ゴールドスター
深見恭一、井沼翔、綾瀬由里の三名は、上長の呼び出しを受けた。
場所は、日本航空宇宙研究所(NASI)の小田原キャンパスだ。
それぞれ、28歳、27歳、25歳だから、NASI研究職の中でも若手中の若手と言ってよい。井沼、綾瀬はまだ博士号も取得していない。
そんな彼らが呼ばれて出てみると、上長どころか雲の上の幹部が、待っていた。
緊張の面持ちの三人を前にして、五十をとうに過ぎたであろう白髪がらみの風貌の、NASIの重鎮、安部十郎フェローが、重々しく皺がちの頬に挟まれた口を開く。
「これは、極秘でやってもらいたい。君たちが選ばれたのは――気を悪くしないでほしいが――この分野で君たちが無名だからだ。だから、くれぐれも、先輩研究員に相談などしないこと。――良いね?」
その迫力に、三人はうなずくしかなかった。
***
偶然発見されたある小惑星、それは必然的に『ゴールドスター』と呼ばれた。
20XX年、太陽系形成の数々の謎を解くヒントを求め、相変わらず小惑星帯はつぶさな調査の対象となっていた。超大口径望遠鏡は小惑星帯距離で数百メートルサイズの天体を解像できるようになっており、組成を分析するために、スペクトルもきわめて高精度で分解できるようになっていた。
そんな小惑星サーベイのさなか、見つかったのが件の小惑星である。推定直径はわずか100メートル。
300から500ナノメートルにかけての平坦な領域と500から急さに立ち上がり100%に近づく特徴的な反射スペクトル。それはまごうことなく純金のそれであった。
詳しく周囲の小惑星の動きを調査した結果、見積もられた密度もまさに純金そのものであり、この星が芯まで金でできていることは疑いの余地が無くなった。
おそらく大質量星同士の衝突で作られた金の殻が、続く爆発で吹き飛ぶときに丸まり、宇宙を漂っていた――それが、何かの拍子で初期太陽系の重力に捕らえられ、木星土星大移動の際に小惑星帯に吹き溜められたのだろう。
直ちに米欧中露による探査が計画された。
だが、それは実現しなかった。
なにしろ、総重量一千万トンと考えられたゴールドスター、その量は、金の地上在庫の五十倍以上に相当する。
マーケットは即座に反応し、金相場はかつて無いほどの暴落を見せた。
影響はそれだけにとどまらず、世界中で株バブル、土地バブルが発生し、多くの途上国では深刻なインフレに突入した。
とある小国の外貨建て国債が、実質デフォルト扱いとなったのをきっかけに、関連する小国から小国へとデフォルトの津波が駆け抜け、ありとあらゆるマーケットでバブルが崩壊する。
世界恐慌だ。
続く事件はとある東欧の国で起こった。
政府資産が紙くずになり、予算が停止され、兵士への支払いが滞った。
兵士たちは組織的な行動で隣国に侵入し、物資の略奪を始めた。
これが、後に第三次世界大戦と呼ばれる数百に及ぶ連鎖紛争の勃発である。
戦火は、局所的な戦闘の形をとりながら世界中に飛び火し、何らかの形で戦争に参加していない国はほとんどなくなってしまった。
ここまでの経緯が、ゴールドスター発見からわずか半年である。いかな大国と言えども小惑星探査にうつつを抜かしている場合ではなくなってしまったのだ。
***
先進国と呼ばれる国々の中で、唯一、直接的に戦闘に参加していない国があった。
日本である。
そして、日本は、『深宇宙探査能力を持ちながらも直接戦争に参加していない唯一の国』、でもある。
われわれがやるしかない、と、使命感に燃えたことは、当然の帰結と言えたであろう。
超党派議員連盟による極秘会議、省庁を超えた連携により、それは決断された。
すなわち。
――ゴールドスターを、消滅させよ。
恐慌と戦争の原因となったゴールドスターを消滅させる。
政府、日銀、民間が所有するゴールドの価値を復権させるため、という俗物的な目的があることはもちろん事実だが、代理戦争を拡大し続ける超大国が互いに牽制しあって手が打てないのであれば、われわれがやるしかない、と彼らが考えたこともまた事実だ。
決定するや否や、拒否権の無い指令がNASIに飛び、最終的に、今、丸テーブルを囲んでいるたった三名の頭を悩ませているのである。
「命令の紙もメールも無し。本当に命令されたのかさえ不安になりますよ」
最若手の綾瀬が、おっとりとした口調で言う。黒縁の眼鏡がため息とともにずり落ちそうになり、それをあわてて指で押し戻す。
