31勤
串を二本ずつ、とはいかず、私が一本半、ルスランが二本半食べて平らげる。ルスランはこう見えて、外見以外での儚さはあまりない人なのだ。たぶん、四本全部食べても平気だったと思う。
串から解放されたベタベタの手を、近場の手洗い所で洗ったところでハンカチがないことに気づく。そもそも私は今、鞄を持っていない。こっちの人達が用意してくれた王妃様お泊まりセットの中に、鞄がなかったのである。ハンカチが無いと、こんなにも心許ない気持ちに襲われるとは。
しばしの沈黙後、ルスランの前に無言で両手を差し出す。ルスラン乾燥機が乾かしてくれた。ルスラン乾燥機、本当に万能である。
「次は何食べるの?」
「そうだなー……せっかくだから海産物いくか? 夜獲れの魚とか。まあ、夕飯にも出るだろうけど」
「朝獲れじゃなくて?」
聞き慣れない単語はそのときに聞くことにしていた。そうでないと聞き逃してしまうのだ。一回聞き逃すと、次のチャンスがいつ巡ってくるのか分からない。
私達は、大きな切り株をどかんと置いてテーブル代わりにしているお店の前に立ち止まった。正確には私が立ち止まったからルスランも止まってくれたのである。
目の前でふよふよ浮かぶクラゲのような物体は、実は合羽だそうだ。私の知ってる合羽とだいぶ違う。
花型、五つ葉のクローバー型、天使の羽根型、カエル型とおそらくカエル型。色も形も様々な透明の物体がふよふよ浮いている。これを頭の上に乗せれば全身を包んでくれるのだそうだ。便利だし、可愛い。この暫定カエル型をつけたルスランを見たかったけれど、断られた。サイズが合わないのだそうだ。どうやら子ども用だったらしい。それにしては絶妙に可愛くないデザインなんだけど、これ子どもに受けるのだろうか。
「この島は、日中は浮いているが夜は海に下りるんだ。日と共に浮かんで、日が沈めば島も下りる。だから漁師は、基本的に夜の間に漁を終えるんだ」
「へぇー! でも、おやつも食べたいからあんまりがっつりしてない方がいい」
「そうだな。どうするかなー」
ルスランは視線をぐるりと回して屋台を見ている。屋台もお店も、さすが異世界と言うべきか空中に文字が書かれているので人混みの中でも読みやすい。背にしている建物の高さを超えなければ、空中も自由に使っていいのだそうだ。
だから、大抵のお店が遠くからでも見えやすいように空中に看板を掲げるのだそうだ。看板と言っても板は使用していなくて、本当に文字だけがつらつら描かれている。何がどうなっているのか、文字が浮かんでいる部分は背景の色も少し変わっていて、風景に文字が溶け込むこともなく読みやすいのだけど、私には何が書かれているのかちんぷんかんぷんなのであんまり関係のない話だ。
「きみ達、この島初めて?」
私達の会話を聞いていたのだろう。店主のお姉さんが、くるくる指を回しながら聞いてくる。
「はい、私は初めてです」
「そっか。あたし何回かこの祭り来てるから、いい屋台知ってるんだ。教えて進ぜよう」
ちょっとふざけた口調でウインクしたお姉さんが回す指の先に、背景の透けた画像が浮かぶ。お店の上に浮かんでいる看板と同じ魔術なのかも知れない。まるでグラフィック映像みたいで、ちょっとわくわくする。
「ここは大通りだから、いろいろ派手な出し物が多いけど、こっちの道、一本外れた通りだと結構人通りも落ち着いてるし、座って食べられる料理が多いんだ。んで、こーこーの、この店! 魚のすり身を野菜とかと合わせてふわふわに揚げたやつを入れたスープが、もう絶品! 軽めだからぺろっといけると思うよ。めっちゃおすすめ!」
「えー! 美味しそう! ルスラン、ここにしよう! ここ!」
「はいはい」
ルスランの服を引っ張って思いっきり揺らすと、それに合わせて素直に揺れてくれた。
ルスランをぐらぐらさせながら、おすすめスイーツも聞いてみる。お姉さんはスイーツ系のお店もしっかり網羅していたので、いろいろ教えてくれた。宙に浮かんだ地図を指で指しながら教えてくれる。ただ、残念なことに私は現在地すらさっぱりだったので、主に聞いていたのはルスランだった。
「この島、食べ物もおいしいけど、やっぱり一番のおすすめは夜だよ。夜の一斉漁! 船が一気に海に出て行く様は圧巻だよ! 光も綺麗だし、彼氏と見るといい雰囲気になれるよ」
