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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第一章
22/69

21勤







 他にどうしようもなくて、音のした方へと無意識に視線を向ける。暖炉に入っている薪は、よく見ると何かの家具の足のようだった。正規の薪じゃないから、よく跳ねるのかもしれない。もしかしたら、部屋だけじゃなくて建物全部が使われていない場所なのだろうか。

 熱に近いこの場所では、見つめる瞳にも熱が移る。熱くて、乾いて、空気を漂った熱で心が焦げ付いてしまいそうだ。



「協会は、リュスティナと同じ力を持ったルスランを協会の名の元に管理しようとしていました。名目上は、特殊な力を持ったルスランの導き手がいないレミアムよりも、世界中の魔術士を統括する協会の元で育つ方がルスランの為になるとのことでしたが、協会に引き渡される魔術士の行く末など暗黙の了解でした。私がいい例ですね。協会の犬ですよ。そこのロベリアも、元はルスラン暗殺に差し向けられた一つですし。協会に不都合な人間を暗殺し、逆らった街を焼き討ちに、魔力の強い子どもが生まれれば保護の名の元に浚いもする。金と黄水晶を山のように与えられる代わりに、自ら子を売る親もおります。レミアムの先代の王と王妃はそれをお選びにはなりませんでしたが」



 私の心臓の上に置かれた掌は、身動ぎ一つせずにぺたりと張り付いたままだ。



「協会はずっとレミアムに通達していました。一歳までには、三歳までには、五歳までにはと、それはもうしつこく。それを拒み続けていた先代の王と王妃は、『事故』で崩御されました。出先で、放置されていた黄水晶の暴走に巻き込まれたと。証拠はないでしょう。けれど、誰もが協会の仕業だと知っている。王と王妃が乗った馬車にかけられた護術が、それもご本人達も高い魔力の持ち主であるお二人が乗った馬車が、たかだか誰かが落とした程度の黄水晶の暴走で破られるはずがない。各国が、魔術士が、黄水晶を掻き集めているこの世界で、そんな力を持った黄水晶が放置されているはずもない。けれど、世界はそれを事故にした。協会は言わずもがな、世界中の国も、レミアムの重鎮でさえも」



 淡々と、というよりは穏やかで静かな声が降る。昼下がりの授業みたいだなと、頭を過った。


 お腹がいっぱいになって、お昼休みでのんびりして、午後一番の授業。計算はいらなくて、ただ先生の話を聞いて板書するだけののんびりとした授業で先生が喋っているみたいな声音だ。それなのに、その内容も、この状況も、穏やかさとは似ても似つかない。





「どうしてわたくしがレミアムを訪れることができたか分かりますか? ルスランが協会からレミアムを独立させた今になっても、協会を支持する者が大勢いるからですよ。彼らも協会が正しいなどとは欠片も思ってはいない。けれど、協会を支持すれば利が大きいのです。黄水晶だけではなく、金も魔力の多い人間も浴びるほど手に入り、罪を犯しても協会が背後にいれば見逃される。だから、先代の王と王妃を殺した協会に媚びる人間はレミアムにすら、世界中でどの国よりも許してはならないはずのレミアムの民にすら、大量に存在するのです」



 だから、あの男は全て一人で行った。



 そう続いた声にだけ、熱が灯った。けれどそれが何の熱かを判じることは、私にはできなかった。




「先代の王と王妃を失ったレミアムに、協会は雪崩れ込んだ。王族が一人しかいなくなった国から王を連れていくことは止めたが、代わりにレミアムを牛耳るつもりだった。レミアムは世界でも有数の黄水晶産出国だ。ルスランのことが無くとも隙あらばとずっと狙っていたから、絶好の機会だったのだ。そして、貴族の多くがそれに賛同したときのあの男の絶望を、想像するだけで心が躍る。両親を殺した仇を嬉々として迎え入れる自国の民を見たあの男の怒りは、やがて世界を焼いたのだ」



 私はこの話を初めて聞く。だけど、あの夜のルスランを思い出す。冷たく凍った瞳と、声は今でも鮮明に思い出せる。華奢で、やつれて、恐ろしいまでに色を持たなかったルスランを、思い出す。