「あのゴールドスターを消せ、だからなあ。消すって、なんだ」
「方法を問わず、とのことですけど」
不平を言う深見に、井沼が被せる。二人は同じ大学の同じ研究室の出身で、馴染みは深い。大柄の深見と、身長160で華奢な井沼が並んで歩いている姿は、しょっちゅう『あの朴念仁深見に彼女ができた』という誤解をキャンパスに振りまいている。
「指令の意図を汲み取るなら、誰の手にも届かない状態にすればよい、ってことですね」
井沼は、この命令の出所と真意を早くも悟っている。
「そうだな。研究費はいくらでも、ってことだが、それでもいくらでもってことはないだろうな。まず、方法とコストをリストアップしよう」
誰が言い出したわけでもなく、年長で博士号を持つ深見がリーダーの役割を引き受けた。
「――爆破。爆弾」
「ロケットを取り付けて深宇宙に飛ばす」
「他の小惑星をぶつける」
「か、核反応で別の物質に変える?」
最後におずおずと言った綾瀬の言葉に、残る二人は笑った。つられて綾瀬も笑う。彼女なりのジョークだった。
「……思いつきませんよ。小さいと言っても直径百メートルの金塊ですよね? それを粉々に吹き飛ばすか、どこか遠くに放り出すか――」
一通り笑った後で、綾瀬が半ばギブアップの宣言をする。
「――だよな。第一、この戦時中にそんなどでかい爆弾の実験でもしてみろ。まずいことに――」
「――なりますねえ」
深見の言葉を継いだ綾瀬の相槌を受けて、深見も井沼もうなずく。
「上は、本気なんですかね。何かの目くらましで、僕らをこんな風に動かしているんじゃないですか?」
と、井沼は陰謀論。
「……としても、だ。俺らが派手に動くのはまずいわけだ。やるなら本当にこっそりとしなけりゃならん」
「もったいないですねえ」
綾瀬は爪をいじりながら、のんびりと言う。
「アメリカか中国に獲られるくらいなら消しちまえ、ってのも分かるけどな」
深見が豪快に笑うと、静かな会議室が震えるようだった。
「とにかく出せるだけの案を出しきって検討しましょうか。結局、僕ら三人で考えるしかないわけですから」
立ち上がり、ホワイトボードを前にペンのキャップを取りながら、井沼は微笑んだ。
***
用途を全く伏せたまま、深宇宙探査機の設計製造を発注する、という離れ業を、綾瀬は結局やりぬいてしまった。さすがの深見も、その結果には目を丸くするしかなかった。
「よくまあ、二葉電機がうなずいたもんだ」
かく言う深見も、とっくに退役した固体燃料ロケットの再製造という無茶を豊洲重工に飲ませている。
「私があんまりしゃべらないもんだから、なんだか、新しい軍事技術なんじゃないかって随分勘ぐられちゃいましたよ。おうよ、参戦するぜー、なんて言っときましたけど」
うふふー、と笑う綾瀬。
「爆破案にしなくてよかったな。ここんとこに大量の炸薬を詰めてください、なんて言ったら、確実にミサイル開発してるって思われてたところだ」
「違いないっすね」
と、井沼もにこにことしながらうなずく。
「そっちは?」
深見が井沼に尋ねると、
「順調です。まさかこれだけの制御プログラムを結局自分で書く羽目になるとは思いませんでしたけど」
「プログラムだけは、なあ。さすがにコード設計書を見られたら、何をしようとしているかばれちまう」
そんな話をするたびごとに、随分と陰謀めいた彼岸に来ちまったもんだ、と、深見は笑ったものだ。
「でも、いいじゃないですかぁ。研究者らしいお仕事してるのって、井沼さんだけですよ?」
その綾瀬の羨む言葉には、井沼は軽く肩をすくめて見せただけだった。
彼からしてみれば、綾瀬の飛び抜けた実務能力に驚いているのだ。二葉電機の担当者を呼び、ざっとプロジェクトの方向性を説明して、あとは綾瀬に放り出した。何しろ、十五機分のロケットと探査機の制御プログラムを実質一人で書くという大仕事がある。打ち合わせのたびに同席する時間も惜しい。
気が付いてみると、綾瀬は探査機設計の大まかな流れだのどんな情報をどのレベルで提示すればいいかだのといった探査機開発のイロハを、相手方から聞き出して学んでしまっていた。その上、探査機の本当の目的を隠し、制御プログラムだけはこちらで用意するなどというおかしな条件を飲ませ、開発費もそれなりの金額に抑えた上、先方担当者と冗談を言い合える仲にまでなっているのだ。
探査機開発こそ彼女の天職? いいや、綾瀬は、民間のインテグレーター職ならあっという間にエースプレイヤーだっただろうな。などと、井沼は思う。
