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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第一章
21/69

20勤








 ぱちぱちと安定した穏やかな音に、緩やかに意識が浮上する。


「うっ……」


 けれど、苦悶に満ちた呻き声に一気に不穏な気配を感じた。ぼやける視界を片手で擦り、片手で身体を支えて起き上がろうとしたのに、失敗した。手がやけに重たい。それに、片方を動かせば両方ついてくる。


「なに……」


 結局擦れなかった瞳を必死に凝らせば、手に鉄枷がついていた。


「王妃様、だいじょぶ?」

「へい、き」

「そりゃよかった」


 凝らした視界の中で、眼帯をしていないほうの右目でウインクした。

 解れた黒髪が頬に張りついた顔には痣もある。座って胡坐を組んでいるロベリアの両手は、身体の上に上がっていた。妙な体勢に違和感を覚えながら視線を上げていって、ぎょっとする。

 ロベリアの掌は纏めて壁にナイフで貫かれていた。

 まだ血が流れているからそんなに時間は経っていないのだろうけれど、そんなことが何の救いになるだろう。

 反射的に飛び起きようとした私の身体を、ロベリアは自由な足で絡め取って押し止めた。


「王妃様、そのままいてよ。俺、一人で寂しいからさ」

「ロベリアっ!」

「しー……っていうか、あー、王妃様あったけぇ」


 ロベリアの薄いお腹に埋もれていた顔をなんとか上げる。ロベリアはもう一度、しーっと言うと、目配せでよそを指した。その視線を辿って、状況を把握しようと頑張る。

 ここは部屋の中のようだ。ホテルみたいな壁紙が張られた部屋の中は埃っぽく、ほとんどの家具には白いシーツがかけられているから、使われていない部屋なのだろう。唯一、暖路の前に置かれている小さな丸いテーブルと椅子だけはシーツが除かれている。


 ぱちぱちと音を立てている暖炉の明かりだけが部屋を照らしていて、その前に置かれた椅子に、人がいた。


 椅子に座り、手と足を組んで動かない人は、少し俯いたままなので眠っているのかもしれない。金の髪と瞳に炎の色を移した人は、まるで血に濡れているかのようだった。




「エインゼ……」

「ようやくちょっと前から寝始めてさ、でもでかい声出したら起きるだろうから、静かにな。王妃様、痛いとこない?」

「……平気。ロベリアは?」


 聞いてから、馬鹿な質問をしたと思った。だって、手、痛くないはずがないのに。

 ぐしゃりと顔を歪めてしまったのが自分でも分かる。ロベリアは、そんな私を見下ろして、神妙な顔で頷いた。


「それがさ」

「うん……」

「俺一人身でさ」

「うん……?」

「出得戸、とかいうやつの護衛についていったら、最悪の場合死に至るわけでさ、その日の護衛任務は俺を外すか、俺にも王様推薦のうまい屋台の飯奢ってもらわないと全然無事じゃない」

「えぇー……」


 どういう反応をすればいいのか分からず上がった、私のまさしく『えぇー……』な声に、ロベリアは再び可憐なウインクをプレゼントしてくれた。そこに見知った少女はいなかったけれど、見慣れぬ隻眼の少年は、いつもと全く変わらない見慣れた笑顔だった。







 眠っているエインゼを起こさないよう、ロベリアはひそひそと現状の説明を始めた。


「王妃様、どの辺まで覚えてる?」

「……ごめん。お城が燃えてルスランが守ったとこしか覚えてない」


 それ以外はさっぱりだ。ここがどこで今がいつで、何がどうなっているか全く分からない自分の役立たずさに落ち込みそうになった私に、ロベリアはぱっと笑った。


「うわ、王妃様上出来! そこ一番説明面倒なとこだから、飛ばせて……えーと、羅鬼ぃー」

「ラッキーの発音なんか凄くなかった!?」

「こほん……と言っても、俺も詳しくはちょっとな。まあまだレミアムの中だろうってくらいだ……なーんか足取りに迷いがあるっていうか、なんで留まってるかは分かんねぇけど、まっすぐ協会に帰るつもりはなさそうだ」


