2勤
満月の夜に生まれたから月子。
なーんて大変安直に名づけられた私の名前は春野月子。
父はいい名づけが出来たとご満悦だが、母からは満月の祝日の夜に生まれたものだから夜間祝日料金を取られた、絶対満月料金も取られたと嘆かれたため、次生まれてくる機会があれば平日の昼間に生まれてこようと思ってはいる。
学力運動神経顔面偏差値。頑張ってはいるけど、どれをとっても特にこれといって特筆すべき点のない私だけど、普通の高校一年生ですとは言い切れない。
何故なら、私には幼馴染がいるのだ。いや別に、幼馴染がいることが普通の枠から外れた異次元であると言いたいわけではない。
問題なのは、幼馴染が異世界の人であることである。
事の始まりは私の曾お婆ちゃんが異世界の人であることだ。
春野リュスティナという、名前も外見も外国人そのものだった曾お婆ちゃんは、異国の人どころか異世界の人だったのである。
異世界からこっちの世界に来た曾お婆ちゃんは、曾お爺ちゃんに熱烈に惚れ込んでそのままお嫁さんになってしまった。めちゃくちゃ美人だった上に髪と瞳の色合いはルスランそっくりだった為、雪女だの化け狐だのもののけだの散々なことを言われたらしい。髪や瞳の色に対して今よりももっと理解のない時代だったからとても大変だっただろうに、曾お爺ちゃんにめろめろだった曾お婆ちゃんはどこ吹く風で飄々としていたと聞く。凄いバイタリティだ。是非とも見習いたい。
私が曾お婆ちゃんが異世界の人だと知ったのは、彼女が老衰で亡くなった後だった──……。
私が知ったのはそのタイミングだっただけで、祖父母も両親も普通に知ってた。悲しい──……。
そんな曾お婆ちゃんが私にくれた鏡台は、曾お婆ちゃんが故郷に置いてきたもう一個の鏡台と繋がっていた。曾おばあちゃんが亡くなるまで全然知らなかったけど。
曾お婆ちゃんのお葬式の夜に泣きながら開いた鏡に、ぼぉっと美少女が映った私は絶叫した。
しかし、愛娘の恐怖に引き攣った絶叫を聞いて駆け込んできた両親は、鏡に映った美少女を前に『曾お婆ちゃんの御親戚?』とほけほけのたまって、事もあろうに余った粗供養品を突っ込んだのである。
小さな鏡に無理やり粗供養品を押し込んでいく両親に私は恐れ戦き、ルスランは盛大に脅え、自分の両親を呼びに走っていった。今思えば、あそこで魔法をぶっ放さなかったルスランはえらい。
これが、私とルスランの出会いである。ろくな出会いではなかった自信と自覚しかない。悲鳴と混乱と粗供養品が飛び交った後にようやく、美少女が美少年だと知ったわけだけど、もうその頃にはそんなのどうでもよくなっていた。
ついでに、曾お婆ちゃんがルスランの曾お爺ちゃんのお姉さんだったらしく、私とルスランは親戚であると判明したけどそれもわりとどうでもよくて流してしまい、後になってどうでもよくなかったのではないかと気づいたけど、疲れてたので普通に寝た。ぐっすりだった。
私とルスランが出会って、もう十年以上経っている。十年の間に色んなことが変わり続けた。
ルスランの両親が亡くなった。ルスランが王様になった。私とルスランの身長が伸びた。お母さんがおせちを全品作れるようになった。お父さんがメタボ予備軍になった。ルスランが成人した。私が高校生になった。
私が、ルスランを好きになった。
だけど変わらないものもある。
私とルスランは大きくなっても変わらず大事な友達で、家族だ。私がつつがなく初恋と片思いの工程をルスランで履修したにもかかわらず、ルスランから私に向けられる感情は全く変わらず家族である。悲しい。
そんな変わったものと変わらないものがある時の中で、私達の間には変わらず鏡という境界線がある。
ルスランもいろいろ調べてくれたけど、結局世界を渡る方法は分からずじまいだった。私は私で魔術のことは何にも分からなかった上に、悲しいことに魔術に関する才能が根本的になかったらしく、何の役にも立たなかったのだ。
だから私達は、ずっと鏡という境界を挟んで時を重ねてきた。
喧嘩をしても仲直りしても、どうでもいいことを話してもどうでもよくないことを話しても、私達の間には鏡があったし、鏡があっても私達の関係は変わらなかった。
今日、この日までは。
十年以上、小さな鏡を挟んでしか話せなかった人が、私と同じ地面の上にいる。しかも目の前に。
思っていたより背が高くて、思っていたより身体が大きい。小さな枠の中でしか見たことがなかったから、成人男性だと頭では分かっていたのに、実際こうやって目の当たりにすると受ける印象は変わる。そうして、改めて実感できた。ああ、私はいま、ルスランと一緒にいるのだ。感動だ。
ちなみに、長い付き合いだけど初めて同じ世界で対面を果たした感動の相手はというと、疲労困憊してぐったり頭を抱えていた。まあつまり、感動台無しである。私はずっとルスランと同じ地面に立ってみたかったから嬉しいんだけど、どうやらそれは言えない雰囲気だ。今度にしよう。
