19. 体育祭⑤
わかってる。わかってるよー、久々のさっちゃんとの再会だって。感動の場面だって。
そのくらい、さすがの私にだってわかるさっ!
けど、ホンットごめんね。
「さっちゃん!ちょっと待っててもらっていいかな!!」
「え?」
「緊急事態だからっ!」
「な、なんだよ?」
「もう我慢の限界なの!」
「は?」
「トイレいってくるからーーー!!!」
「………………」
あぁ、さっちゃんの沈黙が背中に突き刺さってくるようだわ。他にも、色んな方面からのブーイングが聞こえてくる……。きっと、空耳じゃないな、うん。
でも、仕方ないじゃん!生理現象なんですよ!!《王子》出現ですっかり忘れちゃってたんだけどさ、さっちゃんの顔見てほっとしたら、また一気にやつが襲ってきたんだよぉ!せっかくここまで耐えたのに、最後の最後で気を抜いて……なんてことになったら私の人生本当にどん底に落っこっちゃうから!!!
どんな文句も甘んじて受ける心算はできている。だから、ともかく今はトイレに行かせてください!!
■ □ ■
「はぁ……危なかった」
体育倉庫はプールの更衣室の近くにあるんだけど、そこにトイレが設置してあって本当に良かった。おかげで間一髪で人生どん底コースを逃れることができた。下手な絶叫マシーンに乗るよりもスリリングな時間だったわ。もう二度と経験したくない。……まぁ、前世からカウントすると、すでに2回目の経験なんだけどね、これ。
「……大丈夫か?」
「あ、さっちゃん」
前世での忌まわしい経験を思い出しながら体育倉庫の方に向かおうと思ったら、更衣室の角を曲がったところでさっちゃんに声をかけられた。てっきりまだ体育倉庫の方にいるのかなと思ってたから、ちょっとびっくりしたよ。
「こっちで待ってたほうが早いと思って」
「あー、本当にごめんね。突然駆け出して。けど、ガチで危機一髪だったんだ。ほんっとに助けてくれてありがとう。さっちゃんは命の恩人だわ」
さっきはお礼も言わずにトイレに直行しちゃったけど、あそこで助けに来てくれたことは本当の本当に感謝してるんだ。言葉じゃ到底使え切れないほどだから、少しでも伝わればいいなと思って深々と頭を下げてお礼を言った。
「……」
あれ?何も反応がない。あ、もしかして今まで全然顔合わせてなかったのに、普通のノリで接してるから怒ったのかな?そう思いながら顔を上げたんだけど、どうやらさっちゃんは怒っているわけではなさそうな顔をしていた。
何というか、反応に困ってる感じ?私が改まって頭なんか下げたから驚かせちゃったのかな?
「……今までで一番たいしたこと無かった気がするけど?」
あぁ、なるほど。石ブチ当てられそうになったり、男子に路地に連れ込まれたり、崖の上から突き落とされたり、ホモ集団からリンチされたりするのに比べたら、確かに今回は一件は閉じ込められてただけだったから大したことなく思えるよね。
しかし、その考えに対しては声を高らかにして反論させていただきますよ。
「ある意味、今回が平野奈美に転生してからの、人生最大の危機だったかもしれない」
「大袈裟だな」
「大袈裟じゃないよ!トイレ我慢しすぎるって体にむちゃくちゃ悪いんだよ!腎盂炎になったら、大変なんだから!」
「……じんうえん?」
「膀胱炎のひどい版!細菌が腎臓まで逆流しちゃう病気なの!!入院しないといけない場合だってあるんだからね!」
あまり知られていない病気なんだけど、私は前世でもこの病気にかかったことがあった。
前世の記憶があんまりないのに、その時のことはよく思い出せる。あれは、とある年の会社の忘年会での出来事。お開き前に幹部達が一言述べることになったのだが、熱苦しい営業部長が一言どころか恐ろしく長い演説を始めやがった。