 ちらりとエインゼを見た視線は、すぐに私に戻ってきた。




「……ルスラン様が守ったから、城も中の人間も無事だろうけど、こっちは逃がしちゃったってとこだな。まあ、その辺りは王妃様覚悟の上だったよな。ありがとう王妃様。王様をあっちに向けてくれたおかげでみんな無事だった。助かる」


 さっきまでのふざけた様子をくるりと入れ替え、真摯な声と態度でロベリアは頭を下げた。


「あそこで王様が城を切り捨てたら、王様自身のお立場も危なくなってた。だから、本当にありがとう。……俺さ、なんかあの時、ようやく分かった気がする。王妃様って、ルスラン様のお嫁さんなんだな」

「…………うん」

「……すげぇー。王妃様見て初めて可愛いと思ったわ」

「初めて!?」

「あっはっはっ、顔真っ赤。可愛い可愛い」


 顔真っ赤と笑われたことで更に恥ずかしくなり、ロベリアの薄いお腹に額を押し付ける。痛い痛いとロベリアがけらけら笑う。本当に痛いのかは分からないけど、怪我をしてるのは確かだから、大人しく動きを止める。恨みがましく見上げたら、まだけらけら笑っているからやめなくてもよかったかもしれない。






「……ロベリアはさ、頑なに私を王妃って呼ぶよね。私は王妃らしさからかけ離れてるから月子でいいのに」

「だって、王妃様は俺の理想の王妃様だったから。といっても、王妃様見るまで俺どんな王妃様が理想か分かってなかったけど、今ならちゃんと分かるや。王妃様は、俺の理想の王妃様だ」


 予想外の答えに思わず瞬きする。だって、どう贔屓目に見ても、私が理想の王妃だと言われる日が来るとは思わなかったのだ。私が理想の王妃だと、それ、国が亡びるんじゃないかなと自分で思う。


「ロベリアは、どんな王妃が欲しいの?」

「政とかは、あの方一人で充分だ。あの方も、そういう意味での助けは求めてないだろうし。だったら俺は、あの方がただ安らげる場所になってくれる人がいい。本来結婚って、そういうもんだろ?」


 今度は別の意味でぱちりと瞬きした私を見て、ロベリアはにかっと笑った。私も同じ顔を返す。



「それなら私、二つの世界を跨いでも、世界の誰より上手に出来るよ!」



 私はたぶん、王妃のなんたるかは何一つとして分かってない。出来ることはすっごく少ない。でも、ただのルスランとお喋りするのはすっごく得意だ。一緒に遊ぶのも、喧嘩するのも、ふざけるのも、怒るのも、怒らせるのも、笑うのも、笑わせるのも、凄く得意。


「私、王様のお嫁さんになりたいんじゃないから、本当は王妃になったらいけないんだと思う。でもルスランが私でいいって言うんなら、私はなんでもいい。相手がルスランなら、なんでもいいんだ。だから、ルスランが王様である以上、私、王妃様やるんだ」

「だろ? だから俺は、王妃様のこと王妃様って呼ぶのさ」


 胸を張ってそう言ったロベリアは、また一つ、華麗にウインクした。








 部屋の中は、私達が黙れば、薪がぱちぱちと安定して燃える音だけが聞こえている。


「あ、俺は王妃様への保険だから、俺がいいっていうまで無茶はしないでくれな」

「……どういうこと?」

「俺は、王妃様に言うこと聞かせるための小道具で連れられてるってこと」


 ロベリアは眠っているエインゼを顎で指してから。私に回している足の囲いの力を強くした。苦しいけれど痛くはない力だ。


「先に言っとくぞ、王妃様。俺を質にされても、嫌なことは嫌って言っていい。けど、死ぬこと以外は極力逆らうな。王様が来てくださるまで生きていればそれだけで俺達の勝ちだ。けど、もしも間に合わなかったら、俺のことは考えなくていい。俺は頑丈だから多少のことじゃなくてもそう簡単には死なない。だから、生き残る以外のことで無茶は絶対にしないでくれ。まあ、月光石だってんなら、殺されることはないだろうけど、今の俺は魔力0の王妃様状態だから役に立たん」


