12勤
王妃バイトって難しいし、夫婦関係も難しい。でも。
「おわ、終わりです、ロ、ローウン、家、お、おわ、終わり」
いま一番難しいのは、中庭の隅の東屋で、真っ青な顔で呻きながら延々と嘆き続ける人への正しい対処の仕方である。
「ト、トンサ様がこれはただ事情を聞いているだけだと、直々、直々に、毎日っ……」
「大事なことだから直接伝えてるんじゃないでしょうかね。知りませんけど」
「つまりこれは、そう思わせて油断させておいてぼろを出すのを待っている作戦に違いなく……もうローウン家が犯人だと確信を持っているが故の罠が、罠がっ……やっぱり犯人は僕っ……」
「えぇー……」
呻いている間は背中を擦ってあげたのだけど、現在は盛大に嘆いているだけなので私は隣に座っているだけだ。
昨日の今日だし医務室いきましょうよと何度も誘ったのだけど、昔からよくあることで時間が経てば治るのだと言い張って動こうとしない。
何でも、緊張が極限に達すると具合が悪くなる体質らしい。じっとしているのが一番の対処法だそうだけど、そうはいっても、顔が真っ青を通り越して真っ白になっている人を放置していくこともできず、結局隣に腰を下ろしてしまった。そして延々と嘆きを聞いているというわけだ。
「ただでさえ家の立場が危ういというときに、王妃様に無礼を働いてしまうなんて……僕の未来は潰えました……」
「具合が悪いときはお互い様なんでその辺りは気にしないでください。ルスランにも言っときます。お家の立場に関してはよく分かりませんけど頑張ってください。それと、何度も繰り返しになっちゃって申し訳ないんですが、やっぱり顔色ひっどいんで、横になりませんか?」
「そんな、王妃様の膝枕だなんて恐れ多いことは!」
「やっぱり急激に元気になってますねっ、さっきまでのへろへろ具合どこ行ったんですか! そして誰がそんなサービスするって言いましたか!」
「猿美酒? 王妃様の世界には随分変わったお酒があるのですね」
「……お酒?」
私はまだ未成年なのでお酒は飲めない。私も青年も首を傾げあっていたけれど、そういえばと大事なことを思いだした。
「あの、すみません。今更なんですが、お名前は?」
「え!? 今更!?」
「そういえば名前を聞いてなかったなと。私は月子です。ルスランの妃です」
「はあ、存じ上げております」
「存じ上げられておりましたか。家名がウーロンさんなのは聞いたんですけど、名前はまだだったなぁと」
昨日は自己紹介どころじゃなかったのだ。あの状況で呑気に自己紹介を交わせる余裕は青年にはどう見てもなかったし、私は普通に忘れていた。
ここで名前を聞いて名乗りを済ませたところで、ではではそういうことで、それでは失礼しますと華麗に撤収できたらいいなと作戦を立てる。
これは角が立てずこの場を去ることのできる素晴らしい流れではないだろうか。とてもよい作戦を立てられた私は、いい王妃に一歩近づけたんじゃないかな。
自画自賛して悦に浸っていた私に、青年は儚げで悲しげな笑顔を向けた。
「ローウンでございます、王妃様……」
「え?」
「僕の名は、リーメイ・ローウンと申します……」
「………………どうも、すみませんでした」
華麗なる作戦は、私の手によって木端微塵に砕け散ったため、私はもうしばらくここにいることになりそうだ。
「くっ……今日に限ってルスランは来れないという……そう見せかけて実は来れるとか…………ないんだね」
こくんと頷いたロベリアは、そっと下がって元の位置に戻った。こうして見ると本当に大人しい女の子だ。この人私と二人のとき胡坐かいて太腿引っ叩いてますよと言っても誰も信じてくれないだろう。……ルスラン然りロベリア然り、私と二人のとき気を抜きすぎじゃなかろうか。別にいいけど。
「何はともあれ、リーメイさんは一回病院でちゃんと見てもらったほうがいいですよ。ああなったときって痛むんですか?」
「全身を内側から切り裂かれているような痛みがします」
「救急車―!」
こっちが冷や汗をかきそうなことをさらりと答えられて、思わず叫んでしまった。そんなとんでも状態だなんて聞いていない。
そんな激痛に耐えた後とは思えない様子で、リーメイはぽりぽりと頬を掻いている。はあ、と、間が抜けた声で返事がきた。
「キュルキュルシャが何かは存じませんが、これはいつものことでして。姉も放っておけば治ると言っていましたし」
「お姉さんがいるんですか?」
「はい、あ……そうだったぁー……」
「なんで急に落ち込むんですか!」
蹲ったり嘆いたり復活したり項垂れたり、リーメイは忙しい人だ。
「僕、姉上から、せっかく結婚式に参加するのだから機会があれば是非王妃様にお伺いしてくるようにと命令……頼み事をされていたんだった……」
ちょっと本心が漏れ出ていた気がするけれど、聞かなかったことにしておこう。古今東西、兄弟姉妹事情は尊くも難しく、軽々しく他人が関わるべきではない。特に一人っ子には、共感もアドバイスもできないのだ。