「この国には粛清があったのですよ、王妃様。僅か十二の子どもが、レミアムに血の粛清を降らせたのです。そうして、歴史を変えた。レミアムは、協会創立以来初めての独立国家となりました。一時期は全ての国との貿易が途絶え、完全に陸の孤島と化しました。ですが、国は荒れなかった。恐ろしいほどの速さで、王が国を整えたからです。大きな不安でもあったレミアムの魔術衰退も、逆に協会に管理されるのを嫌がった魔術士が集まってきたことで、繁栄すらしました。今やレミアムは、大陸随一の黄水晶産出国であり、魔術士の楽園です。以前のように全ての国とまでは参りませんが、貿易も回復しました。レミアムは、世界で唯一自由な国となりました」



 いつの間にか、エインゼの呼吸は落ち着いていた。

 少しだけ視線を向けると、暖炉を見ている横顔の色も随分いい。けれど、私の心臓の上に張り付いた掌の強さは変わっていなかった。ぺったりと、一寸の隙間もないほどに張り付けられている。



「あの男は、反対する人間も多い中、誰も可能だとは思わなかった協会からの独立を成し遂げた。協会から独立した後、幾つかの国と戦争も起った。三つの国が同時に攻め込んできたこともあった。けれど、その全てを捌き切った。全く、本当に悪魔のような男だ」



 それも、初めて聞いた。

 ルスランが酷く忙しそうにしていた時期があったから、もしかしてそのときだろうかと思い至るくらいで、何があったかは全然知らなかった。

 だって、絶対に教えてくれなかったのだ。



 ぐったりと疲れ切り、ベッドに倒れ込むや否や眠ってしまった彼を、鏡台越しに何度も見た。あの頃はまだ鏡台を越える術を知らなかったから、掛布団を掛けてあげることもできず、随分やきもきした。結局私のもこもこ上着を鏡台からぎゅうぎゅう押し込んで、なんとか上だけかけた。今の私よりも年下のルスランに、かけたのだ。


 眠りながら泣いているルスランの手を握ることしかできなかった夜を、何度も越えて、私はここにいる。そんな夜を、ルスランはずっと越えてきたのだ。





「協会の手先となり、数多の国がレミアムに攻め込んだ。その度、レミアムは生き延びた。どうしてだと思いますか? 少年王が戦場に立ったからですよ。レミアムは黄水晶の産出国ではありますが、世界中の黄水晶と消耗戦を挑まれれば、当然先に枯渇します。だからあの男は、自らが戦場に立ったのです。圧倒的な数の不利がありました。ですがあの男は、後に白銀の悪魔と呼ばれたあの男は、黄喰いをばらまいて相手を無力化した上で一方的に殺戮し、相手の心を折って回った。一部の降参など聞かなかった。一部隊の降参も聞き入れなかった。追撃も徹底し、相手国の王自身が撤退を掲げるまで防戦のみではなく攻め込むことまでした。協会は、レミアムは防戦一方になるだろうと予想をたてていた。削れるだけ削って次は別の国に攻め込ませようと画策していたようですが、次はどこも続かなかった。悪魔が、レミアムに攻め込んだ国を徹底的に叩き潰したからです。あの時攻め込んできた三国は、レミアムの属国にされてもおかしくはないほどに叩きのめされました。レミアム王が通った後は、草すら生えないのに首は生えるなどと言われたものです。白銀の悪魔なんて通り名がついた王は、後にも先にもあの王だけでしょう」



 先生みたいな喋り方で、ゆっくり、穏やかに、分かりやすく、緩く笑んで。

 恐ろしいことを、言う。



「レミアム王は、レミアムを協会から解放するためなら何でもした。それこそ、何でも。徹底的に。貴女に触れる王の手は血で汚れておりますよ、王妃様。それを知って、どう思われますか?」


 酷く優しい声音で、凄いことを言う。耳を通った言葉は聞き慣れない事実で、初めて聞く過去だった。






 本当は、あまり想像ができない。私の知るルスランは、ひょうきんな所もどんくさい所もある、優しい人だったから。

 私にはエインゼが語るルスランの過去が、嘘か本当かを判じることは出来ない。だけど本当なんだろうなとは、なんとなく思った。思っても、答えは変わらないから何も問題はない。


「血を知っているんだなって、思う」


 血で汚れた手など、私は知らない。私が知っている手が、流れた血を知っている手だった。ただそれだけだ。




 私はたぶん何も分かっていないのだろう。怖いことも恐ろしいことも何も分からないまま、ただ感情だけで判断している。実際にその状況を見たら泣きだすかもしれない。吐いてしまうかもしれない。でも、既に決めていることがあるから、後からどんな事実が出てこようと、実はあまり関係が無いのだ。