 ばちんっと一際大きな音で薪が爆ぜた。ぎくりと身を強張らせて暖炉のほうを見たけど、エインゼは体勢を変えていない。どうやらよっぽど疲れているようだ。

 私はほっと力を抜いたけれど、ロベリアはまだ身を固くして、じっとエインゼを見ていた。私を囲っている足の力も全然緩まなくて、苦しいくらいだ。用心深くエインゼを見つめ続けているロベリアに息を詰めていると、やがて身体の力を抜き、私を見てへらりと笑った。

 私に絡めている足の器用に動かして、更に身体の密着を強める。



「うーん、やっぱり俺が借りるのは無理かな。あいつの様子から見るに、触ってたらいいみたいなんだけど」

「……月光石ってやつのこと? あれって本当なの?」

「にわかには信じ難いけど本当だろうな。黄喰いの中で魔術を使われたら、信じるしかない。でも、俺にはできないみたいだ。王妃様といると確かに魔術が使いやすかった。でも、それだけだ。調子のいい日が続く、程度のもんだ。黄水晶が無い状態ではそもそも魔術を発動できないから……多分、あいつが言っていた使える人間が限られてるってのは、黄水晶を使わないで魔術を扱える人間にしか月光石の恩恵は得られないってことなんだと思う」


 この世界に魔術を使えない人間はいない。でも、黄水晶が無いと使えない。黄水晶が無くても使える人は、ルスランと曾お婆ちゃんだけのはずだ。そう聞いている。







「その通りだ」


 予想外の声に、私とロベリアは同時に同じ方向を向いた。

 エインゼはさっきと同じ体勢だった。けれど、開かれた瞳だけがさっきと違う。炎を映した瞳は、まるで真っ赤な宝石みたいだ。

 組んだ足を下ろし、深く座っていた身体を起こしたエインゼは、首を幾度か傾けた。寝違えてしまえと睨んだけれど、悲しいことに万全の体調のようで動きに違和感は無いし、顔色もとてもいい。


「お前達は黄水晶を通してしか魔術を発動できず、そしてルスラン、あの男はそもそも外部を通す魔術を知らぬ。それ故に、今まで気付かなかったのだろうな」


 ゆっくりと話すエインゼは、姿形は見慣れた人そのものだ。だけど、全然違う人みたいで。

 どうでもよさそうに言うエインゼを睨む。


「…………心配して、損した」


 心からそう思ったのに、思ったよりふてくされた声音になってしまった私の言葉に、エインゼはふと真顔になった。妙な沈黙が落ちる。




「その通りだろうな。だが、具合は本当に悪かったさ。それ故に、俺はお前を使えるのだから」

「どういう意味……? それとキャラ……設定違いすぎだよ。どれがほんとのエインゼなの」

「さあてな……どれがわたくしかは、最早自分にも分かりませんよ」


 せめて一人称くらい統一したらいいのに。くるくる口調が変わるし、自分を示す呼び方も変わる。ロベリアは私といるときは顔や形は変わってもキャラは変わらなかったから、真逆だ。


 エインゼは機敏な動作で立ち上がり、ゆったりとした歩みで私達の前に立った。私を抱えるロベリアの足の力が強くなる。



「王妃様に近寄んな、協会の犬」

「ロベリアと言ったか。お前も、元は協会の犬だろう。あの用心深い男が、よく使ってくれたものだなぁ。そこまで見境のない男だとは思わなかったが」




 ロベリアの身体がぴくりと動いた。密着している私にしか分からない程度の揺れだったけど、そこには確かな動揺があった。エインゼの手が伸び、ロベリアの眼帯を剥ぎ取る。そのまま放り捨てられた眼帯が床に落ちていく。

 解れた髪が顔面を覆っているけれど、下から見上げている私にはロベリアの顔がはっきり見える。元々眼帯に収まり切らない火傷だったけれど、覆いを除いたその面積の広さを改めて見て息を呑む。

 眼帯を除いても開かれない左目は、自分の力で開けるのかすら怪しい。



「お前の首輪は目か。あの男が外してくれたのか? 全く……外せば必死の首輪を、術者以外が死なせず解呪するのは道理に反すると教えてやってくれ。どこまでも常識の範疇に収まらん男だ。……あの男に差し向けた刺客は全員死んだものと思っていたが、お前のような者は他にもいるのか?」