最後はこそっと教えてくれたお姉さんに、にへらっと笑い返す。どうしよう。照れて変な笑い方になってしまった。彼氏だって。ルスラン、彼氏だって。えへへー。夫だけど、えへへー。
えへへえへへと不審者丸出しな笑い方になっている私に、お姉さんは微笑ましそうな笑みを向けてくれたし、隣の店のおじさんも若いっていいねと笑ってくれたし、ルスランはドン引きしていた。私の彼氏、まじ許すまじ。
「島も初めてって事は、この祭りも初めて?」
「はい! だから今日は、めちゃくちゃ楽しみにしてきました!」
「そっかぁ。レミアムはさ、王様めちゃくちゃ怖いけど、今までだったら教会に禁止されたり独占されてた魔術や技術を自由に発表できるから、あたしら魔術士には今のほうが断然生きやすいんだ。協会に媚び売ってべったりするのも、そりゃ黄水晶ざっくざくで楽だけど、そんなのはごく一部の魔術士だけの恩恵だしな。自分の実力で成果を認められるレミアムの魔術士はみんな生き生きしてるんだ。だから祭りもそりゃあもう生き生きして、皆はっちゃけてるから、すっごい楽しいよ! まあ、やり過ぎたら王様に首飛ばされるか石にされるか消し炭にされるか永久凍土に眠らされるかするんだろうけどねー」
恐ろしいことをさらっと笑顔で言われても反応に困る。ちらりとルスランを見たら、しれっとした顔で地図を見ていた。せめてそんなことしないよと言わないまでも、焦ったほうがいいと思うのだけれど、それはもうしれっとしている。
「そこまでいかなくても、みんな盛り上がってるし、あちこちから事故なのか故意なのか分かりづらい魔術とかのろい飛んでくるから気をつけなよー。あたしいま足が豚の足だし」
「へ!?」
ほら、これと見せてくれた足は、確かに蹄がついた薄桃色の足だ。
「そのうち治るからいいんだけど、気をつけなよー」
「は、はははははは」
気をつけようがない場合は諦めたほうがいいのかも知れない。
冷や汗かきながら乾いた笑いを浮かべていたら、お姉さんとルスランが虫でも払うように手を振った。
「あたしも守ってくれる彼氏が欲しい……」
「私は守れる彼女になりたいです……」
「ねえねえ、彼氏やんごとなき方?」
「んっ!」
ひそひそと耳打ちしてくるお姉さんに、思いっきり噴き出しそうになりすんでのところで堪える。危なかった。
「いやいや、そんなに動揺しなくても見りゃ分かるって。どこからどう見てもやんごとなき方だよ」
ですよねー。私は地図を見て場所を確認しているルスランに視線を向けて嘆息する。私の彼氏、まじやんごとなき方。
「大丈夫大丈夫。ここ観光名所だし、そんなのいっぱいいるって。ほら、あそこも絶対訳ありだって」
「え?」
指さされた先は、一番人がごった煮状態になっている場所だったので、お姉さんが指している対象が分からず首を傾げる。
「ほら、あそこ。堅物騎士様と気弱な侍女と見た!」
楽しげに弾んだお姉さんの声に、意外にも反応したのはルスランだった。ばっと後ろを振り向いて、人波みに素早く視線を這わす。
「まずい、追いついてきた。逃げるぞ月子!」
「え? あ、ロベリア!」
「と、マクシムだ!」
腕を掴まれて立ち上がると同時に、向こうもこっちに気がついた。鋭い目で周囲を見回していたマクシムさんと、おどおどびくびく視線を這わせていたロベリアが同時に口を開く。
「ルスラン様!」
「奥様!」
二人は同時に叫んだので、周囲の視線が一斉に二人を向く。中でも一部の男性は弾かれたようにマクシムさんを向いていた。その後、二人が凄い形相で叫んだ相手、つまり私達に視線が回ってきた。
でも、私達に向けられた視線は、お城で他の人達から向けられるような棘はない。針の筵というよりは娯楽を提供しているだけのようだ。だって口笛が聞こえてくるし、やんややんやと盛り上がっている。
「お、今度はどこのやんごとなき方だ!」
「ルスラン様ときたか!」
「いいなぁ、浪漫だなぁ」
「やれー! そこだー! ぶっ飛ばせー!」
一体何をぶっ飛ばせばいいのか、それとも私達がぶっ飛ばされればいいのか。判断に悩む声援が上がったと同時に、私の視界も上がる。
「うわっ!」
「担ぐぞ」
「もう担いでる!」
ひょいっと抱きかかえられて、赤面するより驚きと落とされやしまいかという恐怖が勝った。慌ててルスランの首根っこにしがみつく。
