17勤
黄水晶横流し事件の犯人が捕まってからも、ルスランの忙しさは相変わらずだった。事情聴取とか後始末とか、きっといろいろあるのだろう。
そんなにすぐには終わらないかと納得はしたけどちょっと残念で、早く落ち着けばいいなと願うばかりだ。
だってもう金曜日。明日からはまた土日で一日中王妃バイトができるのだ。
一日中お城で過ごすコツは過ごせてきたけど、相変わらず私は日帰り王妃だし、ルスランには恐怖の亭主関白疑惑が残っている。あと甲斐性なし。
一日中こっちの世界で過ごせる時間を活用して、せめて恐怖の亭主関白疑惑は払拭したいのだ。甲斐性なし疑惑はもうちょっと待ってほしい。
両親にもそれとなく聞いてみたけど、何でもいいから欲しい物とか叶えてほしい願いとか、そんな曖昧な聞き方をしてしまった所為か、父からは『嫌な上司の左遷か島流し』、母からは『住宅ローン一括返済か楽してダイエット法』の答えを手に入れた。何の参考にもならなかった。
なので、せめて亭主関白疑惑のほうをなんとかしたい。私のおねだりでデートに付き合ってもらったら、きっとDV疑惑も亭主関白疑惑も消えるだろうし、あわよくばそこで何かをねだって買ってもらい、甲斐性なし疑惑も消してしまおうとも考えている。異世界の町は普通に楽しみだし、ルスランとデートできる私も楽しいしで、一石二鳥どころか三鳥四鳥だ。
そういう様々な事情により、私はデートを心待ちにしているけれど、ルスランはあいかわらず忙しかった。残念だけど仕方がない。別に王様業を蔑ろにしてほしいわけではないのだ。私が知っているのは覗き見した会議室の件だけだから、いま何がどうなっているか、いつになったら目途がつくのかも分からないので、大人しく待つしかない。
ちょっとずつ魔力0に厳しい異世界生活には慣れてきたけど、私の仕事は相変わらず無いので、異世界に慣れてもやることは変わらない。ぶらぶらするのが上手になったくらいだ。
リーメイとはあれ以来会っていないけれど、まだ帰れないらしくお城にはいるとロベリアが教えてくれた。
なんでも、彼から事情を聞こうとしている担当官のほうが先に根を上げてしまいそうになっているらしい。何せ全く話が通じず、延々とわが身を嘆き続けてしくしく泣いているだけなので、ついに担当官までもが家に帰りたいと泣きだす始末だというのだ。もう犯人捕まったんだから帰せばいいんじゃなかろうかと思うんだけど、それはそれ、これはこれなのかもしれない。
そんなことを考えながら、捲っていた単語帳を元のページまで戻す。
「なあ、王妃様、俺ずっと気になってたんだけど」
「うん?」
ロベリアは人差し指をぴっと私に向けた。
「ぶつぶつ言いながら何やってんの、それ」
私が睨めっこしている単語帳を指さしたロベリアに、ちょっと考える。私はふっと切なげに笑う。
「ルスランには、内緒だよ」
「……ああ」
「聞いて驚け! これはっ──……!」
「驚く以外の選択肢がねぇよ! 嘘だろ王妃様!」
驚愕に慄いたロベリアに私はにこりと微笑み、頷いた。
「ほんとだよ!」
一度苦手意識を持ってしまったことは、なかなか改善されないのである。
がっくりと項垂れたロベリアを励ましながら、私は再チャレンジ中の空中庭園をぐるりと見回した。
今日も相変わらず綺麗なお庭だ。夕焼けが訪れた空の色が張り巡らされた水路に映り、ちょっと怖いくらい綺麗だけど、それ自体は問題ない。最大にして最高の難所は、空中庭園に出入りする階段である。ここさえ克服できれば、雨の日以外の暇潰し場所としては申し分ない場所なのだ。
私はちらりと階段を見て、下を見て、庭園に視線を戻した。
「もうちょっと回ってからにしよう」
「それ暗くなって今よりもっと怖くなる前振りにしか思えねぇんだけど」
「まあそう仰らず」
ロベリアの背をぐいぐい押して、空中庭園の奥を目指す。何せ庭園の域を超えた場所だ。山あり谷あり川あり魔力0に厳しいギミックあり。見どころは文字通り山ほどある。もう一周したところで時間に遅れる心配もない。何せやることは何もない日帰り王妃である。
「王妃様……もうさ、至らない点も美点ってことにして諦めねぇ? 大丈夫だって。王様は王妃様相手だったら、そういう所も可愛いって言ってくれるさ。たぶん」
身体の力を抜いたロベリアは、声の力すら抜いた。へにょへにょと身も声もへたれ、私に押されるがままだ。かろうじて自立しているぐにょぐにょの軟体生物を押して庭園を回る。
「たぶんって何さー」
「だってあの方、どうも王妃様のことに関しては望んで盲目になりたがってる気がするんだよなー。あ、これ言わないでくれよ。俺まだ死にたくないからさー」
「はいはい」
誰もいない庭園を適当に練り歩く。今までと追ったことのない道を選んで進んでみれば、魔術0を嘆かせるギミックが満載だったのは予想外だったが。
