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ありす前線。  作者: 左傘
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⒊ありすより、紛い物の優しさと。

 目を開けた。目の前には当然のように絵に描いたような仏頂面があった。これも二回目ともなれば案外慣れる。


「おはようございます」

「おはよう。私どのくらい寝てた?」

「標準時間で七十二時間程。地球時間では三十秒程でしょうか」

「長いのか短いのかわからないんだけど」

 体を起こしながら、

「こっちに長くいるとその分老化が凄いスピードで進みますよ、という話です」

 衝撃のあまり、動きを止めた。

「ふ、老けると仰る」

「その通り」


 私は体を起こすと即座に立ち上がった。立ち眩みはなかった。空気を読んだようだ。


「急ごう。老ける前に」

「急ぐことに異論はありませんが、それは偽造かばれてあなたが処分される前に、といったほうが良かったかと」


 ゆういは立ち上がると、すい、と私に手を差し伸べる。その手には鈴が乗っていた。しかしなぜかその鈴は白い布でぐるぐる巻きにされている。何故だ。


「預けます。今回、私は本部の力を借りることができません。理由は黙秘いたします。なのでこれを。いざという時はこれを使って逃げるように」

「ありが、とう?」


 さっきの怖気立つ程の力を思い出すとあまり触りたいものではないが彼女の親切だ、受け取っておこう。

 手を伸ばすと触れる寸前、指先が焼け付くような痛みを覚える。


「痛っ」

「……これでも無理ですか。すみません」

 そう言うと彼女はさらに白い布の上からこれまたおどろおどろしい謎の力を放つ札を貼り付ける。

 そうしてようやく私はそれに触れることができた。持つだけならばなんともないのだが意識的につつこうとするとピリリと痛みが走る。なんだか生きているみたいだった。


「ねぇ、これってなんなの?」

「鈴です」

「いや、そうじゃなくて……」

「媒体、です。あなた方が魔力と呼ぶものの上位相互版を効率良く運用するための道具です」


 魔力の上位相互版。なんだそれ。神様の力とでも言うのだろうか。世界を形作るような。……けれど昔あにや私たちが召喚された世界を構成するものは魔力だったし、私たちの生まれ育った世界を構成するものも差して変わらない。命すら、それでてきている。


 ああ、けど。さっき彼女が行使していた力は格が違った。ああいうものを指して言うのだろうな。世界が違う、なんていうのはまさに。



 彼女は私が受け取ったのを確認して歩き出す。私は急いでその後を追った。

 周りを見れば不思議な場所だった。今までに見たことのない景色。どこまでも続く透明な地面は踏み出すたびに漣が生まれ、ぶつかれば砕けて白い光を底に振らせていく。辺りは暗く、鈴のような音が遠くから響いていた。

 酷く寂しい場所だった。


 私の一歩先を行くゆういは私に目をやることもなく歩いていく。


「歩きながら説明します。ゆっくり説明できなくてすみません」

「いや、さっき時間ないって言ってたし」

「そう言っていただけるとありがたいです」


 この世界を構成するものはなんなのだろう。魔力ではないのだろうな、とそう思った。どれだけ探してもひとかけらの魔力もなかった。


「此処が俗にいう月です。全ての記録は此処に収束します。……あくまで、記録に過ぎませんが」

「記録?」

「記録です。幾つもある世界が生まれ、壊れていく。その全てを記録しているところです。どの世界で誰が何をした、その理由まで全て。全知全能という言葉がまさに相応しいでしょう。……そして、それを見ることができる人がいないのも事実です」

「……いないの?」

「いません」

「なんで向かってるの?」

「あなたのご兄妹がいる場所はおそらく此処に記録されていると思いますので」


 私は歩みを止めた。見ることができる人はいない。それってつまり、見たら死ぬとか、そう言う話でしょう?さっき言っていた。人格崩壊だって。なんでこの人そんなとこに向かってるの?


 けれどいとこ君は止まった私を気にとめることなく進んでいく。

 段々と景色は変わって明るくなってきた。けれどそれはちっとも安心できるようなものじゃない。薄ら寒い色。キラキラと足元を彩る白い光の中にちらりちらりと誰かの記憶の断片を見る。