「何ですか? 出来るかどうかは知りませんけど、聞くだけなら聞きますよ? 聞くだけなら」
名前を間違えた負い目もあるし、聞くだけなら問題ない。聞くだけだけどと、もう一回念を押してリーメイを見たら、彼は地獄に仏みたいな顔で私を見ていた。……え? お姉さんそんな怖いの? ごめん、聞くだけも無理そう。
舌の根も乾かぬうちに前言撤回しようとしたけど、リーメイは既に話し始めていた。一歩遅かった私は、今度から鈍足王妃を名乗ろう。
「えーと……昨今では女性の自立と自由が叫ばれ始めましたが、その件について王妃様はどのようなお考えをお持ちの方ですか、とのこと、なのですが……あ、やめて、首を飛ばさないで!」
「物騒な冤罪吹っかけないでください! 飛ばしませんよ! 大体、物理的にも権力的にも、私にそんな力あるわけないじゃないですか」
「え、でも……ルスラン王の王妃様ですから……」
びくびくと脅えながら見てくるリーメイに、乾いた愛想笑いを向ける。他にどうしろっていうのだ。その話題には触れず、彼のお姉さんからの命令……もとい質問に答えることにした。
「その問題に関しては、私の世界でも以前から言われてますけど、今度は差別と区別の違いの問題が出てきてますし、いろいろ難しいこととか大変なことあると思いますけど、みんな自由だったらいいなって思います。私も自由にやらせてもらえて、ありがたいです」
「王妃様は自由であらせられるのですか!?」
「え!? そう見えない!?」
我ながら好き放題やっていると思っていただけに、リーメイの顔面にでかでかとびっくりしたと書いていてびっくりした。え? 私好き勝手やってるよね? とロベリアを見れば、チベットスナギツネみたいな顔をしていた。え? それどういう意味が込められてる顔?
「リーメイさん、私すっごい自由ですよね!?」
「リーメイで結構でございます、が……王妃様は、国王陛下のご命令で城から一歩も出ないわけではないのですか?」
恐る恐る言われた言葉に、ぱちりと瞬きする。そんな風に見られていたとは思わなかった。
「お城以外もいずれ行ってみたいとは思いますけど、今はお城の中だけでも見慣れないものだらけで楽しいですし、町に行ってみようと思いつきませんでした。もうちょっと慣れたら行ってみたいです。ルスランも時間があれば誘ってみたいですけど、時間なさそうだなぁ……」
「王妃様は……その……失礼ながら、陛下が恐ろしいが故に城の外に出ることを言い出せず、また宝石などをねだることも出来ず、早々に帰ってしまわれるのだと耳にしました……」
「えぇー……」
本当に失礼だった。
「故に、何かございましたら、微力ながらこのリーメイがお力添え致します……」
言いにくそうに言い始めたリーメイは、言い終わるまでにどんどんしおしおと萎れていく。
それにしても、日帰り王妃と呼ばれていることは知っていたけど、まさかルスランへの悪評に繋がる何かへ変貌を遂げているとは知らなかった。お城テーマパークで満たされていた私の異世界への好奇心が、まさかルスランへのDV亭主疑惑に繋がっていたとは。なんてことだ。噂って怖い。
私は慌てて頭の中で返答を組み立てた。私はルスランの味方なのに、ルスランへの悪評製造機になるわけにはいかない。その為には、考えなしにつるつる言葉を発していてはいけないのだ。
今回みたいに有り得もしない事態の裏付けにされてしまわないよう、丁寧に、言葉を選ぶ。
「私は、私がルスランの近くにいたいからいるだけで、ルスランからどこかに行くことを止められてるわけじゃないです。私、自由って選べることだと思ってるんです。選択肢があって、それを選べることが、私にとっての自由です。だから私はいま、自分で選んで、一緒にいたい人と一緒にいられて人生絶頂です。どうもありがとうございま……いや、絶頂だったら落ちてく一方だな……それ困る……えーと……いま幸せ大成長期なんで、ハッピーハッピーです」
「……反比?」
不思議そうに聞き返してきたリーメイに、私は静かに目を閉じた。
ルスラン、翻訳機能もっと改善したの使ってもらえませんか。皆さん聞き流すってことをせずに逐一突っ込んでくれるからカタカナ表記される類が通じてないのは分かるけど、私から見たら外国人に見える皆に英語的な扱いの単語が通じないこの違和感と不便さ。
翻訳機能が万全でないのなら、私がそういった言葉を使わないようにするしかないのだけどうっかり使っちゃうのだ。……あれ? 結局私が悪いのか?
自分の中で出た結論は横に措いておくことにした。だってこれ、一朝一夕でどうにか出来る問題じゃない。カタカナ表記される言葉って、日常的に使う単語いっぱいあるのだ。
私はリーメイを見て、誤魔化すようにへらりと笑った。
「ようするに、ルスランといられて幸せだってことです。だから私は、ルスランといる限り、ずっと自由ですよ」
いろいろあるけれど、それだけあればなんとかなる。私は、ポケットの中に突っ込んでいる単語帳をスカートの上から触り、一人で満足した。