 ルスランは私の知らないところで、立派で優秀で凄い王様をやって、怖くて恐ろしいこともやっているのだろう。だからこそ少し、傲慢だ。私に必要なことも、知りたいことも、知るべきことも、ルスランが一人で決めてしまうのだ。






「そういうの知っても私は離れてなんていかないと分かっているのに、怖じてしまうあの人の弱さを、私は愛してしまった。だから、知っても知らなくても、あまり大差はないんだよ…………帰してよ。私をルスランの所に、帰して。月光石なんて知らない。そんな力、私もルスランも望んでない。私は魔力0で、王妃としての能力も0の駄目な人間で、そんな私が必要な、駄目なルスランの所に、帰して」


 重たい手枷がついた両手で自分の顔を覆う。暖炉の火を見つめすぎて、熱で瞳が溶けてしまいそうだ。熱い雫が溢れてきて、どうしようもない。いっぱいいっぱいだ。怖さとか、悲しさとか、苦しさとか、恐ろしさとか、切なさとか、恋しさとか。いろんな何かが私の中から溢れた。




「……協会は、黄水晶が無くとも魔術が使える人間を作ろうと、長い間研究を続けてきた。今でも続けている。何百人も死んだ。子どもも大人も研究に耐え切れず、死んで、死んで、死んで、ようやく僕が出来た。でも僕は、黄水晶が無い状態で魔術をかろうじて扱えるようになった代わりに、黄水晶があろうがなかろうが、魔術を使えば死にそうなほどの激痛が走る欠陥品になった」


 心臓が押し潰されそうなほどの力が掌にかかる。息が苦しい。熱い。胸が熱い。首筋も、背中も、熱い。エインゼが触れている全てが熱い。だけど瞳を覆う熱だけは、私だけの熱だ。


「やだ、帰る、ルスランのとこに帰る」

「…………ああ、あの男が恨めしい。僕の両親は嬉々として僕を協会へ売り飛ばした。同じ王族でありながら、何故、ああ、こうも違うのだ」

「やだ、帰る。ルスラン、いやだ、熱い、帰る、やだ、もうやだ、帰る、ルスラン、ルスランのところに帰る」

「貴女に触れていれば激痛が鎮まる……貴女を通せば、痛くない……ああ、あの男が妬ましい。何故、何故あの男ばかりが全てを持ち得る。力も、生まれも、月光石も……何故、その月光石が、拠り所となって、傍にある。何故、あの男ばかりがっ」

「い、あっ……」


 首の付け根に激痛が走る。エインゼが、凄い力で私の肩に噛みついていた。ぎりぎりと、犬歯どころか全ての歯が食い込んでいる痛みに、身体が引き攣り、うまく息もできない。


「い、やだ、かえ、る、ルスランのとこ、帰る。ルスランのとこ、帰らなきゃ、泣いちゃう。やだ、帰る、ルスランが泣いちゃう、から、帰る、やだ、も、やだ、ルスラン、ルスラン、ルスランっ」

「……私だって痛い。俺のほうが、痛い。わたくしだって一人だ。僕のほうが、ずっと、一人だ」


 喋ることで口が離れ、激痛が消え失せた。じくじくとした痛みがじわじわと訪れるけれど、さっきの痛みに比べたら気にならないくらいだ。きっと後で酷く痛むだろうけど、そんなことに気を回してはいられない。


「色の無い魚にだって情を向けるくせに、魚の私には、優しかったくせに」


 抱え込まれた身体を必死に逃がそうと、手足を振り回す。



「私はルスランの家族で親友で幼馴染で王妃で、全部、私の全部、昔も今もこれからも、全部ルスランへ向けるって決めてるから、無理、無理だよ。私は全部、ルスランにあげるって決めてるから、私は貴方に私の何もあげられない!」






 私を拘束していた腕から、ふっと力が抜けた。その勢いで飛び出して、危うく暖炉に突っ込みそうになる。咄嗟に床を蹴って暖炉の横の壁にぶつかったから無事に済んだたけど、危なかった。


