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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第一章
18/69

18勤








「…………何故、いけないのですか」


 疲れ果てた声に、意識を戻す。

 項垂れたトンサは、急に何十歳も老け込んだような声で言った。




「ずっとあったものではないですか。協会は、確かに理不尽なことも多い。けれど、それが世界だったではないですか。貴方様が生まれるずっと以前よりレミアムに、世界に当たり前にあったその存在を、どうしてそうも簡単に切り捨ててしまわれるのか」


 真っ赤な空は鮮烈に世界を彩るのに、過ぎるのはあまりに早い。白銀色のルスランの髪を染めていた赤は、もう去ろうとしていた。

 後はもう、夜が来るばかりだ。

 陰り始めた赤を背に、降り始めた夜を纏ったトンサは、虚ろな目を上げた。




「……確かに、協会は理不尽だ。我らは協会にへりくだって生きてきました。ですが、それが世界だった。私が生まれるよりずっと前から、曾祖父よりも遥か昔から、そういう世界だったのです。協会の理不尽に溜息を吐き、どうすれば協会の怒りに触れず、機嫌よく過ごしてもらうか。協会の怒りに触れた者にはああ不運なと憐れみを、優遇された者にはああ羨ましいと。そうして、生きてきたのです。誰もが、世界が、そうして回っていたのです。それが当たり前だった。それなのに何故、何故、よりにもよって私がフェルノ当主であるこの代に、何故、よりにもよって我が祖国であるレミアムが、何故、よりにもよって、よりにもよって、どうあっても私が当事者にならねばならぬこの時代に、この場所で、このような大事を行ったのですかっ!」



 一瞬だけ、かっと燃え上がるように火を灯したトンサの瞳の熱は、今の空みたいにあっという間に闇が落ちていく。



「何百年もの歴史あるフェルノ鉱山が、どれほど協会と近しい存在だったか……それを誇りと思っていた人間が、我が領には多数存在します。安定した生活、他者からの憧憬。絶対的優位に浸っていたフェルノが、ある日突然全てを剥ぎ取られる恐怖を、貴方は考えたことがございますか。……たかだか二十年やそこらしか生きていない貴方に、何が分かるというのか! 協会は確かに理不尽だ! だが、だからこそ世界は回っている! 協会の重圧があるから世界は平等に回っていた! 理不尽ですら平等だったのだ! 世界が皆等しく協会の奴隷であれば、世界は平和に回ったのだ! それなのに何故、よりによって今、レミアムで、反旗を翻したのか! 英雄になりたくば、歴史上のどこかでしてくださればよかったのだ! レミアムではないどこかで、私が生まれる前に、私が死んだ後に、私とは全く関係のないどこかで、誰かが語るお伽噺にしてくださればよかったのだ! 貴方様はずっと、協会に目をかけて頂いていたではないですか! 協会は、魔術の才ある子どもを何より大切にする! 協会は特異な体質である貴方様を協会の元へ召し上げようとしていた! それに従っていれば今頃レミアムは他のどの国も追いつけない程の莫大な権力を手にしていたのだ! それを、先代陛下は断った! その結果先代の王と王妃は死に、レミアムは世界から弾かれたではないか! 貴方様が協会の元へと召し上げられてさえいれば、こんなことにはならなかったのだ!」



 決壊とはこういうことをいうのだと、思った。今まで溜まりに溜まったものが、一気に飛び出していく様を目の当たりにした。

 それを一身に受けているルスランは、眉一つ動かしてはいなかった。ただ静かに、氷のような冷たさでトンサを見ている。




「お前達は間違えた」

「何を……」


 ルスランの髪が不自然に波打った。魔力が漏れ出ている。黄水晶が無くても魔術を扱えるほどの莫大なルスランの魔力が、ルスランの感情に反応していた。



「両親は、協会に私を引き渡そうとはしなかった。けれど、協会から離脱する気もなかった。そんなこと考えてもいなかった。協会に渡す黄水晶の量を増やすことで協会の要望を断わる権利を得ていた。だからこそ……お前達は間違った。協会に従属したままでいたかったのならば、お前達は、お前は、私の両親を守るべきだった。協会から、守るべきだったのだ」


 魔力が漏れ出るほどの感情を抱えながら、ルスランはトンサのように決壊させはしなかった。

 だってルスランは王なのだ。この世界の誰もにとって王様なのだ。そして、そうあろうとしてきた。




「最早レミアムに王族は私しかいない。協会が両親を殺した時点で、私が王になることは決まった。だからこそ、協会に手を貸したお前達は諦めるべきだった。私が、両親を殺した協会に従属すると思ったか。私が気づいていないとでも思っていたのか。私が、両親を殺す企てに手を貸したお前達を許すと、本当に思っていたのか」



