拝啓、壊れた世界 〜不可能な愛し方〜
これまで投稿してきた他の作品とは全く異なる感じにしました。
他サイトにも投稿
カーテンから差し込む湿った陽光に僕は目を覚ました。
頭を振って伸びをする。そして筋肉が疲労で悲鳴を上げるのもお構い無しに立ち上がった。
とりあえず机の上に用意していた着替えを取って身につける。洗って干しただけの服は老人の顔のように皺くちゃだった。
僕は着替え終わって、疲れ果てて深い眠りに落ちている会長こと飛鳥先輩に枕を叩きつけた。苦悩に満ちた唸り声を背後に、充満する濃密な夜の匂いを逃がすために窓を開け放つ。
「…君は相変わらず乱暴だね」
何度か枕を叩きつけてようやく身を起こした会長は文句を言って、シーツで身体を覆い隠しながら枕元の黒縁メガネをかけた。
「会長がいつまで経っても鼻から風船出してるからですよ。登校時間です」
「分かったよ副早漏」
「何気に貶すのやめてもらえません?副会長ですよ」
「ああ、ごめん。副会長様が昨晩はあんまり激しいもんだったから」
「黙れ、そして死ね」
「ひどいことを言う後輩だな…」
会長は寝ぼけ眼をさすりながら、綺麗にアイロンがかかった制服を着る。ちらちら見える白い肌が美しい。
この光景をPTAが見たらなんて言うだろうか。退廃的とはいいものだ。何もかもが滅んだ世界で欲望のはけ口が無かったら狂ってしまう。
道端で拾ったSIG自動拳銃をポケットに突っ込んで玄関を出る。気分はインディアンを撃ち倒した孤独な騎兵だ。背後では会長が相変わらず気怠げにあくびをしていた。
鼻歌交じりに廃墟の間を抜け、朽ち果てたボロい駅の前に着いた。
しんしんと降るひどく冷たい雨から逃れるように建物内に入る。
錆びついたレールと壊れかけのベンチ以外のものはホームにない。
僕はベンチに座ってぼんやりと薄暗い空を眺めた。重い灰色の雲が無人のコンクリートの群れと化した町並みを呑み込むように立ち込めている。
「やあ、副会長」
会長がパシャりと水たまりの水を跳ね上げながら、僕の横に座った。さっきとは打って変わって若々しい声だ。
「なんですか」
「せっかくこんなにかわいい先輩が来たのだから、何か話したらどうだい?」
「かわいい?それは会長の星での基準で、ということですか?アロー、アロー、こちら地球。生物兵器の回収を頼む」
「ねえ、殴っていいかい?割と本気で殴っていいかい?」
会長は握りこぶしをぶんぶんと振り回した。残念なことに、その細く白い手でそんなことをされても全く迫力はない。
会長のそれには応えず、僕は再び空に視線を戻した。
朽ち果てた木製のベンチは二人分の体重に悲鳴を上げる。おかげでいい感じにノスタルジックになった気分がぶち壊しだ。
「あー、なんでこんな日に限って副会長なんかと電車待ちしなきゃいけないんだろうなー」
彼女は黒縁メガネをわざとらしく掛け直しながら言った。理知的とはとても言えない胡散臭さをいい感じに発揮している。
「電車なんか来ませんよ」僕はちらりとレールの向こうを見た。「分かってるでしょう」
「それはそうだけどね…」
会長は大仰にため息をついた。
「学校がないわけだし、今更電車が来たとしてもなんの意味がありますか」
それにもう人類は滅亡したのに電車が走るものか。
「ロマンがないね、君は」
「心配しなくても街中に行けば真っ白でロマンチックな花畑が見られます」
「心配する以前に不謹慎だよね、それ」
「そうですね」
人類は滅びた。そんな時に不謹慎だとか関係ないだろうに。とりあえず祈ってあげよう。家内安全を。
綺麗に糊のきいたセーラー服は会長の髪からのシャンプーの香りとともに甘い匂いを漂わせている。僕はこの匂いが嫌いだ。甘い匂いがするのはたいてい屍蝋とアイスマンのように奇跡と儚さを併せ持ったものだ。僕と会長の死体はロザリオ・ロンバルドのようにはいかない。
「ていうか君は冷めてるよね。人類滅亡しちゃったんだよ?その辺全部お墓状態なんだよ?」
「お墓オタクなんですよ」
「いい趣味してるね。実は私もそうなんだ。長年の付き合いのおかげなのかな」
「冗談はメガネだけにしてください。腐敗臭漂う腐れ縁です」
「メガネを馬鹿にするな。腐敗臭漂うってわざわざ強調するな。傷つく」
視界の端に騒がしく揺れる黒髪が少し面白かった。
「朝が終わりますね」
唇を歪める。
そして時間を削る時間の進みを口に出す。絞首台に登る階段の数を数えるように。
そっと優しく。そっと静かに。囁く。
「そうだね」
会長はどうでもよさそうに頷いた。僕はそれが少し残念に覚えた。
「そんなことより、明日は街に行かないか?」
僕は露骨に顔をしかめた。
