8. 自分の部屋
辺りは真っ暗だった。たまに赤い揺らめきが空間の向こうに見える。
またかー。またここに迷い込んじゃったのかー。確かに今日は新学期が始まる日だからテンプレ通りではあるんだけど、なんなんだろうねぇ、まったく。最近は《冥王》も大人しいし、特に聞きたいこととかないんだけどなぁ……。あ、でも文化祭の時のことは気になってたから、あの時のことを問い詰め―――――
え?……鳥?
《冥王》に何を言ってやろうかと考え事をしていたら、視界の端を何かが飛び去っていくのが見えた。赤黒い空間を旋回するよう飛んでいるのは小さな鳥のように見える。光を発するその鳥は闇をわずかに照らし出しながら、のびのびと飛んでいる。
ここで鳥を見るなんて初めてだ。私の夢っていうならまだしも、ここは《冥王》が作り出した特別な空間なのに、なんで鳥なんかが……。まぁ、私もあの鳥のこと言えたわけじゃないんだけどさ。
その場に立ちながら、鳥が飛び回るのを見上げる。すると、今度は下のほうで何かが動くのが見えた。それはいつも見慣れた闇の塊。《冥王》様のお出ましだ。
いつものごとく対峙しようと思ったら、さっきの鳥が視界の目の前を通り過ぎた。急降下してきた鳥は一直線に闇の塊を目指す。
そのまま行ったらぶつかるんじゃ、と思わず止めようと手を伸ばす。だけど、鳥は止まらなかった。そのままっすぐと闇の塊に飛び込んでいく。そして、その鳥の姿は見えなくなってしまった。
何だったんだ、今の?私と一緒でさっきの小鳥ちゃんもここに迷っちゃった口なのか?……鳥って夢見るんだね。しかし、《冥王》突っ込んでいくなんてなんて勇猛果敢な鳥ちゃんな―――――
突然、小鳥が消えっていった闇がぐらりと揺れた。
……あれ?なんか、いつもと様子が違う気が……てか、な、なんか……足元があったかい?足に当たる暖かさに気が付いてとっさに下を向く。
そこは真っ赤に染まっていた。闇を中心に赤い液体がゆっくりと広がっている。
なななな何、これえぇぇぇ!!!??な、生暖かいってことはまさか……血!!?ちょっっっ!!な、何がどうなってるんだよーーーー!?
半分パニックになりながらも、何とかその赤い液体から逃れようと後退ってみる。それでも液体はとまることなく、闇の空間の地面に当たる部分を赤く染め続けた。何が起こっているのか全く理解できない中で、また大きく《冥王》の闇の塊が動くのがなんとか認識できた。ぶるりと身震いをするよう震えた闇はぎゅっと一瞬中心に向かって集まると、次の瞬間勢いよく霧散した。
闇の塊だったものが爆発したかのように、散り散りになっていく。
え……もしかして、《冥王》死んだの?これって、《冥王》の血ってこと?目の前で起こった思いもしない現象に、赤い液体のことなんか忘れて闇の塊があった場所を茫然と見つめた。散り散りになった闇の先で何かが動くのが見えた。
誰かが、闇の塊があった場所に立っている。
その人物は私に背を向けているみたいだ。霧散した闇が邪魔してその姿はよく見えない。その人物がこちらをふりかえったのがわかった。闇の隙間から口元だけがはっきりと見える。
その口元には、笑みが浮かんでいた。
『ようやくだ』
「!!!!!」
体がびくりと跳ねた。そんな自分の体の動きで完全に覚醒する。次に体中を襲ったのは寒気だった。ちゃんと布団に入って寝てたのに、凍えたみたいに体が冷たい。
「い、今のって……」
体をさすりながらさっきの夢を思い出す。《冥王》の作り出した空間に迷い込むのはこれで数回目だけど、今回のはなんか違った。なぜか鳥が出てきたし、赤い液体で床が染まっちゃってたし、それに《冥王》は一言もしゃべらないどころか、なんか爆発しちゃったし……。かと思ったらなんか人が見えて、その人は笑ってて……。
あの声……それに、見えたあの人影が着てた白い服って……まさか……。
チャラララーラーラーラーラッラッラ~♪
うぎゃっ!!!び、びっくりしたー……。着信音か……。てか、今まだ5時じゃん。こんな時間にだれが電話を……。
「え……真白?」