 ひたすらに恐ろしかった。

 自分の力が及ばないということ。自分でなんでもできるなんて思っていたわけじゃあないけれど、何もできないとは思ってもみなかった。

 父から受け継いだ力はない特別なもので、家族の誰より秀でていると思っていた。巷で流行りのチートにだって引けを取らないと思っていた。


 けれどこれはなんだろう。私は何もできない。何もしなくていいとばかりにゆういが私より先に事件を片付けていくせいもあるだろうけれど、それでも。


 何故だか酷く、ゆういの背中が遠く見えた。



 彼女は唐突に立ち止まると私を振り返る。


「どうしました。そんな泣きそうな顔をして」


 少し離れた彼女の元に駆け寄った。


「……私は、なんでこんなに何もできないんだろう」

「はぁ」

「ゆういがいなかったらきっと、さっき義兄といもうとが死にかけてた時点で私も死んでたでしょう」

「まぁ、そうですね……?」


 私が追いつくと彼女は歩き出した。


「迷惑ばっかりかけてる気がする」

「そうですか」

「なんでもできる気になってたの」

「知りません」

「けど私は文句言って迷惑かけて」

「そうですね」


 面倒なことばかり言っている。黴の生えそうな湿っぽい、私の苦手な類いの愚痴だ。それがわかっているのに言葉は止まらない。


「……でも、まぁ、それだけ言えるなら平気だと思いますよ?今日できることは明日やれば良いんです。明日できることは明後日だって構わないでしょう。どうしても辛ければ目を(つむ)って仕舞えば良い。……あなたには権利がなかった分義務だってないんですから」


 ぽつり、彼女は小さく呟いた。台詞はただの駄目人間のものだったが、それがどうしようもなく心に沁みる。


 私は口を噤んだ。彼女も黙った。

 けれど、歩くスピードはほんの少しゆっくりで、そこにほんの少しの優しさを感じて。それが無性に嬉しかった。



 ◇◆◇



「……ねぇ、まさか、これ?」

「ええその通り。従姉妹様は察しがよろしいようで」

「いやぁ、これでわからない人はいないかと」


 スノードーム。一言でソレを言い表すならばそういおう。


 巨大な球体が浮かんでいる。小さな一軒家程ありそうな球体が。

 硝子のような表面の奥には鋭利な刃物に似た煌めきが幾つも目にも留まらぬ速さで回っている。同じような動きでないそれらは時折ぶつかっては爆ぜ、鈴の音に似た音を響かせては消えていく。

 幻想的で、温度のない恐ろしいもの。びりびりと、肌を刺すような純粋な力の欠片を感じる。

 うん。これに触る勇気はないわ。私はまだミンチにはなりたくない。寧ろこれに触る人の気がしれない。正気の沙汰じゃない。



「それじゃあサクッと逝きますか」

 何処にですか。何処にいく気ですか、いとこ君。ていうかいくの字違くない?

「従姉妹様はこちらでお待ちください。廃人になられるとちょっと夢見が悪いので」


 それだけ言うと彼女はびりびりとした力を、まるでないもののように無視してスノードームもどきに近づく。

 無理だわ、私には無理だわ。あんな近くまで行ったら軽く精神崩壊しそう。強い魔力に当てられる、ということを聞いたことがある。私は発する側だったのでなんとも言えないが、これか。これなのか。


 そしてゆういは私に手を差し出したのと同じような気安さで球の内部に左手を差し込んだ。


 手首から先が、まるでなかったかのように消えた。


「えっ」


 ずるり、手を引き抜くとなんら変わりない無表情でゆういはこちらに帰ってきた。

 そして小さく首を傾げると言った。


「場所、わかりましたよ。予想通りのところでした。やりそうなことも予想はついていたのですが、まぁ予想通り。やっぱ人生そんなもんですよね」

「いや、それは良いんだ、ありがとう。いや、駄目だろ。手。手。手」

「手?……ああ」


 バランスの悪い片手を目の高さまで持ち上げて、彼女は無感動に言う。


「これですか。気にしないで下さい。直接干渉したので、その代償……というか、私のミスですから」


 手首から覗くのは何処までも深い黒。血が流れますこともなく、ただぽっかりと虚ろな穴があるだけ。偽物のような光景に、異常な恐怖を覚えた。


「痛く、ないの?」

「痛いですよ、それなりに」

「治せないの?」

「……今は、無理です。今回本部の助けは期待できません。……だから左手にしたんですけど……駄目でしたか」

「駄目でしょう!それならもっと別の方法を考えるべきだった、私も、あなたも、もっと」


 何処か、困ったように彼女は眉を顰めた。


「……ごめんなさい」



 ◆◇◆



「とにかく、最低限の手当てを!」

「あんなこと頼んでないだの自分を大事にしろ、だの言うかと思いました。手当てですか。善処しましょう」

「……そういうのは、あなたに対して失礼だと、そう思ったの」


 静かな目が私を見ていた。凪いだ夜の海の色。

 彼女はひとつ、溜息を吐くと欠けた片手をポケットにしまい、そして取り出す。そこには当たり前のように白い掌が揺れて、繊細な指がすらりと伸びていた。


 ふ、ともうひとつ息を吐いた。


「あくまで応急手当てです。完全に生えてきたわけではありません。ものに触れることはできても指を絡めるような動きはできません。……けれど、あなたの目に痛くはないでしょう」

