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白銀王と日帰り王妃  作者: 守野伊音
第一章
16/69

16勤









「ふはぁ……広い……」


 水路が宙を通っていたことで、幸いというべきかなんというか、盛大に濡れたのは上半身だけで、ポケットの中身は無事で済んだ。

 そうはいってもそのままにしておくわけにもいかず、お風呂に入ることになった。家に帰ってもよかったけど、今日は折角の日曜日だし、いくら日帰り王妃といえど真昼間から帰宅していては心象はよくないだろう。そうでなくても、日帰り王妃の段階で私の評価は地を這っているのだ。少しでも評価は上げておきたいというか、せめてこれ以上に下がることは避けたいというか。

 まあ、豪華なお風呂に入ってみたかったというのもあったりする。



 そうして私は、ルスランにお風呂を借りているのである。

 ちょっとした銭湯より広いお風呂は、幾何学模様のタイル的何かが流れるように色を変えていた。その度にお湯の色も変わって楽しい。


「リゾート気分―……」


 お仕事中なのにリゾート気分を楽しめる素敵なお仕事です。職場はアットホームな雰囲気で、魔力0の方には一から教えてくれるサポーターがつきます。休みも時給も応相談。リゾート気分が楽しめるアットホームな職場で高収入を得たい方、必見!


「求人集中だ。皆こぞって応募してくるなぁ」


 水色に色を変えたお湯に顔を半分まで浸ける。駄目だ。定員一名なんだからちゃんと覚悟が決まってる人じゃないと! それなら、何か注意文を付け足さなくちゃ駄目だな……。


 ※生命の保証は致しません。


 これだ!

 ぐっと拳を握りしめて立ち上がったタイミングで、扉の向こうから声がかけられた。





「月子」

「うわっ!」

「月子!?」


 慌てて座り直してお風呂の中に戻った私に、ルスランの焦った声がした。このままだと入ってきそうな雰囲気に、慌てて無事を知らせる。


「大丈夫大丈夫大丈夫。びっくりしただけ」

「怪我してないな!?」

「してません!」


 口元ぎりぎりまでお湯に浸かった状態で、元気いっぱいを前面に押し出してアピールした返事に、ルスランは踏みとどまってくれた。ほっとしてお湯から顎を上げる。そろりと扉の幾何学模様を見た。ここの扉は、開くときと閉まるときは模様が変わるのだ。鍵がかかっているかいないかが一目で分かるから便利である。まあ、鍵は魔力で開閉するんですけどね!

 私は、外から開閉してもらわないと駄目な扉を悲しく見つめる。外からのみ開閉可能な扉。それ、ただの幽閉である。



 その扉の向こうにルスランがいるという事実に、ちょっとどきどきする。たかが布きれ、されど布きれ。その一枚を纏っているかいないかで、こんなにも心許ない気持ちになるとは。





 扉の向こうを見つめてみるけど、擦りガラスではない扉の向こうのルスランは影すら分からなかった。

 出来るだけ声に出ないように、喉の調子を確かめる。片想いを隠して云年。この手の作業はお手の物だ。声は結構な頻度でひっくり返り、何のドジやらかしたと突っ込まれるまでが日常だけど。


「もぅう出るよ。お風呂ありがとう」

「ああ、制服乾いたぞ」

「ありがとー!」

「全く……俺を乾燥機代わりにする奴はお前くらいだぞ」


 王様の魔術をドライヤー代わりにするこの無礼、実は初めてじゃない。袋に入れてまとめてぶぉおおんという感じで乾かしてもらうのだ。

 傘を持っていないのに雨に降られた日などは、次の日の学校に湿った制服を着ていくのも嫌だし、家のドライヤーでちまちま乾かすのも面倒で、ルスランに乾かしてもらったりする。




「そう言いながらやってくれるルスラン、あ、愛してるー」

「はいはい。俺も愛してるよ。この世界の誰より異世界の制服の乾かし方を熟知しているのは俺という自負もあるし、俺がやったほうが早いんだよなー。そっちの世界の服に関しては、侍女より断然うまいぞ俺は」

「でしょうね」


 梅雨に限らず雨が続いたり、曇りが続いてからっと晴れなかったり、忙しくて纏めて洗うことになった日の洗濯物などは袋に入れて準備しておき、ルスランに鏡台から手だけ出して乾燥してもらっているのだ。