それに比べれば、退役したロケットを秘密裏に十五基再製造する約束を、無尽蔵の予算にものを言わせて力づくで取り付けた深見などは、物の数ではない。
このプロジェクトが終わり、平和な世界になったら、いつか、僕らが彼女をリーダーだの局長だのと呼ぶ時代になるだろう。
そんなことを考えても、井沼はちっとも不愉快に思わなかった。
彼女の能力を心から信頼する気持ちが生まれていた。
「お、そうそう、プログラムの動作検証のためのシミュレータ、名古屋で遊んでるやつ借りられるとよ。金出して発注すればモデル設計もやってくれるらしいが……どうする?」
考え事をしていた井沼は、深見の声で我に返り、顔を上げる。
「さすがに、モデル設計までは手が出ないですよ。お願いしちゃっていいですか」
深見は二度うなずき、彼の要望を容れた。
「なに、天体カタログ通り寸分狂わぬモデルに、探査機を十五機、ってだけだからな。発注書一枚で足りるさ。やっとくよ」
彼がそう言ったのとほとんど同時に、彼らの携帯電話端末に、一種の警報が届く。
有事の際の特別警報だが、すでに聞き慣れてしまった感もある。
彼らはほとんど同じ動作で端末を操作し、それを開く。それが伝える内容は、南シナ海での多国籍軍同士の衝突と、それにより日本国土が何らかの攻撃――あるいは流れ弾――に晒される危険を伝えるものだった。実に、今月四度目となる。
「戦場が近く……なってきましたね」
「ぐずぐずは、してられないな」
一変して重苦しい空気が、彼らの頭上にのしかかる。
窓の外では、この冬初めての雪が、降り始めていた。
***
人の口に戸は立てられない、とはよく言ったもので、内之浦、種子島に建設されたいくつもの巨大な建屋の中では大型多段ロケットが作られている、という噂は、すぐにあちこちの国に知られることになった。
また、二葉電気がかなりのボリュームの探査機を開発している、という話もまた、あちこちの諜報機関の知るところとなった。
そうなると、それらを統括している深見たちに秘密裏に接触してこようとするものも多くなる。
三人は個人の携帯電話を解約し、キャンパス内の寄宿所に寝泊りするようになった。誰に言われたわけでもなく、自発的にそうしたのだ。実のところ、彼らがそんな生活を送っていることを、彼らを動かした張本人――安部十郎さえ知らない。
そんな徹底した情報管理のため、部外者が知ることができた情報は、『NASIの科学者三人が、魂の入っていないロケットと探査機をそれぞれ十五、製造している』ということだけだった。
多くの噂は、それを、世界大戦に結びつけた。新型兵器を同盟国に提供しようとしている。そのための隠れ蓑として、宇宙開発組織を使っている。このように言われた。
何しろ、彼らが再製造しようとしている個体燃料ロケットは、かつては『ICBMとして評価すれば世界最大』とまで呼ばれたロケットなのだ。そのような憶測を呼ぶのも無理はあるまい。だが、この局地戦大戦で、核兵器を運ぶでもあるまい。では一体それは何だろう――多くの憶測は、そこで途切れた。
一部の説は、ゴールドスターにそれを結びつけた。かつてNASIのお家芸とまで言われた小惑星サンプルリターン計画……それにしても、十五機ともなると意味が分からない。一機あたりに持ち帰れるサンプルは、せいぜい数キログラムだろう。十五機なら百キログラムに及ぶかもしれない。しかし、1グラム800円を切った純金価格から算出すれば、一億円分にも満たない量である。単純なサンプルの切り取りとしては十五機は多すぎるし、採取による利益を出すためなら十五機は少なすぎる。結局、こちらの憶測も、その辺りでピリオドを打たれるのだった。
戦争当事者の国々は、紛争に直接参加していない日本を非難をしようにもできず、武力攻撃するほどの口実もない。ただただ、その動向を見守る以外の手は無かった。
***
打ち上げの日は突然やってきた。
十五基のロケットは、特に誰の目をはばかるでもなく整然と並べられ、その日を待っていた。
数日前には海上に警戒区域が設置されたことが公表されてそれが世界に知られるものの目立った抗議などの動きはなく、瞬く間にその日を迎えた。
季節は、一巡して次の秋深くになっていた。
最初のロケットの発射まで、二分を切る。
内之浦の北、旧来のロケットセンターとは別に公園を改修して作られた射場がある。それをさらに見下ろす丘を切り開いて整備された公園で、開発をリードしてきた三人が、ロケットを見つめている。