朝から駅で昼下がりまで時間を潰すのがルーティンだからだ。
だが、会長が上目遣いでお願いしてくるので断り辛く、仕方なく僕は了承した。
彼女は我が校の生徒会会長で、僕は生徒会副会長だった。
一応、現在でもその役職にいるのだが、人類滅亡が確実になった時点で学校は閉鎖され、生徒会も無論解散状態となった。
だが、僕はそれ以来もずっと通学電車に乗るこの駅に朝はいるようにしている。積み上げられたルーティンを崩したくない、というのもあったが、普通の生活リズムが壊れるのが、何よりも怖かったのだ。
よく周りから誤解されていたが、僕は冷静なのではなく大変な怖がりなのだ。怖がりは変化を極端に嫌う。そんな単純なことも分からない人間がこの世界は多すぎた。
会長も然り、だ、
学校はないというのに、毎日のファッションはセーラー服というものだ。それが彼女の心の拠り所であり、ルーティンであった。
学校生活では優等生でいたとしても、その臆病な自尊心は日常が崩れてからは覆い隠しきれていなかった。
だからこそ僕の前では毒を吐く。気さくでいる。積極的でいられる。
僕を同類だと思っているから。
僕を単なる鏡だということに気づいていないから。
もちろん僕はそんなことを本人に言うことはない。自分の心の中だけにとどめておく。
それが僕にできる最大限の優しさだから。
かつては多くの人々で賑わっていた中心街である。暴動によって街並みは徹底的に破壊され、多くの白骨が転がっている。
人類滅亡から1年しか経っていないが、ここまで成長するのかと驚くほど伸びた植物たちが辺り一面を占拠している。交差点のど真ん中に残置された陸上自衛隊の戦車にさえ草が生えている。俯くように垂れた105ミリライフル砲には、古い墓標のように蔦が巻きつき沈黙を守っている。
「丸っこくてかわいい戦車」
会長はローファーで荒れた路面を歩くという闘いを演じながら言った。
「74式戦車という戦車です。あっちで黒焦げになってるのは96式装輪装甲車です」
「ふうん。大きいね」
小学生じみた、いや今時の小学生はもっとマシな回答をするだろう。この世界に小学生がいれば、の話だからこの仮定は成り立たないのかもしれないが。
「てかなんで会長、今日は街に行こうなんてことを?」
「別に…。深い意味はないかな。私はね、この風景が好きなんだ」
会長は毛髪が残る腐りかけの頭皮を被った頭蓋骨を踏み砕いた。思いの外、軽い音とともに、その頭蓋骨は小さい破片を飛び散らした。
中から溢れ出る虫に目もくれず、会長は僕を見る。
「別に好き合ってるわけでもないのに、交わってる私たちに似てないかなあ?」
「…どこがですか?」
「何にもないところ。君みたいな空っぽの瞳、私みたいな臆病者」
時々会長はわけの分からないことを言う。しかし、たまにその一言は不思議なほど的確に、僕のささくれだったところを逆撫でする。
「会長、それは違いますよ。さしずめ僕たちはアダムとイヴってやつなんじゃないですか?」
「私たちは林檎をしゃくしゃく食べられるほど食糧事情にゆとりがあるわけじゃないだろう」
静かに笑うその顔を、僕はナイフがあったら、暴力的に切り裂きたい衝動にかられた。ズタズタに、バラバラにしたいという、閉鎖的で本能的な衝動だ。
「僕たちの罪はなんですか?」
僕はできるだけ冷淡な声で聞いた。
綺麗に切りそろえられた短い会長の黒髪が風になびく。
「破綻した世界で破綻した関係でいるところ、かな。よく分からないけどね」
「そんなふざけた理由で僕のルーティン壊さないでもらえません?」
「そんな殺気を振りまいたらダメだよ、副会長。少しくらい付き合ってくれないかな、おっと」
蔦に足をとられた会長がよろめいた。
僕は無言で会長を抱きとめた。お互いの顔を至近距離でつきあわせる格好になった。
「…ほら、漫画だったらこれ胸キュンシーンだよ」
「あいにく、僕が先輩を好きになることはないんですよ」
会長から僕は身体を離した。
「君は態度がコロコロ変わる男だな」
会長の口から忍び笑いが漏れる。シニカルな笑い。それが強がりだと僕は知っている。
「すっ転んで会長が死んだら僕はどうやって欲望を処理すればいいんですか」
「訂正しよう。君は最っ高に気持ち悪い男だ」
死んだ街、白骨を踏み砕く乾いた音と行き場のない笑い声が響き渡る。
立ち並ぶカラスの寝床と化したビルはギーガーの画集に出てくるエイリアンのピラミッドのようだった。
少し蒸し暑い日。
駅から出た僕は、家でゴロゴロしていた会長とともに、半ば雑草に埋れた木造家屋で、僕たちは遅い昼ごはんを食べた。