 隣のロベリアが私を見たのが分かった。私を試しているのか、私の反応を見ているのか、その両方なのか。私はロベリアを向き、へらりと笑った。

 知ってるよ。全部、知ってる。

 この世界の事情も、国の在り方も何にも知らない私だけど、ルスランのことだけは知ってるんだよ。





 ルスランは、協会を憎んでいる。滅ぼしたいと願っている。



 いつか協会を滅ぼせたらいいなと夢見ているわけではない。夢幻なんて曖昧な思いじゃない。確固たる目的として、芯の部分に焼きつけているのだ。










「…………貴方はまだお若い。それ故に、今はまだ世界に変革を齎すご自分に酔いしれることができましょう。ですが、いつかきっとお気付きになる。正しさだけが全てではない。真の正しさに、真の平等に救われるほど、人は強くはないのだ。今は自由を謳歌している民も、いずれ貴方を呪うであろう。自由は、強い人間にしか耐えられぬ劇薬だ。その劇薬に耐え切れず病んでいく人間は、いずれその元凶に気付くであろう。そのときが、貴方の終わりだ。貴方の最期だ。貴方はきっと一人で死んでいく。貴方の正しさで病んだ人間に呪われ、レミアムからも追い出され、一人で死ぬのだ。貴方が理不尽に立ち向かえば向かうほど、その正しさに均された恨みは必ず生まれる。人は不平等だからこそ平等であり、均整が保たれるというのに……何故だ。何故一人だけで死んではくださらなかったのだ。何故、レミアムを巻き込んだのだ。何故……何故貴方が王なのだ。何故、掃いて捨てるほどいる能力で生まれてはくださらなかったのだ……何故、世界を変革できる力を持って、王になど、生まれたのだ……何故、この時代にレミアムに……何故、何故なのですか……貴方さえ生まれて来なければ、私は、敬愛すべき我らが王を、先代陛下などと呼ばずに済んだのだっ……! ああ、ルスラン王よ、レミアム最後の王よ! 世界は貴方を白銀の悪魔と呼んだ! それは事実だった! 貴方は悪魔だ! 貴方は生まれながらにしての王だ! レミアムを、我らを滅ぼすために生まれてきた、破滅の王だ!」




 生まれる前から既に決まってしまっている世界の形に叛逆する。その意味をきちんと理解した上で、ルスランはそう決めた。


 その夜を、私だけが知っている。


 その背景も、それに伴う意味も、形も、未来も、何もかもが私には曖昧だった。今でもきっと分かっていない。

 だけど私は、ルスランがそう決めた夜、私の在り方も決めたのだ。








「あーあ……あの方また呪われてるわ。なんかいっつも怨嗟の言葉吐かれてるのに、平然としてるのが怖いくらいだ」


 呆れとも悲しみとも取れる声で、ロベリアが言った。




 私が目指しているものは、万能な王妃様じゃない。誰もが憧れる美しい人でも、誰も追いつけない頭の回転でも、誰も敵わない身体能力でもない。だから本当は、私は王妃などになってはいけなかった。だけど目指すものがそこにしかなかった。ただそれだけの理由でルスランからの申し出に頷いた私は、たぶん、とても酷い人間だ。自分勝手で、我儘で、わからずやで、世間知らずで、無知で、子どもで、無力で、無学で、向上心のない、愚かな小娘だ。


 だって私はずっと前から、国を想う王妃なんてとんでもなくて、ただルスランの味方である自分にしかなれないと分かっているのだ。


 だからレミアムの国民の皆にそれを知られたら、ぶん殴られるじゃすまないだろうということも分かってはいる。


 私は、ルスランが治めるレミアムを守りたいんじゃない。何を背負っているかちっとも見せてくれないルスランを守れたらそれでいい、どうしようもない駄目王妃なのだ。








 どこからともなく現れた兵士達が、項垂れたトンサを連れていく。けれど皆すぐに、引いていった。丁寧な深い深い礼を取り、ルスランの元には残らない。ルスランがそれを望まないからだ。


 空はすっかり日が落ちて、星が瞬いている。まだ少し冷たい夜風がルスランの白銀色の髪を靡かせ、光を散らす。夕焼けに真っ赤に染まっていたのが幻だったみたいに、美しい白銀色だ。赤には染まるのに、闇は弾く不思議な白銀。


「月子」

「はーい!」


 振り向くどころか身動ぎ一つしない人に当たり前みたいに呼ばれたから、当たり前みたいに返事をして、当たり前みたいに顔を出す。

 ロベリアとリーメイがぎょっとしたのが分かったけど、そんなのどうでもいい。唯一マクシムだけは何を考えてるか分からない無表情だったのがちょっと気になったけど、気にしない方向で行く。だって私の大事なものが、私を待っているのだ。



「ルっスラ──ン!」

「嘘だろ王妃様!?」


 両手を広げてルスランに飛びつく。抱きついたというよりは体当たりだったけれど、ルスランは危なげなく支えてくれた。そのまま倒れたらそれはそれでおもしろ……おいしかったけど、危なげなく支えてくれたルスランがちゃんと大人の男の人でどきどきしたから、これはこれでいい感じ。