画面に表示された名前に驚く。真白がこんな朝早くに電話をかけてくるなんて……。明らかに普通じゃない。思わずごくりと唾を飲み込みながら、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、奈美。ごめんね、こんな朝早くに電話しちゃって……』
受話器越しに聞こえる真白の声は沈み込んでいた。朝早くに電話なんておかしいと思っていたけど、その声を聞いて確信する。やっぱり、何かあったんだ。
「気にしないで。それより、どうしたの?」
『それが……リリィが逃げちゃったの』
「え?」
リリィって、真白が飼ってるインコだよね?てっきり真白自身に何かあったと思ってたから、それは予想外だった。でも、真白の声が沈み込んでる理由はわかった。
『寝てたらね、何か物音がして目が覚めて……。おかしいなと思って玄関を見てみたらリリィの籠が廊下に落ちてて』
「それって泥棒!?」
『一応警察にも連絡したんだけど、人が入った形跡はないって言われた。ただ、すこし様子がおかしくて……』
真白は一旦そこで言葉を切った。続けるのを躊躇しているのか、何が真白をそうさせたのかはわからない。ただ、真白が音を立てて息を吸うのが聞こえる。
『廊下から玄関までずっと……あの子の羽が落ちてたんだ……』
やっと続いたその声は、小刻みに震えていた。
「羽が?」
真白の言葉とともに、脳裏に真白の家の玄関が思い浮かんで、そしてそこに黄色い羽がいくつも落ちてい光景が目に浮かぶ。
それを見た時の真白のショックはきっと相当のものだっただろう。羽の抜け具合によってはもしかして、と思ったかもしれない。だから、さっき真白は思わず言葉を途切れさせたんだ。
『うん……。おかしいと思って外に出てみたら、羽がずっと道しるべみたいに続いてて。今それをたどってるんだけど、学園まで続いてるみたいなの』
玄関から道にまで続いて落ちた羽、真白の言う通りなんか変だ。ただ逃げ出しただけならそんなに羽は落ちないだろうし、たとえリリィの身に何か起こっていたとしても、そんなうまい具合に羽が抜け落ちることなんてありえない。
え……てか、真白、今それたどってるって言った……?
「真白、もしかして今1人で外にいるの?」
『うん。お母さんたちは警察と話をしてるから』
「……今、どのあたりにいるの?」
『もうすぐ学校の門のところに着くよ』
こんな朝早くに真白が人気のない学園に1人でいる。普通に考えて安全とは言えない状況だけど、それ以上の危機感が襲い掛かってくる。
《冥王》の闇に飛び込んでいった、黄色い鳥の姿が脳裏をよぎった。
……だめだ。絶対に、真白を1人で学園の中に入れちゃいけない。根拠もないのに、それだけのことが確信できる。スマホを握る手に無意識に力が入った。
「私もすぐ行くから、絶対に1人で学園の中に入っちゃだめだよ」
『う、うん……』
「絶対だからね!」
強く念押しして電話を切る。着替える時間も惜しくって、ズボンだけ手早く着替えてコートを掴む。廊下を歩きながら両親に出かけてくると短く声をかけて、階段を下りながら電話を掛ける。かける相手は《暗殺者》だ。
『もしもし?』
「さっちゃん、ごめんけど、すぐに学校に来てくれる?」
『どうした?』
「うまく説明もできないけど、なんかやばい気がする」
『……迎えは?』
「真白が学園の近くに1人でいるみたい。先にそっちに行かなきゃ」
『わかった。昇にも連絡してすぐに向かう』
こんな朝っぱらから意味わからない電話をかけてるっていうのに、こんな時は《暗殺者》の察しの良さに感謝せずにはいられない。もしかしたら、私の声の調子が普通と違ったのかもしれない。自分でも意味が分からないほどに、切羽詰まってる。そうさせてるのは、多分さっきの夢のせいだ。
《冥王》の意識の中に迷い込んだ。
そこで、黄色い鳥を見た。
そして、真白のリリィが行方不明になった。
不自然に、羽をまき散らして。
何が起こってるかなんてわからない。頭の中はぐちゃぐちゃで、ただ根拠もない危機感にあおられて脈拍が上がる。だけど、それが気のせいじゃないってことだけがはっきりわかってた。
急いで学園に向かわないと……!
自転車に飛び乗った私は、大急ぎで学園を目指した。