今まではロベリアがあえて避けてくれていたのであろうギミックを眺めて嘆く。そろそろここも、空中庭園じゃなくて空中諦念って呼んでやる。
設計の段階から想定に入れられていない存在ってこんなに過ごしにくいのかと嘆いていると、それまでだらだら歩いていたロベリアに芯が入った。急にしゃきっと背筋が伸び、身体に力が入ったロベリアは、くるりと反転すると今度は私を押し始める。
「王妃様ちょっと待った……えーとなんだっけ、酢戸留府ってやつ?」
「ストップのこと?」
「そう、それ。この先、なんかまずい雰囲気かもだから、ちょっと酢戸津府」
さっきまであっさり押されていたとは思えない力でぐいぐい背を押され、茂みの中に突っ込む。私もまだ新米王妃でロベリアしか護衛は知らないけど、王妃を茂みに突っ込む護衛は彼くらいだと思う。
「今ここにいるの、私達だけじゃなかったの?」
「来た時はな。立ち入り禁止じゃないんだから、そりゃ人は来るさ。でも、なんかもめてるみたいだからな。見つからないに越したことはなさそうだ」
中腰でごそごそ移動して、ロベリアの示した先をこっそり見る。まあ、見たところで知り合いの少ないこの世界だから、誰が誰だか分からないだろうけど。
そう思っていた時期が、私にもありました。
「凄い……ピンポイントで二人とも知ってる……」
「品歩員都? まあ、最近の揉め事の中心になってる人しか王妃様知らないだろうしなー……しっかしそれにしても、人がめったに来ない場所でなーにやってんだか……」
私達の視線の先にいるのは、リーメイとトンサだった。ぴんっと背筋を伸ばしているトンサに比べて、リーメイは遠目に見てもおどおどと背を屈め、今にも一目散に逃げ出してしまいそうな雰囲気だ。
「リーメイが無駄にびくびくして話が進まないから、そんなに脅えなくていいよって説得してるんじゃないの?」
「だったら人気のない場所だと余計怖がらせて話にならねぇだろ。その辺りの判断間違うような間抜けじゃないぜ。何せあのおっさんは、レミアムでも名うての古鉱山を治めてきたおっさんだからな」
ひそひそと話しながら、二人を眺める。確かにリーメイは今にも泣きだしそうというか既に泣きだしている惨状だ。これ、まともな話し合いになるのだろうか。他人事ながら心配になってしまう狼狽っぷりだ。
「こ、このような時分に、お、お呼び立てして、申し訳ございません……」
「夕の刻はこのようなという時分ではないが……いやしかし、どういう風の吹き回しかね。今まで私の呼び出しから散々逃げ回っていたというのに」
私とロベリアは無言で顔を見合わせる。てっきりトンサがリーメイを呼びだしたんだと思っていたけれど、リーメイがトンサを呼びだしたらしい。確かに、どんな風の吹き回しかと思う。ちょっと会わない間に、リーメイは全くの別人になったとでも言うのだろうか。
「だ、だって……絶対呼び出された先で在りえもしないことを事実として自白しろと説得されるに決まっています……だって皆もう帰されたのに、ぼ、僕だけ、僕だけ残されているのは、もう僕を犯人にしてしまおうと、そういう、こ、魂胆でっ……」
あ、全然変わってなかった。変わっていなかったことに安心すればいいのかがっかりすればいいのか。
リーメイは脅えきった様子でびくびくとトンサを見る。夕焼けの日が金髪に映り、まるで火事みたいだ。
「あ、あの……トンサ様、もう……おやめになったほうが……宜しいのではないでしょうか」
「どういう意味だね?」
びくびくとどもるリーメイを刺激しないようにか、トンサの口調はどこまでも穏やかだ。だけどリーメイの脅えは収まらない。それどころか更に脅えて後ずさっている。
胸の前で組んだ掌を何度かもじもじと動かし、やっと決意したのかぎゅっと握りしめた。
「フェルノ鉱山の黄水晶は、減少などしていないではないですか!」
「ほお?」
大声ではっきり、泣きそうに告げられた言葉に、ロベリアは小さな声で「は?」と言った。私は「へ?」と言った。そしてトンサは沈黙している。じゃあ、は行の最後を言ったのは誰か。
白銀色の銀髪を、リーメイと同じように夕日に染めて現れたのはルスランだった。その斜め後ろにはマクシムもいる。
「お、王様!」
「いい、続けろ」
飛び上がって驚いたリーメイに視線をやらず、ルスランは腕を組んでトンサを見た。リーメイは視線を向けられてもいないのにおどおどと視線を逃がしている。
「続けろ」
「は、はい!」
畳み掛けられたリーメイは、可哀相なほど脅えたまま口を開いた。
「フェ、フェルノ鉱山の黄水晶は、当初は本当に減少していたようですが、現在は比較的安定した量が採掘されております。で、ですが、国へは報告がなされず、復活した量の大部分が協会へと流れております……し、証拠は……ローウン家が、所持しております故、ご、ご確認いただければ、と……」