プロジェクトリーダーだった深見は、その任をベテランの運用技術者に引継ぎ、無役となっていたし、他の二人もほとんど同様だった。
『万一は、起こらない』
プロジェクトの途中から深見がよく口にした言葉だ。
『この計画に関して言えば、万一を考える必要はない。一つでもボタンを掛け違えばすべてが終わり。やり直しもリカバリーも無い』
それは、プロジェクトの管理セオリーとは真逆の発言と言えた。
彼は、部下たちにプレッシャーを与えようとしていたのではない。
思うようにすればよい、と言いたかった。
失敗しても誰も責任を負わないし、些細なエラーを起こしたモジュールの復旧に汗を流す必要もない。
すべてが完全な状態で動くこと以外の運用はありえない。だから、いわゆる『準正常系』の考慮なども不要だ。そう割り切れば、設計は簡素化し、かえってバグは減るものだ。深見は、そう説明した。
海風が駆け上がってくる。綾瀬はコートの襟を立てて前を合わせ、ぶるっ、と身震いする。
「――深見さんのおかげで、ここまで来ました」
彼女が言うと、井沼も微笑みながらうなずく。
「ああ、でも、すまんな、打ち上げ直前でお役御免の約束、勝手にしてたこと」
「どうせ誰にも褒められない仕事です」
答えた井沼は、このプロジェクトを始めたときよりも十も老けたような落ち着いた雰囲気をまとっている。
「――万一は、起こらない。僕たちがあそこにいても、やることはありませんからね」
遠く、つくばの管制センターがあるであろう東の空に向けて目を細めながら、彼は続けた。
その視界の下方で、閃光が走る。
日本の誇る国産大型個体燃料ロケットのノズルが、赤く燃えている。
数秒を経て、轟音が耳を劈いた。
「上がったな。次は、種子島か」
轟音に負けないよう、深見が声を張り上げた。
「ええ、十五分後。だから、次のこちらの射場からの打ち上げは、三十分後ですね」
綾瀬はそう言いながら、再び、寒風に首をすくめる。
「……帰りません? 見てても、やることありませんよ?」
彼女がのんびりした口調でそんなことを言うものだから、残る二人は失笑を抑えられなかった。
「違いない、部外者の俺らには過ぎた特権だ」
深見は応えて笑い、彼らをこの丘まで案内した県警特別警備課の運転手に、下りる、とジェスチャーを送った。
***
兵器か探査機か。某国のブックメーカーが設定したこの勝負、兵器に賭ける人が圧倒的に多かった。
――が、空に飛んでいった十五基のロケットは、そのまま弾頭を宇宙の真空に運んで行ってしまい、世界のどこも爆撃することは無かった。
ゆえに、探査機に賭けた少数の物好きは大儲けしたのである。
当初の軌道分析から、十五機の探査機群は金星スイングバイをして外惑星に向かうと判明した。その先は不明、と米国の機関は公式に発表したが、言わずもがな、だったのだろう。
探査機たちは、ゴールドスターに向かったのだ。
徹底した秘密主義は、探査機との間の通信にも適用されていた。
単に通信内容を暗号化する、というのではない。
電波の発信源を可能な限り隠蔽するため、きわめて微弱な電波が用いられ、その受信には現役の電波天文衛星が使われた。あらかじめ探査機の位置を高精度で予測できているものでなければほとんど受信できないのだ。これにより、世界のほとんどの国は探査機の行方を見失い、徐々に興味を無くしていった。
探査機出発のニュースは多少金相場に影響を与えたようだが、それはむしろ悪い方に影響を与えたと言える。もしこの大探査団による金のサンプルリターンが成功すれば、本格的な採掘につながりかねない。探査機を見失ったのちも、金の相場はじわじわと落ち続け、それを原因とした国家破綻が二件。治安維持を名目として対立する複数の多国籍軍が進駐し、限定的な衝突がいくつも発生した。
そんな数年が過ぎたある日のことだった。
世界を欲望の虜にしているゴールドスターを、飽きもせず観測し続けていた宇宙望遠鏡のデータが、その一報を伝えた。
ゴールドスター、消滅。
観測データから、ゴールドスターが完全に消滅していた。あの、特徴的な黄金色のスペクトルは、もうどこにもなかったのだ。
世界は落胆し、金相場は急騰した。
一度始まった紛争は終わる気配はない。
破たんした国が再生する道筋もない。
だが、人々の心理は、革命を迎えていた。
――もう、あの忌々しい星に悩まされないのだ。