 『コインランドリー行かなくていいから楽だわー』、『買わなくていいから助かるわー』と両親はほくほくだった。ちなみに私はほかほかだった。ルスラン乾燥機は冬の寒い布団の中にも有効で、寝る前にルスランの手を借りると、冬の冷たい布団もほっかほか。一家に一台全手動乾燥機、いかがですか? 今ならもれなく日帰り王妃ついてきます。






「袋ごと置いとくからな」

「うん、ハンカチとか置いてるところにでも一緒に置いといてー」

「……お前、せめてポケットティッシュくらい持ってろ。それと、レシートと小銭はポケットに突っ込むな」

「だってティッシュ入れるとスカートが膨れちゃって太って見えるんだもん。鞄には入ってますー。小銭入れはこの前チャックが壊れちゃった。新しいの買うまでの間は見逃してよ」


 ポケットの中身を並べている場所を指定したら、お母さんみたいなお小言が返ってきた。私がずぼらな自覚はあるけど、閉めても閉めても開いたままになった小銭入れにも責任の一端はあると思うのだ。

 それに、セーラー服にはあまりポケットが無いのも原因である。ブレザーだったら上着にもポケットがあるし、内側にポケットがあるタイプのセーラー服もあるみたいだけど、うちの学校はそのタイプじゃない。ポケットに入れられる物が限られている以上、厳選した物を入れているのである。レシートと小銭はただのずぼらだけど。


「どうして単語帳があるんだ? 月曜に英単テストでもあるのか?」

「わー!」


 反射的に大声を上げてしまい、お風呂場の中で音がきんきん飛び回る。音に影響されるのか、波のように色を変えていた壁が乱れた。色が揺れれば壁本体もたわんだように見えて焦ったけれど、それよりも単語帳だ。


「中は見ちゃ駄目!」

「…………何でだ?」

「──っ、なんでも!」


 慌ててお湯から飛び出ると、その気配を察したのかルスラン側も慌てた音を立てた。


「出てくるのか!? ちょっと待て!」

「中見てないよね!?」

「見てないから俺が出ていくまで出てくるのは待て! それと走って転ぶなよ!」

「はーい!」

「返事だけはいいんだよなぁ!」


 ばたばたと慌ただしく脱衣所から出ていく音がしたのを確認して、お風呂場から飛び出す。タオルを引っ掴むと同時に単語帳を置いていた棚を確認する。置いたときと場所が変わっていないから、手に取ってはいないのだろう。


 ほーっと長い息を吐いて、へたりこむ。

 ハンカチの下にでも隠しておけばよかったんだけど、ルスラン以外は私の世界の文字を読めないしとうっかりしていた。一番読まれたくない相手には読めるという事実を、分かっていたし忘れてもいなかったのに、ちゃんと意識していなかった。




「ルスラン、変に思ったよね……どうしよう……」


 濡れた手をタオルに押し付けて雫だけは拭い、ぱらぱらと単語帳を捲る。表に英語の単語。裏に意味。そんな代わり映えのしない普通の単語帳だ。だけど、最後の余ったページに書き足した単語を見て、肩を落とす。


「どうしよっかな……もう言っちゃうべきか……いやでもまだ自信が……順番がひっくり返るというか……」


 ぶつぶつ言いながら単語帳を眺めていたら鼻水出てきて、慌てて服を着た。










 王様の部屋で、文字通り、王様お手製のドライヤーで髪を乾かしてもらうこの贅沢。全手動ドライヤーは、髪を傷めずつやつやに乾かしてくれる。電気もいらず、電池もいらない。エコだし、お手入れは自分で行うし、少々嵩張るのが玉に傷だけど見目もいいからインテリアにもぴったり。本当に一家に一台あったら嬉しい代物だ。

