1勤
踏み慣れた台所の床が消え、見慣れた風景が信じられないほど美しい色とりどりの光になった。
混乱のままぐるぐる回る思考と一緒に視線を回せば、それだけでは全景を掴めないほど縦にも横にも広い部屋が見える。
そして、私をぽかんと見上げる大勢の人達。
その中で一際輝いて見える人の瞳も限界まで見開かれている。角度によって色を変える不思議な瞳が、ゆっくりと動いて私を追う。
たくさんの視線に見上げられても、全てが突然すぎて何だか麻痺してしまった思考は羞恥も焦りも感じない。
ゆっくりと天井に視線を戻す。窓はないのに暗くないのは、天井がステンドグラスみたいになっているからだ。みたい、というのは、恐らくあれはステンドグラスではないからだ。
雪とも花もともつかぬ幾何学模様が描かれた鮮やかなガラスは、光が走る度に色を変えている。今だって、さっきまで燃えるような赤だったのに、たった一回の瞬きの間に涼しげな青になった。なんてファンタジー。天井の模様が近くに見えるのは、私の身体が宙にあるからだ。これまたファンタジー。壁際でくるくる回っている石も……石だよね? 強化プラスチックじゃないよね? な石も、やっぱりとってもファンタジー。でも、見える物全てがファンタジーであってもなんら不思議ではない。
だってここは魔法の国なのだから。
一瞬が何倍にも長く感じた後には、浮遊感は一気に霧散し、落下特有の怖気が背筋を抜ける。だけど、そんなものに構っている暇はなかった。
私が視線を向けた先、私の下にいる人物と目が合う。彼はおもむろに両手を広げた。ぽかんとしたまま、それでも確かに腕は私を収納するために用意されている。
「月子」
呆然としてなお、他の何とも聞き違えようのない美しい声が私を呼んだ。
私は現在、人生の岐路に立っている。
正確にいえば座っているけれど、そこは大した問題ではないだろう。
学校から帰ったばかりの制服姿で私が座っているのは、魔法が使える嬉し楽し異世界の国、レミアム国の王様のベッドの上。
それだけならまだしも、目の前には異世界の王様。
帰宅して何か飲もうと台所に向かうや否や、まさかの異世界の王様の玉座の上に落下してしまった私を抱えた異世界の王様は、即行自室に撤退した。
そして、今この謎の状況が出来上がったのである。
ちなみに、私がベッドに放り出されたのは靴を履いていないからだ。
この部屋、本当他に家具が無い。椅子くらいあってもいいのに、恐らくランプ的な役割を果たすのであろう石がくるくる回っている置物を載せた台しかなかった。
白銀色の長髪に緑がかった水色の瞳、青味がかった素材がよく分からない王冠のみならず全体的に寒色系の豪華衣装の王様は、私の前にどっかり座りこみ、片手で顔を覆ったまま微動だにしない。
私は靴履いてないからいいけれど、彼は土足のままだ。いいんだろうか。いいんだろうな。自分のベッドだし。
「…………なあ、月子」
「何ですか」
「俺達、親友だよな」
「そうですね」
「家族だよな」
「……そっすね」
「……何か雑じゃないか?」
「そっすか?」
諸事情あって最後のほうだけちょっと含みある応答になってしまったけど、しれっと答える。そんな私を指の隙間からじっとり見ていた異世界の王様は、肺の中が空っぽになるくらい長い長い溜息を吐き切ると、しゃきっと背筋を伸ばした。
「よし月子、結婚しよう」
「………………喜んで?」
どうしたの? 血迷ったの? 結婚する?
ぶっ飛んだことを言ってのけて私も血迷わせた、それはそれは美しい青年の名前は、ルスラン・ヴォ……なんちゃらかんちゃら二二歳。
異世界の王様であり、魔術士であり、更に私、春野月子の幼馴染兼遠縁であり。
もっというなら私の初恋の相手であり、止めに絶賛片思い中の相手なのだから、世界とは存外狭いものである。