帰る前にトイレに行こうと思っていた私には地獄の時間だった。しかし、普段から嫌味ばかり言われている営業部長の演説の間に席を立ったりなんかしたら、会社を辞めるまでそのネタでいびられるのは目に見えていた。だから、私は必死に必死に我慢して、営業部長が喋り終わって、みんなが拍手し出したのと同時にトイレに駆け込んだのだ。
その時は間に合ってよかったー、って思ってた。けど、数日後、私は謎の背中の痛みと高熱でぶっ倒れることになった。病院に行ってみた結果、トイレの我慢しすぎによる腎盂炎と発覚。しばらく会社じゅうでネタにされたのはもちろん、無理やり入院中休んでいたところに有給をあてられた。私の貴重な有給は、こうして無残にも消費されてしまったのだ。なんというブラック。王子の腹の黒さにも匹敵するほどだ。
「今回は有給云々は関係ないけどさ、万が一入院なんてことになってたら、必死に守ってきた皆勤賞まで逃して、私の人生計画がおじゃんになるところだったんだから」
「まぁ、崖から突き落とされても死守してたしな」
「それだけじゃない。万が一我慢できてなくて、体育倉庫で漏らした、何て噂が広がってたら私の人生、the endだったよ。学校を卒業しても、たとえ私のことを知ってる人のいない会社に入社したとしても、ソーシャルなネットワークで繋がっちゃったこの世の中で、その噂は一生私につきまとって、私を惨めな人生に突き落とすところだったんだよ!」
「……」
あぁ!今思い返してみても恐ろしい!!極限状態の中で感じたリアルな恐怖!!!鈴木君たちにボコられた時も怖かったけど、あの時は一発食らってすぐに意識朦朧としだしたから、正直訳わかんないままだった。正気のまま恐怖と面と向かうって。精神的にかなりやばい。本当の本当に怖かった。
今だって、もしさっちゃんが来てくれなかったと思うと……。ギャーーーーー!!!無理!!恐ろしすぎて、これ以上考えるのも無理だわ!!!!
「本当の本当のほんっとーーーーに、助けに来てくれてありがとう!!」
あの時の恐怖を思い出して、思わず涙が出そうになる。そのせいだったのか、私はとっさにさっちゃんの手を握って、また深々と頭を下げながら、お礼の言葉を叫んでいた。
「奈美、さ……俺のこと怖くなったんじゃないのか?」
たっぷり間を置いてから、さっちゃんがポツリと呟く。そこまでずっと頭を下げてたんだけど、顔を上げて見えたさっちゃんの顔は、やっぱりちょっと困ってるように見えた。……戸惑ってる?
え、てか、怖くなったって、何の話だ?言っちゃうと出会った時から常に怖い人だなーと思ってるんだけど。最終的にはただ怖い人じゃないんだって認識になったから、どっちかというと怖くなくなったが正しいような……。
「ほら、遠足のとき」
「ああ、そうだよね……」
ウンウン唸って思い当たる節を探してたんだけど、結局しびれを切らしたさっちゃんが促すように言う。察しが悪くて大変申し訳ない。
あの時から、結構長い間顔合わせてなかったわけだし、その話題になるのは当然なんだよ。会いに来るな、なんて言われるくらい怒らせたんだから、あの時のこと謝ってほしいと思うのは当たり前だと思う。
考えてみれば、なんでさっちゃんがここにいるかとかはよくわからない。だけど、もし顔を合わせる機会があれば謝りたいと思ってた。あんまちゃんと覚えてないし、故意ではなかったんだけど、がっかりさせるようなことしたのは申し訳なかったなと思うから。
「あの時は、ごめんね」
「……は?」
あ、あれ?謝った途端、すごい勢いで顔を歪められたんだけど……。え、今更何言ってんだよ?ってこと?謝ったくらいで許されると思ってんのか?的なノリですか……?