 ただしこのドライヤー、喋る。しかも痛いとこついてくる。



「…………それでさっきの単語帳なんだが」

「乙女機密事項のため黙秘権を発動します」

「単語帳にそんな大層な物仕込むなよ……」

「他に仕込めるとこなかったんだもん……」


 再びポケットの中に納まっている単語帳をスカートの上からそろりと触ったら、髪を乾かしている手がぴたりと止まった。流石王様業。目敏い。


「……まじないの類か? ほら、昔流行ったんだろ? 消しゴムに好きな人の名前を書いて誰にも見られないように使い切ったら恋が叶うとか」

「あれさ、使い切ったらってどこまでなんだろうね。最後とか小っちゃくなってどっかいっちゃうのに」

「…………やったことあるのか?」

「うっ……持病の癪が……」

「お前、癪が何か分かってないだろ。なんで頭押さえてるんだ」


 この異世界の王様、私より日本の文化に詳しい。

 好きな人手ずから髪を乾かしてくれるという恋する乙女必見のイベント発生中なのに、何故だろう。すごく、尋問です。確かにあからさまに怪しかったとは思うけど、そこはなあなあで流してくれると思っていたのに全然そうではなかった。





「あ、あのさ、ロベリアは?」

「行列必須の買い出しだ」

「今度はなんで!? あ、魔力察知しないと止まらない噴水の前でずっと立ってた私を救ってくれなかったこと?」

「…………お前達、仲悪いのか?」

「え!?」


 いきなり気遣わしげな声音で返されたことにショックを受ける。あはは、そんな馬鹿な。私達結構仲良くノリ良くやっておりますよ。……え? 違うよね? ロベリアさん!?





 衝撃の仮説にショックを受けた私を気遣わしげに見ていたルスランは、丁寧に髪を乾かしてくれている。自分でやったらぐわーっとしてがーっとしてぶおおおって感じで乾かすけれど、ルスランはとても丁寧だ。髪を引っ張ったり引っかかったりしないよう丁寧に梳きながら、ゆっくりと乾かしてくれる。

 しかし、その手がぴたりと止まった。


「人気のない東屋で、俺の王妃が男と密会していたそうだから、その罰だ」

「えー……」


 ロベリアさん、とんだとばっちりである。

 それにしても、それってまずい噂じゃないかなと、恐る恐る後ろを見る。ルスランは、何を考えているか分からない顔で私を見下ろしていた。つまり、無表情である。


「……まずかった?」

「そうでもない。ロベリアが一緒だったし、リーメイの顔色が凄まじく悪かったことを考えると逢引きしていたとは思われてはいない。更に言うなら、この俺を敵に回してまで手を出したいほどお前がモてるとは、誰も考えてない」

「悲しい!」

「お前を誑かした利益と不利益じゃ、どう考えてもリスクのほうが大きいだろ」

「ごもっとも!」


 それはもっともだけど、私のガラスのハートは傷ついた。私の防弾ガラスのハートに傷をつけるなんて、凄い威力だ。






 私がひとしきり傷ついている間に、髪は乾かし終わっていた。

 何もつけてないのにさらっとしてつやっとしている。全手動乾燥機すごい。持って帰りたいし、買いたいけど、世界に一つだけだし、他にもいろいろついている機能があちこちから必要とされているため、全手動乾燥機目当てに持ち帰ることは出来ないだろう。そして買うことも不可能だ。絶対時価だし。


 無言になってしまったルスランにお礼を言って振り向けば、まだ無表情のままでぎょっとする。ちょっと、ちょっとだけだけど、さっき会議室で見たルスランに似ている気がした。


「……どうしたの? 何か怒ってる?」

「いや、怒ってはない……けどな……どうしような」

「何が?」


 言葉を探しているのか、そもそも語るべき言葉が自分でも曖昧なのか。怒ったような、困ったような曖昧な顔で、ルスランは視線を落とした。


 俯いた顔が髪に隠れている。私はほとんど何も考えず、反射とも呼べる動きで手を伸ばしてルスランの頬に触れた。私が頬っぺたに掌を添えてもルスランは顔を上げない。けれど身体を引いて逃げもしない。されるがままの姿は、なんだか小さな子どもみたいだ。



「……何だ?」

「……泣いてるかと思った」

「何でだ」


 ようやく笑ってくれたルスランが顔を上げる。それでもやっぱり困ったような、そして泣き出しそうな顔をしていた。



「なあ、月子」

「うん」

「好きな奴が出来たら、本当に、俺に教えてくれ」


 まだそれ言ってるのかと、思わず眉を寄せてしまう。誤解を招くようなことをしたのは悪かったけれど、違うと何度も言っているのに。




 これがどうでもいい相手に対してなら、もうそれでいいよと誤解されたままでも放りだしてしまうけど、相手がルスランならそうはいかない。好きな人には極力誤解されたくないものだし、それが他に好きな人がいるなんて致命的な誤解なら尚更誤解されたままではまずい。壊滅的な被害を受け、死に至る。私が。