人類の最大の財産、子孫への最高の遺産とさえ思っていたゴールドスターを、反面、忌々しい星だと心中で定義づけていたことに、ついに気づかされたのだ。
ゴールドが、差し引きで勘定するならば、この世で最も無価値な元素だ、と。
それにしても、なぜその星は消えたのか。
――誰も答えなかった。
真相を知る三名を含め。
***
深見、井沼、綾瀬は、直立してその時を待っていた。
他国に気取られないよう慎重に慎重を期し、ごくごくわずかなデータの受信と、圧縮されたコマンドの送信だけが、探査機群とのタッチだった。
それらが送ってきたデータは、到着までわずかだと示していた。
数日前に運用部隊は解体され、再び三人だけのプロジェクトに戻っていた。探査機の最後の仕事は三人だけの秘密なのだ。
予定時間が近づく。
三人の脳裏に、イメージが展開される。
漆黒の中にきらめく銀河団を背景に、探査機群は次々とゴールドスターに近づいていく。
ある探査機が、最後の燃料を使ってゴールドスターに向けて加速しつつ、自らを強く回転させた。噴射が終わると同時に、探査機の外殻はバラバラになった。
出てきたのは、黒い塊だ。
それはすぐに大きく影を拡げ、背景の星々を暗く覆う。
折りたたまれた巨大な黒いシートなのだった。
それが、回転の遠心力で広がっていく。端に取り付けられた小さなおもりが張力を生み、その面は、ゴールドスターに向かう進路にほぼ垂直だ。
回転しながら、シートは、やがてゴールドスターに衝突する。
この最後の一撃のためだけに、複数カメラを連動して高精度で進路を調整するプログラムが搭載された。探査機の機能は、この高精度制御と、巨大な風呂敷を格納しておくこと、たった二つなのである。
ゴールドスターにぶつかったシートは、その表面を覆い、回転を止める。直径82メートルもあるシートは、直径百メートル強のゴールドスターの視直系の大部分を覆う。
同じように、二機目、三機目が、様々な方向からゴールドスターを狙う。
一機目と異なる地点に、シートがぶつかり、表面を覆うのだ。
ゴールドスターは自転しているから、時間差でぶつければ、確かにこんなことも可能だろう。
ただ、地上からの観測では自転速度は全く推定不可能だった。苦肉の策として、単純計算から導かれる必要な枚数の倍以上のシートを用意したのだ。
結局、十枚目のシートでほぼ全面を覆うことに成功し、十五枚目がわずかに露出していた表面を隠して、計画は成功した。
このシートは、一言で言えば、真っ黒いシート、である。
極めて黒体に近い放射特性を持つ炭素素材のシートであり、太陽光を反射して金色に輝いていたゴールドスターを、遠赤外線で輝く暗い星に変えてしまった。
地上も軌道上も含め、数億キロメートル先の百メートルの物体を解像する性能を持つ赤外線望遠鏡は存在しないし、今後も作られることは無いだろう。それは原理的にほぼ不可能なのだ。
こうして、ゴールドスターは、消えた。
まだそこを飛んでいることは分かっていても、今後、それを観測するすべは無い。
偶発的な彗星の接近などわずかな摂動の影響でその軌道はずれていくだろう。現在までに判明している軌道が未来永劫ではありえない。いつか、人類はそれを完全に見失うのだ。
すべてが順調に終わったことを示す最後の信号が、モニターに表示され、画面が完全に静止した。
「さて、最初に気付くのは、どちらさまかな?」
深見が言うと、綾瀬は、くすりと笑った。
「私なら、気づいても言いませんけど、ねえ」
「世界がひっくり返りますよ」
「さてそううまくひっくり返ってくれればいいが」
井沼の声に、深見は肩をすくめた。
「やるだけ、やったんだ。結果、たぶん、ゴールドスターは消えた。ご注文通り。――だな?」
井沼と綾瀬はうなずく。
「見えなくなったものは存在しないのと同じ。というわけですね」
「それ、最初に言ったのも、確か井沼さんでしたね」
綾瀬の指摘に、彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「世界は変わりますかねぇ?」
「変わらないさ。そんなもんだ」
「それは僕らの責任じゃないですし」
そうとも、と言いながら、深見は、祝杯のために用意したシャンパンを開け、三人のグラスを満たしたあと、高価なモニター装置一群に、どぼどぼと音をたてて振りかけた。
通電している基盤から嫌な臭いが立ち上り、漏電ブレーカーが、パチン、と乾杯を告げた。