「お前、またこの場所選んだのか。下りられなくなっても知らないぞ」

「その節はお世話になりました! この度もよろしくお願いします!」

「お前なぁ」


 苦笑するルスランからいったん離れて、両手を取ってぶらぶら揺らす。ルスランはされるがままだ。


「ねえねえ、これでお仕事ひと段落? じゃあさ、遊びに行こうよー。町案内して、町! 私買い物したい! あ、お金ないから貸して!」

「はいはい、俺の物はお前の物だよ。それで、何が見たいんですか、月子さん」

「分かんない」

「……おい」

「だって、何があるか分かんないんですよ、ルスランさん」


 ルスランの右手を持ち上げて、一人で勝手に回る。ダンスなんて知らないけど、映画なんかでよく見るのでやってみた。そして、手を離すタイミングちゃんとしないと腕がよじれるということを知った。要改善だ。

 ルスランはちょっと考えた。


「お前は繊細な味より大味が好きだし、屋台でも回るか? 昔よく町に下りていたときに、お前が好きそうな店も沢山見つけた」

「わー、悪い王様だー」

「あの頃はまだ王子だ。……しばらく行ってないからな、まだあるかは分からんが」

「じゃあ、新しいお店含めて探そうよ。やったー、デートだ! 楽しみー!」


 ルスランの手を握ったまま、やったーやったーと飛び跳ねていたら、夜空が下りてきた。

 夜の影を背負って、星みたいな色を揺らしてルスランの顔が近づいてくる。びっくりして動きを止めた私の額に、緩やかな熱が触れた。




「──帰るか」


 何事もなかったように離れた熱は、くるりと背を向けて階段に向けて歩き出す。待って、私、一人じゃ下りられないんだよ。知ってるくせに。いじわる。


 そう、いつもみたいに言えばよかったのに、どうにも頬っぺたが熱くて顔を上げられない。でも、顔を上げたい。今すぐ走り出してルスランを追い越したい。その前に立って、ルスランがどんな顔をしてるのか見たい。

 どきどきと痛いくらいの心臓を服の上から押さえつける。いま走り出せたら、何かが変わるのだろうか。一歩踏み出していいのだろうか。ルスランもそうしたいって、思ってくれているのだろうか。





 すぅっと息を吸って顔を上げようとしたとき、何かが倒れ込む音と呻き声がした。

 予想していなかった原因で反射的に上がった視線の先で、リーメイが蹲っている。さっきとは別の意味で飛び上がって驚く。

 慌てて駆け寄って、その身体を支える。金色の髪が簾のようにリーメイの顔を覆っていて、顔色が見えないけれど、きっといつものように酷い色をしているのだろう。


「も、申し訳、ございません、王妃様……」

「いや、それは大丈夫ですけど、やっぱりちゃんとお医者さんに診てもらったほうが」


 いいですよ、と、言いたかった。そう言うつもりだった私の喉元に、ひたりと何かが触れた。






 蹲るリーメイの顔を見ようとしゃがんだままの私の視界の中で、身じろいだことで髪が揺れ、リーメイの顔が見えた。

 リーメイは、笑っていた。それも、晴れやかに。けれど、ぎょろりと動いた瞳は血走っていて、とても、人の目には見えない。


 私はいま、何に触れているのだろう。私にいま、何が触れているのだろう。

 冷たく薄いものが首元に触れていることに、本能が身体に警告を出した。さっき頬に集まった熱が一気に霧散して、身体の芯を凍りつかせる。その冷たさが四肢まで行き渡る中を、鳥肌と震えがついていく。

 なに? これ、なに? なにが私の首に触れていて、私はいま、なにに触れていて。



「…………リーメイ・ローウン、何をしているか、分かっているのか」


 何が分からなくなってもこれだけは分かる。ルスランの、声だ。

 血走った目がぎょろりと動き、声の方向へ向く。視線から外れた声でようやく息をすることを思い出した。はっと吐き出した動作で、喉元に突きつけられていた物の感触を改めて認識してしまったことだけは誤算だったけれど。


「誰に武器を向けているか、分かっているんだろうな」


 極限まで膨れ上がった感情を無理やり押さえたらこんな声になるのだと、私はいつも、ルスランから教えてもらうのだ。


「ええ、分かっておりますとも。貴方ほどではないにしても、わたくしもそれなりに頭は切れるほうですので」


 これは、だれ?


 快活とも呼べるほどの声で喋るこの人を、私は知らない。いつだっておどおどと、めそめそしくしく泣いて、どもってしまう人なら、何度か会って話をした。けれど。



「申し遅れました。わたくしはエインゼ。エインゼと申します」



 こんな、ゆるりと歪んだ笑みを浮かべる人なんて、知らない。









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