「……何でお前そんな簡単に承諾しちゃうんだよ」
「……何でOKしたらそんなぐったりしちゃうの」
ルスランはぐったりした顔をしたまま、高そうな装飾が施された大きな本を台にして、その上に置いた紙に何かを書きつけていく。ただ文字を書いているだけなのに、長い指を駆使しているとそれだけで見応えがある。細く長い指を見た後、私はじっと自分の手を見た。うむ、短い。
「えーと……それで、どうして私こっちの世界来ちゃったの?」
「……お前、三日前にリュスティナ様がチラシの裏に書いた謎のメモくれただろ」
「ああ、あのブロッコリーごり押しチラシの。いつもみたいに引き出し取り出して掃除してたら、なんかこう、ひらりと出てきたんだよね。おっかしいなー。結構ちゃんと掃除したり手入れしてたんだけどなー。どっか張り付いてたのかな」
明らかに日本語じゃなかったし、英語でもなさそうだったしで、真っ先に思いついたのはルスランの国の言葉だった。だからルスランに渡したのだけど。
「……リュスティナ様の類まれなる悪筆で読めなくて、解読は保留にしただろ?」
「うん」
曾お婆ちゃんの字は、大変独特で特異で、要はど下手だったのだ。
雪女にも例えられるほど絶世の美女だった曾お婆ちゃんは、確かに豪快な所がある人だったと聞くけど、字まで豪快である必要はなかったのではないだろうか。
いつか解読できたらといいなくらいのノリでそのメモのことは保留になったのに、それがどうしたのだろう。今一ルスランが言いたいことが掴めなくて首を傾げる。
「あれな……リュスティナ様がそっちの世界に渡った魔術だ」
「え!? あれだけ探しても方法分かんなかったのに!?」
「で、だ」
急に真顔になったルスランに、ごくりとつばを飲み込む。
「さっきの議会の最中、解読できなかった最後の一文字について考えてたわけだ」
「王様、議会に集中して」
「その時喋ってた大臣の額の染みを見てたらこう、ぴんときてだな」
「一所懸命喋ってる大臣に謝って」
「頭の中であの文字列を反芻してみたら、まさかのメモ自体に魔力注入されていたらしく発動して、お前が降ってきた」
「なんで」
「俺が聞きたいっ!」
わっと顔を覆ったルスランがあまりに嘆き悲しんでいたので、思わず肩を叩いて慰める。実は、たとえ事故であったとしても、こっちの世界に来られてめちゃくちゃ嬉しいですとはますます言えない雰囲気になってきた。
確かに昔は、お互いの世界に行き来する方法を二人で熱心に探していたけど、ルスランのご両親が亡くなりルスランが王様になってからは忙しくなり、ルスランサイドから探すことはなあなあになっていた。寂しくなかったかといえば嘘になるけど、ルスランが大変だったのも忙しかったのも知っているから、仕方がないことだと自分を納得させた。
だから本当は、こっちの世界に来られて嬉しいというのは私の一方的な喜びかもしれない。なので一人でこっそり喜んでおこう。
心の中で万歳三唱していた私に気づいたわけではないだろうけど、ちょうど「ばんざーい」のタイミングでルスランに呼ばれてびくっとなってしまった。
「……月子さん」
「……何でしょう、ルスランさん」
ルスランって意外と大きいなと、改めて思う。
長い付き合いだけど、子どもでも持ち運びできる大きさの鏡台の範囲内でしかルスランを見たことがないのだ。鏡の範囲内での物のやり取りは出来るし、手だって繋げるけど、私達は同じ地面に立ったことも並んだことも今の今までなかった。
しかもこの部屋本当に物がないから、大きさを比較できなかったのだ。
そりゃルスランも成人しているし、元々私より六つも年上なのだからそれなりに大きいのは予想していたけれど、いざ目の前にしていると思っていたより大きい。
「そりゃな? いきなり王妃バイトやらないかと申し出た俺が言うのもなんだけどな?」
「はいはい」
「バイトって詳細聞く前にあっさり承諾したお前が、俺はとても心配です」
「ほっといてください」
そんなこと言われても、私には惚れた弱みというものがあるのだ。今まで、この関係を壊すのは怖いなという恋する乙女の真っ当な懸念と、同じ地面に立てないという事実が故に告白も行動もできずにいた好きな人から結婚しようと言われたのだ。即答するだろう、誰だって。
だけど、私のそんな葛藤知りもしない幼馴染は、心底心配げな顔で私を見ている。
「月子、俺はお前が社会に出て騙されて泣きやしないかと心配でならない。いいか、重大な決断は必ず誰かに相談しろよ。契約書は細部までよく読むんだぞ。いくら親しい知人でも金は貸すな借りるな。もしどうしようもない場合は、どっちの場合でも必ず借用書を専門職に頼んで作れ。用心して生きろ。それでも騙されたり酷い目にあった場合は俺に言え。ちゃんと相手を呪ってやる。細胞一つ一つ丁寧に」
「因果応報マックスレベル!」
異世界の王様が呪いを放つと最終兵器みたいだから、どうか考え直してほしい。