「さあてね。協会を恨んでる人間なら山ほどいるんじゃね? そういう奴は、喜んでルスラン様につくだろうな。あの方は、俺に約束してくださった。必ず協会を壊すと、そう言ってくださった。あの方だけが、協会への憎悪を形にしてくださった。だから俺は、あの方に命を懸けたんだ。協会はもう人としてやっちゃいけない領域を軽々と踏み越えてる。皆それを知っていて、見て見ぬふりを…………待てよ。あんたまさか、協会の実験の、っ!」


 ばちんと、薪が弾けた音より鋭く響き渡る音がして、ロベリアの身体がびくんと跳ねた。



「ロベリア!?」


 エインゼがロベリアの顔面に手をかざしている。ロベリアの頭はがくりと垂れ、足の力も抜けた。気を、失っている?





「ロベリア!」

「……うるさい……眠らせた、だけだ……」


 叫ぶ私の髪が掴まれて、そのまま引きずり起こされる。頭の皮が全部剥ぎ取られていくみたいに痛み、引かれる方向に進むしかない。手枷の重さにうまくバランスを取れないままふらついてもお構いなしだ。私の髪は手綱にされるために生えているわけじゃない。

 でも、何かがおかしい。痛みに霞む視界でも分かるくらい、エインゼの足はふらついていた。私と同じくらいよろめきながら暖炉の前に戻ると、私を抱えて椅子の上に座った。



 しばし沈黙が落ちる。私の思考も止まった。何故私は、お人形宜しく、抱きかかえられているのだろうか。

 暖炉の前だから暖かいけど、背中と首元が気になりすぎてそれどころじゃない。


「離して、やだ、どいて、いや私がどくから、離して、ちょっと、え、何、やだ、離して、っていうか離して!」

「…………うるさい」


 私の肩に顎を置いたエインゼが深く息を吐く。うるさいのは百も承知だけれど、この状態に落ち着くわけにはいかないのだ。

 枷がなければまだ自由に動けたけれど、前でとはいえ両手を纏められているのは痛い。頭突きをしようにも、エインゼの頭が首元に埋まっているから、動かしたところで大した威力は出せないだろう。





 私のお腹に回されていた掌がゆっくりと開き、心臓の上に移動した。親しくも好きでもない人間の手が、服越しとはいえ身体の上を這った感触に、ひっと喉が引き攣る。

 思わずエインゼの顔を見れば、肩に埋まっていた顔が私を向いていた。その顔色を見て、再び息を呑む。



「な、なに、その、顔色」


 エインゼの顔色は、さっきまでの健康な状態の人間のそれとは違い、真っ白になっていた。この顔色を何度も見た。お城で具合が悪いと蹲っている度に見た。あれは演技だったのだと思っていたけれど、そもそも演技で顔色まで変えられるものなのだろうか。魔術があれば出来るのだろうか。それとも、本当に具合が悪かった?


「なん、で」

「…………いた、い」


 小さな声で呻いたエインゼは、まるで小さな子どものようだった。






 全身を内側から切り裂かれているような痛みだと、エインゼは言っていた。それが嘘ではなかったのだとしたら、どうしてそんなことに、しかも急に。だってさっきまで顔色は良好だったのに。

 縋るように抱えてくる腕から逃げ出したいのに抜け出すのを躊躇ってしまう。

 なんで、どうして。嘘? 本当? 

 ぐるぐる回る思考の中で、さっきの間にあったことを必死に思い返す。最初と今であったこと。変わったこと。何があった?

 意味もなくきょろきょろ回した視線は、ぐったりと項垂れたロベリアで止まる。


「魔術を使った、から……?」


 そうだ。

 エインゼの顔色が悪くなったのは、ロベリアを眠らせた魔術を使ってからだ。





「…………そうですよ。わたくしは、魔術を使えば、全身に激痛が走る」

「なんで、そんな」

「協会が、第二のルスラン王を、作ろうとしたから、ですよ」



 また一つ、薪が大きな音を立てた。









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