 何より、普通に嫌だ。

 どんなに面倒でも厄介でも、好きな人の誤解を解く手間は惜しまない。やな誤解されてむっとはするけど。



「リーメイは違うよ。ほんと、会うのは偶然で」

「ちゃんと、教えてくれ……頼むよ」


 一瞬むっとしたけれど、今にも消えてしまいそうな声でそう言われてしまっては、怒るに怒れない。


「……分かった」


 だから私は、嘘をついた。

 いつか彼に伝えればこの言葉を嘘にしなくていいかもしれないけれど、今はまだ嘘になる言葉を答えにした。


 本当に好きな人ならいる。私の目の前に。

 好きな人が出来たら俺に教えてくれと乞うこの人が、もうずっと前から好きだ。本当に好きな人はもうとっくに出来ているけれど、ルスランにはまだ教えるつもりはない。だから私は嘘をつく。もうずっと吐き続けた嘘は、私の舌によく馴染んでいる。




 私の嘘に簡単に騙されてしまう王様は、ほっとした顔をした。この顔を見られるのなら、私は私の恋を仕舞っていける。

 誰も信じられない寂しい王様は、家族で、友達で、王妃になってしまった私との関係がこれ以上変化することを望めるほど強くはない。






 頬から外した手で、自分より大きな手を握る。同じ地面に立てなかった頃でも繋ぐことのできた手は、私より大きくて、少し乾燥していて、暖かい。寒色系がとてもよく似合うのに、日向ぼっこの温度によく似たこの暖かい手を握り締めて誓ったことがある。


「でも、好きな人が出来ようが出来まいが、私はずっとルスランの味方だよ。一生ね!」

「……ありがとう、月子」


 ルスランが浮かべた静かな笑みを知っている。

 恐ろしいほど静かな夜に紡いだ誓いはずっと、私の指針となってこの胸にあった。







 私は、繋いだ手を子どもっぽくぶんぶん揺らし、へらりと笑う。


「ねえ、お仕事いつくらいなら落ち着きそう?」

「ん? そうだなぁ…………もうすぐ終わるさ」


 覗き見した会議室で、最近の忙しさの原因となっていた黄水晶横流し事件の犯人が判明していたのでそろそろ落ち着くのだろう。少し考えたルスランの答えを聞いて、よしっと決める。


「手が空いたらさ、お城の外にも行ってみたい。あっちに町が見えたし、お店とか見てみたい。買い物したい! ……それに」

「それに?」

「…………私がお城から出ないでいると、ルスランにDV疑惑と甲斐性なし疑惑がですね」

「何でだ! 乾燥機に徹してまで尽くしている俺に、どうしてそんな疑惑が湧いて出た!」

「だよねー!?」


 友達としても家族としても夫としても雇主としても、申し分ないほどルスランにお世話になっているのに、そんな彼にはDV疑惑がかけられている。もしくは甲斐性なし。世の中って世知辛い。私がお城の庭で満足していたばっかりに、ルスランにはDV疑惑に甲斐性なしと、散々な評価が付けられることになるとは。でも凄いんだって。文字通りの空中庭園に水中庭園に中庭にお風呂。リゾートだよ、リゾート!


「月子!」

「はい!」

「王として男として、甲斐性なしと言われるのは堪える! よって、俺の名誉回復の為に欲しい物を言え!」

「…………シャー芯?」

「それ甲斐性なしの噂に拍車がかかるやつだろうが!」

「だってぇー!」


 今のところ欲しい物といえば、ルスランの恋心と暗記力、そして残り二本になってしまったシャー芯くらいしか思い浮かばない。




 ちなみにその後、考えに考え抜いて小銭入れを要求した。その結果、ルスランからは頭を引っ叩かれ、行列に並び終えたお菓子を買って帰ってきたロベリアからは、シャー芯の説明に大爆笑を頂いて終わった。


 ど庶民に、王様の甲斐性を客観的にも満たせる物を要求させる要求はほんとやめてほしい。無理。








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