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ぼんやり授業をやり過ごしていたら、いつの間にか終礼のHRになっていた。夜は短し恋せよ乙女――なんていう言葉があったのを、教師の文化祭がどーたら言う話を聞き流しながら思い出す。
いつもの癖で、軽く握った右手を唇にあてた。柔らかくもなんともない、少しかさついたそれを人差指に感じる。目だけで周囲をうかがったが、誰も私の行動に目をくれない。
当たり前だ。そんなことを考えるようなら、それはただの自意識過剰だ。私はふうっと一つ、息を吐いた。
視線は自然と、廊下側の一番後ろの席にいる山崎の方へ行く。奴も、他のクラスメイトと同じようにきちんと前を向いている。厚みのある黒縁の眼鏡は、良く言えば真面目そう、悪く言えば根暗そうに見える。昨日見た公園ではしていなかったような気がしたのだが――実はそんなに視力は悪くないのかもしれない。
その時、ふと山崎がこちらを見た。
真黒な瞳孔が私の目と合うのが、割と距離のあるこの席からでもよく分かった。反射的に肩がびくん、と跳ねる。気づかれた――と思うより早く、私は前を向いた。
心臓が体の中のあちこちを跳ね返っていくような心地を必死で押さえながら、何事もありませんでした、と言うような顔で、特に耳に残らない教師の声を聞く。
大丈夫、何もない。何でもない。
右肩に刺さる視線が外れ、私がただの「一般クラスメイト」に戻っていくのを感じる。私はもう一つ、息を吐きだした。
「担任がけだるそうに話している」という行動で今の時間にレッテルを張り、誰もがその消費にいそしんでいる。日常的な風景には、ちょっとした行動理由の名前があるだけで十分だ。その風景に溶け込むことで、私は私をなくせるし、なにも考えなくてすむ。そう、何もしなくていいのだ。前に立つ誰かに従ってさえいれば、おのずとゴールまで導いてくれる。普通の私には、それぐらいで、ちょうどいい。
私はただのクラスメイト。山崎も、どこにでもいるような一般の生徒なのだ。
私は、何をそんなに気にしているのだ?
他人のプライベートなんて、関係ないでしょう?
「恋をしろ、だなんて、勝手だよ」
おせっかいな言葉を遺した誰かに向かって小さくつぶやく。
今は、夜じゃないし。夜間の外出は危険です。
ただし、夕方は例外と言えるかもしれません。
だからきっと、これはただの興味だ。珍しいクラスメイトに、珍しく興味がわいただけなんだ。
号令の合図とともに、私は教室を出た。