もじもじと言うにはかなり凄い内容を言い切ったリーメイは、びくびく脅えて二歩下がる。恐らく凄い目つきで睨んでくるトンサと、ちらりと視線を向けてきたルスランの視界から消えるためだろう。全然意味を成してないけど。
ルスランは組んでいた腕をゆっくりと組みかえた。
「さてトンサ。私の元にも別口から同様の調査結果が届いているわけだが、どう言い逃れする?」
そう言ったルスランにびっくりする。ルスランは知ってたのか。知っていて、普通に喋っていたのか。私の宿題を見ながら、自分を裏切って協会と手を組んでいた人と、当たり前のように喋っていたのだ。
ちらりと隣のロベリアを見れば、特に驚いた顔はしていない。ルスランが知っていたことを知っていたのだろうか。だったら何故、さっき驚いた声を出していたのだろう。
「知ってたの?」
「何を?」
こそっと耳打ちすると、同じようにこそこそと耳打ちが返ってくる。
「トンサが裏切ってたこと」
「そりゃな。調査したの俺だし」
「そうなの!?」
「しっ!」
思わず出してしまった大きめの声に、ロベリアは私の口元にバッテンを作った。どうやら口元バッテンの用途は分かったようだけど、別にそれ魔術でも何でもないので、私の口元に作っても気をつけようの意識しか持てない。でも、自分でもやっちゃったと分かっているので、ロベリアの手の上に自分でもバッテンを作って了承の意を伝える。
「さっき何に驚いてたの?」
「そりゃあ……あの坊ちゃんがなんで知ってたんだってことだよ。しかも、知ってたのに黙ってたんだろ? あんだけおどおどしといて、そりゃないぜって話だよ」
「そりゃそうだ」
調査の担当官の人が参ってしまうほど話が通じなかったのに、そんな大事を隠していたなんて誰が思うだろう。そもそも、あれだけ自分が疑われていると嘆いていたのなら、さっさとその証拠を渡していればよかったのではないだろうか。
完全蚊帳の外な私達がぼそぼそ話している間も、本命の話し合いは続いていた。
「ローウンがどうやって知ったかは知らんが、一つ間違っているな。フェルノの黄水晶はチェツ家に流れ、チェツ家はフェルノの黄水晶をチェツ家の物としてレミアムに報告し、チェツ家の黄水晶は協会へと献上していたようだが、他にも何家か関わっているようで、頭が痛い限りだ」
トンサは何も答えない。ルスランは王だ。王から呼びかけられているのに、あの綺麗な礼もなく、背筋すらまっすぐ伸びていない。
なんだか、急に老け込んだみたいだ。背も腰も少し曲がって、肩が落ち、疲れ果てた人に見える。
「フェルノの黄水晶をうまく分配して他の鉱山の横流し分を補填していたらしいが、チェツ家でトカゲのしっぽ切りをさせるわけにはいかんな。何せお前の尻尾を掴むのにかなりの手間と時間を要した。私の結婚式で地元を離れてくれて助かったぞ、トンサ」
ロベリアが再び耳元に口を近づけてきた。
「現在のフェルノの難点は、次代が育たなかったことなんだ。あそこは、トンサが抜けたら一気に精度が落ちる」
こそこそと情報を補足してくれて助かる。
何せ私は何も知らないのだ。そして、ルスランもそれを望んでいた。私を王妃に据えながら、職務には一切と言っていいほど触れさせようとしなかった。
先日の会議室の一件から見ても分かるけれど、それはきっとルスランの首を絞める。私がいなくても問題なく回っていた政務が、私がいることが問題になることだってあるだろう。
だけどルスランは、それを望まないのだ。そして私も、ルスランの望みを蹴って、ずかずか表に出ていったところで何がどうなる技能を持ち得ているわけではない。卓越した身体能力も、誰も思いつかない方法を思いつくような頭脳も、誰もが舌を巻く口先三寸の能力すら持っていないのである。
それに、私が表に出ていったらいったで、出しゃばりだと怒る人はいっぱいいるはずだ。国の在り方って難しい。結婚って難しい。
皆が私に求めている形と、私が求めている形と、ルスランが私に求めている形は、多分、全部違うのだろう。
王妃に求められている形と私に求められている形も違うのだろうし、そもそも最初から求められている存在が違うはずだ。レミアムの人達は王妃を求めていて、ルスランはきっと、私にいてほしいのだから。
私には、目の前の出来事がどれだけ大きなものなのかすら分からない。たぶん、大きな事なのだろう。ずっとルスランが忙しかった原因で、国の王様がずっと忙しかったほどの大きな出来事なのだということは分かるけど、それがどんな規模で、どんな影響を及ぼすから大事なのかとか、トンサが今までどういったことをしてきた人で、その人が裏切ったことでどうなるのかとか、そういったことは一切分からない。
だって私が知っているのはいつだって、ルスランが元気かそうじゃないかだけで、そしてそれだけが大事だったのだ。