 間一髪だったこと、叫んだこと、いきなり解放されたこと。いろんなことが合わさって暴れ続ける心臓の音が、頭の中に鳴り響く。耳鳴りまでしてきた。エインゼに背を向け続けることも怖くて、振り向きはしたけれど、身体中に力が入らなくて肩は壁に預けたままにする。暖炉の熱が移って暖かい壁から、じんわり熱が伝わってきて少し落ち着く。


 私が飛び出した体勢のまま、腕も指先すらも開いたまま、私を見ているエインゼは、まるで亡霊のようだった。人はこんなにも虚ろな瞳が出来るのかと思えるほど、何もない、虚無と呼ぶことすら躊躇うほどの絶望が、そこにあった。




「駄目だ……」


 暖炉の横に立っているのに、凍りつきそうなほど冷たい声が、落ちる。


「お前がいたら、痛くないんだ」

「……やだ」

「お前がいたら俺はきっと、俺を売ったあの国を滅ぼせる」

「……やだ」


 エインゼはふらりと立ち上がる。




「貴女がいたら私はきっと、協会から逃げられる」

「やだ」

「君がいたら」

「いやだっ!」

「君が、いて、くれたら」


 やめて。聞きたくない。

 何も聞きたくない。



「僕はきっと、寂しくない」



 可哀相だって、思いたくない。






 私の頬を熱が一筋流れ落ちていくと同時に、エインゼの頬にも同じものが伝い落ちていく。

 その二つが地面に落ちた瞬間、世界が凍りついた。










 一瞬で色を変え、炎すら凍りついた世界の中で、エインゼが弾かれたように私の首を掴んだ。そのまま外に駈け出していく。どうしてこの人は、髪や首を掴むのだ。

 詰まった息を必死に吐き出しながらかろうじて見えた視界の中で、ロベリアの周囲は無事なことを確認できてほっとした。



 部屋から出た先の長い廊下は、異様なほどに明るかった。窓から入ってくる青白い光に照らされていたからだ。景色の様子から一階だとは分かったけど、そんなことはすぐにどうでもよくなった。


 外が明るいのだ。満月の晩だってこんなに明るくならないほどに白く輝いている。目が痛くなるほど光を反射しているのは、世界が凍りついているからだ。テレビの中にしか見たことのない流氷の色。私の大好きな、瞳の、色。


「来たか、レミアム王」


 大きな階段が中央にある広場にある扉を開くと、そこは一面氷の世界だった。

 まばゆいばかりの緑とも青ともつかぬ光が世界を照らし、昼間よりも明るいくらいだ。目が悪くなりそうだななんて思うくらい、目が痛むほどの光の中に、一つの影が立っていた。







「ははっ、まるで幽鬼だな……。古い付き合いの老臣に裏切られ、罵られ、呪われ、何百の人間を処刑し、何千の人間を追い立て、何万の人間を殺し、何十万の人間を追いやり、何百万の人間をその名だけで震え上がらせても、微塵も揺るがなかった男が、たった一人を奪われただけでこの様か……これが、月光石の価値なのか。ああ……僕も欲しい。僕にも、与えて欲しい」


 夢見るように呟いたエインゼの手が首から肩へと移った。一緒になってぐしゃぐしゃに握り潰された髪が引っ張られて痛かったけれど、目の前の人から視線を外すことは出来ない。





 いつも丁寧に整えられていた髪は全て解け、風に煽られるまま耳に掛けようともしていない。身体の横にだらりと下げられた左手には剣が握られているものの、切っ先は地面を削っていた。いつもまっすぐに伸びていた背筋も曲がり、身体は傾いでいる。まっすぐに立ててすらいないのだ。

 髪に隠れて表情は見えない。ただ、薄く開いた唇から白い息が見えるだけだ。




 泣き叫びたくなった。胸を掻き毟り、泣き喚きたい。可哀想なんて思えない。思うことも出来ない。痛いのだ。つらい。苦しい。切ない。悲しいくらいに、愛おしくて、恋しくて、寂しい。

 どうして一人なの。どうして、王様なのに、ここはルスランの生まれた世界で、生まれた国なのにどうして。そんな冷たいところに一人で立っているの。



「ルスラン」



 私の声に反応して、白銀の頭がゆらりと傾ぐ。さらさらと流れる髪の隙間から、瞳が色を変えながら動き、私を映してぴたりと止まった。

 そうして、緩やかに。緩やかに笑んで。



「月子」



 緩やかに泣くこの悲しい人が、私は、心の底から愛おしい。











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