっとそぉっと、言葉を返すと、吊り上がった目が下りてくる。ほっとしたのも束の間、バネ仕掛けになっていたかのようにさっき以上の角度に吊り上がった目に、思わず怯む。
「ひぃ!」
「貴女、世界五大魔術士に数えられる間違いなく歴史上最高峰の魔術士であり、史上初の独立国家を若くして作り上げ、無敗伝説を持つ、美しい氷の王の私生活を、易々と売るだなんて許さなくってよ!」
「じゃ、じゃあ話しません!」
「話しなさいよっ!」
「えぇー!?」
どうすりゃいいの!?
あまりの迫力と混乱に、戦いた私の隣にコレットが移動してくる。そして、ストンと腰を下ろすや否や、私の腕をがしりとつかんだ。ひぃっと喉から引き攣った悲鳴が出た。助けを求めて私の護衛を見たら、コレットが背を向けているのをいいことに脅えた演技を引っ込め「がーんばれ」みたいなノリで二本の指を額の前で揺らした。
「待って待って待って! コレット、ルスランのこと好きなの!?」
恋敵!? そりゃ確かにあそこにいたのはルスランのお妃様候補だった女の子達だとネルギーさんは言っていたけれど、こういうのは親同士が決めたことやお家の事情で決まったことと言うのがセオリーだと思っていた。まさか、本当にルスランのことを好きな女の子がいたとは。
大問題である。私は今更、危機感を覚えた。
私の横に座るコレットをじっと見つめる。可愛い。綺麗だ。美人だ。恐ろしいほど愛らしい。駄目だ。私が惚れそうだ。
「……月子様」
その愛らしい顔から、再び感情という感情が抜け落ちていく。すぅっと、消えていく色と感情と一緒に、声も低くなっていた。
「つ、月子でいいよ!?」
「そう……月子? あのね?」
「はひ」
コレットの顔から消えた感情が、爆発するように膨れ上がった。
「いいこと!? 交換条件のお話は必ず語って頂くけれど、それは我らが偉大なレミアムの王がどれほど素晴らしい御方を理解してからの話よ! 覚悟なさい!」
「えぇー!? やだー!」
「は?」
「是非ご教授頂きたく存じますです」
ぱくぱくと操り人形のように返事をした私の視界の中で、ロベリアが静かに瞼を下ろしたのが見えた。私の護衛はつつがなく居眠りに突入した。そして私はこの後、延々延々延々延々と、講師コレット・オレンによる如何にルスランが素晴らしいか講座を聞き続けたのである。