「ど、うやったの?」

「企業秘密です」


 何処か不機嫌そうな返事が嬉しかった。


「ありがとう」

「別に、礼を言われるようなことではありません」


 この人は優しい。突き放すようなことも沢山言うくせに私を気遣う。無表情で損をしていることが多そうだ。

 思わず笑いが溢れた。


「何か可笑しいですか」

「いや、別に。……それで、どこにいるの?」


 少し緩んでいた彼女の纏う空気が、ゆるり、緊張感を帯びたものになる。


禁域(ハコニワ)と、そう呼ばれる場所があります。どうやって彼らがそこへ侵入したのかは分かりかねますが、恐らくそこでしょう」


 どこか不愉快そうな口調だった。平坦な口調であったけれど。


「何か嫌なことでもあるの?」

「そういうわけではありません。……ただ、不愉快なだけです」

 ーーーいきましょう。

 彼女は一言そう言った。


「道を開きます。少々お待ち下さい」


 不愉快そうに私に向けられた背は拒絶を示す。私の言葉が悪かったのか、何が悪かったのかは分からない。けれど、最初に感じた得体の知れないものに対する忌避感は次第に薄れ、ことあるごとに滲む感情が彼女を私の近くに連れてきた。


 だから、問うた。


「ねぇ、なんでそこまでしてくれるの?」


 彼女はぴたりと動きを止めた。そして私を振り返ると何も映さない黒の目が私を射抜く。


「……あなたは

「はいそこでストップー、手を挙げろ、抵抗はするなよ」


 突然、第三者の声が響く。無駄に良い声で、恐らく男性のもの。

 驚いたように一瞬目を見開いたゆういは憮然として口を開く。


「覗きですか。趣味が悪いですね、主任」


 ふわりとゆういのすぐ後ろに現れた人物を振り返ることなく、ゆういは言った。


「俺らが一番干渉しにくいところに逃げ込むお前に言われたくはないな、シシィ(・・・)


 私のあにより背が高いだろうその人はこれまた綺麗な人だった。

 人間が美しいと思うものは全ての顔の平均だというけれど、この人のものはそんなものじゃない。完璧に配されたパーツが平均であるならば私たちは自らの不完全さを嘆かずにはいられない。直視することすら烏滸がましい、そう思ってしまう。そして、これ程までに整ったこの人を見て、私たちは安心するのだろう。自分たちの至らなさ故に許されていることの多さに。


 その人は気怠げに煙管(キセル)を咥えた。

 ゆらゆらと紫煙が一筋昇っている。


「従姉妹様。この人です、この人が私の上司。逆らえばくびちょんぱです。逆らわないでいきましょう」

「え、あ、はい。そ、うなの?」

「……まさか従姉妹様、主任(コレ)に見とれていたなんてことありませんよね?これはやめておくことを勧めます。生え際がただいま後退気味です」

「え!この人が!?」


「何適当なこと言ってるんだ!」


 美人様が切れた!青筋が!浮いている!さっきまでの雰囲気が台無しだ、絵になるような美しさが!

 でもイケメンだ!人生はなんて理不尽なんだろう。


「とにかくシシィ!お前、今度こそただじゃ済まないからな!覚悟しとけよ」

「大丈夫です主任、想定済みです。さぁ早速どうぞ」


 煙管を掴んだのと逆の手でゆういの頭を掴んだ美人様(上司さん)はお綺麗な顔を歪めた。


「……お前、死ぬ気か?」

「まさか。私が死ねないことなんて主任が一番よくご存知でしょう」

「……そうか」


 そういえば、と頭を掴まれた彼女は続けた。


「そういえば従姉妹様?無茶は駄目です。困ったことがあればこの方に相談なさい。お役所仕事なのでやることなすことちんたら遅くってイラつくことこの上ないのですが、まぁそこらのただの役立たずとは違います。無下にはされないでしょうし。………………では従姉妹様?暫くお暇いたします、御機嫌よう」

「え、ちょっとまって、暫くってどのくらいなの、ねぇ……


 ぷつん、と電源が落ちるような音がして、ゆういは消える。

 ほんの数時間。私が彼女と一緒にいた時間。いつしか私はぬらりと濡れた夜の瞳に光が差し込むと、なんの根拠もなく信じていた。私が知っている彼女は、そんなひと。


 けれど妙にその濃い時間は唐突に終わりを告げた。


 それこそ、煙のように。



「それじゃあ、そこの……"いとこさま"?ご同行願えますかね?」


 煙管を片手に美しい人はこちらを向く。ゆらり、光る瞳が私を見ていた。


 美しくも残酷な人。さながら死神のようだった。



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