向かいに座ってデザートのパイナップルを幸せそうに頬張る会長を眺めながら、僕はこの先のことに思いを巡らした。蓄えはまだある。生きる気力もそれなりにある。ただ、色々なものに飽き飽きしている自分を持て余していたのだ。
「パイナップル食べないのかね?おいしいのにもったいない」
そう言いながら、会長は僕の分のパイナップルを一個奪っていった。
「返してください。もしくは泣いて詫びてください」
「君にもし排泄物を愛する趣味があるなら返せるけど」
「前者は忘れてください。分かりました。明日からデザート無しです」
「なんてやつだ」
会長は桜色の唇を噛み締めて僕を睨む。食を司る者は、強い。
「どうしますか」
「……ごめんなさい」
「え?なんですか?」
「ごめんなさい…」
僕は唇を歪め、勝利を素直に喜ぶ。
良かった。僕はまだ時間を殺すことはなさそうだ。
「仕方ないですね。許してあげます」
「けっ」
盛大な舌打ちを無視して僕はパイナップルを口に運んだ。蜂蜜のような甘さとほどよい酸味が口中に広がる。
「さて」
会長は大きく伸びをして言った。
「帰ろうか」
「気が早い人ですね。時間に支配された生き方はよくないですよ」
「時間も何もあったもんじゃないよ、この世界は」
それもそうだ。
「最近、美しいものを見ていないな」
「いきなりなんです」
「目の保養がないってことさ」
「じゃあ、放火でもしますか」
別に何か深い考えがあったわけではない。ただぽつりと出た言葉だった。炎は綺麗じゃないか。燃えている時も、燃え尽きた後も。
すると、会長は一瞬キョトンとしてからほほえんだ。
「いいね、延焼しないかな」
「周りは広いですし、誰も気に留めませんよ」
「それならいいか」
会長はあっさりと認め、缶詰の底に残るパイナップルの欠片を名残惜しそうに見ながら立ち上がった。
僕はリュックサックからターボライターを取り出し、紙くずに火をつけて、痛んだ畳の上にポトリと落とした。少し離れたところに劣化したガソリン。
「行きますか」
「そだね」
紙くずから徐々に広がる炎に急き立てられるように僕たちは荷物を持って家を出た。
道路に出たところで立ち止まって振り返る。
最初は窓からちろちろ見えるだけだった炎は、ガソリンに引火したらしく、段々勢いを増して屋根を舐めはじめた。
「きれいだね」
「ええ」
やがて炎は黒煙の羽織を着て優雅に舞いはじめた。鮮やかなオレンジ色が視界いっぱいに広がって、痙攣したように笑う木造家屋に破壊の狂気をもたらした。
紅い触手がペンキを塗りたくったようにべったりとした空に絡みつこうと喘いで、虚しく火の粉を散らしていく。
「ねえ副会長」
会長は惚けたように炎を眺めながら呟いた。
「あの炎の中に飛び込んだら私たちは楽になるんじゃないかな」
火災の風のせいでまとわりつく前髪で、その瞳は見えない。多分、どこも見ていないのだろう。ぼんやりとした焦点の合わない目で、ここではないどこかを、悲しみと絶望とともに眺めているのだろう。
僕は最適解を探す。見つかるはずもない僕なりの、鏡なりの最適解。
「ねえ神代」
僕の名前。
会長から、僕の名前が漏れ出るのはいつぶりだろう。前にこう呼ばれた時のことを、僕は思い出そうとする。
「なんですか、飛鳥先輩」
炎をうけて、その白い肌は紅く染まっている。その頬を、ガラスのような涙がこぼれ落ちていく。
慰めるとか、そういうことは僕にはできない。僕と会長は、友人でも恋人でもない。何も知らないのに、慰めるなんてことは、できない。
「私は寂しいよ」
木材のはぜる音にかき消えそうな、細く小さな声。
慰めの言葉は出てこない。
僕は、小さく震える会長の手を握った。
折れそうなほど細く、ほんの少しだけ暖かい左手をそっと包んだ。
「仕方ありませんよ」
会長の、握り返す力が強まる。
こういう時、笑っていればいいことがあるとか僕がいるから大丈夫だとか、虫唾が走るような言葉を言えれば、悲しみをレフュージアに置き去りにできるのだろう。
だが、僕はこの人に恋してはいけない。
どちらかが死んだ時、残された方はどうなるか考えたくもない。
「僕たちは死んだ世界に居るんですから」
ここは、死んだ世界。
会長は俯いて、ただ手を握る。すがるように、紛らわせるように。鏡の向こう側に自分だけの世界を見出すのがどれだけ虚しくても。
僕たちの、壊れた世界での恋し方はこれしかないのだから。
拝啓、壊れた世界様。僕はあなたを恨みます。
安易に恋愛小説書いててもつまんないな、と思って書きました。
巡伊神代は本来、こちらが先に登場する予定でしたが、意外に時間がかかり、コメディの全く違う人格の神代を登場させる感じになりました。
*書き直しました。
ではでは