「そうじゃなくて、なんで奈美が謝るんだよ?」
よ、よかった……。謝る余地すらない状況なのかと思って不安になったけど、それは違ったみたいだ。
え、てか、なんか話がよく見えないんだけど……。遠足の話が出たから、これは私が謝る流れだよなと思ってたのに、謝ったらすごい顔されたし。私、なんか間違えた?よくわかんないけど、ひとまずここは問いかけに答えとくべきか。
「えっと、……あの時、ビビりまくっちゃって、わけわかんなく喚き散らして、うざかったよなぁと思って」
「やっぱ、ビビってたんだ……」
「あ、うん……。ちゃんとは覚えてないんだけどさ、やばそうだなと思って」
「……」
あれ?なんか、黙りこくっちゃったんですけど……。しかも、なんか泣きそうな顔してるし。この後に及んでも色んな地雷ポイントが不明すぎる。
え、てか、この場合泣かせそうになってるのって私?私のせいですか?うわっ、中身アレだけど年下の男子泣かすとか、最低な先輩女子だな!!って、そうじゃなくて……、なんでさっちゃんは泣きそうになってんだ?
えっとーーーーーー……。あ、もしかしてさっちゃんは、あの時私がさっちゃんに怯えてたと思ってるのかな?最初、怖くなったんじゃないのか?とか聞かれたし。そ、それで合ってるかわかんないけど、ともかくこのまま沈黙は耐えられないし、もしあってるならそれは誤解だから、訂正したほうがいいよね。
「あ、あのね。ビビってたのは本当だけど、さっちゃんが怖かった……んだけど、ってそうじゃなくて……」
「……」
「あの時はともかく止めないとと思って、とっさに叫んでたんだよね」
「え?」
意識が朦朧としてたせいで、鮮明には覚えてない。だけど、鈴木君の前にナイフを持って立ったその姿を見て、『ぶち殺す』って言ったその声を聞いて、戦慄した。
「さっちゃんが、本気で鈴木君を刺しちゃいそうに見えたんだよ」
その状況を怖いと思って、無意識に声をあげたんだと思う。なんて叫んだかは全然思い出せないんだけどね。怖いし、おまけに頭フラフラだったしで、もしかしたら言葉にすらなってなかったのかもしれない。そのくらい、錯乱してたんだと思う。
でも、目が覚めて冷静になって考えてみれば、それはすごく滑稽な行動だったんだよね。意識がはっきりとしてなかったとはいえ、さっちゃんが人を刺してしまうなんて、そんなことありえないって簡単にわかるのに。
「そんなわけないのにね。意識が朦朧としてたからそんな風に見えただけで、私なんかが止めなくても、喧嘩慣れしてるさっちゃんはその辺のさじ加減わかってるのに、余計なお世話だったと―――――」
「もう、いいよ」
あ、あれ……言葉遮られちゃった。やっぱ、こんなのが泣きそうになってた理由なわけないよね。う、なんかまた自意識過剰な考え方をしてしまったようで恥ずかしい。余計怒らせちゃったかな……。
「もう、わかったから」
え……?な、何?その顔?泣きそうなままなのは変わらないけど、なんか、笑ってる?え?や、てか、な、涙流れてきちゃったしっ……。け、結局泣かせちゃった!?
「奈美って……ほんとに……」
「え?な、何?てか、え……?」
途切れ途切れで、何言いたいのかわからないよー。そして、もう何が何だかわからないよー。何でさっちゃん泣いてるの?え?え?わ、私どうすればいいの……??
「……ビビらせて、ごめん」
え、なんか謝られた。え、てか、泣かせるどころか、号泣させちゃってるじゃん。
「止めてくれて、ありがと」
え、でもなんでお礼?え?え??えーーー???なんて思ってたら、突然抱きしめられた。
その途端、なんか、涙が出てきた。
怖かったのと、ホッとしたのと、何が何だかわからないのと、それから嬉しかったのと。それが全部ごっちゃになって、肩を震わせてたさっちゃんにしがみつきながら、しばらくの間、めそめそ泣いた。