「ねえ、魔法は!? なんで物理なの!?」
「もう使って、る!」
最後の言葉はかけ声だった。だんっと強く足を踏み出したルスランの身体が、まるでバネでも踏んだかのように飛び上がる。次々と空中に浮かび上がった光を踏めば、それも大きく弾き返してきたから、凄い勢いで場所が移動していく。
「マクシムさん、ルスランって連呼してるけど大丈夫なの!?」
「どうせこの国には俺が生まれたときのどさくさでルスランが大量発生してるから大丈夫だ。現に名前を呼ばれたと思ってマクシムを見たやつが何人かいただろ」
確かに。二人が叫んだあのとき、弾かれたようにマクシムさんを向いた男の人が何人かいた。
「じゃあ、あの人達みんなルスラン?」
「かもな。いつの時代もどこの世界でも、王族や著名人と同じ名前をつける親はいるんだよ」
「……まあ、満月の晩に生まれたから月子って名付ける安直な親もいるわけだしね」
「この世界では秘宝の名だ、誇っていいぞ」
そうは言われても、ありとあらゆる理由で素直に喜べない。ルスランは凄い早さで宙を駆けていくし、お祭りの人達は見世物代わりにやんややんや大盛り上がりだし、マクシムさんとロベリアは屋根の上を走って追いかけてくるし。カオス。
お母さん、お父さん。曾お婆ちゃんの故郷の魔術士の祭典は、カオスの塊でした。
「はは」
上から小さな笑い声が降ってくる。見上げると、ルスランが目を細めて笑っていた。
「ルスラン?」
「マクシムからこうして逃げていると……何だか、昔みたいだ」
昔を懐かしむにしては酷く痛そうな顔をして笑っている人は、片手で私を抱え、もう片方の手で帽子をしっかり押さえる。手慣れた様子は確かにこういった逃走が初めてじゃないことを窺わせた。だけどきっと、もうずっと前のことなのだろう。
「……わー、悪い王子様だー」
「ほんとだな。不良王子だ」
私は、私を抱え直した手の温もりに、こっそり小さく息を吐いた。こういうときは躊躇わず触ってくれるのになと思ったことは、すぐに飲み込んだ。
「ルスランさん、マクシムさんから逃げ切れる勝率は?」
「七・三ですよ、月子さん……」
その言い方から見るに、負けているほうなのだろう。
「駄目じゃん!」
「武闘派メリーさんだぞ!?」
「あ、勝てない」
「だろ? 殺し屋を撒くのは簡単なんだが、マクシムを撒くのは至難の業なんだ。だが、今日はもうちょっと頑張るつもりだ。このままだと目立つから一旦人混みに紛れる」
「ロベリアみたいに変身できないの?」
凄くいい方法に思えたけれど、ルスランは苦い顔をした。
「できないこともないが、あれはロベリアほどの天賦の才がないと、凄まじく疲れるんだ。自分の意思で全身を薄い膜で覆い、常に同じ形、薄さ、濃度、色合い、下手すると味まで維持し続けると考えろ」
「あ、やだ、無理、しんどい」
「だろ? だから、紛れたほうが早い」
そう言うや否や、私を抱える力を強くしたルスランは、空中でぐるりと一回転した。天地が逆さまになった足下に魔術の光が見え、落下よりもっと速い速度で地上に逆戻りする。人がいない場所を狙ったのだろう。ぽっかり空いた着地地点にも同じ魔術の光が現れ、ルスランは地を這うようにあっという間に路地裏の中に入り込む。
帽子から手を離した後ろ手で作られた拳が開かれた瞬間、大量の光る蝶が現れた。ルスランの掌から生まれたたくさんの光の蝶に、わぁっと歓声が上がる。私も歓声を上げた一人だったけれど、じっくり見る間もなくその場を離れなくてはならなくて残念だった。
足が地面に下ろされただけで、抱き込まれたままお互いしばし沈黙する。背中が凄く温かいんだけれど、意識したらデートごと終わりそうな予感がひしひしした私は、必死にその温もりから意識を散らした。
「よし、撒いた」
小さくガッツポーズするルスランに思わず笑ってしまう。
「お疲れ様でした」
笑いながらそう言ったら、子どもみたいに笑ったルスランの動きがぴたりと止まり、私を抱える腕がそろりと離れていく。あ、と、思っても追いかけることはできない。
「……じゃあ、デート再開しますか、月子さん」
「次はデザートですね、ルスランさん」
追っ手は撒いても、ルスランとのデートはいろいろと悩ましいままだった。




